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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第5章 祭りと騒ぎとその後と
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第03話 準備の準備

 魔法学院では学院祭に向けての準備期間に入ると講義はなくなり、そこかしこで楽しそうな声が響き始める。その期間は一月にも及ぶため、学院祭に対する力の入れようが誰でもよく分かるものになっていた。


 そんな中をセリエナは事務局に向かって歩いていた。目的は人員の募集である。時期が遅いので来るとは限らないが出さなければ始まらないことと、レネでは微妙な対人関係の調整はまだ無理なので、そういった細かい調整を担当することになっていた。


 セリエナも自信があるわけではないが、貴族として育ってきた経験があるので班員の中では一番適性があるのだ。一応試しにレネが杜人と応答練習をしたのだが、応用ができず見事に舌をかんで杜人から不合格を言い渡されたという経緯があったりする。


「売り子に呼び込みに裏方。せめて呼び込み分は来て欲しいところですが……」


 二種類は店を開くので、班員の三人だけではとても呼び込みまでは回れない。外から人を呼べばその分経費がかさむので、誰でも回せる仕事は学院生を使いたかった。


 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、前方から会いたくない筆頭になっている顔見知りの少女が、セリエナと同じ金色の髪をなびかせながら歩いて来たのを見つけた。向こうもセリエナを見つけ、紫の瞳を細めて口角を上げる。歩いてくる少女の名はアイリス・フォーレイア。養女だったセリエナとは異なり、正真正銘のフォーレイア侯爵家令嬢である。


 そのためセリエナは心の中でため息をつきながらも表情には出さず、杜人との練習を反復して心を落ち着かせる。幸い一人だったので、もしかしたら無視して通り過ぎるかもしれないと万が一の希望を捨てずに歩いていたのだが、もう少しで通り過ぎるというところで予想通り向こうから声をかけて来た。


「あら、久しぶりね」


 おほほと続けたくなるような口調でアイリスは話しかけたわけだが、名前を呼ばれなかっためセリエナは無視してそのまま通り過ぎる。


 教えその一『他人なのだから、名前を呼ばれない限り応答する必要はない』である。


 まさか完全に無視されるとは思っていなかったアイリスはしばらく硬直していたが、慌てて振り返るとセリエナを呼び止める。


「ち、ちょっと! セリエナ!」


 セリエナはそのまま逃げようと思っていたのだが、名前を呼ばれてしまったので立ち止まり、困惑の表情を浮かべながらアイリスを見つめる。名前を呼ばれなければそのまま無視できたのにと思いながらも、予想の範囲内なので乱れることは無い。そのため練習通り首を傾げ不思議そうに聞き返した。


「申し訳ありません。どちら様でしょうか」


「え?」


 ぴしりと音が聞こえそうな表情でまたもやアイリスは固まる。その表情にセリエナは思わず笑いそうになったが、なんとか我慢する。


 教えその二『初対面なのだから、問いかけるのは当たり前』である。


「用が無ければ失礼します」


「ま、待ちなさい! ふざけないで!」


 頭を下げて立ち去ろうとしたところで復活したアイリスが語気も荒く詰め寄ってくる。最初のお嬢様然とした雰囲気はもうない。ちなみにこちらが素である。


 それを見ながら、血族と思っていたときはそれなりの仲であったので可愛いと感じていたのに、中立の視点で見ると意外とうっとうしいかもとセリエナは思った。ちなみにセリエナのほうが年下である。


 しかし、演技は忘れることなく続けているため、訝しげに眉を寄せてアイリスを見つめる。


「ふざけているわけではありませんが……。人違いではないですか?」


「そんなわけ無いじゃない! 一緒にテルストで勉強したでしょ!」


 アイリスは興奮して来たのか声が徐々に大きくなっていた。そうなると当然目立つので、注目を浴び始めたのをセリエナは感じていた。


 教えその三『勘違いを真面目に指摘されると、恥ずかしくなる』である。


 周囲に居る学院生はセリエナがフォーレイアから捨てられたことを知っているし、今はレネとエルセリアと仲が良いことも知っている。そのため注目はしても笑ったりはしない。学院の表と裏を牛耳る者に逆らえるのは、最近入学した者だけである。


