第07話 夢の行方
明かりのない部屋でシャンティナは眠っている。レネとは離れているが気配は常に掴んでいるので、守るという役割を止めたわけではない。
そんなシャンティナは今、珍しく夢を見ていた。風を切り裂き、遥か下方に地面を置き去りにして、心を喜びで満たしながら天空を翔ける。一度も体験したことのないことのはずなのに、シャンティナは天空を飛翔することに疑問を覚えなかった。身体の感覚もいつもとは異なるものになっていたが、それを気にするような心は最初から持ち合わせてはいなかった。
そんなシャンティナの横に、いつの間にか『輝く何か』が居て一緒に飛翔していた。
『楽しいか?』
「はい」
物静かで聞いたことのない声だったが、シャンティナは問われ答えることに疑問を覚えなかった。本能が告げる『これは王だ』と。『王』は答えに優しげな感情を返し、次に引き締まった気配となった。
『ならば良い。だが、時はそう残されていない。新たに目覚めし幼子よ。我が元へ来たれ』
「無理、です。守る、命令、放置、駄目」
王の命令に逆らうのは苦しい。しかし、シャンティナは既に主を定めている。たとえ王の命であっても、従う理由にならない。そのため『王』は一瞬驚いたような感情を見せるとすぐさまシャンティナを調べ、再び驚いてから楽しげに笑った。
『そうか無理か。ならば汝の主も一緒に連れて来るが良い。我は約定が在るゆえ地上に行けぬ。しかし、竜としての力に目覚めた汝をそのまま放置するわけには行かないのだよ。無理強いはせず、必ず帰すと約束しよう』
「聞いて、みます」
あくまでも決めるのは主であるとシャンティナは譲らない。それが分かった『王』もそれ以上は求めなかった。
『それで構わぬ。準備がある故、時期をみて再び呼びかける。それまでは今まで通り過ごすと良い』
「はい」
そうして『王』は離れて行き彼方へ姿が消失する。黙って見送ったシャンティナは、消えたところで再び天空を翔け抜ける。そこには既に先程までの対話の重さは残っていなかった。
「おはようございます」
『おはよう』
「あ、おはよう。調子は大丈夫かな」
そしてすっきり目覚めたとき、複雑なことは考えないシャンティナは夢の内容をすっかり忘れていたのだった。
レーンの王城にて、会議室に集まった国王と重鎮達はフィーレ魔法学院からもたらされた報告を見て、重苦しい雰囲気となっていた。
『赤焔の渦海』が目撃されたのは過去に一度だけ。それはレーンの迷宮が解放期間に入る少し前の時期であった。まだ確実な異変とは言えないが、気分を重くするには十分な情報であった。
「倒したのだな?」
「はい。ただ、通常の方法では無理のようです」
国王の確認に情報機関の局長が答える。今でもシャンティナは名目上は情報機関に所属しているので、一応一番上の責任者である。
「あの事件の生き残りでしたか。他には居るのですか?」
「いいえ。残りはもっと以前に暴走して死んでいます。今も生きていられるのは、元々紫瞳だったこともあり、奇跡のような偶然で本能が暴走を抑えているからではと、過去の調査時に推測されています」
「無意識の防御が強すぎてまともに調べることもできんかったから、現状からの推測にすぎないがの」
過去の事件を思い出した騎士団長は沈痛な表情となり、直接調べた魔法師団長は己の力不足を嘆く。現在のシャンティナの力は国としては魅力的だが、同じ者を生み出す必要はないと誰もが思っていた。現場には、正気ではとても行えない惨状があったのだ。
レネがシャンティナの体内にある魔力結晶を調整したことは、どこにも報告していないので知られていない。そのため過去の情報を基にして判断するしかない。そして、たとえ知っても行おうと思う者は、少なくともここには居ない。
そうして再び降りた沈黙を、国王が力強い声で打ち消した。
「過去の事例では、出現した『赤焔の渦海』は放置するしか方法がなかったが、今回は倒すことができた。ならば、我らもやらねばなるまい。異変が起き始めてからでは間に合わない可能性がある。各自準備を進めてくれ」
「御意」
国王の命令に全員が頭を下げ、重鎮達は更に踏み込んだ対策を検討し始めた。
迷宮の第二層。人気のない階層では今日もまたティアとシアリーナが練習に励んでいる。といってもシアリーナが手を出すとティアの出番が皆無になるため、一生懸命に頑張っているのはティアだけである。
「むむむぅ……、いけぇ、氷球! ……あっ、ひょわわぁ、あいた!」
白珠粘液に当たった中級魔法の氷球は、見事に弾かれて彼方へと消えていった。そして攻撃された白珠粘液は元気いっぱいに身体を震わせてティアに襲い掛かっていく。慌てたティアが逃げようとしたところで足をもつれさせて転び、結局後始末は周囲に浮かぶ防御の魔法具が行っていた。
「威力を気にすると狙いがそれて、狙いに集中すると威力が駄目になっているね」
「落ち着けば大丈夫だっていつも言っているんですよ。でも、駄目です」
『これは確かに笑うことしかできないな』
