第11話 災厄の先触れ
探索者蹂躙作戦が失敗した反抗組織は、悪化した資金繰りを回復させるために、すぐさま次の作戦に入った。
「良いか。焦らず、殺さず、少しずつ削いでいけ。長引けば、後は商人自体の判断で来なくなり経済を弱めることができる。少しずつ確実に国の力を弱めて行くのだ」
次の作戦は、街道を通る商人を襲って流通を弱体化させることである。大きな被害や殺しまで行うと治安回復のために国軍が出てくるので、襲った商人の荷物も気持ち損をする程度に留めて根こそぎ取ることはしない。そうすればその商人は損をするかもしれないこの国に来なくなり税収が落ち込むので、結果的に少しずつ国力を削ぐことができるのだ。
ついでに奪った荷物で資金調達もできる、一石二鳥な作戦である。この作戦のために各地に潜む賊達の中に構成員を紛れ込ませて地位を築かせていたのだ。やりすぎる場所も出るだろうが、全体から見ればそこに注目が集まって他がかすむため、そうなっても構わない。
レーンは豊かな国であるが、すべてが平等に豊かというわけではない。豊かではない外国からも国境を越えて民は流れて来る。そして短絡的な者以外、賊行為そのものを生業とはせずに普段は民草の中に溶け込んでいるため、完全に排除できない。どんなに為政者が努力しても、闇は存在してしまうものなのだ。
「裏切り者への制裁はどうなっている」
「現在順調に行われております。そのうち結果をお伝えできると思います」
その報告にウンジールは上機嫌に頷いた。毒物による弱体化は気付かれないように行っているので、こちらの進捗は遅くても構わない。順調ならそれで良いのだ。
聞けば誰もがその努力と労力を別な方向へ使えというだろうが、彼らにとっては悲願達成は立派な仕事である。たとえ彼ら以外喜ばなくてもだ。
こうして、またもやレーンに災厄が訪れようとしていた。
魔女達の狩りが終了して、レネは対赤目妖精用の魔法術式と赤目妖精に関する特性、及び以前に作っておいた魔力付与についての論文を学院に提出した。これは効果を実際に確認できるので、すぐに認定が出されて公開されることになった。
公開された論文は学院に来れば金銭と引き換えに閲覧でき、一定期間他者に教えることを魔法契約によって禁止される。レーンではこうやって研究者に利益を還元し、更なるやる気を引き出しているのだ。他国が真似しようにも魔法契約自体が秘された魔法なのでうまく行かず、わざとフィーレ魔法学院に持ち込む者も多い。そのためレーンの魔法水準はとても高くなっていた。
レネも認定された当初はどのくらいお金が入るだろうとわくわくしていたのだが、さっぱり売れないのでがっくりと肩を落としていた。そしてその愚痴は事前に教えていたダイルに言うことになった。
「もっと飛ぶように売れると思っていました。なんだか嘘を言ったみたいで申しわけありませんでした」
とほほと落ち込むレネに、ダイルはいつもと変わらない悪人顔でぐふふと笑った。
「大丈夫ですよ。宣伝しなければ最初はこんなものです。それに話を聞いて判断したのは私ですし、魔力結晶は需要があるので簡単に値崩れは起きません。ですがまあ、損をする気も無いので、何とかしておきましょう」
ダイルはレネの話を聞いて、魔力結晶の無駄在庫を極力しないように調整していた。常に右から左へ使っていれば差額の損害は最小限となるのだ。だが、この場合は即応性がなくなるため急なことに対応できないのだ。そのためダイルとしても早く広まって価格が安定して欲しいと思っていた。
だから、公開されている魔法の存在をほのめかすことにしていた。儲け話に敏感な探索者が知って放置するわけが無いので、来るときは一気に来ると予想している。
ダイル自身はレネから簡単に聞いただけで論文の詳しい内容を知らないため、方法は学院まで買いに行かなければならない。だからレネの利益を損なうことはない。もちろん詳しく知っていても、信用を守るために言わない。
『やはり本物は違うな。これはそのうちがっぽがっぽとお金が湧いてくるぞ』
「くふ……、ごほん。よろしくお願いします」
レネは杜人の言葉に思わずにやけかけたがなんとか堪え、咳払いをしてその場を誤魔化す。ダイルはレネの変化を分かっていたが、優しい気持ちで何も言わないであげた。
