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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第1章 言の葉は紙一重
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第16話 試験開始

 試験当日の朝。寝ぼけることなく起床したレネは、緊張した面持ちでいつも通り着替えはじめた。昨晩までは緊張はそんなにしていなかったが、やはり当日になると意識してしまい一気に押し寄せてきたのだ。


『おはよう』


「おはよう」


 そんなレネに机の上で杜人が笑顔で挨拶をしたが、レネからの返事はいつもより固かった。しっかり目を覚ましているのに構わず着替えを続けるレネの様子に杜人は首を傾げると、念のためにもう一度声を掛ける。


『今日は頑張ろうな』


「うん」


 それでもレネは変わらない。杜人は肩をすくめると、正座をしてありがたや、ありがたやとじっくりたっぷりと観察してみる。いつもながら白い肌に黒い髪が落ちて実に良い眺めである。


『やはりレネは綺麗だな』


「ありがとう」


 これでもレネは変わらない。そしてそのままいつも騒がれる程度まで脱ぎ終えたため、杜人は深く長くため息をつくと、おとなしくレネに背を向けて座りなおしたのだった。





『というわけで、今回は仕方がないから見ないでやったが、次は細部まで全部じっくりと見るからな。紳士な俺に感謝するのだ!』


「そこは最初から見ないのが紳士でしょ……」


 食堂に向かう廊下を歩きながら朝の駄目加減を聞かされたレネは、力なく笑いながら頭痛を堪えるように額に手を当てた。何度も声を掛けられたことはしっかりと憶えているので、さすがに今回は杜人を責めることはできない。


 そのまま反省しながら食堂に入り、いつも通りまかないを頼んで隅の席に移動した。本日の内容は普段とあまり変わらないが、おまけにカップケーキが付いていた。中身は簡単なものだが、カップもクッキーなので全部食べることができるようになっている。


「やったぁ。元気が出そう」


『朝からそれで良いのか……』


 甘いものが好きなレネは単純に喜んだが、さすがに杜人は少しおかしいと思って周囲を確認する。その結果、他のまかない仲間にはカップケーキではなく玉子がおまけになっていることが判明した。


『どうもそのおまけはレネだけのようだぞ』


「あれ? そうすると間違い?」


 レネも確認して、どうしようとカップケーキを見つめる。あまりに残念そうに見つめているので、杜人は苦笑しながら推測した理由を話す。


『たぶん間違いじゃないぞ。レネのことを知って、わざとそうしたのだろう。それに一度手にしたものを回収しても他の人には出せない。ありがたく気持ちを頂いておけば良い』


 ここの料理人ならレネが甘いもの好きであることは承知しているはずであり、朝から甘いものを出すような組み立てをするはずが無い。そんなところから導いた推測だ。


「……うん、そうする」


 レネはじっと見つめてから、少しずつ味わいながら食べていった。良い雰囲気が漂って幸先が良いと杜人が頷いていると、何やら視界の端に意識が引っかかる何かが映り込んだ。


『何だ? ……げ』


 訝しげに顔を向けたその先には、いつぞやのように直進してくるエルセリアがいた。杜人の視界に映ったものは光を反射した銀髪で、短い間だったが記憶に焼きつくくらいの存在を感じさせたのだ。


『レネ、まずい、エルセリアだ。撤退の準備をしろ』


「ふぐっ! ……せっかく良い気分だったのに」


 レネは残りのカップケーキを急いで食べると、スープも急いで飲み干した。しかし、逃げるまでは間に合わず、飲み終わったところでエルセリアは硬い笑みを浮かべてレネの正面まで到着していた。


「おはようレネ。早いのね」


「……おはよう。今日から試験だから」


『おお、普通だ……』


 この間のような強烈な副音声は聞こえず、とりあえず普通の挨拶となった。そのことに杜人が安堵したときに、いきなり爆弾が投下された。


「うん、私は受けないけれど、頑張ってね」

(無駄でしょうけど)


『お、落ち着け! 深呼吸だ!』


 歯ぎしりが聞こえそうなレネの様子に、油断していた杜人は通訳できずに宥めることしかできない。レネは何とか瞬間的に発生した激情を乗りきってから静かに深呼吸を行い、俯いたまま何とか返事をした。


「当たり前だよそんなこと」


『ううむ、駄目か。レネ、もう良い、そのまま片付けて部屋へ行くぞ!』


 レネの口調は抑え目だが、確実に荒ぶる心が乗っていた。このままでは大惨事が引き起こされると判断した杜人は、不自然だろうが強制的に会話をやめさせることにした。


 レネももう無理と思ったため、そのまま無言で席を立ち急いでその場を立ち去った。杜人がエルセリアを見ると残念そうにしていたため、当人は励ましに来たのだろうとは思った。


