第20話 想いの行方
『ここまで来ればもう大丈夫だな』
「そうだね。問題も無かったし、安心したよ」
緩んだ雰囲気をかもし出しながらレネと杜人は笑顔で大広間を横断していく。エルセリアはまだ終わっていないけれど仕方ないかなと思いながらも警戒を緩めずについていく。内部は壁面にある結晶のひとつが普段よりも強く輝いていて、いつもより明るくなっていた。
そして一行が中央まで到達したときにはレネの緊張は完全に解けていた。その様子にエルセリアはさすがにおかしいと疑問に思い、調べるための魔法を発動しようとしたそのとき、大きな音を立てて前方と後方の通路にあった落とし格子が落下し、レネ達を大広間に閉じ込めた。
『は?』
「え?」
予想外の出来事に、すっかり気が緩んでいたレネと杜人は一瞬思考が停止してしまった。そしてその間に複数の魔法陣が床に出現し、そこからレネより大きな灰色狼が飛び出してくる。
そのうちのひとつは、ちょうどレネと杜人の死角である斜め後ろに出現していた。そして出現した灰色狼が即座にレネに飛びかかろうとしているのを、エルセリアだけが気付いていた。
「危ない!」
「きゃっ……」
『しまった!』
エルセリアがとっさに駆け寄ってレネを押し倒し、灰色狼の攻撃をその肩に受けた。防御用魔法具によって一気に食いちぎられるようなことにはならなかったが、目立たないように効果の弱いものだったために牙は身体まで到達している。
声で気が付いた杜人は即座にタマを動かし灰色狼を取り込むと魔石ごと一気に融解し、肉体を消滅させた。そのため噛まれていたのは短い時間で済んだのだが、思いのほか傷が深くエルセリアの肩からは血が流れ続けていた。
男でも転げて叫び声をあげたくなるような状態だったがエルセリアは意識を手放さず、燃えるような痛みに苛まれながらも歯を食いしばって耐える。そして痛みによって魔法の発動もままならない状態の現在、このままでは遠からず意識を失い何もできずにレネが殺されるのは確実であるため、絶望的な状況を打開するための方法を迷わず実行した。
「……結界、展開。発動、氷滅、平げ……ん」
倒れながらも指輪に魔力を流して最後まで合言葉を言いきり、それによって二つの魔法具は定められた力を即座に発動する。
最初に結界の指輪によってレネ達を取り囲むように淡く輝く透明な壁が発生し、次に氷滅の杖が煌めいて内包する力を解放した。
床に倒れた杖を基点として床に光の線が広がり始め、瞬く間に大広間全体を覆う巨大な魔法陣が描かれる。そして輝きが一気に強まると魔法陣から凍える冷気が放出され始めた。レネがいる結界内は無事だったが、それ以外は音を立てて生成される厚い氷に覆われて景色が一変していく。外にいた灰色狼達は抵抗することすらできずに一瞬で凍りつき、更に氷の中に閉じ込められて絶命していった。
しかし、そんな景色もレネの目には映っていなかった。視線の先には血まみれのエルセリアがいて、それ以外のものは意識の外になっていた。そのためレネは即座に身を起こすとエルセリアに近づいた。
元々嫌いたいわけではなかったことと、昨日までの騒動によるレネの心の変化、今日の普通の態度による気持ちの軟化、そして今回身代わりになってくれたことで積み重なっていた嫌悪が一瞬で吹き飛んでいた。
「リア、リア!」
そのため気持ちが昔に戻ったレネは、昔の呼び名で必死に呼びかける。レネの焦った呼びかけにうっすらと目を開いたエルセリアは、弱々しく微笑んで満足そうに怪我のないレネを見つめる。
「……った、やっと、名前……」
小さく呟いてそのまま意識を失った。血の気が失われていく様子にレネは顔を青くしながら必死に呼びかける。
「ねえ、ねえってば! リア、返事をして!」
『レネ! それより魔法薬を早く使え! 目の前に鞄があるだろうが!』
杜人は混乱するレネを怒鳴りつけて指示を出す。杜人はまだ細かい作業ができるまでタマを動かせないので、上手に魔法薬を使うことができない。最悪のときはそうするが、レネが使ったほうが無駄にならない。その怒声でレネは救う方法にやっと気が付いて、自分の鞄から取り出した魔法薬を傷口に振りかけた。
「……止まらないよ!」
多少は出血が減ったが、傷口が完全に塞がるまでは至らない。悲痛な声をあげるレネに、杜人は冷静に指示を与える。
