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黒姫の魔導書  作者: てんてん
最終章 天に在りしは星の煌き
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第02話 逃げられない選択

 まだ夜の闇も深い時刻。魔導書の中に居た杜人は、静かに外へ出てきた。レネは既に夢の世界へ旅立っているので、うるさくするのは論外である。そのため無言のまま暗い部屋を移動し、寝ているレネの枕元へゆっくりと着地した。


「すー……」


 まずはじっくりと観察し、きちんと眠っていることを確かめる。その結果、口が半開きになって涎が少し垂れていたので、完全に眠っていると判断した。


 次に不可視念手を発動し、静かにレネの頬に近づける。そしてゆっくりと押し込み、素早く引っ込める。それを繰り返し、目覚めないことを確認してから心置きなくぷにぷにとつつき始めた。


『うむ、実に良い。これこそぷにぷにと言うのだろう。ぬふふ……』


 前までは朝の拝礼が日課であったが、最近レネの反応が変わってきたので空気を読んで取り止めていた。その代わりとして行っているのがこれである。さすがに毎日ではないが、癖になる感触のため杜人はこっそりと継続していた。何もしないという選択肢がないところが、杜人たるゆえんである。


「うみゅぅ……」


『ぬぉっ』


 レネが身じろぎしたため、杜人は素早く飛び退き距離を取る。そして目覚めないことを確認してほっと胸を撫で下ろすと、今日はここまでとした。


『ふぅ、レネニウム補充完了。これでまだ戦える……』


 誰にも理解してもらえない意味不明なことを呟きながら、ありがたやと拝んだ。その後にハンカチを掴んで涎を優しくふき取り、乱れた布団を直してから枕元を離れる。そしてそのまま魔導書の中に入り、いつも通り朝まで研究の続きをするのであった。






 魔法書作成の資金調達のために迷宮通いをしているレネと杜人であるが、階層も深くなったため事前にある程度調べてから行くことにしている。


 そういうわけで、杜人の従者であるジンレイが作り出した和室にある座卓へ資料とノートを広げながら、二人で話し合っていた。少し離れたところではシャンティナが出されているシュークリームを無言でほおばっている。そこに家令として一分の隙もない姿をしているジンレイが出現し、熱いお茶を座卓に置いて行く。


「どうぞ。少し熱めですのでお気をつけください」


「ありがとう」


 ジンレイは一礼すると下がり、姿を消した。ジンレイはこの空間そのものと言って良いので、居続ける必要はないのである。


『次は第六十一階層か。……これまた生存が厳しい階層だな』


「でも実入りは良いよ。それにこの階層は氷系統が真価を発揮できるんだよ」


 第六十一階層は開放型迷宮であるが、素のまま行けば生きられない環境となっている。大気が熱いので水晶柱の広場を抜けると焼け爛れて死んでしまう。熱対策をしても、大気が有毒のため呼吸すれば死ぬ。出てくる魔物も火系統のため、下手な対策では戦うことさえできないのだ。


「ええと、探索者は色々装備が必要みたいだね。普通の装備だと熱で劣化するから火耐性は必須。鉄製品だと火傷するから、最低で断熱処理した真銀製。持続性の解毒薬と火耐性の魔法薬を飲まないと駄目。しかもお金を惜しむと、もれなく自分に跳ね返ってくる。……これはきついね」


 魔法使いであれば障壁ひとつで事足りるが、満足できる効果を持たせた魔法具を作るとなると恐ろしい金額となる。そのため大部分は安く済む方法を使っているのである。


『なら、この階層用の装備を安めに作れれば、もしかして売れるか?』


「売れると思うよ。考えてみる?」


『急ぎの用もないし、損をするわけでもないから対策がてら考えてみようか』


 深い階層に入れるようになって実入りは良くなっているのだが、比例するように出費の額も多くなっている。もはや辿り着けないような気がしないでもないが、諦めたらお終いである。そのため金策の手段は多いに越したことはないので、杜人とレネは迷わず考え始める。


『まずは、命に直結する生存に関する方法を考えよう。一番楽なのは特化障壁の魔法具だが、それでは駄目なのか?』


「駄目というより、最低でも特級の障壁じゃないと用を成さないから高価で手が出ないんだと思う。効率を考えるなら封入式が良いけれど、特級になると作れる人が減るからね」


 あまりの熱さに、上級の強度ではすぐに効果が無くなってしまうのだ。そして上級魔法までは使える者がそれなりに居るが、特級となると一気にその数は減る。フィーレ魔法学院の卒業者と同等基準の実力が必要なのである。そのため道具そのものを作れる職人は居ても、封入できる魔法使いは少ない。


