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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第1章 言の葉は紙一重
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第13話 天然爆弾の恐怖

 朝、レネは身だしなみを整えると食堂に行き朝食を食べていた。


『今日はパンスープとゆで卵か。やはり朝は軽いものが多いな』


「……そうだね」


 杜人が明るい声で話題を提供しても、レネは緊張しているのかいつも通りに反応をしない。


『そんなに緊張しなくても大丈夫だぞ。最悪は喧嘩してもかまわないのだから』


 杜人の見立てでは、むしろ一回爆発させて思いっきり喧嘩した方が解決が早い気がしなくもないが、今それをやると確実に後を引くので、現時点でその選択肢を選ぶのは本当に最悪の場合だけである。


「でも、せっかく屋外の訓練場で練習できるのに台無しにしたくない」


 いくら杜人が通訳するとはいえ、もはや顔を見ただけで嫌な気分になる相手と長時間話をしなければならないので、レネの心は沈んでいる。


 実際には嫌うことによって心の自己防衛を行っている分もあるのだが、気が付くようならここまでこじれていない。誰だって思い出は綺麗でいてほしいのだ。


 レネの複雑な心の内側を推測することしかできない杜人は、防衛本能のことは推測できてもその深さまでは分からない。かといって放置はもはやできないので、現在は良くなることより最悪の事態を回避するために動いている。目標はせめて挨拶程度は緊張せずにできるようになることだ。


『一回だけでは無理だろうな……』


 短い間だがレネを観察してそれなりに理解してきた杜人は、覚悟を決めて綱渡りに挑むのであった。






 レネは朝食を食べ終えてから屋外の訓練場に向かったのだが、時間はまだだいぶ早い。そのため良い場所を確保しておこうと、久しぶりに来た訓練場を見回した。


 多くの学院生が練習する場所なだけあって、杜人の感覚では野球場何個分なんだろうと思うくらい広かった。それでも大規模な魔法を練習するためにはまだ足りないのだ。そのためいつも満杯であり、確保するために成績が同じ順位程度の者達の間でいつの間にか場所が振り分けられていた。


 そこに割り込むことは規則違反ではないが、確実に嫌がらせはされる。残念ながらレネは順位による暗黙の了解は通りすがりに見かけて知っていたが、横の繋がりに関しては見ただけでは分からなかったため関係なく場所を選ぼうとしていた。


 訓練場には常設の結界にて区分けがされているので、そこが練習できる範囲となる。大きさは様々なので、練習に適した大きさを選ぶのが普通である。


『広いな。……ん? レネ、あれはエルセリアじゃないか?』


「え? ……本当だ。なんでもういるの?」


 杜人が示した方向には、確かにエルセリアが立っていた。その場所はかなり広い区画で、ほぼエルセリア専用になっているところだった。遅く来た時に場所取りでレネが困らないようにと早朝から待機していたのだ。この辺りの気遣いがなかなか通じないのがエルセリアの特徴である。


 予想外のことに多少動揺しながらも、深呼吸をしてゆっくりとその場所へ向かう。


「最初はにこやかに、最初はにこやかに……」


『おいおい……』


 杜人はぶつぶつと呟くレネの様子に思わず天を仰ぎたくなりながら、予想よりかなり頑張らないと駄目なことが分かって頭を抱えた。


「おはよう。早いね」


 レネは自己暗示が効いたのか、引きつり気味だがなんとか笑顔と呼べる顔で挨拶ができた。そんなレネにエルセリアは当然喜び、意気込んで挨拶を返した。


「おはよう。この程度はいつものことだから。それにレネが迷うと思ったの」

(遅いのね。先に来るのが普通では?)


