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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第6章 写し鏡のその奥に
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第18話 運命の連鎖

 シアリーナは講義室から飛び出した後、行き先を考えることなく、とにかく学院から遠ざかりたくて町へ出ていた。既に過剰放出は治まっていて、現在は無意識による人避けの魔法が発動している。


(きらいきらいきらいみんなきらい……)


 思考は乱れに乱れ、砕けた想いによって容易に暗い方向へと落ちていく。そしていつの間にか迷宮入口を囲む壁が見える場所まで辿り着き、暗い思考に迷宮の存在が入り込んだ。


 心を巡るものはレネの『間違っても主と戦おうなんて思わないほうが良い』という言葉と、活躍を聞いたティアの嬉しそうな笑顔である。そして心の中で笑顔が嘲笑へと変わり、音を立てるくらいの強さで噛みしめた。


 もはや依るべきものを悉く失い、残るものも消え去りそうになっている。だからこそ残ったものにしがみ付く。


「……私だって、できる。ひとりで……」


 己が何を欲しているのかを自覚しないまま、シアリーナは迷宮へと歩いていった。






 フィリは少し遅れて追いかけ始めたのだが、結局学院内で姿を捉えることは出来なかった。直後は魔力にあてられた学院生が倒れていたのでそれを頼りに追いかけたのだが、それもすぐに無くなってしまったのである。


 そのため周囲にいた学院生に走り去る人影を見なかったかを聞き、寮室に帰っていないかを念のため確認し、町に出たと判断した。


「王城には……行くわけないですね。ならば……」


 シアリーナの行動範囲はとても狭い。そして広い王都と言えど知らない場所にいきなり行くとは考えにくかった。そのため立ち寄ったことのある商店や場所をしらみつぶしに探したのだが、目撃者すら見つからずに強く唇をかんだ。


「まさかとは思いますが……」


 視線の先には迷宮入口を囲む壁が見えている。逃げ込む先としては広大な迷宮は最適であるが、ある意味最悪でもある。そして思い出すのはつい先日聞いた主討伐の話であった。


 フィリは唇を引き結ぶと、全力で迷宮へと向かった。






「本当に迷宮で良いの?」


『騒ぎの痕跡がない以上、聞きまわるのは時間の無駄だ。学院内に居るならエルセリアが何とかするだろうから、まずは悪いほうに想定をしたほうが良い』


 図書館から飛び出したレネは騒ぎの痕跡を確認して移動したのだが、フィリと同じくどこに行ったのか分からなくなってしまった。そこで杜人が即座に迷宮に行くよう指示を出し、レネは現在駆け足で移動中である。後ろにはシャンティナが続き、荷物のティアはたまに変な声を上げているが、付いてくることを自ら選択したのだからと心を鬼にして無視していた。


『聞いた状況から、信じ始めていたのに裏切られた反動で、全てが敵に見えるような思考になっているはずだ。それでも攻撃衝動が無差別に現れておらず、姿も見えないことから隠れたいと思っていると仮定する。この場合は外部を拒絶して部屋に閉じこもることが多いのだが、壊れかけた心を保つために、冷静なときなら考えることさえしない行動をとる場合がある』


「それと迷宮が……あ。昨日の話?」


 与えられた情報が記憶と結びついて、レネは杜人が何を心配しているのかを悟った。


『そうだ。情報から推測すると、己を保てるだけの大きな拠り所は、まだレネより劣っていると認めていないということだけだろう。ではどうすればレネより優れていると示せるか。簡単だ、レネが成しえていない主の単独討伐を果たせば良い。……これでもまだましな想定だ。冷静ではない人の思考を正常に分析しても答えは出ない。己を守るために拒絶するものを排除しようと考えた結果、全部無くなれば良いと考えて町を吹き飛ばしてもおかしくないんだ』


 杜人は理解できるとまずい問題の答えを聞いているため、なぜそうなると考えるだけ無駄だと思っている。そのため状況から、その後を省いて結論を推測している。後のことを心配できるなら理性が働いているということなので、今は想定しなくても良いのだ。


