忠誠
次が最終回です。
「殿下、殿下に謁見したいと申す者が現れました」
神妙な顔でイリーナが顔を伏せてそう述べる。
場所は反十二神器の同盟が使っていた廃墟。
そこの一部を改造し、ルスト王国の暫定居城としていた。
「また下らぬ輩を連れてくるのではあるまいな」
私が嫌な顔をするのは、これまで会った者の目的ゆえ。
『十二神器の持ち主に一目会いたい』
『こちらに付けばもっといい条件を迎えよう』
『望むままの美女や食べ物を用意しますぞ』
私よりも十二神器の持ち主であるマルスを引き抜こうとする意志がありありと浮かんでいれば誰でも幻滅するであろう。
「いいえ、今回はその心配はございません」
イリーナは自信たっぷりにそう告げるのだが。
「その言葉、私は一体何度聞いたと思う?」
イリーナが連れてきた輩にはロクな者がいない。
彼女は武も学も申し分ないが、人の見る目が致命的になかった。
「良いんじゃない?」
と、ここでマルスが口を開く。
「さすがのイリーナでも次やらかしたら不味いと分かっているでしょ? けど、それを推してきたのだから外れはないと思うね」
意外にもマルスがイリーナの味方をした。
「おお! お前もそう思うだろう!? 十二神器の持ち主でなかったら憚ることなく褒めてやるのに」
「君は相変わらずオーバーだねえ」
イリーナの単純すぎる反応にマルスは苦笑を隠せなかった。
「どういうつもりだマルス?」
イリーナが去り、二人きりになったことで私は口を開く。
「ん~? それはイリーナの味方をしたこと? そりゃあ僕だって鬼じゃないさ、あそこまで推す人物が誰なのか興味を持っただけ」
マルスはイリーナを助けた理由について説明する。
「いや、私が聞きたいのはそれではない」
が、私は首を振る。
それもあるが、もっと核心的なことを聞きたい。
「マルス、お前は最近私をおちょくらないな?」
以前は私をお人形の如く好き勝手にしてくれたが、ここ数日そんなことをしない。
私の着替えや風呂を見ることが無くなり、好き勝手に触る回数が減った。
……まあ、やってくることにはやってくるのだがな。
「やる気が起きないから」
マルスは単純至極な答えを返す。
「弄って遊ぶのに疲れてきた。だからしない。それが答え」
単純に興味を失ってきた。
喜ばしいことだが、私にある懸念が膨らむ。
「マルス――いや、何でもない」
私はその懸念を口にする寸前で抑え込む。
その懸念を絶対にマルスに知られてはならない。
もし知れば彼は忽ちのうちに私へ対する興味を完全に失うだろう。
興味を失った先にあるのは――離別。
それこそ私の都合など完全に無視してマルスは去る。
彼は身勝手な存在。
明日にも敵側に付くという所行も考えられた。
「お初にお目にかかります、シルヴィア王女」
「そなたは……」
イリーナが連れてきた人物を知った私は目を見開く。
「何故あなたがここに?」
本来ならこの場所にいない。
正確に述べると場所と身分が違いすぎる。
「ガウェイン皇国宰相補佐――グラサル=カロン殿」
皇国ナンバーツーである宰相に直言を述べられることの出来る立場。
母国にいるべき存在なのである。
「どうしても貴方に会う必要がございまして」
そう前置きしたグラサルは。
「率直に述べましょう、我が皇国はルスト王国を支配する気はありません」
一息にそう述べる。
「我々がルスト王国を侵略したのは、強硬派が十二神器の保持者を招いたがゆえ。もし保持者を取り除けるのであれば我々は王国から手を引きましょう」
それは一種の密約。
十二神器の保持者を消したら王国を返すという約束。
シルヴィアにとっては願ったり叶ったりの話だが、マルスの存在が不安定な今、素直に喜ぶことが出来なかった。
「王女の葛藤も最もでしょう」
シルヴィアの表情を見て何か勘違いしたのかグラサルは言葉を続ける。
「しかし、我々も噴飯ものなのです。歴代の宰相が長年積み上げてきた貴国との信頼関係を一瞬で崩壊させ、それのみならず強硬派の貴族が我が物顔で居座っている状況。先日も苦言を呈した私の部下が一人処刑されました」
ガウェイン皇国のみならず、ある程度の規模になった組織は反対者が現れる。
要は賛成者と反対者の数によって組織の方向性が決まり、以前は穏健派が主流だったものの、十二神器の保持者の登場によって過激派が多数を占めてしまった。
