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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第2章 表と裏は未確定
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第07話 知られざる戦い

 そして遂に決戦の時はやってきた。レネの服装はいつも通りの学院指定の制服である。


『普通の服装で良いと言ってもらえたのだから、本当はそこから入りたかったのだがなぁ。無いものは仕方がないな』


「私だって普段着くらいは欲しいよ。けれど、さすがにこの制服も一着じゃ無理だから何着か買い揃えなきゃならないし、意外に高いんだよこれ。とてもおしゃれなんてできないよ」


 普通の服があればそれを着ていったのだが、残念ながらレネの外出着は学院指定の制服一択である。実はこういう者は意外に多い。そして口ではそういっても長年染みついた習慣によって、レネの中では外出着は制服という図式が出来上がっている。そのため外出用の普段着を買おうという意識にならないのだ。


『普段着ならさぞかし嗤ってくれただろうに……。この分はその他で補充するしかないか?』


「別に大丈夫だと思うよ? 一応やってはいけないことは知っているから、それをほんのりとするつもり。さすがに盛大にやるのは恥ずかしすぎるから許して」


 いくら興味を失わせるためとはいえ、嗤われるのは恥ずかしいと思う感性をレネは持っている。そのため大げさには行わないつもりだ。


『構わないぞ。お高くとまった店なら、普段通りに食べても勝手に嗤ってくれるさ。気にせず味わうことに集中すれば良い』


「ありがと。そうする」


 レネは小さく笑みを浮かべる。話し合いの結果、基本的にはレネが仕掛けを行い足りない分を杜人が補うことになっていた。そのためレネは、これで面白おかしい杜人の作戦をやらずに済んだと思っている。残念ながら、しないのではなく普通でも十分面白いのであえてする必要がないのである。もちろん杜人はそんなことを教えたりはしない。


『後は打ち合わせ通り、いつものまかないを基準にして自分の好みでけちをつければ完璧だ。きっと貧乏人がにわか知識で知ったかぶりをしていると思ってくれるだろう』


「それが一番難しそう……。さりげなく言えるかなぁ」


 本番に弱いレネは緊張すると棒読みになってしまう。ましてや都度考えるとなると予想もつかない。


『なに、緊張していても無理をしていると解釈してくれるさ。どちらに転んでも損は無い。その時にできる程度で十分だ』


「そっかぁ。それなら大丈夫かな?」


 レネは気楽に言う杜人のおかげで気が楽になった。そのおかげで足取りも軽くなり、待ち合わせの場所に行く速度も自然と速まる。その横を杜人は上機嫌についていくのであった。






 街の中には様々な店が立ち並んでる。迷宮の入口付近には探索に必要な物品を売る店が集まり、住宅が近い所には生活に必要な物を売る店が集まっている。そしてそんな集まりの中に、高級品を扱う店が集まった一角があり、クリンデル料理店はその高級店が立ち並ぶ通りに堂々と店を開いていた。


 店主のクリンデルは王都でも指折りの店で修行してから独立して店を開いた。努力家でもあって妥協をしない接客とその味は上流階級も満足するものである。今では会合や打ち合わせにも使われる高級店となっていた。


 時間は夕食を食べはじめる時間となっていて、店内は既に僅かな空席を残すのみとなっていた。その空席も予約で埋まっているので、実質満席の状態である。食事を楽しんでいる客もそれぞれめかしこんでいて、店の雰囲気に慣れている者達ばかりであった。


 そんなところにのこのことやって来たのがレネであった。レネは店に入る前に、わざわざ彗星の杖を取り出して手に持っていた。


「場違いだね……」


『良いことだ。まずはこんな店に入ったことの無いぽっと出の田舎者と分かってもらえたことだろう。見ろ、実に上品に嗤われているぞ』


 店内の客たちは学院指定の制服を着て大きめの杖を持っているレネの格好を見て、声を出さずにちらちらと見ながら口の端を吊り上げていた。こういう場面は高級店には結構あり、大抵は雰囲気に呑まれて慌てる様子を楽しむのが常連達の常であった。


 そんな客たちとは対照的に、案内のために待機していた店員達は嗤っておらず、小さく驚きの表情を浮かべていた。


「親方に『白ひとつ』と伝えてください。それと、これからの応対は全て私が行います」


 店内のウエイターを束ねる壮年の男性が小声で部下に指示をだすと、微笑みを浮かべてレネに近づいていった。男性は店側の責任者である副長である。やっかいでありながら重要な客を、部下の教育と称して押し付けるわけには行かないため率先して矢面に立ったのだ。