『想定通りなら悠長に作戦を考えている暇はないだろうから、今のうちに説明しておく。封印は第六章を解放可能だ。能力は融合で、個別の魔法を相性に関係なく強制的に統合できる。完全に融合させて新たな魔法を作ることもできるが、それぞれの属性や効果を保ったままひとつにすることも可能だ。考えられる使い方は、弱点属性が変化する魔物に全部を融合させて発動することだな。こうすればどれかが効果を発揮するだろう』


「便利だけれど、魔力消費が激しそうだね」


『世界法則に喧嘩を売っているような能力だから当たり前だ。それだけに融合領域を保てる時間は長くない。焦るほどではないが、使いどころを間違えるなよ。それと後で筋肉痛になるかもしれないが、それだけで済むことに感謝してくれ』


「……仕方ないよね」


 普通ならば水系統と火系統がぶつかれば爆発する。それを起こさせずに相手へ両方ぶつけたり、炎より熱い水に変化させたりできるのだ。その代償がそれだけならば安いものである。


 レネは筋肉痛で動けなかった過去を思い出して力なく笑う。しかし、死ぬわけではないと諦め受け入れた。そして気分を切り替えるために明るめに声を出した。


「けど、融合魔法が実在していたなんて驚いたよ。大賢者様の逸話にあるんだけれど研究してもできなくて、今では見間違えか捏造されたものだろうって言われているんだよね。まさか、本当に大賢者様が作ったとか?」


『ふふふ、ようやく俺がとても素晴らしく優秀だと分かって頂けただろうか。ま、俺はあるものを修復して使っているだけなんだがな』


「それでどうしてモリヒトが優秀になるのよ!」


 意図を理解しておちゃらける杜人にレネも笑顔で軽めにつつく。気楽になりすぎるのも良くないが、深刻になりすぎるのも思考が硬直してしまうのでよろしくない。だから一旦気持ちにひと呼吸入れた。


「単なる偶然だよね。記録に無いし」


『発想は何故か同時期に現れるというしな。後は教えられた誰かが試しに作ってみたとかだな。まさか大失敗したから確認もせずに放置して、記録するのを忘れたなんてことはないだろう』


「そうだよねぇ」


 魔導書がレネの手元に来たときはぼろぼろであった。見事な失敗作であるが、研究者なら確認もしないで放置するとは考えにくい。だから歴史に埋もれるような名無しの研究者だったのだろうと推測した。


 レネと杜人は小さく笑いあい、再びきちんと正面に向き直る。この辺りの呼吸は既に言葉にする必要はない。


『迷宮入口の広場に転移石売りが常駐しているはずだ。出入りを観察しているだろうから、まずは来ていないか聞いてみよう』


「うん。分かった」


 レネは走る速度を更に上げ、間近に迫った迷宮入口へと向かった。





 巨大な迷宮の門をくぐると、階層を結ぶ巨大な水晶が鎮座している広間がある。そしてその地上と繋がる場所には通称『転移石売り』と呼ばれる者が数人常駐している。彼らは広義では魔法使いであるが、狭義では『転移石のみを専門に扱っている商人』である。


 転移石生成は初級魔法のため使える者は結構いるのだが、階層が深くなるにつれて生成しにくくなる。そのため深い階層になるほど転移石は希少となり、人気の階層や到達しにくい階層は高値で取引される。


 このように深い階層の生成には熟練の腕が要るため、それなりに重宝されている。そのため世間では魔法使いと呼ばれない程度の魔力しかなく、一人前になるのを諦めたが夢を捨てきれない者などが転移石売りとなる。


 その中のひとりに、そこそこの腕を持つ壮年の男が居た。男より腕の良い者は深い階層の転移石で小金を稼げ、腕がなくても若ければ体力勝負で数をこなして小金を稼げる。そういうわけで、腕もそこそこで体力勝負もできなくなった男の売り上げは下降の一途であった。


 より深い階層の転移石を作るには一度連れて行ってもらわねばならず、その分の依頼料は持ち出しとなる。そして二つ以上生成できなければ売ることができない。そのためためらっていたのだが、このままでは資金は目減りし博打すら打てなくなるため、現状を打破するために気合いを入れて頑張った。