『なるほど……』


「安くするなら、上級魔法までで組まないと駄目だね。できるかな……」


 杜人とレネはしばらくの間無言でお互い案を練りあう。レネは術式の改良を行い、杜人は使用方法の検討だ。


「……うん、無理だね。最低半日は持続しないと駄目だろうけれど、その半分も持たない。複数持てば可能だけど邪魔だろうね。負荷は大きめに算定したけど、それでも短かすぎるよ」


『そうか。……では複数重ねたり、逆に内側から冷却したりするのはどうだ?』


「んー、重ねがけはできるけど、安心できる数を展開するとなると高価なものになるかな。冷却はどうだろう……。基点が魔法具だから、直接だと装備者が凍えそうだね。それに揺らぎもあるだろうから、快適温度にしていると対応できないと思う」


『駄目か……。結局、長年の知恵のほうが勝っていたか』


 レネと杜人は揃ってため息をついた。ぱっと考えて検討したわけだが、改めて考えると現状の方法は良くできていると思い知らされる。そのためもう一度揃って深々とため息をついた。


『熱放射を何とかできれば、真空遮断で対応できそうなんだがな……』


「なにそれ?」


 ぽそりと呟かれた内容を聞き、レネは知らない知識の予感に笑顔で身を乗り出し、杜人はのけぞりながらしまったと頬を引きつらせた。そしてこのままではまずいと思い、専門家ではないのでうろ覚えの知識を引き出しながら手早く説明する。


『簡単に説明すると、熱の移動には触れ合ったものから伝わるもの、熱を持った空気などが移動するもの、光のような形で移動するものがある。このうち最初の二つは空気が無ければ伝わらないが、最後は何かで遮らないと真空中も伝わる。視界を確保しなければならないから防げないんだ。炎に手をかざすと温かいのがそれだ』


「ふむふむ……む、そうみたいだね」


 説明を聞いたレネは簡単な術式を組み上げてあっさりと実験してみた。結果、閉じ込めた炎の熱を感じ取ることができたので納得し頷く。電磁波や遠赤外線などを説明し始めたら時間がいくらあっても足りないことは確実であった。そのため杜人は地獄の責めを受けずに済んでほっと胸を撫で下ろした。


「けど、だいぶ障壁にかかる負荷は減っているから上級でも大丈夫かも。空気を遮断するだけなら負荷が小さいからこっちは大丈夫。直接遮断しなくても熱を遮る方法があるんだね」


『そうか? なら内側に障壁をもうひとつ足して、そこで念のため冷却してみるか。最初は大気を遮断して、二枚目も大気を遮断、間は真空にする。三枚目は大気を入れて間の空気を冷却する。後は内部で窒息しないようにすれば大丈夫じゃないか?』


「それなら障壁の負荷を分散できるね。取りきれない分は弱い耐熱障壁で取り除けば良いかな。二重にすれば万が一のときも安心できるんだけど、できるかな……」


 レネは案を元に再度術式を組み上げる。杜人はその間に資料を見ながら攻撃手段の案を考えていく。


「普通の障壁と干渉するね。こちらにも同じものを付与しようかな」


『そのほうが勘違いしないだろうな』


「ちょっと内側が寒すぎるかな?」


『もうひとつ張って遮断してみようか』


「浄化と循環と生成、後は……」


『密閉するから臭い取りも忘れるなよ』


 そして簡単な実験を繰り返しながら何日か考え、満足できるものができたところで実証実験に入った。


 環境はジンレイが再現できるが、当然危険なので実証試験はジンレイが行うことになった。失敗するとは思っていないが、失敗してもジンレイは死なないのでその点は大丈夫なのだ。


 ジンレイは実験領域を新たに設け、レネと杜人が安全な位置から観察できるように設定し、周囲には観察用に氷や濡れタオル、植物、革製品が置かれている。


「では始めます」


 レネと杜人が固唾を呑んで見つめる中、ジンレイは魔力結晶に封入した術式を発動させ、実験領域の環境を変えた。すると陽炎が立ち上るように視界が歪み、濡れタオルからは水蒸気が立ち昇り、植物は一気に萎びていった。革製品も熱で変色し始め、氷も音を立てて解け始めている。


「うわぁ……」


『なんとまあ……』


「資料より高めに設定していますので、実際はもう少し穏やかでしょう。私のほうは今のところ大丈夫です」


 陽炎の中を歩きながらジンレイはポケットから取り出した魔石を合言葉と共に前方に放り投げる。


「氷結せよ」


 魔石はそのまま床を転げていったが、しばらくすると強烈な輝きを放って周囲に氷の花を咲かせた。効果範囲の直径はレネの五歩分ほどだが、上々の結果に杜人は満足そうに頷いている。魔法弓でも同様のことは可能だが、道具が増えてかさばり、繰り返し使うには高価なため簡単に使える専用品をと考えたものがこれである。