 セリエナは過去のことに触れられたため悲しそうに目を伏せ、肩も少しだけ震わせる。


「申し訳ありません。私は過去のことをあまりよく憶えていないものですから……。失礼します」


「え、あ……」


 声も泣き出しそうに震わせ、最後は耐えきれなくなったように急に後ろを向いて走り去る。その際には口元を覆い、目元をぬぐう振りをするのも忘れずに行っている。その後ろ姿を、アイリスは呆然と見つめていた。


 セリエナは捨てられた当初、見ていて悲惨な時期があり、その姿は多くの学院生が目撃している。そのため事情を知らない者からすれば、記憶を失ったから普通になったと解釈できる。そうなると泣き出しそうになるのも理解でき、いきなり走り去ったセリエナではなく泣かしたように見えるアイリス、そして原因であるフォーレイアが悪者として認識されるのだ。


 教えその四『真実と事実は同一である必要は無い』である。


 セリエナは周囲を確認して、誰も居ないと分かったところで立ち止まると小さく笑みを浮かべた。


 杜人はセリエナからの情報により、フォーレイアはルトリス以外ならまともなので、気まずくなれば話しかけて来なくなると分析していた。そのため、わざと勘気に触れる言い方を用い注目を集めたのだ。


 そのうち目撃した人たちが面白おかしく周囲に話すことは確実であるが、絡まれるよりずっと良いとセリエナはこの方法を選択した。なんといっても今のセリエナに話しかける学院生はレネとエルセリア以外おらず、何を言われようが実害はないのだ。


「まさかここまでうまくいくなんて。……だから遊ばれるのでしょうね」


 過去の自分を顧みて、杜人の教えが深く突き刺さることをしていたと思い出してしまったセリエナは、小さくため息をついてから事務局へと静かに歩き始めた。





 セリエナが既知との遭遇をしているとき、レネと杜人は部屋にて店舗をどうやって作るかを考えていた。手元には過去の資料が用意されているので、それを見ながら検討している。


『魔法具はテーブルを持って来ただけ、魔法薬も瓶に詰めて売るから同様。見世物はひもで区切っただけか。大別すると二種類しかないぞ』


「それじゃ駄目なの?」


 魔法を関連させるという制約がある以上、屋台のように作っている光景を見せながら売るのは難しいので、過去の売り物はあらかじめ作っていたものを並べることしかしていなかった。


 そのためレネはそのように売るのだと思っていたのだが、杜人は指を横に振って否定する。


『それだと、どこで買っても印象は同じだ。学院祭で買う理由にならない。……そうだな、ある食べ物は煙を食わせろという言葉がある。といっても実感が湧かないだろうから、少し売り物予定のもので実演してみよう。ジンレイ、ここでクレープを生地から作ってくれ』


「分かりました。少々お待ちください」


 呼ばれて出現したジンレイが指を鳴らすと、座卓の上に熱せられた鉄板が現れる。そしてそこに油を引き、生地を流して綺麗に丸く焼いていく。もちろん良い匂いが立ち込めるため、レネは唾を飲みこみながら口元を少し拭った。


「へー、クレープってそうやって作るんだ」


 楽しそうに身体と結んだ黒髪を揺らすレネの横には、いつの間にかシャンティナがリボンを揺らして座っていた。ジンレイは二人の視線を受けながらも淀みなく作業を行い、紙に包んだクレープを差し出した。


「どうぞ」


「ありがとう。……えへへ、おいしい」


 笑顔のレネの横ではシャンティナが嬉しそうにリボンを揺らしながら無言で頷いている。良好な反応に杜人は満足そう微笑んだ。


『普通に出されて食べたときと同じだったか?』


「ううん。何というか、できあがるまでが楽しかったし、何だかいつもよりおいしく感じたよ」


 シャンティナも頷いて賛同している。その結果を受けて、杜人は解説を始めた。


『今回のものは簡単なほうだが、おいしさを感じるのは舌だけでないんだ。匂いで食欲を増したり、普段は見ない作業風景によって期待が膨らんだりする。もちろん手に持ったときの感触も重要な要因だ。もう一つ参考例を出そう。ジンレイ、例の飴を』