 まず人気はあるが取り扱う者も多い階層は避け、行きにくく人気もないが取り扱う者が皆無な第六十階層を選び、大枚をはたいて連れて行ってもらった。正直売れるはずもないが、目玉となるものがあれば客は寄ってくる。そのために何日も通ったのだが、なかなか複数生成できなかった。そして半ば諦めかけていた今朝、なんと一気に三つも生成に成功した。


 当然男は喜び、急いで戻ると今までの損を取り戻すべく準備を始める。毎日少しずつ貯めていた転移石を用意し、注目を集めるために購入していた光る看板も目立つように大きな物を設置し、胸を張って堂々と折りたたみ椅子に座って忘れ物が無いかを確認する。そして準備万端に整ったところで遂に売り始めた。


 看板にはでかでかと『第六十階層の転移石あります』と書いてあり、目立つ看板のおかげで客の寄り付きもいつもより多くなっていた。


 そしてその光る看板はその性能をいかんなく発揮し、水晶柱の広間に入ったシアリーナの注目もひくことに成功していた。


「六十……主……」


 転移石を買わなければならないと思ったために無意識の隠蔽が解除され、迷宮にひとりで入るにはまだ早い幼い姿に注目が集まる。そして発せられている狂気を伴った暗く重い雰囲気に、誰もが『あれは関わってはまずい』と目をそらした。


 シアリーナが徐々に高まる感情に身を任せると、気配に背筋を凍らせた探索者達は我先にと道を譲る。こうして道は開かれ、目的地へとゆっくり歩いていった。





 一方、売れ行き好評で上機嫌になっている転移石売りの男はなじみの探索者と会話しながら、これなら持ち出し分も回収できるとほくほく顔になっていた。


「遂に成功したのか。良かったな」


「おかげさまでな」


 そんな幸福を噛みしめていたとき、それまで陽気に会話していた探索者がぎょっとした顔で身を引いた。そのため男が訝しんで視線を横に向けると、そこには無表情の顔に暗い瞳を搭載したシアリーナが居た。


 その瞳を見た瞬間に、長年行きかう探索者を観察してきた男は言葉にならない領域で悟った。


 即ち『決して逆らってはいけない』と。


 そのため笑顔を固まらせたまま硬直し、背中には大量の冷や汗が一気に流れる。それでも倒れなかったのは、今までも荒い探索者とそれなりのやりとりがあったからである。


 そんな男を前にして、シアリーナは転移石を購入するために小さく呟く。


「第六十階層の転移石……」


「どうぞ! お代は結構です!」


「……ありがとう」


 男は音が聞こえそうな速さで転移石を差し出した。価格はいくらなのだろうと考えていたシアリーナは、深く考えることなく無料なのかと受け取る。


「これで……」


 転移石を握りしめ、僅かに口の端をあげる。そしてそれに狂気に似た光を放つ瞳が合わさったため、向かい合っている男の精神は崩壊寸前であった。


 幸いなことに、男の精神が崩壊する前にシアリーナは踵を返し、静かに奥へと歩いていくと転移石を水晶柱に押し付けて姿を消した。そして姿が見えなくなったことでようやく身体の力を抜くことができるようになり、脇に居た探索者と共にゆっくりと息をはき出した。


 大損であったが、後悔はしていない。それにまだ二つある。そのため同じ体験をした探索者と笑いあうと、気を取り直して商売を再開した。





 フィリが迷宮入口を囲む壁内に入ったとき、水晶柱の前にシアリーナらしき後ろ姿を発見し急いで広間へ飛び込んだのだが、そのときには光に包まれて消えた後だった。そのため手掛かりをつかむべく周囲を見回したところ、とても目立つ看板と内容が目にとまる。


「……どうしてこんなときに!」


 普段は需要がほとんど無いため売られていない第六十階層行きの転移石が売られているという事実、しかもよく目立つように工夫していることに、思わず声を出してしまった。


 通常売られているものだけならば、シアリーナの実力ならしばらくは何とかなる。それに転移石を買うという発想すら浮かばずに第一階層に行った可能性のほうが高かったのだ。


 しかし現実は大々的に宣伝されて売られていた。これでは見逃すはずがなく、間違いなく購入して第六十階層に向かったと確信した。そのため感情をそれほど表に出さないフィリだったが、あまりの間の悪さに心のどこかで何かが切れた。