 いつもよりはっきりと、まるで二重音声のように感じられる隠れた副音声に、杜人は思わず天を仰いだ。口調は嬉しさによって当初より多少くだけていたが、それによって逆に皮肉度が増している。


『ええと、ここの使用方法に慣れていないレネに喜んでほしいから、早目に来て確保していたんだ。……落ち着け、深呼吸だ』


 拳を握りしめたレネに声をかけながら杜人はため息をつく。なぜもう少しゆったり柔らかく言えないのかと杜人は泣きたくなった。それだけで印象はだいぶ良くなるのにと伝えたいところだ。


 レネは杜人に言われたとおり深呼吸を行い、杜人の声のみを反芻して心を落ち着かせる。


「気を使ってくれてありがとう。それじゃあしばらく場所を借りるね」


「ええ、どうぞ」

(無駄でしょうけど)


『自由に使って良いですよ』


 杜人はさすがにこの程度は良いだろうと思ったのだが、今日のエルセリアの声には普段より力がこもっているため、心への突き刺さり方も鋭さを増している。そのため万が一を考えて通訳をすることに決めた。


『それでは最初に攻撃試験の方を試そうか。こちらは慣らしだけで済むと思う』


「うん。……耐えられるかな」


 準備をするためにエルセリアから離れたレネの呟きに、杜人は耐えてくれとしか言いようがなかった。今日は予想より言葉の持つ破壊力が増しているので、うまく誘導できるか自信が持てないのだ。


(失敗した。まさか気持ちが入ると余計酷くなるとは思わなかった。ずっとうまくいって調子に乗ってしまったか……。仕方が無い、作戦変更、最終目標は現状維持だ)


 早々に綱渡りは不可能と悟った杜人は今回分の関係修復を完全に放棄し、致命傷を避けるための方策を考えるのであった。






「……炸裂氷針」


 魔法の発動とほぼ同時に爆発して砕け散った的を見て、エルセリアは小さく拍手をしている。さすがに集中して練習している最中に声をかけるようなことはしない。それでもレネが展開した魔法陣を見て、そこに知らない術式が使われていることを理解したので、そのことについて話したくて堪らなくなっていた。


 杜人は過去の話からエルセリアもレネの同類だろうなと推測して観察していたため、エルセリアが魔法陣を食い入るように見つめていることに気が付いていた。


『レネ、エルセリアは術式について確実に聞いてくるぞ。おそらく始まると長くなるから、試験が終わってからゆっくり話しましょうとでもしておいた方が良いと思う』


「そう、だね。私も知らない術式を見たら聞くだろうから……」


 一緒に術式を構築して遊んだことを思い出して、レネは小さく首を振った。それまでの立場を奪ったとは言わないが、レネにとっては裏切られたことに繋がる記憶である。思い出したいとは思っていない。


『それはともかく、攻撃に関しては問題ないな。発動率も命中精度も許容範囲内だ。さすが俺。短い間にここまで成長させるとはなんて素晴らしいんだ!』


 杜人はびしりと片腕を上げて勝利のポーズを決める。


「こらこら、努力したのは私でしょう。偉いのは私だよ」


 重くなり始めた雰囲気を吹き飛ばすためにわざと茶化した杜人に、レネも微笑んで答える。ここまでは実に良い雰囲気だった。


「お疲れ様。レネ、あの魔法に使われた術式について教えてくれないかな」

(聞いてあげるから、早く教えなさい)


『ぐぁ、知らない術式を使っているなんて凄いね。私にも教えてほしい!』


 油断していたので通訳が一拍遅れになってしまった。その分強めに言って挽回を図った。そのおかげでなんとか耐えたレネは、硬い笑みで先程言われたとおりの言葉を紡いだ。


「長くなるから、試験が終わってからゆっくり話そうよ」


「それもそうだね」

(役立たずね)


『試験後が楽しみだね!』


 杜人は精神力が音を立てて削れる感覚を味わいながら、半ばやけくそで通訳する。これならレネとの関係がこじれるのも当たり前だと、思い込みだけではなかった事実に頭痛がしてきていた。


 きっとエルセリアは喧嘩した当初になんとかしようと気合いを入れて話をしたに違いなく、そしてそれは鋭い刃となってまだ柔らかかったレネの心を引き裂いたのだろうと推測し、杜人はレネの現在の態度にとても納得した。


 もはや長く話せば話すだけこじれるしかない状態であり、泣き言を言うつもりは無いのだが思わずもう帰るかと言いたくなる酷さであった。頼むから普段程度で勘弁してくれと、誰にともなく願わずにはいられない心境だ。


 レネは硬い笑みのまま区画の端にある固定設置型の魔法具を操作して操作試験用に設定を変える。この区画では遠隔操作できる魔法具があるのでわざわざ歩いて配置する必要は無い。盤面に付属の駒を置くだけで対応した場所に的が発生するので、レネは過去の試験を参考にして的を配置し練習を開始した。