レネの感想にシアリーナがどうしようもないとため息をついた。たまには師匠らしいこともしようと様子を見に来たレネと杜人であったが、予想以上の惨状に微笑むことしかできなかった。
「ううっ、師匠……私は駄目な子です……」
「よしよし、とりあえず休憩にしようね」
泣きべそをかきながら戻ってきたティアを慰め、気分を変えるために大き目の部屋にシアリーナが結界を張って休憩することにした。椅子を取り出し飴をひとつ与えたが、その他は甘やかしになるのでなしである。そしてレネと杜人は楽しそうに飴をなめている二人を見ながら、小声で相談を開始した。
「単に慣れていないからだと思うけど、どうかな」
『それはそうだろう。いくら中級魔法を発動できるといっても、その技量は千差万別だ。正直、素のレネが放つ氷針より劣っているからな』
ティアが中級魔法をまともに扱えるようになってから半年にもなっていない。それで熟練者と同じ威力を出せたならば天才と言って良い。ティアは筋は良いが、一定以上からは中々上達できなくなる普通の人である。
『俺の見立てでは、使う魔法との相性が悪いのだと思う。何となくだが、窮屈に使っているような気がするんだよな』
「相性? 魔法には個々の素質による相性はないよ? 癖が付くと得意不得意はできるけれど、魔法の原理からいって最初から差ができることはないからね。強いて言えば、私みたいに制限があると選択肢がない程度かな」
レネが氷系統を好んで使うのもその他の系統が不得意なのではなく、少ない魔力を効率的に運用しなければならなったときの癖である。
現在の魔法陣を用いる魔法は憶えてしまえば一律なので、個々の相性が影響するものではない。原初魔法や武技では得意不得意が出やすいが、それでもきちんと想像さえできれば発動するので、魔法そのものの相性ではないのだ。
杜人もその点は知識として知っている。しかし、ティアに関しては少し異なるため補足を入れる。
『少し違う。すぐ近くに手本となる魔法を簡単に使うレネが居るから、どうしても比べて落ち込むのだと思う。あのように使いたいのにまったくできない、とかな。その点での相性だ。だから、ティアは氷系統以外の、レネがあまり使わない系統のほうが伸びると思う』
「……そっか。届かない目標に歩き続けているようなものなんだね」
今はまだ、伸び代があるから頑張れる。しかし、これから成長して限界が見えたとき、届かないと知ったときに、このままでは折れてしまうかもしれないのである。
『理想としては、比較ができないようにあまり使い手が居ない系統が良い』
「となると……、光系統かな。最初はみんな選ぶんだけど、こう、想像したのとの違いに止めていくんだよね。天級まで使えるようになれば物凄く強い系統なんだけど、大抵はそこまで届かないから専門の使い手は少ないよ。けど、どうかな……とにかく攻撃力が無いんだよ」
光系統天級魔法『崩滅光珠』は問答無用で範囲内にあるものを消去する。物語などでは切り札として登場するので憧れるのだが、特級より下の魔法は『何か違う』と思ってしまうものなのだ。
初級は明かりを灯す『灯明』、中級はもっと明るく目潰しにも使える『光珠』、上級は更に明るく遠方へも一瞬で届く『光覇槍』。ちなみにどれも威力という面からすると無いに等しい。特級でようやくそれなりになる系統である。幻も光系統であるが、使い手によって変化するので大きく纏められているだけである。
『ふむん? 使い方によってはほんの少しでも凶悪なんだがな。……レネ、こういう魔法は組めるか? 物体を透過する細い光を複数出して、狙った一点に集束させるものなんだが』
「ん? ……うん、大丈夫。この程度なら多分初級に収まるよ。相変わらず変なものを考えるね」
レネは手帳に書き込みながら答える。魔法は術式を考える者の常識に縛られる。それ故に自然現象を模したものや想像しやすいものは作りやすい。逆に、目に見えず想像しにくいものは作れても発想できないため、ほとんど存在しない。そのため『光が物体を透過する』という発想は、常識の壁に阻まれて出にくいのだ。
この発想はガンマ線ナイフからのものである。光は電磁波、ガンマ線も電磁波のようなもの。ならばできるだろうという実に曖昧な知識による産物であるが、魔法に物理法則を求めてはいけないことはよく分かっているので複雑に考えないことにしていた。
一方、手帳に書き込みを行い始めたレネを見たシアリーナは、少しだけ口の端を上げてティアに話しかけていた。
「ねぇ、姉様が何か書いているよ。……きっとあまりの不甲斐なさに、もう無理って断るための案を考えているのかもしれないよ?」
「うぇ!? そ、そんなことは……」
「うん、ありえないね」
「……うぅぅ、リーナのばかばかっ」
「うふふふふ……」
もちろんありえないと理解しているからこその冗談である。そんな仲良い二人を放置しながらレネは術式を完成させた。仕組みも複雑ではないので、実験しなくても大丈夫である。
「名称は……透光集滅で良いかな。本数を変えれば初級から天級まで変わるから、使いこなせれば便利な魔法だと思うよ」