「いらっしゃいませ。ただいま満席となっております。ご予約でしょうか」


『ほう、馬鹿にしないとは大したものだ。教育が行き届いているな。ここは普通に行こうか』


 不快感を表すこと無くにこやかに頭を下げた副長に杜人は感心し、レネはほっと息を吐いた。可能性としては門前払いもありえたのだ。それを考えればとても良い応対である。


「あ、はい。セリエナ・フォーレイア様に招待されたのですが……」


「はい、承っております。どうぞこちらへ」


『ふふふ、ここからが本番だな。実に楽しみだ』


 楽しげに笑う杜人を諦めの表情で見つめてから、レネは店内へと入っていった。





 一方別の場所では、ウエイターが戦場と化している厨房に行き、副長の伝言をクリンデルに伝えたところだった。そして伝言を聞いたクリンデルは厳つい顔を固まらせ、次に目を見開いてウエイターを見た。


「なんだと……。遂に貴族ではない学院生がやって来たのか!?」


 クリンデルは作っていた料理を手早く仕上げると、厨房の入口からこっそり店内を覗き込んだ。鍛え上げた筋骨隆々な肉体ではとてもこっそりとは言えない状況ではあったが、料理を楽しんでいる客は厨房に目を向けていないので気が付かなかった。


「本当だ……。本物だ……。しかも、噂の殲滅の黒姫様か……」


 その呟きを聞きつけた従業員たちは、有名人を見るような目でレネを見始めた。噂では殲滅の黒姫は学院生であり、大賢者と同じ黒髪と紫の瞳を持つ小柄な少女である。そしてその特徴に見事に当てはまっていることを確認すると、興奮気味にささやき始めた。


「あれが本物か。意外とかわいいな」

「もっと厳ついかと思ってた」


 交わされる声は好意的な物ばかりである。これは学院内の評価は今までの行いでできたものだが、街に流れる噂はダイルが意図的に流したものだからだ。そして商品を売るために悪い印象を流すはずもなく、レネは過酷な罠を突破して一緒にいた試験官を助けた英雄のように認識されていた。


「良いかお前ら、これから俺はあの席の料理を担当する。後は任せた」


「了解です。頑張ってください!」


 クリンデルは短く指示を出すと調理台の前に陣取り、注文が入るまで今日だせる料理の組み立てを考え始めた。


 王都にある高級料理店は二種類に分けられる。それは、学院生に来てほしい店と来てほしくない店だ。その原因は学院が運営している食堂にある。安くてうまいを実現している食堂の料理を食べてから外の料理を食べた場合、高い確率で不満が出るのだ。それは料金であったり味であったりする。


 安い店ならこんなものだと妥協できても、高い金を払って食堂よりおいしくない食事を出された場合は誰だって不満を持つものだ。そして高級店を利用するのは貴族が多いが、彼らは場を弁えているし雰囲気も料金の内と分かっているから不満があっても顔に出さないし何も言わない。


 平民の学院生は高級店に慣れていないので、不満を表に出して文句を言う確率が高い。そのため、お前に何が分かると反発する者と、食堂の料理人に勝っているか判定するために来てほしいと思う者がいるのだ。努力家のクリンデルはもちろん後者である。


 今までも何度か学院生が来たことはあったが、残念ながら不平不満を表に出す者達では無かった。しかし、その後二度と来ない率が高い現状から、出された評価は推測していた。


 そして今、待ちに待った平民の学院生が慣れない高級店にやってきたのだ。しかも来たのは小さい頃から学院にいる殲滅の黒姫である。その舌の肥え方は計り知れない……と思っている。実はまかないばかり食べていたのでそこまでではないとは思うわけがない。


 そういうわけで、レネのあずかり知らない所でもうひとつの勝負が静かに燃え上がったのだった。






「どれにしよう……」


 レネはメニュー表を見つめながら途方に暮れていた。いつもまかない一筋だったため、しゃれた名前の料理名を見てもどんな料理か分からないのだ。セリエナからは好きな物を頼んで良いとは言われていたが、それ以前の問題であった。


『さすがにここで笑いを取るのはなんだしな。店員に好みを伝えてお任せにすれば良いんじゃないか? 予算くらいは言ってあるだろうから無茶な物は出てこないだろうし、料理の組み立ても知らないと宣伝することになるから喜ぶだろう』


 変な物を頼んで恥を掻くのは目的から外れる。やるのはもっと微妙なものにする予定だ。杜人の意見を採用し、レネは店員を探してきょろきょろと辺りを見回す。その様子を客は田舎者と笑い、セリエナはほくそ笑んでいた。ちなみにセリエナはドレスに似た外出着で正装していた。


 杜人はそれらをきちんと観察し、うまくいったと頷く。


(しかし、レネが恥を掻けば招待者である自分も恥を掻くことになるとは思っていないようだな。こちらではそういう考え方が無いのかもしれないな)


 貴族社会をよく分からない杜人は、セリエナと周囲の様子におそらくそうなのだろうと推測する。実際は単にレネを負かすために視野が狭くなって気が付いていないだけなのだが、周囲の客はそういう用途で使う者もいるのでこれもそうだと思っていた。そのため嗤われているのはレネだけである。