そんなことがあった数日後、レネは魔法具騒動ですっかり忘れていた栽培地の確認に向かった。前回との違いは、植えているのが丈夫な賢者芋なので枯れる心配をしなくても良いため雰囲気が明るいことと、走甲車にシャンティナが同乗していることだ。
「どうなっているかなあ。自然と芽が出る時期がずれていくから、花は見られると思うよ。小さくて綺麗な黄色の花でね、一面に咲いていると黄色の絨毯が敷かれているように見えるんだよ」
『それは見てみたいな』
「です」
うきうきしているレネに合わせて尻尾のように黒髪が揺れる。それを横目で見ているシャンティナのリボンも同様に揺れている。身体の揺れも同調しているため、楽しんでいることはよく分かった。
「けれど結局、魔法具の不具合は分からなかったんだよね……。あーあ、こっちは無理か」
『他の金策が見つかったから良いじゃないか。ひとつの成功の陰には倍以上の失敗があるのが当たり前だ。それを考えれば上々な結果だぞ』
世の中には、やることが全て裏目に出る人もいる。それを考えれば、レネの成功率はとても高いのだ。
「それはそうだけど……、やっぱりやるなら成功したいよ」
『実に良い考え方だな。さすが、少し前まで悔し涙を流してきたことはある。……そういえば最近大きな事件が起きていないから、そろそろ来そうだな』
最後はからかいを含んだ心配そうな声だったため、レネは思わず笑ってしまった。
「そんな、定期開催される行事じゃないんだから。……確かに最近は大きいことの繰り返しだったけど、今はおとなしいものじゃない。呪われてもいないから単なる偶然。気のせいだって前にも言ったでしょ。それよりも、結果が楽しみだね」
前は起こった直後だったために気にしたが、今はだいぶ時間が経過したので笑える程度になっている。杜人も同様で、単なる話題のひとつに落ち着いている。
『そうだな。果たしてどこまで育っているものやら』
杜人とレネは同時に微笑み、一面に花が咲いている光景を想像した。しかし、そんな和気藹々とした雰囲気も栽培畑に到着するまでだった。
「なに……これ。なんで?」
レネの予想では、魔法具の明かりに照らされながら輝く濃い緑の葉が揺れ、その中に可憐な黄色の花が咲き誇っているはずだった。しかし、呆然と見つめる先には真っ黒な葉の中に紫色の花をつけた見たことも無い植物が、膝の高さで畑中に生い茂っていた。
レネは膝をついて慎重にその植物を調べる。内包魔力が多いことから魔法草の一種ではないかと推測するも、こんな種類は見たことが無かった。成分を分析しようにもその魔法は特級魔法である。今のレネでは使えない。そのためどうしようと杜人を見た。
『一株採取して成分を抽出し、既存の毒が含まれていないかを調べてみるか』
杜人は薬草栽培をするにあたり、タマを用いて色々な植物から成分を抽出し情報を集めていた。こうしておけば、もしかしたら見向きもされていない植物から薬効成分を発見して取り出せるかもと思ったからだ。そのため植物の成分に関してはそれなりに詳しくなっていた。
白珠形態のタマを呼び出した杜人は、タマの身体を腕のように伸ばして茎に巻きつけるとゆっくりと引き抜く。根の部分には、握りこぶし程度の真っ黒な塊が三つ、土にまみれて付いていた。
『芋か?』
「芋かな?」
「おいもさん?」
その形状から見慣れたものを連想した杜人達は意外な結果に顔を見合わせ、もう一度採取した植物を観察した。
「よく見れば、葉っぱの形状も花の形も賢者芋とそっくり。賢者芋は足首程度までしか伸びないけれど、もしかして魔法具の影響で変異したのかな?」
レネは周囲を照らす光を見ながら杜人に聞いてみる。
『その可能性が高いな。世代交代が早いから変異種が生まれる可能性は普通の植物よりあるだろうし、ここは普通の環境ではないからな。調べるから少し待ってくれ』
杜人は採取した植物をタマに取り込むと、分解して成分を照合し最後に吸収して効果を確かめていった。その結果、毒性はないとの結論に至った。