 安い魔石を使い捨てにしていて、レネが術式を省力化しているため威力の割に安価に製造できるのが強みだ。投擲しないと駄目なことと、合言葉を言ってから発動までに結構時間があるのはわざとである。


『こっちも良さそうだな』


「そうだね。威力も十分じゃないかな」


 氷系統が真価を発揮する階層ではあるが、とにかく熱いので威力も減衰する。そのため簡易結界も組み込んで一気に効果範囲内を氷結するようにしていた。


 そしてそのまま継続して障壁の実証実験は続けられ、物理攻撃などの負荷を与えながら修正を繰り返し、遂に通常負荷であれば丸二日継続起動できることを実証した。通常は日帰りなので、負荷が倍になっても耐えられる計算である。そしてこっそりと第六十一階層にいって最終確認を行い、不具合が出ないことも確認した。


『素晴らしい。これは売れる!』


「うんうん。さ、頼みに行こう!」


 レネと杜人は自画自賛しながら満足げに笑い、製作依頼のためにダイル商会へと向かったのだった。






「これですか……」


「駄目ですか?」


『おやぁ?』


 ダイル商会の応接室にて喜び勇んでリュトナに説明を行ったのだが、いつも通りの優しい微笑を浮かべているものの反応は芳しいものではなかった。そのためレネと杜人は予想が外れて首を傾げる。


 ちなみに、誰が見ても腹黒商人である商会長のダイルはこのところ忙しいようで、レネの相手はリュトナが専属で行っていた。


 リュトナは説明書を読み終えると、申し訳なさそうに微笑みながら理由を説明した。


「実は、似たような発想で過去に魔法具が作られたのですが、高価であったり途中で効果が消失して安定しなかったりということがあり、全く売れなかったのです。不具合は命に直結するので、確立した安全な方法がある以上、乗り換える人が居るかが現時点では全く読めないのです。品物自体は素晴らしいものであると分かるのですが、だからといって売れるわけではありませんから」


「あー……」


『それもそうだ……』


 製作中は気付かなかったが、使う側からすれば当たり前の理由である。併用すればと思うが、それを決めるのは使う側なのだ。見事な皮算用にレネと杜人はため息と共に浅はかさを反省する。誰でも良くある『作っている最中は素晴らしいものと感じる』病であった。


 ここで話が終わるのが普通の商人である。しかし、腹黒ダイルに鍛えられたリュトナは普通ではなく、儲け話を放り出すつもりは毛頭なかった。


「……それでも売る方法はありますが、実行致しますか?」


 リュトナが瞳の奥を一瞬光らせてにこやかに尋ねる。絶望後の希望であるため、ここで聞き返さない選択を取れる者はまずいない。当然レネも何となく嫌な予感を覚えながら問い返した。


「具体的には何を?」


『ああ、あれだな……』


 杜人は予想が付いたので楽しそうに笑い、リュトナも笑みを深める。そのためレネは背中に汗をかきながら選択を間違えたような気分で待った。


 そしてリュトナは見つめたまま十分に溜めてレネの緊張が高まったのを見計らい、にこやかに方法を説明し始めた。


「要するに、不安を取り除けば良いのです。レネ様が実際に使ってみせれば、誰もが注目します。言葉で説明するより、使う者達に見せつければ簡単に解決します」


「……」


『そうだよな。それ以上説得力がある方法はないよな。これも資金調達のためだ。頑張れよ』


 杜人は絶句して固まっているレネを慰めるが、その顔は笑っている。リュトナは返事を待たずにさらさらと契約書を作成すると、レネに差し出した。


「それではいつも通りですが、よろしくお願い致します」


『ぬふふ。宣伝の方法は任せておけ』


「……頑張ります」


 このままでは売れないと予想されるものを自ら持ち込み、売れる方法を提示してもらったのに恥ずかしいからという理由で断るわけにもいかず、レネはいったい何をするつもりだろうと思いながら契約書にサインをした。


 当然リュトナは、分かっていて話を組み立てた。そして足元を見る商人ならここで己が有利になるように不安を煽り話を誘導して契約を交わすが、そんな目先の利益に飛びつくようなこともせずいつも通りの契約を交わした。素直なレネを思わずからかって楽しんだのはご愛嬌である。


 見た目は全く似ていないので勘違いしやすいが、リュトナの内側はとてもダイルに似ているのであった。


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