第17話 群れ集うもの
迷宮は世界各地に存在しているが、いつ、誰が作ったのか、そもそも作られたものなのか、それすらも不明である。その中身も迷宮毎に千差万別であるが、内部の壁などを壊してもいつの間にか元に戻っていたり、奥に行くほど強い魔物、狡猾な罠が出現することは共通している。
毎年何人もの人々が迷宮に飲み込まれてそのまま消えていく。ときに迷宮から魔物が溢れてくることもあるが、それでも人々は迷宮を手放すことはしない。それは今の社会が迷宮からもたらされる魔石や素材によって形成されてきたからである。
迷宮の深い階層では、見たこともない魔法具が発見されることがある。その中には今の人々には作りえない力を秘めているものがあり、そういう品物が世に現れたときは歴史が大きく動いて来た。そして今、リンデルで発見されて反抗組織の首領が継承してきた『角持つ髑髏面』が、レーンの王都にある迷宮にて目覚めようとしていた。
迷宮の第三十五階層。ほとんど誰も居ないその階層の、更に奥まったところにある大きな広間にて、追っ手から逃れたウンジールが中央に立ち、リンデルに伝わる最後の儀式を行っていた。
「許さん、決して許さん……」
床には連れて来た構成員の血によって描かれた魔法陣が赤黒い光を放ちながら不気味に揺らめいていて、その周囲には事切れた構成員達が転がっている。ウンジール自身も血を浴びて赤黒くなっているが、そのことを気にしている様子はない。
髑髏面の奥にある瞳には狂気が宿り、同じことをずっと呟きながら髑髏面に魔力を注ぎ続けている。既に床に蠢く影は、頭部に一本の角を持った哄笑する骸骨となり、呼ばれてその中に転移してくる影供を食らいながら、より深い闇に変わっていく。
「許さんぞ小娘……よくも我が国を……」
ウンジールは髑髏面の力によって既に正気を失い、過去と現在、妄想と現実の区別がつかなくなっている。そのためその脳裏に浮かぶものは、強大な魔法によって消し飛ばされた故郷と、学院の制服を着た黒髪紫瞳の少女が嘲笑う姿である。
やがて蠢く影が身体を這い上がり始め、骨ばった身体を食らっていく。それでもウンジールは苦しむことは無く、むしろより恍惚としながら口の端を吊り上げていた。
角持つ髑髏面を所有していたリンデル王家に伝わる儀式とは、命を髑髏面に食らわせることによってひとつとなり、強大な魔物として生まれ変わるというものであった。
既に祖国は滅び、大国であるレーンに対抗する術は無くなった。だから幼い頃に秘密裏に連れ出されたウンジールはリンデル最後の王族としてひとりになっても復讐しなければならない。そのため最後の儀式を行ったのだ。
なぜ幼い頃に連れ出されたのに儀式のことを知っているのか。滅びたのは五百年前なのになぜ生きているのか。前に儀式をやった者はどうなったのか。そもそも、そんな儀式が本当に存在したのか。記憶は既に塗りつぶされて疑問すら浮かばない。頭の中で響く哄笑に合わせて笑いながら、ウンジールはやがてすべてを食らわれ、髪の毛ひとつ残すこと無く消滅した。
『朝から酷い目に遭った。俺は喜びを分かち合って欲しかっただけなのに……』
「だ、だから、やり過ぎたって謝ったじゃない。そもそも最初から見なければ良いと思わないの?」
よよよと泣き真似をする杜人に、レネは最初はしおらしく、しかし徐々に勢いを取り戻しながら聞く。今は朝食を食べに食堂に行く途中だが、しっかりと隠れているので奇異の目で見られることはない。
『そうだなあ、……思わないな。せっかくレネが自ら見せてくれているのに目をそらすなんて、そんなもったいないことをしたら死んでも死にきれない!』
杜人は勢い良く断言し、両手を広げて楽しそうに回転する。それを後ろから見ていたシャンティナは、その自信に満ちた言葉に感心して拍手をしていた。レネはそんな主従を見て、頭痛を堪えるように手を額に当てている。
「もう良いや、忘れる。何もなかった」
『うむうむ、それが良い。過ぎ去ったことを悩んでも仕方がないからな。すべて水に流して新たな未来を一緒に作ろう』
踊りながらにこやかに言う杜人に、誰のせいだと思いながらもレネは明るく微笑んで歩いていった。