『思ったより氷針の命中率が悪いな。どの辺りまであらかじめ術式を組み込んでおけるかが決め手になりそうだが……。それとも持ち替えをするか?』


 現在は通常の氷針を用いて近傍の的を狙っているのだが、炸裂氷針の有効射程よりだいぶ短い距離で当たらなくなっていた。


 杜人からの魔力供給の補助を受けるには、魔法書を取り込んで複製品を使わなければならない。その場合は灯明を使えないので、持ち替える必要があるのだ。問題は使用感が一気に変わるので安定しにくいということがある。


 術式をあらかじめ組み込めば、その分レネの負担が減り処理がしやすくなる。反面消費魔力量が増えるので、全てを委ねることはできない。この辺りの割り振りが悩ましいところとなっていた。


「あっちに慣れると、今までのものがどれだけ安定していなかったかよく分かるね。こっちにただ回転を加えても軸がぶれて意味が無いし、形を整えるまでやると魔力が足りなくなるし……」


 レネはため息をついて肩を落とした。現状では普段練習していない長距離を狙うと、一気に安定しなくなっていた。それを狙おうとすると今度は時間がかかることになるので、普通の氷針を使う意味が無くなってしまう。届かない場所は灯明を使う予定なのは変わらないが、動きが遅いのでできるだけ減らしておきたいのだ。


『とりあえず灯明を遠くの的から当ててみて、どの程度時間の余裕があるか測ってみよう。もしかしたらそれほど遠くを狙わなくても済むかもしれない』


「そうだね」


 レネは灯明を発動すると近傍の的を経由しながら奥へ動かしていく。こちらはとりあえず良さそうなので、杜人は問題が発生しそうなエルセリアを確認する。


 予想通り、またもや知らない術式を見たエルセリアはレネの展開している魔法陣を凝視していた。


『何というか……、目を合わせたら心臓が止まりそうだな』


 何も知らなければエルセリアがレネを睨み付けているとしか思えない視線だ。そのまま観察を続けていると、エルセリアはにやりと音が聞こえそうな笑みを見せた。


『どう見ても悪いことを考え付いたようにしか見えないが、おそらく後でと言ったから楽しみが増えたと喜んだのだろうな……。しかし、これでよく孤立しないな』


 杜人はわけが分からず腕組みをして首を傾げた。こんな状態になるのであれば、レネ以外にもやらかして嫌われ者になっていてもおかしくない。ところが杜人が観察した範囲では、そのような様子は見られなかった。


 現在もレネ達の様子を見る者が居るが、その視線は単に珍しい組み合わせだから程度のものしか感じられない。


『今は置いておくか。しかし、どうすれば良いのだろうな……』


 うまい方法が思い浮かばず、杜人は深々とため息をついたのであった。





 一方、レネの方はと言えば、背中に感じるちくちくとした感覚に背筋を震わせながらなんとか灯明を動かしていた。


「この程度は試験なら当たり前、当たり前……」


 念じて誤魔化しながら操作を続けるが、どうしても実習室の時より上手に操作できなかった。その様子を観察し終えた杜人が見て、さもありなんと頷いていた。


 そしてそんな状態ながらなんとか繰り返して計測した結果、現時点ではほとんど時間の余裕が無いことが判明した。


『微妙だな。これなら最初に中間地点を経由しながら遠方の的を処理して、最後に近くを狙った方が良いかもしれない。隠れた的は灯明頼りになるから、次は先行して処理してみるか』


「うん。試験だともっと緊張するのに大丈夫かなぁ」


 レネは肩を落として呟く。それに対して杜人は明るい声で答えた。


『少なくとも攻撃試験は大丈夫だから、そんなに気にしなくても良いぞ。いざとなったら隠していた奥の手を披露してレネの度肝を抜いてやろう! ……完成したらな』


「……、期待しないで待っているよ。良し、やろう!」


 レネは最後にそっと目をそらして呟かれた落ちに顔をほころばせ、気持ちを切り替えて練習を開始する。そんなレネの様子を観察しながら、とりあえず気持ちを上向きにできたことにほっとした杜人であった。






 結局お昼近くまで繰り返し練習を行い、視線にも慣れたために最初よりも安定した成果を出して屋外の訓練場での練習は終了した。後は最後の試練を乗り越えれば良いだけである。