「分かりました。どうぞ」


「ん? ……ただの甘い飴だね」


 差し出されたものは単なる赤い飴である。味も甘いだけだったので、レネとシャンティナは揃って首を傾げた。


『そうだな。ただの甘い飴だ。特に買いたいとは思わないだろ? だが、これならどうかな』


 杜人はジンレイに目配せを送る。ジンレイは棒の先に熱して柔らかくなっている飴を少し大きめにつけると、指と簡単な道具で飴を整形し始めた。


「わぁ……」


「これで完成です。どうぞ」


 あっという間に形が整えられていく光景をレネは目を輝かせて見つめ、完成した花を受け取ると回転させながら嬉しそうに観察している。


「これが不思議なおやつなの?」


『そのひとつだな。それ自体は単なる飴だが、欲しくなっただろう? では作る過程を見なかった場合は欲しいと思うか?』


「……綺麗だけれど甘いだけの飴だし、思わないかも。そっか、こういうのは作られる過程も含めてひとつの商品なんだね」


 レネは飴をシャンティナに渡し、杜人が言わんとしたことを理解して笑顔になった。


『その通り。そして普通の店舗で食べても大しておいしくないものでも、普段とは異なる雰囲気で食べれば印象がまったく違うものになる。食べる場所は外であり、手に持って立ったまま食べる。そして作っている光景を見せて、期待感を煽れるのがこういう行事で出す商品の強みだ。要するに、飲食系の場合は今ここでしか味わえないと思わせることが重要なんだ』


 そう言って『不可視念手』でペンを持つと、白紙に図案を描いていく。入口部分に円形の広場を設定し、それを囲むように店舗を配置する。店舗は作業風景を見ることができるように調理台を正面に置き、看板用の屋根も付ける。ひとつの店舗は三人程度が作業できる大きさとした。要するに、少し大きめの屋台である。そして広場にはテーブルと椅子を置いて、立ち食いに慣れない人にも配慮する。


 そして最後に裏手の目立たない場所に班員用の休憩所も設け、来場者から見えないように横になって休憩できるようにもした。


「こんなにお店を出すの?」


 図案で配置されている店舗は七つ。そのためレネは無人の店を出すのかと首を傾げた。


『ああ、一度来るだけなら少なくても良いんだが、客を留めるとなると少し無理をする必要がある。遠くまで歩いて二店舗だけなら見終われば居なくなるが、来たら別会場と思えるほど充実していればしばらくはその場に居てくれるからな。閑散とした場所には長く居たくないだろう?』


 人は誰も居ない場所には留まろうと思いにくい。そして他人が注目していると興味がなくても意識が引き寄せられる。だからこそ偽の客としてわざわざ人を雇ったりするのだ。


『内容は、先程の飾り飴、不思議なおやつ、たこ焼き、果実ジュース、ソフトクリーム、クレープ、それと魔法具だ。入れ物はその場と会場入口の二か所で回収するが、持って行かれても良いように安い物を使う』


「ほとんど飲食系だね。……そういえば、どうやって魔法薬にするつもりなの?」


 レネは案が具体性を帯びてきたため、小首を傾げながら保留になっていた重要事項を確認する。出せる品物は飲食系なら魔法の効果を帯びていなければならない。おいしいことや珍しいことはある意味二の次なのだ。


 基本的な魔法薬は、調合時に魔法を材料に定着させる製法が主流である。そのため薬効成分よりも、定着しやすい材料かが重要となる。言いかえれば、等級の上限が決まっている魔法具の亜種なのだ。


『それは簡単だ。要するに、魔法効果が僅かでもあれば魔法薬と言い張れる。材料を厳選すれば、保存する容器や調理器に術式を封入して発動するだけで十分効果は現れるだろうさ。一応効果を高めるために、全部の効果を統一すればそれなりになると思うがどうだろう』


「それは確かにそうだけど、そうだけどさぁ……」


 規則に照らせば間違いではないが、今までの常識から外れる突飛な発想にレネは額に手を当てて悩み始めた。


 魔法薬作りと言えば専門の研究者が日々研鑽を続けている分野であり、レネは製法を本で知っていても、経験による微妙なさじ加減が必要なため上手に作れない。だから製品には製作者の誇りが宿っていると思っていた。そして杜人の案は、要するに楽をして劣化品を作ろうと言っているようなものなのだ。そのためこれで良いのかという葛藤が生まれていた。