 レネのほうは、少し離れたところにいた副長に手を大きくあげて手招きをする。そんな不作法に抑え気味の笑い声が僅かに聞こえたが、レネは事前に嗤われると聞いていたのでそんなに気にしていない。気にしていないが良い気分でもないので、手を下ろすと杜人をちらりと見て何が悪かったのか聞いてみた。


『おそらく手招きが悪かったのではないか? 手を軽く挙げるだけで良かったとかだと思う。だが作戦上は成功だな。ほら、喜んでいるぞ』


 レネはなるほどと納得してちらりとセリエナを見たが、確かに笑いを堪えようとしているように見えた。呼ばれた副長はもちろん嗤うこと無く静かに近づいてきている。


「お待たせいたしました」


「注文します。スープと肉料理とデザートを全部お任せで。お肉多めで、飲み物はこれを淹れてください。ぬるめのお湯で葉が開くまで置いてくださいね」


 レネは鞄から茶葉が入った袋を取り出して店員に差し出した。ここでも笑い声が聞こえたが、原因は聞いているので気にならない。飲み物については貧乏性からくるありがちな不作法も入れようということで、多少暖かい懐で買った安物の茶葉をジンレイが調合したものだ。


 こういった飲食店に対して持ち込みが黙認されるのは安い大衆酒場くらいである。そのため断られて恥を掻き、貧乏人が場違いな場所に来ていると強調する予定だった。だが、店員は断ること無く微笑みながら受け取った。


「失礼いたします。……承りました。それではしばらくお待ちください」


「あれ?」


『なんと素晴らしい……』


 レネは中身を確認してから立ち去った背中を瞬きながら見つめ、杜人も予想外の行動に感心していた。


 この店では悪意をもって行われること以外は、雰囲気をぶち壊すものでない限り断らないようにしている。これは記念にと背伸びをしてきた人が、暗黙の了解を知らずにやらかして恥を掻くのをできるだけ防ぐためである。


 そうはいっても客層の違いによって店側が努力してもどうしようもないこともある。この辺りが頭の痛いところではあったが、生活もあるので嗤うような客を叩きだすようなことも行えない。結果として、できるだけ不愉快にさせないように努力するのが精一杯であった。


 こうして予想外の理念によって、せっかくの計画はあえなく潰えたのであった。その代わり、別の波乱を厨房にもたらしていた。


「注文はスープと肉料理とデザートで、肉は多めで内容は全部お任せだそうです。それと飲み物はこれを淹れて欲しいということでした」


「そうか……。つまり、言い訳はできないということだな。……こちらは安い茶を混ぜた物か」


 クリンデルは重々しく頷き、預かった茶葉を言われた通りに淹れて試飲してみたが、実に普通の味であった。


「ふむ、意外に癖が無いから何にでも合いそうだな」


 頭の中で出そうとしている料理との相性を考え、大丈夫と頷いた。そして試しに最初に出す予定のスープ、メインとなる肉料理のソース、最後のデザートに使うクリームと合わせてみる。


「ほう、甘味が心地良いな。こちらはしつこさが無くなった……」


 最後は無言でクリームと合わせたクリンデルは、目を見開いてお茶を見つめる。その様子に部下たちは不思議そうにしていた。


「何故、味わいがこんなに違くなる?」


 スープの時は僅かな甘味によって食欲が増すように感じられ、ソースの時は濃い味をさっぱりと洗い流した。最後のクリームは甘味を際立たせながらもほろ苦さによって甘ったるさを消し去って、心地良い余韻を残していた。クリンデルはもう一度茶葉を確認するが、間違いなく安物である。


 部下たちも少しずつ試飲して見て、確かにそうだと首を傾げた。安物なら苦みが立っていたり深みが無いので後味を壊してしまったりするものなのだが、これは絶妙なバランスで後味を昇華していた。


「……そうか、これは学院の食堂から持ってきたものか!」


 その言葉に厨房にどよめきが走った。そしてそれなら納得できると一斉に頷く。持ってきたのがレネだから起きた、見事な誤解であった。


「安い茶葉でここまでのものを仕上げるとは……」


 その腕前に感服すると同時に、これは挑戦状だとクリンデルの心は燃え上がった。つまり、レネが『高級店に招待されたけれど、飲み物とかはどうすれば良いか』と相談し、食堂の料理人から『このお茶があればどんな料理でも大丈夫』と言われたと認識したのだ。


 冷静になればそんな失礼なことをするはずがないと分かるのだが、勝負を望んでいたクリンデルは気付かない。


「やってやろうじゃないか……。これに負けない料理を出すぞお前ら!」


「はい!」


 こうして予想外の反応によって気合いが入った厨房は、更なる熱気に包まれていくのであった。


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