「それだけじゃないだろう?」
マルスは鼻で笑う。
「多数派が少数派の粛清などよくある話。しかもそれが合法なら過程を重んじるグラサルがこんな非合法な約束などしない……何かあるのだろう? これまでの主義主張全てをかなぐり捨てる程の動機がね?」
「……」
答えないグラサルを一瞥したマルスは続ける。
「十二神器の保持者であるバーンズ=コルドラルトは異常性欲者だ。彼が興奮を感じるのは女の絶望する顔と、怒りに狂った男の形相だとか」
バーンズの悪評はこの私の耳にまで届いていた。
曰く、花婿の目の前で花嫁を犯した。
曰く、衆人環視の前で皇族の女性に手を出した。
曰く、神殿に住まう巫女たちの華を散らした。
「確かグラサルにも一人娘がいたよね。それが関係しているのかな?」
「その通りです! 奴はあろうことか! 私の一人娘を目の前で犯したのです! 一通り楽しんだ奴は眼前で殺し! その後あろうことか奴は私にも……!」
思い出したくない地獄なのだろう。
グラサルの顔が怒りで歪む。
「お願いがあります! あの悪魔を倒してくだされ! そうすればこのグラサル! 此度の侵略を無かったことにしましょう! 奴こそが全ての元凶! 奴とそいつの仲間がしでかした所行を無へと帰してみせましょう!」
これがグラサルの復讐。
己と己の一人娘を犯したバーンズを絶対に許さない、その痕跡すら残さず社会的に抹消すること。
「あ……ああ」
復讐鬼へと変貌したグラサルの気迫に私は頷くことしか出来なかった。
「で、王国を取り戻すためには十二神器の保持者、バーンズを倒すのみに絞られたわけだが」
私は振り向かず、独白するように言葉を紡ぐ。
「マルス、お前は私に協力するのか?」
「気乗りしないなあ」
マルスは気だるげな声音で応える。
「命を危険に晒してまで同じ保持者と戦いたくない。何よりシル……君を攫った方が楽だし安全だ」
予想されていた答え。
だが、内に溢れる怒りを留めることが出来ない。
お前達十二神器の保持者がここまでの惨状を招いたのだろうが。
どれだけ身勝手な存在なのだ?
「どう思ってくれても構わないよ」
私の表情から何かを察したのかマルスは口を開く。
「君が何を思い、どんな暴言を吐こうが僕は構わない。ただ、やるべきだと判断すれば、僕は有無を言わせず実行する。抵抗しても良いよ、逃げても良いよ。何故なら神は君達人間に考える自由と言葉の自由を与えているから」
「下衆が……」
思わず暴言が口をついて出てくる。
「お前は一体何様だ? 十二神器というのがそんなに高尚な存在なのか?」
マルスの中には明確な線引きがある。
それは十二神器の持つ者と持たざる者。
前者に対しては争いを生み出さないよう調和を目指す反面、後者だと奴隷を扱うが如く遠慮なく引っ掻き回す。
余りの身勝手さに私の手の平に爪が食い込みそうになるが。
「自分を傷つけちゃいけないなあ」
それより先にマルスが眼前に現れ、私の手の平を開かせる。
「行動だけは考えて欲しいよね。子の将来を決める親のように、労働者を働かせる資本家のように、そして庶民に賞罰を与える王のように、君の一挙一足は全て僕の許可が必要なことを忘れちゃいけないよ?」
マルスは軽くウインクしてそう諭す。
その余裕ぶった態度に私の頭が沸騰しそうになったのは言うまでもなかった。
「あの極悪人めが!」
私から事の顛末を聞き終えたイリーナは激昂する。
「よりにもよって王女を己のモノだと!? 傲慢にもほどがあるだろう!」
「……」
イリーナの言葉は最もだ。
私も反論の余地がなく、イリーナ以上に怒りで腸が煮えくり返っている、が。
事実として、私がいなくともマルスは生きられるが、その反対は難しい。
すなわち、今の私はマルスによって生かされているといっても過言でない状況だった。
しかし……
「何故奴はあそこまで私に拘る?」
一つの疑問。
それは私に対してマルスは譲歩し過ぎている点である。
例えば十二神器の威光。
私のその威光を最大限利用しているのに奴は何も言わない。
最初はただ興味がないのだと思っていたが、その考えは最近否定されていた。
通常、人間は格下の人間に利用されることをひどく嫌う性質がある。
マルスの言動の端々から私以下の人間を下に見ていることは十分推測でき、それを承知でなお奴は黙認していた。