『落ち着け、これでしばらく持つ。今度はエルセリアの鞄から魔法薬を取り出せ。試験官なのだから強力なものを持ってきているはずだ。急がなくて良いから確実に実行すれば助かる』
レネは指示された通りにエルセリアの鞄から魔法薬を取り出すと、震える手を押さえながら無駄にしないようにゆっくりと傷口にかけていった。
『反対側もだぞ』
「うん」
表側が塞がったのを見てある程度落ち着いたレネは、静かにエルセリアの身体を動かすと残りの傷口に振りかけていく。そして残りを布に含ませて口から飲ませると、青くなっていたエルセリアの血色が若干良くなり、浅く弱かった呼吸もそれなりに安定したものになった。その様子にこれならこのまま死ぬ危険はないとほっと息をはく。
「よ、良かった……」
『まったくだ。しかし、状況は悪いままだな』
「え?」
レネが顔を上げて杜人を見ると、杜人は険しい顔で結界の外を見ていた。そしてそのまま視線を追ったレネの瞳に、信じられない光景が飛び込んできた。
結界の外では既に氷滅平原は解除されていて、そこに大量の灰色狼がひしめき合い、結界を壊そうと体当たりをしたり爪を突き立てたりしていた。そしてその後ろには一際大きい灰色狼がレネ達を睥睨していた。
『どうやら今回は二段重ねらしい。第一陣はエルセリアが始末したんだが、魔法の効果が消えたら待ってましたとばかりに追加で出てきた。そしてあれが一番強い個体だろうな』
「ど、どうしよう……。そうだ、氷滅の杖があるからそれで攻撃しよう!」
レネの提案に杜人は首を傾げた。
『レネが使っても結界は通り抜けられるのか? この手のものは発動させた者以外は無理だと思ったのだが』
「う……、そうだった」
杜人は今まで得た知識と既に氷滅平原が有効だったためそう判断したわけだが、レネはきちんと勉強して理解している。上級までの結界は双方向で閉鎖してしまうが、特級以上は任意のものを通せるように設定できる。そして緊急用の場合は発動させた者をその対象としておくのが一般的であった。
「じゃあ、結界を張りな……、無理か。普通に魔力を使う魔法具だから発動させる魔力を供給できない」
『杖はもう一度使えないか?』
レネは指輪を確認して落胆し、杜人は杖を見ながら何か無いかと考えている。その問いにはレネはゆっくりと横に首を振った。
「無理。再使用まで十日くらいかかるはず」
『駄目か。さて、他にあるか……』
二人で悩んでいる最中も結界に攻撃は加えられていて、明らかに最初よりも光が弱くなってきていた。杜人は結界を見て、エルセリアと魔法具を見て、レネを見た。そしてひとつ決断するとレネに問いかけた。
『エルセリアは起こせば目を覚ますと思うか?』
「たくさん血を失ったから無理だと思う。いくら高い魔法薬でも限界はあるから……」
無理をさせたくないという言葉は飲み込んだ。だが状況はそれを許さない。そのため起こそうとしたところで杜人が話を続けた。
『なら起こすのは最後の手段だ。レネ、氷滅の杖と結界の指輪を取り込ませてくれ』
「え、うん……。どうするの?」
レネはエルセリアを横たえて指輪を抜き取り、転がっていた杖を持つと魔導書をその上にかざした。杜人はその二つの魔法具を取り込むと難しい顔で考え始め、やがて顔を上げて真剣な表情でレネを見つめた。
『これで一応助かるかもしれない機能が使用できるようになった。ただし、不完全なためレネにかなりの負荷がかかるし、使用できる時間も長くないから一気に決める必要がある。しかも、終わった後で後遺症が出るかもしれない』
危険が伴うという話にレネは思わず唾を飲みこんだ。
『後はエルセリアを起こして対処してもらうかだ。この場合はエルセリアが満足に動けるかと対処法を持っているかが分からない。どう思う?』
「……たぶん、無理。この状況をひっくり返すには特級魔法以上が必要だけど、怪我をしている状態で結界の魔法具を起動させるためにかなり無理をしたはずだから、もう一度は難しいと思う。……大丈夫、私がやるから心配しないで」
レネは微笑んで杜人を見つめる。その様子に杜人も笑顔になって笑い出した。
『さすがだ。やはりそうでなくてはな! レネには男より男らしい男前の称号を与えよう!』
「要らないよ!」
互いに笑いあってから真面目な表情になり、杜人は説明を開始する。
『では手順を説明する。まずこれを渡しておく』
杜人は結界の指輪と星天の杖を複製してレネに渡し、レネは受け取って指輪をはめた。
