第06話 失われた技法
次の日、細かいことを決めたレネは、騎士学校に赴き訓練場へと移動する。レネの後ろには大きめの石を軽々と持ったシャンティナの他に家令姿のジンレイもいたが、誰もその奇妙さを指摘する猛者はいなかった。
そのため何事もなく訓練場に着くと、練習していたレンティ達を集める。もちろん四人もシャンティナを驚いた顔で見ていたが、それを指摘する勇者は居なかった。レネはその反応を予想していたので指摘はせず、緊張しながらも堅くならないように話し始めた。
「えー、これまでの計測の結果、残念なことに皆さんには現在の魔法体系を扱う才能がないと結論を出しました」
レネは感情を乗せないように気をつけながら、杜人に習って悪いほうから話した。ちらりと見れば、全員分かっていたが無念という顔をしている。そして才能がない以上、レネが教える理由が無くなるためこれで指導も終わりかと悲しそうな顔になっていった。
『レネ、つられるな。もう微笑んで構わないぞ』
悲しそうな顔にレネもつられそうになっていたが、進行を見ていた杜人の注意によって持ち直し、次に移ることにした。ちなみにレネに腹芸ができるわけが無いため、杜人が都度修正するように監督しているのだ。
そのため注意されて少し慌てているレネのために、杜人は次の話を教える。
『次は新しい練習、武技についてだぞ』
「えっと、それで今度は武技の練習をします。先生はこの二人です」
「よろしくお願いいたします」
ジンレイとシャンティナが前に出て一礼するが、四人の顔には喜びはない。そのためレネはどうしてだろうと首を傾げながら質問し、代表してレンティが一歩前に進み出た。
「私達はすでに武技についても落第しています。同じように、魔力を認識できないと使うことが難しいという理由でした」
『そう言われれば、訓練していないはずが無かったな。これは手間が省けた。実演に進もう』
最初から通常の訓練法とは異なるものを行うつもりだったため、疑問を解消しなければうまくいかないと考えて説得の台本まで準備して練習したのだ。そのためレネも下手な演技をしなくて済むと安心し、思わず笑みが浮かんでしまう。
レンティ達は微笑むレネを思わず『大丈夫か?』という視線で見てしまった。経験してある程度理解していても、その姿からつい何も知らない素人を見る目になってしまうのだ。
視線を受けたレネは場違いなときに笑ったことに気が付いて、頬を少し赤らめながら誤魔化すために咳払いを行う。だが、ほんの一瞬だけ羞恥による威圧が放たれたため、失礼な視線で見てしまったレンティ達は顔を青ざめさせて直立不動になった。
レネは発動に気が付いていないが、杜人は気が付いたので仕方がないなと苦笑していた。
「こほん、今回は従来の訓練法とは異なる方法を用います。この方法は元々不感体質の人用に作られたものなので、皆さんでも発動できるようになるはずです。ではこれから、その訓練で習得した使い手の演武を行います」
レネはシャンティナとジンレイに合図を送る。二人は頷くと少し離れて向かい合った。何をするのだろうとレンティ達が見つめる先でシャンティナは持っていた石を地面に置き、二人は舞うように組み手を始めた。
「牙突!」
「風離!」
掛け声と共にシャンティナが拳を突き出すと拳が輝きに包まれ、ジンレイはそれが当たる前に同じく掛け声を行い、素早く半身をずらしてそれを避ける。
「縛手!」
「雷盾!」
ジンレイは光る手を伸ばしてシャンティナの腕を掴もうとするが、触れると同時に雷に似た光が放たれて弾かれる。そんな攻防を二人は流れるように行う。
それを見学しているミアシュは武技を見せてどうするのだろうと思っていた。しかし、しばらく見ているうちにおかしなことに気が付いて、食い入るように見つめ始めた。それに気が付いたレンティが不思議そうに尋ねる。
「どうかした?」
「溜めがない」
顔を動かすことなくミアシュは一言で答える。無口なのはいつものことなのでレンティは気にせず、言われたことを確認するために注意して見始めた。そして言われた通りであると確認し驚いた。
「ねえ、あれおかしくない? 見たことが無い動きだし、技の発動に溜めが無いよ?」
「……そう言われれば、確かに」
ノバルトも言われてから異常に気が付き首を傾げる。話を聞いていたセラルも同様である。
武技は原初魔法の一種である。現在は効率化されているために、技によって定型が存在している。そして自らの意思で発動させるので、必ず溜めが必要なのだ。達人であってもこれは変わらない。何故かというと、きちんと切り替えを行えないと思わぬところで暴走するため、最初に切り替え方法を修練するからだ。だから短くなっても無くなることはない。
真剣な表情で観察を始めた様子を確認し、杜人は予定通りの進行に笑みを浮かべた。
『ふふふ、餌に食いついたようだぞ。そろそろ仕上げにかかろうか』
「食いついたって、もう少し違う言いかたが……、が……。うぅ」