本日は臨時司書の仕事は無いので、食事が終われば授業を受けないレネは自由な時間となる。そのため隠れ家に戻って簡単な作業をしていた。おやつとして大き目の大福が出されたのだが、レネは作業があるため最初に食べ、シャンティナは邪魔にならない隅のほうで、口のまわりを白くしながらリボンを嬉しそうに動かしてゆっくりと味わっていた。
『座学ならたまには受けても良くないか?』
「もう筆記のほうは最後まで合格しているし、教本を読み上げるだけの人が多くてつまらないんだよね。レゴル先生みたいに書いていないことまで教えてくれるなら受けるんだけど、正直図書館にある本のほうが応用がたくさん書いてあるから役に立つんだよね」
授業程度なら一度聞いただけで覚えることができる小さな化け物は、他の人が聞けば怒るようなことを簡単にのたまう。ついでに学院ではあまり嬉しくない注目を浴びるので、余計にその気は無くなっている。
そんなことを言いながらレネは影供の粉末を黒姫珠水と混ぜて乾燥させ、魔力で光る粉末を作っては瓶に詰めていく。話しながらでも手が止まることはなく、正確な手順で量産されていく。
結局良い利用方法が考え付かなかったので、溜めておくのもなんだから、とりあえずいくつか作っておこうという結論に至ったためである。
レネの作業中、杜人は遠くで寝転がっている。これはこの粉末が杜人にまで反応して付着することが分かり、わざと粉まみれになって暗闇でレネを驚かせた結果、近づくのを禁止されたためだ。ちなみにそのいたずらに対するお礼はきちんと受け取っている。
なので、見えないものを見えるようにできる用途に使えることは分かったが、杜人が試しに魔力の放出を封じるとすぐに身体から落ちたので、制御ができるものには効果が無いことも同時に分かった。売れるかもしれないが需要は小さいと予想されるため、原価割れは確実であった。だから今作っているのは完全に自己消費用である。
レネが授業に対して無関心であると分かった杜人は、悪意に晒されてきたレネがそう考えるのも仕方が無いし、このまま進めてもこじれるだけなので、ゆっくりやろうと話題を打ち切った。
『それなら仕方ないか。それが終わったら実験のために迷宮に行こうか』
「良いよ。ちょっと待ってね」
レネは手早く片付け、粉末を入れた瓶を実験に使うために何個か鞄に収納する。その間にシャンティナも残った大福を急いで口の中に片付けていた。
迷宮に到着したレネは、まずは効きそうな敵がいる第十七階層に移動した。目的は物理攻撃が効かず、魔法が効きにくい魂魄珠に効果があるかである。
「あ、いた。……流砂雲」
薄汚れた光を放って浮いている三体の魂魄珠を見つけたレネは、鞄から瓶を取り出すと蓋を開け、相手が動く前に彗星の杖を向けて魔法を使用した。
すると瓶から白く光る粉末が流れるように飛び出し、三つに分かれると雲のように薄く広がって魂魄珠に向かっていった。この魔法は粉末を運用するためだけにレネが即席で作った魔法である。行われることは取り込んだ粉末を効果範囲内に均等に散布し、指定された位置に移動して解放するだけ。そのため初級魔法の範囲でおさまっている。
粉末の雲の中に魂魄珠が入ると魔力に引き寄せられた粉末が纏わりついて、淡く光る白い粉状の塊になった。
「おいしそう……」
それを見ていたシャンティナがおやつを思い出してぽつりと呟く。それを聞いてしまったレネと杜人も、もうそれが巨大な大福にしか見えなくなってしまった。
「あんな大きいのを食べてみたいな」
『一度はやってみたいことだな。たぶん残すから無理だが』
同時に笑って深々と頷く。そんなことを言いながら遊んでいたら、粉末まみれの魂魄珠は周囲に対して無差別に雷撃を放ち始めた。
「きゃあ!?」
『失敗だな。霊気槍』
気を抜いていたのでレネは音と光に驚いて頭を抱えてしゃがみ込み、杜人は近寄られる前にと霊気槍を突き刺した。床に落ちた塊はシャンティナが回収し、名残惜しそうに杜人が開けた穴に放り込んだ。
「……こほん。次、いこっか」
『うむ、実に良い悲鳴だったぞ』