『しかし、もう少し気持ちの余裕があるときに来てほしいものだ……』


「ほんと、せっかくのケーキが台無しだよ……」


 レネは盛り上がった気持ちを台無しにされたことを言っているが、杜人は気が張っている今来られると簡単にレネが爆発しかねないことを言っている。現に先程もいつも以上に気持ちが沸騰していた。当事者はこの変化に結構気が付かないものなので、杜人は荒れそうな予感にため息をついたのだった。






 試験のほうは昇級試験ごとに指定された場所に集合し、事前説明を聞いた後に受ける順番を決めるくじ引きを行う。これは限られた講師の人数で試験を行うために、予定を組み合わせて効率良く運用するためだ。試験を受けない者の中には、臨時の試験官を行う者もいる。


 誰もが真剣な表情でくじを引いていき、様々な声がざわめきとして広がっていた。順番を待っていたレネもうまくいきますようにとお祈りしながらくじを引いて、順番を確定させた。


「最初は操作かぁ……」


『本当は捨てた試験が最初に来てくれれば良かったが、くじだから仕方が無いな。一番でなかっただけで良しとしよう』


 レネの受ける試験の順番は、操作、防御、回復、補助、攻撃、総合で、杜人としてはまあまあの順番だった。


 できれば達成できないと予想していた操作が最後に来てほしかったが、期間が空くのでその間に気持ちを回復させようと思い、その方法を密かに考えていた。


「それじゃあ会場に行こっか」


『ああ、気楽に行こう』


 他の人が移動するのに合わせて、レネも試験会場である屋外訓練場に向かう。最初は普通どおりだったが近づくにつれて口数が少なくなり、会場で待機する頃には完全に無口になって他の受験者の様子を観察している。


 杜人はレネがいつも以上に緊張しているのが一目で分かったが、ここでつつくと逆効果なため今回はおとなしくしている。これがどうでも良い試験なら容赦なくふざけた言動で意識をそらすのだが、本気で取り組んでいるこの試験にそれをやれば、確実に怒ると分かっているためだ。


『やはり中級魔法ならそれなりに達成できる試験だな……』


 観察していると、操作というより攻撃の試験と勘違いしたくなる状況だ。ある者はとにかく撃ちまくり、ある者は術式をすべて魔法具に組み込んで魔力を供給しているだけだった。杜人が試験官なら確実に落とすが、規定内のことなので違反ではない。結果としてレネの参考にはまったくならないことだけは分かった。


 それより気になったのが、少し離れたところで行われている特級試験の余波が来ることだ。ほとんどは気にならない程度なのだが、稀に大きな音や衝撃が伝わってくる。そのため意識の隙間に入り込まれると集中が途切れる可能性があった。だが、これもわざとだろうと考えた杜人は、レネの時にはあまり来ませんようにと祈ることしかできなかった。


 レネはと言えば、観察を続けながら配布された位置図と実際の状況を見比べ、効率良い順序はどれかを真剣な表情で考えていた。そこに観察を終えた杜人が合流する。


『見えない的は五つか。力が増したとはいえ練習をしていないから、破壊は時間が足りなくなりそうだな。それに中距離の的が結構ある。先に遠距離を片付けてから見えない的、最後に近距離と中距離にしたほうが良いな』


「近くを片付けてからでは駄目なの?」


 できれば素早く発動できる氷針で量をこなしたいレネは、そうしたいなという風に聞いてくる。


『あくまで俺の予想だが、今回の配置でそれをやると欲が出て無理なところまで狙って時間を無駄にする可能性が高い。どうしても焦るから仕方が無いが、やるなら時間が無くなってからのほうが良い。遠距離も見えない的も時間がかかるからな。近距離なら焦ってもそれなりに当てることができるだろう。問題は中間だが、これは残り時間との兼ね合いを見てからだ』


「そう、だね。焦って最初に時間を消費したら遠くの的を処理できなくなる。分かった」


 杜人の分析で焦りを自覚したレネは胸に手を当てると深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとするが、落ち着こうとすればするほど焦りが大きくなっていった。そんなレネに杜人は軽めに話し掛ける。


『レネ、これは落としても問題無い。その程度と考えてみろ。攻撃と総合がまだあるから余裕はあるし、そちらは俺も手助けできるからどうとでもなる。それに一番練習時間が短いんだ。肩慣らし程度の意識で十分だぞ』


「うん、でも……」


 そう言われてすぐに切り替えることができるほど器用ではないので、なかなか緊張は解けない。杜人もこれ以上は無理なので、後はレネにゆだねるしかなかった。


 そして遂にレネの順番が回ってきた。レネは緊張した面持ちで魔法書を手に持ち定位置に立つと、試験官に向けてぎこちなく頷いた。それが合図となり、操作の試験は始まった。


 レネの脇には台座が置かれていて、そこには円形に配置された光が八つ輝いている。これが消えてから一度強く輝くまでが試験時間となる。


 レネは決めた通り、まずは灯明を発動して通り道の的に接触させながら奥へ移動させていく。試験用の的は接触すると色が黒から白に変わるようになっているので、容易に判断できる。そのまま順調に目的の場所まで到達したまでは良かったが、今回は的に当たったところで集中が切れて消滅してしまった。