『茎には薬効成分があるが微々たるものだ。それと大部分は毒ではないがよく分からない成分だな。味はほんのりとした甘味があるから、食べてもおいしいはずだ。芋も同じで、賢者芋よりおいしいと思う。大丈夫だとは思うが、ジンレイに毒見してもらえば安心だろう』
そういって杜人はジンレイを呼び出すと、もうひとつ引き抜いた植物を渡して毒見を指示した。ジンレイには毒は効かないが、無効化しなければ普通の人のように効果を確かめることができる。そして、たとえ即効性の毒で構築した肉体が死ぬようなことがあっても、端末にすぎないので簡単に復活するのだ。
そしてその結果も問題なしとなり、レネとシャンティナはジンレイがふかしてきた芋を満面の笑みでぱくついた。黒かったのは皮だけで、中身は綺麗な白色だった。そのため皮を剥いてしまえば、単なる白い芋である。
「賢者芋と違って何とも優しい味があるよ。これなら普通の芋と同じように料理できるね」
「はふっ」
杜人はその間にいくつか収穫して、実験と保存用としてジンレイに渡している。そしてレネが食べ終わったところで、今後について話をきりだした。
『良さそうだな。なら少し通って確認してから報告しようか。教えれば少しは恩返しになるだろう』
「そうだね、そうしよっか」
賢者芋の変異なら成長期間は早いはずであり、そうならそれなりにおいしい芋を短期間で供給できることになる。収穫量は少ないので大量販売できないが、売り物にならないような味ではないので利益は十分見込める。当初の目的自体は失敗だが、投資分は回収できるはずである。
レネも異論はないので即座に頷き、シャンティナはもっと食べたそうに栽培畑を見つめていた。
そういうわけで数日間通って観察を行い、レネは生態をおおよそ把握した。成長期間は賢者芋と同じであり、魔法具を使えば半分になる。そして普通の明かりより栽培用の魔法具を使ったほうが味が良かったので、この芋専用の魔法具にしようと考えた。そうすれば無駄にならないのだ。
「それにしても良い匂いだよね。心が落ち着くっていうか、柔らかっていうか、こういうのをほのかに香る優しさっていうのかな」
レネは花の匂いを気に入って匂い袋に入れようと採取してみたのだが、採取するとほのかな匂いがすぐに飛んでしまうので断念していた。そのため、今は来たときに匂いを胸いっぱいに吸い込むだけにしている。シャンティナも気に入ったようで、匂いをかいでいるときのリボンの動きは優しげだった。
杜人は観察を終えて匂いをかいでいるレネに近づき、大仰な動作で礼をする。
『そんな可憐な花が似合うレネお嬢様。どうか私めの愛を受け取ってください』
「うん? 急にどうし……、なにこれ?」
あらかじめ呼び出していたタマが差し出したものは、光を反射して輝く透明な小瓶だった。中には透明な液体が揺れている。
『その花の匂いが気に入ったようだから、タマを使って匂い成分を抽出して加工を施し香水にしたものだ。濃縮してあるからつける量は気を付けてくれ』
素に戻った杜人はどうだと言わんばかりに胸を張る。ただ成分を抽出しただけではすぐに揮発してしまったので、タマの能力にて色々加工を施した中々の自信作である。
受け取ったレネは蓋をそっと開けて匂いを嗅ぎ、思わず顔をほころばせた。そして少しだけ顔を赤らめながら、小さな声でお礼を言う。
「……ありがとう」
『どういたしまして、だ。いつも頑張っているからこれくらいはな』
杜人も茶化すことなく返事をし、互いに笑いあう。いつの間にか何となく暖かい雰囲気になったわけだが、なにやら視線を感じた杜人がそちらを見ると、シャンティナがじっと杜人を見ていた。リボンがわさわさと動いているため、なにやらものすごく期待していることがよく分かった。
杜人はその期待を無下にはできず、仕方がないと笑いながらシャンティナにも小瓶を差し出した。
『香水は適量が判断しにくいから、レネに付けてもらうようにな』
「はい」
受け取ったシャンティナはリボンをぶんぶんと嬉しそうに動かしながらレネに小瓶を差し出した。レネは優しく微笑んで受け取り、シャンティナに香水をつけてあげた。
『無くなったら作るから言ってくれ。ジンレイの菜園でも少し栽培しているから、二人分程度は作れる』