「今日はありがとう。おかげでだいぶ上達できたよ」


「それなら良かった。早く来た甲斐があったね」

(この程度でねぇ)


『頑張っていたからね! ……深呼吸だ、深呼吸!』


 なぜか朝より酷くなっている副音声に顔を引きつらせながら、杜人は拳を握りしめるレネに慌てて声をかけ平静になるように宥める。それによってなんとか感情を抑えたレネは、棒読みで決めていた台詞を声にした。


「それじゃ、用事があるから行くね。さよなら」


「え? ええ、さようなら……」


 さすがに最後の挨拶には副音声は聞こえなかった。レネは急いで踵を返すと、一目散に逃げていった。そんなレネの背中に向けて、エルセリアは残念そうに小さく手を振っていた。








「……」


『平和だ。なんて素晴らしいんだ』


 部屋に逃げ帰ったレネは、鞄を机に置くとそのまま寝台に倒れ込んだ。杜人も机の上で大の字に寝転がり、気を抜ける静けさを堪能していた。


 結局、練習中にエルセリアが話しかけてくることは無かったが、じっとりと見つめられていることは分かっていたので、いつ何を言われるかと常に気を張っていなければならなかったのだ。


「もう、無理……」


『ああ、俺の見通しが甘かった。よく耐えてくれたな。おかげで弱点を洗いだせたから、少しは合格確率も上がったはずだ。つまり、目的は達成できたということだ。だから後は通常の練習で頑張ろう』


 レネはため息をついてのろのろと身を起こし、窓の外を見つめる。杜人も起き上がってあぐらをかいた。


「うん。手応えは感じられたから、やっぱりやって良かったと思う。私だけでは絶対に無理だったから……、ありがとう」


『どういたしまして、だ。……昼食はもう少し休んで気力が戻ってからにしよう』


 レネは疲れはてた杜人の声に苦笑し、頷くともう一度横になった。レネも緊張して疲れていたので、ほんの少しだけと思って目を瞑る。


 しばらく静かな時間が過ぎ去り、ようやく気力が回復したところで杜人はレネに声をかけた。


『そろそろ行くか? ……寝てしまったか。まあ、少しなら良いか』


 いつの間にか本格的に寝息を立てているレネを見て、杜人はよく頑張ったと笑みを向けた。そしてそのまま寝かせることにして杜人は魔導書の中に入り、念のための準備に勤しむのであった。






「はぁ、昼食には誘えなかったな……。でも用事があるなら仕方ないよね」


 夜、エルセリアは昼間の様子を思い出しながら寝台を嬉しそうに転げまわる。色々話そうと考えていたことが無駄になったわけだが、そんな些細なことはもう忘却の彼方である。


「レネが笑ってくれた……」


 実に幸せそうな笑みを浮かべて枕を抱きしめる。その様子を杜人が見たならば、最初からそうしろと激しく突っ込みを入れたくなるくらい優しい笑顔だった。


 杜人は孤立しないことを疑問に思っていたが、エルセリアの言葉が刃になるのはレネに対してだけである。これは、エルセリアにとって絶望していた時に手を差し伸べてくれたレネ以外は、ある意味でどうでも良い存在となっているからである。


 だから緊張することはなく、表情も声音も思いどおりに作ることができる。何かを質問されてもどうでも良い存在なので意地悪せずに答えたりもしていた。これはそのほうが生きるのに楽であり、積極的に立場を悪くする必要が無いためである。そのためエルセリアは容姿も伴って結構人気があった。


 逆にレネはとても大切な存在なので、嫌われている現在はいつも緊張しながら話をしてしまう。それが余計に残念な事態を引き起こしている原因だった。


「試験が終わればまた昔のように術式の話ができるし、今日はとても良い日だったな……」


 レネは試験が終わってから話そうとしか言っていないのだが、エルセリアの中では既に決定事項である。


 そのまま枕を抱きしめながら、エルセリアは楽しそうな笑みを浮かべたまま眠りについた。


 こうして杜人の作戦は、半分成功したがもう半分は盛大に失敗して終了となった。凡人の賢しい企みは天然には通用しない。杜人は削り取られた精神と引き換えにその真理に至ったのであった。




 試験まで、残り二日。

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