 そして普段は完全に制御している魔力が身体の外に溢れ始めたが、冷静になれない心では完全に抑えることができなかった。結果、不穏な気配を感じてフィリを発見した探索者達は、我先にと道を譲る。


 こうして道は開かれ、フィリは売ったであろう男に視線を固定しながら、優雅に突き進んだのだった。


 


 一方、ようやく立ち直った男は固まった笑みをほぐすように両手で頬を揉みほぐす。横にいる探索者はその仕草に苦笑していた。


「あんなことはよくあるのか?」


「あったらこんな商売はやめているさ」


 そんな軽口を言いあっているとき、突然探索者がのけ反って固まる。そしてぽっかりと空いていた空間に人影が見えたため、男は訝しがりながらも笑顔で視線を向けると、そこには鬼気迫る表情をしたフィリが立っており、ほんの少しだけ髪が逆立ち始めていた。


 その髪を見た瞬間に、長年魔法使いとしての夢を忘れられなかった男は言葉にならない領域で悟った。


 即ち『決して偽ってはいけない』と。


 そのためまたもや笑顔を固まらせたまま硬直し、背中には大量の冷や汗が一気に流れる。それでも倒れなかったのは、先程よりはましだったからである。


 そんな男を前にして、フィリは更に髪を蠢かせながら静かに、しかし確実に苛立っているとわかる声音で言葉を紡いだ。


「先程女の子に……」


「これですどうぞ! お代は結構です!」


「……ありがとうございます」


 男は指先が霞むほどの速さで転移石を差し出した。どうしてそんなに持っていない手持ちで足りたのだろうかと考えていたフィリは、受け取りながらも予想外の返事にお前のせいかと無意識に苛立つ感情を男にぶつけた。


 視線に乗せられた人を殺せるような重圧を至近距離で受けたため、身体が硬直して逃げることができない男の精神は崩壊寸前であったが、フィリは重圧をかけていること自体に気が付いていない。


「これで……」


 シアリーナの元へ行けるとフィリは転移石を握りしめる。そして踵を返すと水晶柱まで走って行き、すぐにその姿を消した。おかげで男はようやく固まった身体を動かせるようになり、脇に居た探索者と共にゆっくりと息をはき出した。


「……あんなことは……よくあるのか?」


「……あったら……こんな商売はやめているさ……」


 互いの口調はとても重かった。


 儲けなしであったが、後悔はしていない。それにまだひとつある。これさえあればまた行って作ることができる。そのため同じ体験をした探索者とぎこちなく笑いあうと、看板の文字を書き換えて商売を再開したのだった。





「到着っと」


『ふむ、変わりは……あるな』


 毎日のように通っているので、レネとシャンティナが水晶柱の広間にいてもおかしいと思う探索者はもういない。それなのに制服を着ているレネが広間に入ると探索者達が一斉にぎょっとした顔を向け、レネと分かるとほっとした顔になった。そのため学院の制服を着た誰かが何かをしたと推測した。


『とりあえず予定通り聞いてみよう。せっかくだから、あの目立つ看板があるところからにしようか』


 杜人が指差す先には一際大きな転移石売りの看板が鎮座していた。入った途端に目に飛び込んでくるので、購入しようと思ったなら一番に立ち寄った可能性が高いと判断していた。


「分かった。行くよ」


「はい」


 レネが動き出すと自然と探索者達は道を空ける。そしていつもであれば真っ直ぐに水晶柱へと向かうはずなのに転移石売りへと近づいたため、先程のこともあり何が起きたと注目が一気に集まった。


『やはり何かあったな。当たりか?』


「なら、急がないと駄目だね」


 もう慣れたレネは視線を気にすることなく目的地へと小走りに近づいていくのだった。





 そして目的地では転移石売りの男となじみの探索者が疲れた顔で話をしていた。


「やはり目玉がないと渋いな」


「仕方がない。これが運命だったのさ」


 元々三つも生成できたことがおかしいのである。おかげで命を拾えたと男は思うことにした。そしてしばらくゆったりと時間が流れ軽口も元に戻りそうになったとき、突然探索者が口を開けた間抜け面で固まった。