「何だ? 何がある?」
遠い昔、恐らく私とマルスは会っている。
でないと何の興味もない事柄に関わるまい。
私は深く考え込み、記憶の奥底を引っ掻き回してみる。
「しかし、あれほど傍若無人な人間は、私が知る限りでは一度しか知りません」
そこまで叫んだイリーナは過去を追憶するかのように目を細めて。
「王女は覚えているでしょうか? 私の初任務としてパレードに参加する王女の護衛役の一人として参加したあの日のこ――」
「それだ!」
思わず叫ぶ。
「その少年こそマルスだ! 姿形こそ大きく変わったが、雰囲気までは容易に変えられん! あの少年だ! あの常識外れの少年と壮年の組だ!」
イリーナの言葉をきっかけとして次々と思い出す。
それはあるパレードの記憶だった。
「ぼ、僕の名はマルス=キーレンバーグ!」
突然雷鳴が轟き、それに怯えた馬達を操り手が宥めていた混乱時。
そんな子供っぽい声が私の耳に入った。
黒目黒髪の少年は恐らく私と同じ年齢。
少年の手に杖があったことから、私は子供ながらこの騒動を引き起こしたのは目の前の少年だと考えた。
「……」
魔法使いなど滅多にいない珍しい存在。
私はどう接していいかわからず。
「御機嫌よう、私はシルヴィア=ヴァン=コルクリッドぞ」
とりあえず微笑みそう自己紹介しておいた。
「その後、近衛騎士たちがその魔法使いの少年を捕えようとしたが、それより先に老人が少年の目の前に現れ、雷と共に去って行った……と、まあ。これがお前と私との出会いだろう? マルス?」
「……」
私の昔話を聞き終えたマルスはただ笑む。
その表情に、筆舌に尽くせない激情を内包したその顔を直視するのは大層骨が折れた。
「――僕はどんな返事をすればいいのかな?」
しばらく後、マルスは問う。
「思い出してくれて感謝の言葉を述べるべきか、それとも今まで忘れていたなどふざけるなと怒るべきか微妙なところだ」
「……」
マルスが何故怒っているのか私にはわからない。
何故なら経験がないからだ。
私が生まれてから二十余年。
マルスのように想い人から忘れられていた事柄などありはしない。
「フフフ」
私は知らず笑みを漏らす。
マルスの心境がますます悪くなると知っているのに止まらない。
それは、マルスに一杯喰わせたとか、ようやく思い出して満足とか一時的な感情などでは断じてない。
「マルスよ、怖がらなくて良い。私は私を取り戻した。今の私はお前が仕えるに相応しいぞよ」
それは生き残るための術。
未知の事柄を前にした時、それを私はどう潜り抜けてきたかを問い詰めた果てがこの笑顔と抱擁の姿勢であった。
「……昔を思い出すね」
マルスは先ほどの険ある口調は何処へやら、謳う様にそう述べ始める。
「パレードの遠くから、王女の姿が目に入った時、僕は君をもっと知りたいと願って師匠に無理を言って近くまで連れてきてもらった。そして君の声と態度は予想に違わず美しかった。それこそ何があろうと、師匠を失い、十二神器を手に入れた時も変わること無き感情。だが、再開した君はどうだ?」
「それについては弁解の余地がない。十二神器の恐ろしさと国の命運によって私は私を喪っていた」
「その通りだ。つい先ほどまでの君は十二神器に怯える王女というただの小娘。この程度の器量に僕は心を動かされたのかと腹立たしく感じていた」
「そうか……マルスの本心を聞けて嬉しく思う」
マルスの告白に私は心の赴くまま言葉を紡いだ。
「して、マルスよ。私に力を貸してくれるか?」
言葉の力みも焦りもない、ごく自然な言葉。
「マルスの全てを私に捧げてくれるか?」
十二神器は話題に出さない。
マルス個人に語り掛けなければ彼は即座に醒める。
あくまでマルス。十二神器も過去の恋慕も関係ない、マルス本人の力を私は望む。
「……僕としては十二神器の保持者と戦いたくないのだけどねえ」
マルスは晴れやかな顔で口火を切る。
「疲れるし、負けるし、何よりも死ぬ可能性がある。ならば王女を攫った方が良いのだけど」
「そうして得た私はマルスの望む私ではない……だろう?」
「その通り」
私の答えにマルスは軽く笑い、そして。
「御心のままに、シルヴィア王女。必ずやバーンズの首をご覧にさせてみせましょう」
私の前に跪き、私の手に軽く口をつけた。