杜人は光を集めて焼き切る魔法を考えたのだが、レネは光を集めて『その部分を消し去る』魔法を作った。要するに、崩滅光珠の限定版である。ここにも発想の違いによる齟齬が発生していた。だが、言葉にしていないので双方気付くことはない。
「これを教えれば良いのかな?」
『ああ、師匠から他に使い手がいない特別な魔法を教えられて、喜ばない弟子は居ない。後はティアなら自ら努力すると思う。そうだな……ティアのために作ったと言えば、喜んで練習するだろう』
透光集滅は集まる本数で威力が決まるため、制御のみに集中することができる。まだ複数のことを同時進行で処理するのが苦手なティアでも、それなりに使える魔法となっていた。
そして説得のための詳細を打ち合わせし、準備ができたところでレネは立ち上がってティアに近づくと、持ってきた椅子を置き正面に座った。
「ティア、今後の方針について話があります」
「はひ!?」
「あれ?」
冗談と思っていた内容と似たことを言われたため、ティアは驚いて姿勢を正し、シアリーナも意外そうにレネを見つめる。レネはその様子にそんなに驚くことだろうかと思いながら、安心させるために微笑む。
「ティアは今、氷系統を主として使っているけれど、何か理由はあったりするのかな?」
「……えっと、師匠に教えて頂いたものだからです」
『ああ、なるほど。納得の答えだな。これなら一番で良いだろう』
弟子が師匠に憧れるのは当然なので、想定の範囲内である。そのためレネも落ち着いて話すことができた。
「ありがとう。でもね、それにこだわる必要はないの。重要なのはティアに合った魔法を使うことで、私の後追いをすることではないからね。実際私が氷系統を使うのも、少ない魔力でどうにかしようと苦心した結果であって、何かこだわりがあるわけではないから。今使っているのも、単に使い慣れて癖になっただけだからね」
「そう、なんですか……」
まずは軽く価値観を揺さぶる。実際その通りなので、言葉に軽さはない。そのためすんなりとティアの中に入っていく。
「うん。だからティアには自分で一番良いものを選んで欲しい」
「えっと、……はい」
『素直で大変結構。このまま行こう』
予想通り、ティアはいきなり自分で選べと言われ困惑し不安そうな表情となる。ここで重要なのが『自分で選ばなければならない』と思わせることなのだ。そのためレネは安心させるために頭を撫でると、明るめに声を出した。
「といっても何もなしだと迷うだけだから、ひとつだけティアのために考えた魔法を教えます。これを足がかりにして考えれば楽だと思います。……透光集滅」
「おおっ」
「わ……」
レネは振り向くと魔法陣を構築し、結界の外に発生していた白珠粘液に対して魔法を発動した。すると魔法陣から三条の光がばらばらに飛び出し、白珠粘液の近くでいきなり鋭角に曲がって貫いた。そして一瞬体内で光珠が形成され、その部分を消し去って消滅する。
結果、光に貫かれた白珠粘液は力を失ったかのようにだらしなく床に広がり、やがて魔石を残して消えていった。
「姉様、今の光系統?」
「そう。集束させる光の本数を変えれば、威力を自在に変えることができます。今のは初級相当ですね。集束は術式に組み込んでいるから、意図して解除しなければ意識する必要はありません。使い慣れれば天級相当の威力も出せますよ」
「すごい……」
『上出来だ』
シアリーナは知らない魔法だったため先程の書き込みはこれかと感心し、ティアは尊敬の眼差しを向けている。選べと言いながらも特別な魔法を教える。これによってティアの意識を光系統に誘導していた。
「ただ、内部で集束するので、対象の内包魔力による減衰や障壁などで防がれやすいです。ですから、強い魔物にはそれなりに強化しないと通用しないので注意してください。それでは術式を教えるので魔法書を貸してください。それと、まだ登録していないので術式を誰かに見せては駄目ですよ」
「はい、ありがとうございます!」
「うん、分かりました。はいどうぞ」
『だはは、これは参ったな』
ティアは元気に魔法書を差し出し、シアリーナも当然のように魔導書を差し出した。杜人はその様子にそれもそうだと苦笑し、レネもそうだよねと思いながらティアが気にしていないようなので二人に教えることにした。
そして術式を書き写してから、さっそく練習に入る。今現在のティアのやる気は青天井である。
「行きます! ……透、へ……光集……へくち! あ、あっ、あわわ、ひゃん!」
「あはは! だから慌てると駄目だって言ったでしょ」
「うぅぅ……、次はうまくやるからね!」
ティアは見守られながら魔法陣を構築し、最後の最後でくしゃみをして霧散させてしまった。そして近づいてきた白珠粘液から逃げようとして盛大に転ぶ。それをシアリーナが笑いながら助ける。
そんな楽しそうな様子を、少し離れたところから杜人とレネは観察していた。
『笑いに身体を張るとは芸人の鑑だな』
「違うでしょ。……大丈夫そうだね」
『これならすぐにでも習得するだろう』
失敗してもめげないティアに、レネと杜人はこれなら大丈夫と微笑んだのだった。