 杜人はレネが悩むとは思っていなかったが何を悩んでるのかの推測はできるので、近くに歩み寄ると下から笑顔で覗き込んだ。


『レネ、魔法薬を売ると考えるからおかしくなるんだ。俺達が売るのは単なる食べ物であり、それに付加価値が付いているだけに過ぎないんだ。だから魔法薬として売るつもりはない。付けなくても良いが、付けないと学院祭では販売できないから付けるのであって、効果はおまけだ』


「うーん……、それなら良いのかなぁ」


 杜人は着眼点のすり替えを行う。魔法薬が欲しいから商品を買うのではなく、商品に魔法薬に似た効果が付いているだけという、主と従の入れ替えである。人は一度に注目できる個数が意外と少ないので、同じ内容でも前後を入れ替えただけで印象を変化させることができるのだ。


 レネは説得に揺れ始めるが、まだ納得までは行かない。しかし、揺れるということは考えを変えることができるという証である。そのため杜人は納得できる理由を与えるために、胸を張って自信ありげに断言した。


『それにまともな魔法薬を売ったら、それこそ真面目に研鑽している学院生との間に軋轢が生まれる。向こうはまともな商品を売り、こちらはその他を売る。住み分けも自然にできるから逆に喜ぶぞ。多く売るためには競合が一番厄介だからな。向こうは売り上げが上がって喜び、こちらはおいしい食べ物を売って喜ばれる。まあ、良いものを売るためには、偶に味見をしないと駄目だがな』


 最初にもっともらしい理由を述べ、最後にしれっと食いつく理由を述べる。揺れているときに本音を覆い隠せる明確な理由があると、妥協が成立しやすいのである。もちろんこの場合は『軋轢が生まれる』、『味見できる』という点である。誰でも建前は必要なのだ。


「……そ、それもそうだね。いがみ合うようなことは避けないと駄目だよね。やっぱりするなら楽しんでもらいたいし、それなら仕方ないかな」


 そして予想通り、最後の言葉によってレネの迷いは消え去り、一気に気持ちは賛成に傾いた。といっても喜ぶわけにはいかないので、真面目な顔で頷いている。しかし、微妙に口元が緩んでるのを杜人はしっかりと確認していた。


『分かってもらえてなによりだ。世の中には仕方の無いことが多いからな。ぬふふふふ』


「むー」


 分かっているぞと言いたげなによによした表情で見つめる杜人に、レネは手の平の上で転がされていたことを理解して頬を赤らめて顔を背けた。杜人はそんなレネをしばらく愛でてから、次の話題に入った。


『さて、それでは簡単に役割を決めよう。まずセリエナは魔法具、シャンティナは飾り飴だ。基本的な作り方はジンレイが教えてくれ』


「分かりました」


「上手だもんね」


「得意」


 シャンティナは嬉しそうにリボンを動かし、手に持った飴の花をつつく。シャンティナは立体細工の才能があり、杜人が使っている端末石もシャンティナ作である。但し、絵でも何でも見本が無いと作れないという欠点がある。それでも一番の適任者である。


『ところでレネ、料理はできるのか?』


「え? 切ったり剥いたり焼いたり茹でたりはできるけど、技術が必要なものは無理だよ」


 突然の質問に驚いて何度か瞬くが、必要だから聞いていると理解しているので問い返すことはしない。


 詳しく学んだわけでは無いが、調理実習はあったのでそれなりには作れる。しかし、レシピを知っていたとしてもおいしい料理を作れるわけではないと分かっているので、レネの自己評価は低い。


 答えを聞いた杜人は頷くと、項目を書きながら説明する。


『残りで料理経験が無いときついのがクレープとたこ焼きだな。それと不思議なおやつは作る手順は単純だが、器用じゃないと売り物にならなくなる。逆に材料はあらかじめ用意できるから簡単なのが、果実ジュースとソフトクリームだ。レネはどれが良い? 好きなものを選んで良いぞ』


 選んで良いとは言ったが、杜人は難しい作業があるものをあえて最初に強調し、選んでほしい簡単なものを最後に持ってきた。これはレネには他の作業が目白押しだからである。かといって忙しいから簡単なものをするように強制しては、せっかくのお祭りが楽しくなくなる。そのため自ら選ばせる形をとった。