『まず魔導書の封印を強制的に解除する。するとレネとの間に新たな魔力経路が構築されて一時的に使用できる魔力量が増大するから、それを使って結界を張りなおす。少なくとも使って余るくらいは増加するから心配するな』
「うん」
レネは指輪を触りながら頷いた。
『そして仕上げは星天の杖で炸裂氷針を使い、急いで殲滅する。指輪は大丈夫だったが、氷滅の杖は完全に複製できなかったから広範囲魔法は使えない。そして封印を解放できる時間と増加した魔力の残量がどの程度か見当もつかないから、今回は念のため消費量が小さく慣れた魔法を使う。レネはいつも通りにすれば問題ない。杖の複製制御は俺が行う』
「分かった」
質問を挟まずに聞いて、レネは手順を頭に叩き込む。覚悟を決めたレネの様子に杜人は微笑んだ。
『では封印解放の文言を教える。命令文で言えば解放してしまうから復唱するなよ。【汝の主たる我が命じる。同調の力を記述せし章の封印を解放せよ】だ。憶えたか?』
「大丈夫」
すべてを聞いたレネは静かに立ち上がると、徐々に高鳴ってきた鼓動を静めるために目を瞑って深呼吸をゆっくりと行った。そして目を開いて杜人に頷いてから眠っているエルセリアに微笑み、顔を上げて結界の外にいる灰色狼を睨みつけた。
「いくよ。……汝の主たる我が命じる。同調の力を記述せし章の封印を解放せよ」
『主からの封印解除命令を受諾、第一章【同調】、封印解放!』
杜人の宣言が終わると星天の杖と結界の指輪が輝き、溢れた魔力が放出され始める。それと同時にレネは身体の中から魔力が急激に失われていくのを感じ取った。その慣れない感覚に、確かに長くは持たないと判断する。そのため手応えを確認することなく指輪をはめた手を目の前に上げ、即座に結界を展開した。
「結界展開!」
一瞬後に今までの結界が高い音を響かせて崩壊し灰色狼が殺到してきたが、展開した新しい結界によってすぐさま弾かれて押し返される。それを確認したレネは、星天の杖を掲げると気合いを入れて魔法陣を構築し始めた。杜人も目を閉じて星天の杖の制御に集中する。
『制御術式移行……個別並列処理設定……統合複製制御……良し!』
レネが構築している魔法陣はひとつだけだったが、先端にある透明な結晶体が煌くと同様の魔法陣が周囲を取り囲むように展開していく。本来であればすべて同じ目標に向けて作られる魔法陣は、杜人が干渉することによって別々の位置に展開され目標も別々になっていた。
『おっと、これもおまけだ。増幅円環陣多重起動』
杜人は杖の制御を行いながら、それぞれの魔法陣に三つずつ増幅円環陣を固定した。かなり無理をしているが、次があるか分からないので出し惜しみはしない。それを見たレネは微笑んで更に精密に魔法陣を構築する。そして遂に完成した魔法陣に惜しげもなく魔力を流すと、高らかに発動を宣言した。
「炸裂氷針!」
一瞬ですべての魔法陣が発動し、結界をすり抜けて都合二十一個の炸裂氷針が煌きながら飛翔する。そして魔力の過剰供給によって増幅された現象は対象を吹き飛ばしても止まらずに、その破壊の力を拡大していく。
そして瞬きほどの時間が過ぎたときには結界を取り囲んでいた灰色狼は全滅し、最も大きな個体が瀕死の状態で残っているだけだった。
『ほう、残ったな。……レネ』
「分かった。……おやすみ」
レネは星天の杖を向けると炸裂氷針を発動した。そして殺到する炸裂氷針に飲み込まれてその姿が消失すると同時に、強く輝いていた壁面の結晶が元通りとなる。そして入口と出口を塞いでいた落とし格子が軋みを上げてゆっくりと持ち上がっていき、すべての終わりを告げていった。
「お、終わったぁ……」
『なんとか行けたな。身体の調子はどうだ?』
レネは緊張が解けてへたり込んでいる。杜人は再封印をしてからタマを魔石の回収に向かわせ、普通に声をかけた。感触では問題ないと感じていたのであまり心配はしていない。
「んー、なんだか凄くだるいというか……、眠い? あと足に力が入らなくて立てない」
『うん? 感覚が無いわけではないのだな? なら大丈夫だ。膨大な魔力を一気に消費したために身体が驚いただけだろう』
頷くレネに杜人は笑って答えた。
「そっか、これが魔力を一気に使ったときの感覚なんだね。初めてだから分からなかったよ」
『そうか、俺はレネの初めてを経験させた男になったのだな。ふふふふふ』