現在ジンレイの屋敷の片隅に小さな菜園を作って、わざわざこの場所の環境を再現して栽培している。ここのように大規模は無理だが、自家消費用として十分な量を確保できるようにしていた。
「それじゃあ、残りは預かっておくから」
「はい」
レネはシャンティナの分を鞄にしまうと、自分の小瓶を光に透かして見る。液体を通して輝く光は、僅かに虹色に輝いていた。それを確認して、不思議そうに尋ねてきた。
「ねえ、この瓶魔力結晶に見えるんだけど、わざわざ加工したの?」
『ん? ああ、入れ物で手ごろなものが無かったんだ。精製しながら整形したから無駄にはしていない。それに硝子と違って落としても割れないから安心だし、なにより綺麗だからな。我ながら良い出来だと思う』
あっさり言う杜人に、レネは額に手を当てて困ったように笑う。
「もしかして、色々な形を作ったりできるの?」
『練習したから、芸術品のようなもので無ければできるぞ。一時期はこれで槍を作ろうかと思っていたくらいだ』
魔力結晶の強度は密度によって変動するが、結晶化した時点で鉄よりは硬くなる。そのため加工には真銀や神鋼金が使われるのだが、加工の難易度が高いため通常は精製した形に合わせて魔法具が作られる。その形は密度が上がるほど千差万別になるので、力の強いものは一品物となり値段も跳ね上がるのだ。
彗星の杖が比較的簡単に作れるのも、使われている魔力結晶の質がそこそこで形状が量産できる許容範囲内だからである。このような特性があるので、香水の小瓶のような加工は至難の業なのである。だからレネは思わず笑ってしまったのだが、杜人は気にせずに次のものを取り出した。
『それとこんな瓶も作った。口が大きいから取り出しやすいだろ? 中の味見もしてくれ』
次にタマが差し出したのは手の平に乗る口広の蓋付瓶で、中には金色に輝く粘性の強い液体が満たされている。タマの中から取り出したように見えるが、実際は召喚の応用でジンレイの屋敷にしまっているものを送ってもらったのだ。
手に取ったレネは見たことのある液体だったため、まさかと思いながら蓋を開けて少しだけ舐め取る。その一瞬後に目を見開き、次に満面の笑みを浮かべた。
「おいしい蜂蜜だね。これもこの花の蜜なの?」
シャンティナにも味見させてからレネは上機嫌に聞いてきた。甘いのに溶けるようにさっぱりとした味わいは、濃厚なものが好きな者には物足りないかもしれないがレネの好みには合致している。その様子に評価は上々だと杜人も笑みを浮かべた。
『そうだ。と言っても、花の蜜を集めて加工した蜂蜜もどきだがな。少しあっさりしているようだからどうかと思ったが、大丈夫そうで良かったよ。これなら手土産にできるな』
「手土産……」
「おみやげ……」
その言葉にレネとシャンティナは実に寂しそうに蜂蜜もどきが入った瓶を見つめる。そして揃って上目づかいに杜人を見た。
「も、もう少し味見しても良いよね?」
「あじみ」
二人の期待が込められた視線に杜人は苦笑し、肩を竦めて頷いた。
『まだあるから別に良いぞ。食事が食べられる程度にしておけよ』
「やった、えへへ」
「やりました」
喜んで食べ始めた二人を杜人は多少生暖かい目で見守る。ついでにジンレイを呼び出してスプーンを持って来てもらった。受け取った二人は仲良く交互に瓶に入れては舐めるように食べている。このまま行けば一瓶空になるのは時間の問題である。
『ふっ、これでタマの強化に魔力結晶をつぎ込んだと言っても怒られないだろう』
杜人はこれまで獲得した魔力結晶を使ってタマの内部能力をこっそりと強化していた。その分貯金が減っているようなものなので、こうして何も言えない状況を先に作ったのだ。本当のことを言えば、香水と蜂蜜もどきはそれを誤魔化すために思いついたものである。同じ結果でも発生理由が普通の男とはまるで違う。そんなことだから永遠のお友達が量産されるのである。
「そこでレネ様のためにと言えば完璧でしょう。人は特別に弱いですから」
『……なるほど』
杜人はジンレイの助言に、それは気が付かなかったと真剣な顔で頷いた。意外に酷い主従の会話は、幸いにも蜂蜜もどきに夢中なレネとシャンティナの耳に入ることは無かった。