「そう言われたらソフトクリームしか無いと思う……」


 レネとしてはクレープを作ってみたかったが、作ったことがないうえに普段料理をしていないので、練習しても売り物になるまで上達できる自信がなかった。そうなると二つしか残らず、楽しめそうなものはひとつしかないのだ。


 レネも杜人に鍛えられたため、なんとなく誘導されていることは気付いていた。そのため笑いながらも残念そうな声音になったわけだが、それも予想の範囲内なので杜人は意地悪く笑いながら首を傾げる。


『挑戦しても良いのだよ? 当然できるまで練習してもらうが。うむ、苦労したほうが楽しめるかも……』


「はい! ソフトクリームをやりたい!」


 このままでは酷いことになる予感がしたため、レネは急いで結論を出した。杜人はやると言ったら本当に実行すると分かっているためである。杜人が笑いながら残念そうに肩を竦めたのを見て、己の決断をこっそりと褒め称える。


 それすら杜人の手の平の上なのだが、それは言わずに頷いた。検討して迷っているときに否定的な別の案を出されると、最初のほうに意識が向くのである。


『ではそれで行こう。そうなるとクレープとたこ焼きをジンレイと料理ができる人。不思議なおやつは誰も居なければ俺がやろう。果実ジュースは人が居なければレネが兼任だな。というわけで、とりあえず料理ができる人をひとりは確保しないといけないな』


「器用な人は学院生でも居ると思うけれど、料理はどうだろう……。みんな魔法の勉強をしているから、料理が得意な人は居ないかもしれないよ?」


 学院生の構成比率は貴族のほうが多い。これは優秀な平民は婚姻で一族として取り込んだり、叙勲されて貴族になったりするからである。そうなると使用人任せになって作らなくなる比率も多くなる。そして平民は上にいくために勉強漬けになるので、料理は二の次という者が多いのだ。


『その辺りは店舗の製作依頼と一緒に聞けば良いさ。それでは店舗の詳細を決めて、発注しようか』


「やっぱりお金がどんどん消えていくね……」


 最初から赤字を見込んでいても、減っていく貯金に思わずため息がでた。そんなレネに杜人は回転しながら笑顔を向ける。


『要は心の持ちようだ。お金がかかるではなく、将来のために得難い経験を買っていると思えば良いんだ。楽しんで行えば、大失敗すら良い思い出になることは保証する。赤字になると最初から分かっているのだから、せめてすることくらいは楽しまないとな』


「それもそうだね。……良し、それじゃあ、思いっきりやるぞー!」


「おー!」


 拳を振り上げながらの元気な掛け声に杜人とシャンティナも元気に応える。こうしてレネは杜人におだてられながら準備に取り掛かり、徐々に本気になっていくのであった。





『さて、やる気になったところで最初の仕事だ。ソフトクリームを外で作る道具が必要なのだが、それを動かす術式を考えて欲しい。構造はこんな感じだ。混ぜ合わせた材料を中に入れ、それを冷却しながらかき混ぜ続ける。できあがったら棒状に取り出せるようにできれば、いつもの渦巻きにできる。……これが安く製造できれば外の店舗でも作れるから、色々な種類を味わえるようになるかもしれないぞ?』


 最後はレネのやる気を出すために付け足した。レネはと言うと、情報を広めたほうが発展しやすいと分かっているので、瞬時に未来を妄想して笑顔になった。


「えへへ……。うん、頑張ってみるよ」


 横を向いてこっそりと口の端を拭い、いつものノートを座卓に広げると杜人の図面を見ながらレネも書き込みと質問を真剣に行っていく。そこに妥協は存在していなかった。


「この羽根の形状は必要なの? 速度は? どうして冷やしながらかき混ぜるの?」


『回転が見える程度でまんべんなくかき混ぜることができれば大丈夫だ。こうすることによって内部に空気が入り、柔らかく固まっていくんだ』


「ふむふむ、冷やすのは氷ができる程度で良いの?」


『それより下げないと固まりにくいと思う。かといって冷やし過ぎると固まり過ぎてしまうから、この辺りは調整しないと駄目だろう』


 レネは矢継ぎ早に質問を続け、杜人もうろ覚えの記憶を引っ張り出し多少つっかえながらも答えていく。少しやり過ぎたかと思わなくもなかったが、楽しんでいるようなので良いことにした。


