契約成立
男がアパートの部屋に籠って三日が過ぎた。手には包丁、細く開いた目でテレビのノイズをジッと見つめている。
テレビの中に中年の男が映った。真面目そうでどこか無機質を感じる。感情というものを削りとると、人間はこういった姿になるのだろうか。
「包丁を持っているあなた。もう少しの辛抱です。一番鶏が鳴く時が絶好の機会でしょう」
テレビの男が言い終わると、画面はまたノイズばかりになった。包丁を握る手に少しばかり力を入れて、自分を落ち着かせるようにコーラを飲んだ。
壁を隔てた向こうに奴がいる。それを消すことが男の使命であり逃れられない運命でもあった。テレビの無機質な男の助言に従い準備は整っている。あとは実行するだけだ。
一番鶏が遠くで鳴く。窓の外は依然として暗く、夜が明ける気配はない。
機会を逃さないために、男は包丁を握りしめ立ち上がる。コーラのペットボトルが倒れ中身が床にこぼれたが、一瞥することもなく部屋を出た。
朝の空気がシンと静まり、生き物がいない世界に迷い込んだような感覚を覚えた。
鉄のドアが開く。奴が出てくる。
「僕の耳を返してください」
男には耳が無く、流れた血の跡と頭部をグルグル巻きにされた包帯に滲む血が、蛍光灯に鮮やかに照らされている。
包丁を奴の耳に振りおろし、そのまま首筋も切る。男が予想した以上の血が噴き出した。蛍光灯が血で染まる。赤くは無い。周囲が暗いせいか黒く見える。黒い何かを運んできた風が吹き抜けたようだ。
テレビに男が映る。
「おめでとうございます。鮮やかな風が吹いたような絵ができました。契約は有効となり、耳を明日お届けにまいります」
テレビはまたノイズを映し出した。