 そして先程まで誰も居なかった空間に人影が見えたため、男はまさかと思いながらぎこちない笑顔で視線を向けると、そこには巷で評判の『殲滅の黒姫』が笑顔で立っていて、その後ろにはいつものお供と、小脇に抱えられて目を回している女の子が居た。


 その女の子を見た瞬間に、毎日通う『殲滅の黒姫』を見続けていた男は言葉にならない領域で悟った。


 即ち『このために今日成功したのか』と。


 男は悟りを開いたような晴れ晴れとした笑みを浮かべて『殲滅の黒姫』と目を合わせる。もはや流れる汗は一滴も無かった。


 そんな男を前にして、レネは申し訳なさそうに問いかけた。


「学院の制服を着た、様子がおかしい、このくらいの背格好の、黒髪の女の子を見ませんでしたか?」


「これ」


「きゅう……」


 シャンティナに脇を持たれて男の前に示されたティアは、ぷらんと手足を下げながらまだ目を回している。


 男は以前にシアリーナとティアが仲良く並んで売り子をしていたのを目撃していた。だから見ただけでレネが求めているものが何かを理解した。


「第六十階層に行きました。どうぞお持ちください。お代は結構です」


「え? あ、はい。ありがとうございます!」


『六十……、やはり、か』


 レネは差し出されたので思わず受け取り、理解するとその善意に感激した。対照的に、そのやり取りを脇で見ていた杜人はシアリーナが主を倒しにいった事実に頭を抱える。しかし、嘆いても何も始まらないので即座に気持ちを切り替え、男の様子から何かあったと分かったため補填をするためレネに指示を出した。


『レネ、むこうも商売だから、もらうだけでは駄目だ。だから今は手持ちが心許なかったことにして、余っている転移石をお礼として何個か渡すと良い。残りは帰ってきたときに生成した転移石を三つほど渡せば、情報料としては問題ないだろう』


 善意には善意で応えるのが杜人の流儀である。それと、関わったから酷い目に遭ったと思われては今後の活動に支障が出るので、感情が振り切れているうちに上書きする必要がある。お代は要らないと言っているのに代金を支払えば、善意を踏みにじり金で頬を張る行為と受け取られかねない。そのため男の善意を強調しやすい物々交換を選択した。


「あっと、済みません。手持ちが心許なかったので助かります。代わりと言ってはなんですが、この転移石を差し上げます。これも後で生成したものをお返しします。本当にありがとうございました!」


『達者で暮らせよ!』


「ありがとうございました」


「あぅあぅぁぁぁ……」


 レネは鞄から袋に入れた転移石を取り出して渡すと、頭を下げてから大急ぎで水晶柱へ向かう。シャンティナもティアを小脇に抱えなおして付いていき揃って姿を消した。


 そして全てが終わったところで、男は脇に居た探索者と共にゆっくりと息をはき出した。


「終わったな……」


「そうだな……」


 もはや大枚をはたいて手に入れた転移石は無い。あるのはいつも売っている転移石と、今もらった何個かの転移石のみである。どの階層かは確認していないが、第六十階層より浅いことは確かなので、売れてもそんなに儲けにならない。そして今日は十分売れていたことと、色々あって疲れたため店じまいしようと思ったとき、隣に居た探索者が笑顔で肩を叩いた。


「で、それは売る気があるのか? あるなら買いたいやつが山ほど居るみたいだぞ」


「は?」


 意外な言葉に男が顔を上げて周囲を見渡すと、いつの間にかぎらぎらとした目を袋に向ける探索者達に囲まれていた。そして理解できずに口を開けた間抜け面となった男に、なじみの探索者が笑顔で理由を教えた。


「それを作ったのは主に出会っても平気で帰ってくる殲滅の黒姫様だ。だからお守りとして最高なのさ。俺も金があるなら欲しいくらいだ。なにせ、今度いつ手に入れる機会があるか分からないからな!」


 周囲に居る探索者達は、無言のまま一斉に頷く。しかし、そのときも視線は袋に注がれたままだった。


 そのため男は全てを悟った。


 即ち『このまま持っていると明日の朝日を拝めなくなる』と。


 こうしてレネの作った普通の転移石は本人の知らぬ間に高額で取引され、男は次の日の朝日を拝む権利を無事獲得したのだった。


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