 そのため止めることはせず、杜人が見守る先でレネは情熱的に手を動かしてノートに案を書き込んでいった。


「なるほどぉ、少しずつ凍らせることに意味があるんだね。ということは冷却した風でまんべんなくかき混ぜたほうが効率が良いかな? 出すのも内部の圧力を少しだけあげておけば……」


 既に手元のノートには形状の改善案がいくつも描かれていて、それに適合する術式がどんどん書き込まれていく。今まで得た知識を総動員しているので、もはや最初の面影はどこにもなかった。


 そしてその形状をジンレイが作りだし、術式を封入して実際に試してみる。


『ふむ、完全に固まっていないな。それにむらがある』


「もう少し下げて、領域を強くっと」


『今度は固まり過ぎだな。アイスクリームならこれで良いと思う』


「ふむふむ」


 他の者なら材料費と時間がかかる部分も、以前にも炭酸作成魔法具を作っているため簡単に通過していく。しかし、苦労が無かったわけではない。


「あれ? 出な……、きゃあぁ!」


『……圧力が強過ぎだな』


 あるときは噴水のように材料を捻くりだしながら製造機が吹き飛んでいった。


「……棒状にならない。しかも固くなってる」


『難しいか……』


 あるときはレバーで押し出すようにしてもぶつ切りになって楽しい渦巻きにならなかった。


 しかし、これを作れば外でもおいしいソフトクリームを食べることができるという欲望に憑りつかれたレネはめげることなく挑戦を続け、ついに満足できるものを作ることに成功したのだった。


「できた! よおし、もっと効率良くして安くできるようにするね!」


『その意気だ!』


 目指すところは色々な種類を食べられることである。そのためレネの情熱は尽きることがなかった。杜人はといえば、やる気があるのは良いことだと笑顔で応援している。


 こうして欲望が暴走した結果、ソフトクリーム製造機は近年稀に見る出来で完成したのだった。






「ただ話しかけただけなのに、どうして責められるのよ!」


 セリエナと別れた後、周囲の視線に耐えられなくなったアイリスは逃げるように住まいまで戻って来ていた。そして苛立ちながら歩き回り、小さく呟く。


「孤立しているようだから仲間に入れてあげようと思ったのに……」


 フォーレイアは軟弱な者を好まず身内には厳しい。セリエナをあっさり見捨てたのも、その考えが根底にあった。他から見れば眉をひそめる方法だが、フォーレイアからすれば当然のことである。


 しかし、それと反するように強い者が弱い者を守るという考えも持っている。だからこそ国を統べる立場になったのだ。


 そしてアイリス自身はセリエナとは仲が良かったと思っていた。そのため守ってあげようという上から目線ではあるが、善意の行動であった。


 確かにレネもエルセリアも常に一緒に居るわけではないので、短期間の観察では孤立しているという判断をしてもおかしくない。


 そもそも基礎となる情報が間違っているので、積み上がる推測もずれることになる。そのため苛立ちながら導き出した結論も、斜め上なものになった。


「そうか、記憶がないことを利用して、こき使っているんだ! ルトリスはやっぱりやることが汚い」


 きちんと情報を収集すれば間違いに気が付くだろうが、ルトリスが絡むと判断がおかしくなる。そのため記憶を失っていたという偽情報によって、一緒にいるといっても使い走りのようにこき使われていると思い込んだ。ついでに、エルセリアと一緒になってこき使っているレネも標的として組み込まれることになった。


 そして思い込みを正す者は周囲に誰もおらず、間違ったまま進んでいく。そのためアイリスは可哀想なセリエナの状況を打開するために、人を呼ぶと矢継ぎ早に指示を出した。


「待ってて、絶対に助けてあげるから」


 誰も居なくなった部屋でアイリスは拳を握りしめると、力強く決意を述べる。セリエナが聞いていたならば『迷惑ですから放っておいてください』と言いたくなる決意である。残念ながら、その程度で変わるならルトリスの悩みは遥か昔に解消されているのだ。






『んん?』


「どうかしたの?」


『いや、何か重要な選択を間違えたような気がしたんだが……。気のせいだな』


「変なの」


 遠因である杜人は失敗を知るわけもなく、こうして新たな騒動の種が誰も考えたことの無い発想で生まれたのだった。


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