こうして遊びながらも調査して結果をまとめたレネは、学院に新種として登録してから出資してくれたダイルに笑顔で報告を行った。
「このように、芋の部分はそれなりにおいしくて短期間に収穫できます。葉や茎は色こそ真っ黒ですけれど、甘くておいしいです。それに何だか食べ続けていると体の調子が良くなるような気がします。おそらく魔力草ほどではないですが、魔力が他の植物より多く含まれているからではないかと思います」
最終的にレネとシャンティナが食べ続けて安全性を確認したので、レネの言葉には経験に裏打ちされた勢いがあった。ダイルはその報告を、本人にとっては優しい笑みで聞いていた。
「さすがですね。予定通りに行かなかったのは残念ですが、上々の成果だと思いますよ。芋は需要がありますから、これならそのうち儲けも出るでしょう」
ダイルは事前に成分などの調査を行っていたので、レネが行った報告の大部分は既に把握している。もちろん魔法使いらしい視点からの考察などはありがたいので、喜んでいるのは嘘ではない。
ちなみに事前に確認していたのは悪い虫を調査したついでであって、変異したものが毒物だった場合はこっそりと処分して新たに賢者芋を植えておくつもりだった。
虫についての監視は継続中であるが、現時点では動いていないこととかなり慎重に行動しているようだったので、相手に気付かれないように少しずつ調査している。
ダイルはいつも通り肩を揺らしてぐふふと笑い、レネと委託栽培契約を結んだ。レネは土地を借りて芋を栽培するわけだが、栽培から収穫、販売までをダイル商会に委託する契約だ。要するに名前だけ借りた状態になるわけだが、レネが作っている作物を本人から委託されたという形式が大切なのである。
こうしておけば、いずれ種が広まって他で栽培を始めても、自分のところで扱っているものは間違いなく本物であると主張できるのだ。つまりブランド品のようなものである。レネは単にかかりっきりになれないため頼んだだけなのだが、ダイルは売るためにしっかりと名前を利用する気である。遊び心だけで黒姫シリーズを商品化しているわけではないのだ。
そんなこととは露知らず、レネはこれで貯金が増えると単純に喜んでいた。杜人も喜んでいるが、こちらはダイルがただ売るだけとは思っていない。今まで黙っていたのは、実害が無いこととそのほうが面白いからである。だが知っていて黙っていた場合、確実にレネの機嫌を損ねるのできちんと言っておくことに決めた。
『良かったな。これで評判になれば、レネの名前も賢者芋のように歴史に名が残るかもしれないな』
「えへへ……」
レネははにかみながら下を向いた。そうなれれば良いなと思っているが、一歩近づけたような実感にあらためて嬉しさがこみ上げてきたのだ。その様子を見た杜人は、きちんと賢者芋のように歴史に名が残ると教えたのでこれで良しと頷いた。
登録した芋の名前はなにやら小難しい名前なのだが、賢者芋の正式名称もそうなのだからこれに関しては普通のことである。問題は通称のほうで、得てしてこちらのほうが有名になるものだ。そして通称とは分かりやすく言いやすいものが定着する。大賢者芋ではなく賢者芋なのがその良い例である。
「あ、あとこれは資料をまとめているときに作ったものです。量は作れなかったので売り物にするには厳しいですけれど、おみやげに配れる程度はできましたから自由に使ってください」
そんな杜人の考えを知らないレネは、上機嫌に蜂蜜もどきを鞄から取り出して並べた。瓶は普通の瓶に入れ替えてある。
「ありがとうございます。……品質も良さそうですね。それでは知り合いに宣伝がてら配布いたしましょう」
「よろしくお願いします」
『これは本腰を入れて売る気だな』
レネは気に入ってくれれば良いなと呑気に考えながら微笑んでいる。
ダイルが商人の目で品定めを行ったのを見た杜人は、売り込み先はどこだろうと色々考え、今後の参考にどうやって広めていくのか後で調べてみようと頷く。
そしてダイルは蜂蜜もどきを見て妙案が浮かんだため、どうみても悪徳商人の笑みを浮かべながらあれこれと考えを巡らせていた。
こうしてレネは杜人の遊び心に導かれ、まだ見ぬ未来のひとつを知らないうちに決めたのだった。