スカートの埃を払って立ち上がったレネは悲鳴をあげたことを誤魔化すようにすまし顔である。もちろん杜人は己の信念に基づき、によによと笑みを浮かべながらからかった。レネは耳まで赤らめながら俯き、無言でシャンティナを引き連れて黒髪を尻尾のように揺らしながら、そのままずんずんと進んでいく。杜人はやはり良いと頷くと、微笑みながらレネを追いかけていった。
そして階層を変えながら実験を行い、現在レネは第三十五階層の長い直線通路にいて、肩を落としてとぼとぼと歩いている最中である。この間の反省から魔法薬はきちんと飲んでいるので、魔力不足で疲れているわけでは無い。
周囲には杜人が制御している白い端末石が浮いていた。これは粉末の実験が終わったので、次の実験に使うために準備したものだ。余った粉末の瓶は鞄に収納されている。
「結局、有効に働くのは生物系の魔物のみ。それも感覚器に頼っているものだけ。使うと赤字だね」
灰色狼や赤目妖精には良く効いたが、硬鱗赤蛇や鏡鱗空魚にはあまり効果が無かった。白珠粘液はそのまま取り込んでとても綺麗になっていた。その他の無生物系にはまったく効果がないという結果となった。要するに役に立つ場面が極端に少ないことが分かったため、これは売れないと落ち込んでいるのだ。
『そうだな。集団に襲われたときに使えるとは思うが、それなら売られている煙玉で十分事足りる。後は姿が見えない魔物が出現したときに使ってみるしかないだろう』
杜人がそう言うと、レネは身震いしながら身体を抱きしめた。
「やだ。そんなのが出る階層には絶対行かない」
『別に姿が見えないのはお化けだけとは限らないぞ。魔法で周囲と同化する程度はすると思うんだが。そんな魔物はいないのか?』
考えるそぶりも見せずに拒否し、いやいやと首を振るレネに杜人は優しく問いかける。レネが幽霊嫌いと知っているので、別方向の連動情報を与えておくための質問である。レネは首を傾げてしばらく考え、見つけてなるほどと手を叩いた。
「そう言われれば居るね。たはは、勘違い」
『違うだろう、それを言うなら早とちりだ。気をつけろよ、他人は出た言葉を自分の価値観で判断するから、そんなことをした後で私が間違っていましたといっても許してくれないからな』
「あうう……」
考えもせずに拒否した照れ隠しに対して、杜人は諭すようにどうなるかを教える。やられたことにごめんなさいと謝られて本当に許すような人を、少なくとも杜人は知らない。口では気にしていないと言っても、元通りにはなかなか戻らないものだと知っている。だからこそ、レネには今ある関係を大切にしてほしいと思った上での言葉だ。
レネは今までも既にやらかしていて、もしかしたら嫌われているのかもと思い、俯いて少し涙目になっている。杜人はその様子にこれは薬が効きすぎたと少々焦り、いつもより明るめの声を出した。
『まあ、俺がずっと見ていたから言えるが、エルセリアとセリエナは大丈夫だ。シャンティナもそうだな?』
「はい」
杜人の問いかけにいつも通り感情の乗らない声で答えるが、リボンはご機嫌に揺れている。
『そして何より俺はレネに対して溢れんばかりの愛情を持っているから、この程度は心配無用だ。なんせ毎朝拝んでいるくらいだからな!』
「……ばか」
レネは小さく呟くが、その口元には小さな笑みが浮かんでた。それを確認して、杜人は危なかったと心の中で息をはいた。
そんなとき、後ろに控えていたシャンティナが急に通路の奥を見据えると、無言でレネの前に立った。急なことにレネと杜人は顔を見合わせたが、以前似たような行動をしたときは突然武器が飛んできたことを思い出してどちらも身構えた。
『敵か?』
「はい。来ます」
シャンティナが短く答えた直後、通路の奥が闇に染まった。
「なに、あれ。明かりが消えたの?」
『違うな……、げっ』
遠くに見えていたその闇は、認識できるが逃げられない速度でレネ達が居るところへ迫ってきていた。そしてシャンティナの答えから杜人は瞬時にあれはまずいものだと判断し、レネとシャンティナを囲うように端末石を配置する。
『霊域結界!』
叫ぶように言うと床に魔法陣が出現し、隣り合った端末石が線で結ばれていく。そして白く輝く透明な箱を形成し、レネとシャンティナを包み込んだ。
直後、近づいてきた闇は虚ろで暗い顎を大きく開き、レネ達を飲み込んでいった。