結局良い言いかたが思い浮かばなかったため、レネはがっくりと肩を落とす。もはや四人が罠を知らずに嬉々として食いついているようにしか見えなくなってしまい、心の中でごめんなさいと謝る。しかし、役割は忘れずにきちんと仕上げの合図を送った。
それを受けてシャンティナとジンレイは同時に離れて距離を取る。レンティ達は突然の変化に何が起こるのかと手を握りしめている。全員瞬きも忘れる勢いで見つめているので、横に居るレネの周囲に結界が張られてほんのりと光っていることにも気が付かない。
視線の先ではシャンティナが最初に置いた石を手に持ち、ジンレイは両足を前後に開いて腰を落し、片腕を曲げて盾のように前面に構える。
「金剛総身!」
そしてジンレイが大きな声で宣言すると、身体の表面に白い膜のようなものが発生する。
「爆炎砕破!」
シャンティナも同じく宣言すると石が赤く輝き、すぐさま鞭のように全身をしならせて石を目にも止まらぬ速度で投げつけた。
直後、空気を切り裂く音と共に石がジンレイに直撃し爆発する。そして一瞬後に轟音が響き渡り、熱気と大気を震わせる衝撃が一気に広がったため、意表を突かれたレンティ達は受け身も取れず、衝撃に悲鳴をあげて転げていった。
『良し。完璧だ』
「やり過ぎだと思う……」
状況を見ながら杜人はにこやかに頷き、レネは困ったような笑みを浮かべる。二人とも結果が分かっていたので事前に結界を張っていたのだ。先程までの実演は、脚本杜人、演出杜人、監督杜人で製作されたものである。
レネの呟きに杜人はにやりと笑うと『分かっていないな』というように指を横に振る。
『何を言う。こういうことは思い込みが大切なんだ。できないと思っていると、できることでも本当にできなくなるものだからな。それをできないお前が悪いで片付けるなら、指導する意味がない。だから導く側は不安があっても表に見せず、できると断言し思い込める道を示す必要がある。そのおかげで試験に合格できたことを忘れたのか』
「うっ……」
レネは中級試験のときに杜人が常に自信ありげに接してくれていたことと同時に、自分がどれだけそれにすがりついていたかを思い出し、恥ずかしそうに顔を伏せる。杜人はそれを見て、恥じ入る姿はやはり良いと頷いていた。
そんなことをしているうちにシャンティナとジンレイはレネのところに戻ってきていて、転げていた四人は転んだままの状態で、無傷のジンレイを瞬きすることも忘れ凝視していた。
レンティ達の常識ではどんなに優れた武技の使い手であったとしても、先程の熱気と衝撃を発生させる攻撃を正面から受けて無傷ということはありえない。武技に似せた高位の障壁ならば発動にもっと時間がかかるはずなのでそれも除外できる。そのためわけが分からずに混乱していた。
『良さそうだな。次、行こうか』
杜人は準備ができたことを告げ、レネは頭を振ってから顔をあげ深呼吸を行うと、柔らかく微笑む。
「見ての通り、こちらは極めるとここまで強くなれます。従来の武技とは違うと納得できましたか?」
「……はい。あれは、本当に武技ではないのでしょうか?」
最初に驚きから立ち直ったレンティが身を起こして質問する。従来の武技にも、攻撃を無効化する防御技があるのだ。
その疑問に答えるのは、優しげな笑みを浮かべたジンレイである。
「似ていますが、異なる技です。武技のほうは解除するまで身動きが取れませんが、私は動けますし維持に集中を必要としません。これは太古に失われた、不感体質の者が力を十全に発揮するために編み出された技法です。私とシャンティナはそれを継承してきた一族最後の生き残りなのです」
ジンレイは微笑みながら平然と嘘を言う。四人はといえば、その言葉にジンレイとシャンティナを食い入るように凝視する。今までは作り話と思っていた存在が突然目の前に現れたため、その目にはとても大きな期待が込められていた。事情を知らないレネは期待の大きさに頬をひくつかせているが、何も言わずに微笑んでいる。
「この技の習得には、努力という言葉が生ぬるいほどの修練が必要です。ですが、他に楽な方法が編み出された今では、修練に耐えられる者など皆無と言っても良いでしょう。ですから、本当はこのまま消えていくつもりでした」
胸に手を当てて昔を懐かしむ様子は、とても演技に見えない。
「ですが今回、レネ様からあなた達に教えてほしいと依頼されました。そして、あなた方は先の迷宮探索において、己では敵わない相手に対しレネ様を逃がそうと毅然と立ち向かいました。ですからその勇気を認め、一度だけ機会を与えることにしました。強制はしません。修練で死ぬ覚悟がある者だけ、前に出なさい」
内容とは裏腹に温かみのある声には『あなた達なら乗り越えられる』という意味が込められていた。そのためレンティ達は無言で唾を飲み込む。もちろん修練で死ぬことはないが、表情や仕草によって本当だと思わせる手腕に、聞いているレネと杜人は感心していた。
『いやはや、こんなに上手だとは……。これなら考えた甲斐があるというものだ』
「これで嘘だと思えたらすごいよ」