怪しく笑う杜人の言葉に、最初は何のことやらと小首を傾げたレネだったが、理解が追いつくと一瞬で真っ赤になって杖で殴りかかった。もちろんすり抜けるので効果はない。
「ばか、ばか、ばかー!」
『悪口の語彙が少ない人は善人だそうだ。良かったな証明されたぞ。……それだけ元気なら問題ないな』
唸るレネを放置して、回収してきた魔石を鞄に放り込んで魔導書に取り込む。そしてにんまりと笑うとレネに再び向き直った。
『喜べ、遂にタマが次なる高みへと至ったぞ!』
そう言ってタマを指差すと、タマはその身体をうごめかせながら別の形へと変わっていく。現れたのは一際大きかった灰色狼と同程度の白い狼だった。毛並みは触り心地が良さそうにふさふさだ。そのため思わず触ろうとしたレネだったが、以前のことを思い出してぷいっと顔をそむけた。
「騙されないから!」
『ん? それは残念。ならレネは歩きだな』
あっさりと杜人はそう言うとタマをエルセリアに近づけ、体毛を伸ばして掴むと背中に乗せた。
「あ……」
力が入らないので立てないことを思い出したレネは、呼び止めるように手を伸ばしかけてしまった。それを見た杜人は意地悪そうに笑う。
『残念だ、実に残念だ。俺としてはレネに楽をして欲しかったのだが。ちなみに感覚はいつも通りほとんど感じないぞ? それでも駄目か?』
「……いじわる」
レネは拗ねたように呟いてそっぽを向く。杜人は笑いながらレネも掴みあげて一緒に乗せる。結局レネは開き直って毛並みを堪能していた。
「良いなぁこの感触……。白珠とはまた違うね」
『普通の動物と違って手入れも要らないし、洗わなくても臭わないから存分に堪能してくれ。ちなみに白珠の変形だから、頭を落とされても消滅しない。では行くぞ』
杜人は杖をしまうと忘れ物が無いか確認して、二人が落ちないようにしっかりと固定してから意気揚々とタマを動かした。
「揺れないね」
『そのほうが慣れない乗り手は楽だからな。白珠のほうが安定するが、速度はこちらが上だ。後は用途に応じて使い分ければ良いのさ。……ところでもう分かったか?』
唐突な話題転換だったが、レネはきちんと理解している。前で眠るエルセリアを見る目はとても穏やかだった。
「うん、ずっと誤解していたんだね。馬鹿みたい」
『いやあ、あれは誤解するなと言うほうに無理があると思うぞ。実は俺も練習のついでに仲直りさせようと考えたのだが、現状維持が精一杯だった。逆によくあのときまで爆発しなかったと感心した』
二人は目を合わせると同時に笑った。そしてレネはエルセリアを見つめて少しだけ困り顔になる。
「どうにかならないかな。また元に戻ったら誤解しない自信が無い……」
『仲直りしたら正直に言うしかないだろう。どうも必死になればなるほど酷くなるようだからな。昔は普通だったのだろう? なら仲が良いうちは大丈夫だと思うから、とりあえずは仲直りしたいという符丁でも決めておいたらどうだ?』
言葉ではうまく伝えられないから、それがどんなに間違って聞こえていても大丈夫なものを事前に用意しておく。実に間抜けな提案だが、今のところはそれ以上の方法を思いつかない。レネも悩んでいたが、やはり思いつかなかったのでため息をついて賛成した。
「そうするよ。……ありがとう」
『どういたしまして、だ。……さあ、遂に到着だ。これでレネも学院の有名人に仲間入りだな!』
レネのお礼にそっぽを向いて答えてから、杜人は笑顔で不吉なことをのたまった。レネはよく分からなかったので首を傾げる。
「どうして? 試験に合格した程度じゃあ埋もれるよ?」
昨日のことは他の人でも規模的には可能なので、そのうち消える程度のことだと思っていた。
『ああ、実は戦闘の終わり頃に後発組が来ていてな。殲滅するところをしっかりと見られた。度肝を抜かれてへたり込んでいたようだから放置してきたが、黙っている理由も無いだろうから確実に広まる。昨日のこともあるから、きっと二つ名は殲滅の黒姫という辺りかな』
「そんな二つ名は要らないよ! というか少し待って!」
『そんなに嬉しがるとは思わなかったな。大丈夫、なんとかなるさ』
慌てて叫ぶレネに杜人はわざと意地悪く笑い、止まることなく終着点へと突き進んでいく。
「ばか、ばか、ばかぁー!」
『ぬふふふふ』
こうして静かだった第三階層に、レネの絶叫が空しくこだましたのであった。