「うぁ……」


『大丈夫だ。さあ、次はあれだ』


 そのまま次の的に移動する予定だったので、慌てるそぶりを見せるレネに杜人は落ち着いた声で次の指示を出す。そのおかげで多少冷静さを取り戻せたレネは、再び作り出すと同じように移動させていく。


 本番ということで練習より維持ができずにやり直す回数が増え時間もかかったが、レネは何とか遠距離の的を処理することができた。台座を見ると、既に半分光が消えていた。


『次は隠れた的だ。五回繰り返すから回りこんだら気にせず直線に走らせて良いぞ』


 レネは前の的に接触させた後で回りこませ、そのまま直進させる。杜人はといえば、上空にあがって状況を確認している。


『良いぞ。そのまま直進だ。……接触した。次に移れ』


 レネは無言で頷き、再び灯明を作り上げて同じように移動させていく。こちらは一度維持に失敗したが、順調にやり遂げることができた。残りの光は三つである。


『良し、灯明で遠くのほうから巡回だ』


 杜人は時間があると判断してそう指示を出した。ところがレネは間に合うか不安になり、気ばかり急いてなかなか安定した動きができなかった。そのため杜人の予想より時間がかかることになった。


 そして、狙い定めた的の最後のひとつに近づいたその時、杜人が懸念していた大音響が会場に響き渡る。


「ひっ、あっ……!」


 焦りで集中を欠いているところに不意打ちで響いたため、レネは驚いて灯明を霧散させてしまった。急いで台座を確認すると、光はもうひとつしか輝いていなかった。


『レネ、落ち着いて魔法書を持ち替え……』


「駄目!」


 もう時間が無いと焦ったレネはそのまま氷針を構築し、できる限りの速さで連射を始めた。杜人はそんなレネをちらりと見たが、何も言わずに推移を見守っている。


「当たれ、当たってぇ!」


 レネの必死さとは裏腹に、焦りによって正確さを欠く現在は構築すらまともにできず時間だけが消費されていく。本来であれば簡単に当たる距離でも外してしまい、焦りは更に大きくなっていく。最後は涙ぐみながら撃ち続けるが、状況は変わらない。


 そしてまだ的を数個残した状態で、無情にも台座が光を放って時間切れを告げた。その光を目にしたレネは糸が切れた人形のようにへたり込み、呆然と前を見つめていた。自然と涙があふれて来たが、レネは気付かずにいる。


『レネ、部屋に帰ろうか』


「……うん」


 短い杜人の呼びかけで自失から回復したレネは、涙を拭うと唇を引き結んで漏れそうになる感情を抑え込んだ。杜人は少し優しげに呼びかけたのだが、今のレネには責めているように聞こえている。


 ゆっくりと立ち上がり、泣き顔を見せないように俯いたまま歩き出して待機場所まで辿り着いたとき、ひび割れかけたレネの心に突き刺さる、硬質で冷たい声がかかった。


「残念だったね。まだ次があるよ」


『げ……』


 エルセリアは緊張しながらも笑みを浮かべてレネに話し掛けていた。エルセリアとしては嘲笑うためではなく励ますための笑みだったが、硬質な声と合わさった状態ではそうは見えない。杜人は最悪のときに掛けられた声に慌ててレネを宥めようとしたが、既に感情のタガが外れかけていたレネは一瞬も堪えることができなかった。


「うるさい!!」


「レ、レネ?」


 いきなりの怒声に驚くエルセリアを涙が浮かぶ瞳で睨みつけ、レネは感情が暴れるままに言葉を紡ぐ。


「どうしていつもそうやって馬鹿にするの! そんなに私が目障りなの!?」


「え、あ……」


『レネ! 止めろ!』


 杜人が強く呼びかけるが、抑えつけられていた感情が爆発したレネにはもう何も見えないし聞こえない。


「私だってあなたの顔なんか見たくもない! 大っ嫌い!!」


 感情が吹き荒れるままに叫んだレネは、涙を流しながら全速力で駆け出していく。残されたエルセリアは呆然とした表情のままその場に立ち尽くしていたが、やがて糸が切れた人形のように崩れ落ちてしまった。


 周りに居た人達はエルセリアに駆け寄って介抱を始め、騒ぎが更に広がっていく。


『まずい、最悪の事態だ……』


 レネの移動に引きずられながらそれを見ていた杜人は、あってほしくなかった事態に顔を青ざめさせ、せっかく切り開いた道が閉ざされてしまう光景を幻視していた。


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