脚本を考えたのは杜人なのだが、少し設定に無理があるかなと思っていたくらいである。レネも裏側を知っていなければそのまま信じたと変な自信があった。そして何も知らないレンティ達は、完全に信じた顔になっている。
今回の作戦の要点はいかにして信じ込ませるかである。そのため見た目が強そうに見えないシャンティナとジンレイを使い、その効果もありえないと思わせる演出を行い心に衝撃を与えた。
そうして冷静になる前に、この機会は自らの行いが呼び込んだものであるという自信を与え、これを逃せば次は無いと断言する。そして最後に厳しいことを告げながらも、必ず乗り越えられると希望をにじませた。
レネによって希望を断ち切られた後に、再び出現した最後かもしれない希望。このままでは終わりたくないと思っているなら、それを捨てる選択はしないと杜人は予想していた。
この訓練を行えば、魔法具を使わなくても成長を期待できる。駄目で元々な作戦であり最後の手段もまだ残されているため、もし断られても杜人やレネは構わないと思っていた。
杜人とレネが見守る中、ノバルト、セラル、ミアシュ、レンティは互いに話し合うことも、迷うことも無く顔を引き締めると、同時に一歩前に出た。
「よろしくお願いします!」
そして声を揃えて頭を下げ、真剣な表情で待機する。そこには先程まであった悲嘆は無くなっていた。それを確認したレネはやっと本当に安堵して自然に笑みを浮かべる。
「習得が容易ではないので、教えることができる技は多くありません。先程見た光景を忘れずに修練してください」
最後はレネが締める。四人はもう一度揃って頭を下げた。こうして四人は奇妙な修練を繰り返すことになったのだった。
「必要なものは想像力と、必ずできるという意志です。できないかもと思った時点でできなくなります。常に想像し、できると確信しなさい」
「はい! 金剛総身!」
そう言いながら四人は設置された的にぶつかっていく。この的は魔法学院から借り受けたもので、人がぶつかった程度では中級用でも破壊できない。そして硬いままではすぐに怪我をしてしまうので適度な弾力を設定していた。そのため身体をぶつけた後、跳ね飛ばされて床に転げることになる。
破壊できなかった者はそのまま訓練場を一周し、またぶつかっていく。その光景は滑稽であり、他の騎士見習い達は陰で笑いながらも犠牲者にならなかった幸運に喜んでいた。
『ううむ、痛そうだ』
「どうして自分でぶつかったり、走らせたりするの? 構えて防御させたりは駄目なの?」
レネは今のところ練習中は観察することしかできないので、邪魔にならないようにしながら指導しているジンレイに質問する。
「自らぶつかりに行くと、その瞬間に意識せずとも耐えようと力が入ります。それが原初魔法の発動に繋がるのです。受けるようにした場合は合わせるほうに意識が向きやすく、身体ではなく頭で憶えるほうの比重が大きくなるのです。走るのは疲れさせることによって余計なことを考えられなくすることと、今回は細かい技術は要らないので余分な力を取り除いて必要な部分のみを身体に憶えさせるためです」
的の横には身体を淡く光らせているシャンティナが居るので想像が歪むことは無い。もちろんシャンティナはそう見えるように防御膜を調整して再現しているだけである。さりげないことだが、シャンティナが優秀だからこそできるのだ。
「ひとつ覚えれば、後はそれを基点にして他の技も使えるようになるでしょう。最初の壁が一番つらいのです」
『これなら廃れるのは当然か』
「そうだね。効率が悪すぎるよね」
納得して頷く杜人にレネも同意する。いくら信じろと言われてもできるかどうかはその人次第である。加えて信じていてもできるとは限らない。ジンレイも微笑みながら同意する。
「その通りです。廃れるのには必ず理由があるのです。こういうものは書物で残っていても再現は難しいですから、使い手が居なくなった時点で終わりです」
「そっかぁ……」
レネは書物にしか存在しない者達を思い出して寂しそうに笑う。レネが目標としている大賢者も、魔導書などの実物が無くなればおとぎ話になるかもしれない。そして多くの人は名を残さずに消えていく。その寂しさをレネは心で理解した。
『おとぎ話として伝わることの中には、失伝した技法によるものがあったのかもしれないと思うと夢が広がるな。そして彼らはその体現者になるかもしれない。さすがレネ、良いことをしたな。きっと後世には黒姫の弟子とか言われるから、レネの名もいっそう高まるかもしれないぞ?』
この場合の主体はもちろんレネの呼び名『殲滅の黒姫』である。杜人の励ましのようなからかいに、レネは表情を固まらせる。もちろんその名が高まってほしくないからだ。しばらくの間心の中で葛藤していたが、やがて諦めてがっくりと肩を落とした。
「ううっ、普通のことをしているだけなのにぃ……」
『伝説なんてそんなものだ。まだ次があるさ』
うなだれて嘆くレネに杜人は微笑みながら慰める。今までもまったく普通ではないと指摘しないのが杜人なりの慈悲である。
レネの嘆きを知らない弟子達は歴史に名を残す可能性を秘めながら、今もまためげずに突進を繰り返すのであった。