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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第6章 写し鏡のその奥に
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第17話 相似形

「やー、やっぱり聞いた噂とちがう面白さがあったね」


「私はそもそもの噂を聞いていないから」


 講義後、廊下を歩きながら興奮冷めやらぬティアは、手を動かしながらその気持ちを表現している。シアリーナは特に反応していないが、煩わしく思っているわけではない。その後ろをフィリが静かに歩いているのだが、見つめる瞳はとても優しかった。


 命令されているわけではないが、フィリはシアリーナに関することを自主的に報告している。内容の良し悪しに関わらず報告されたほうが安心するだろうと判断しているからだが、主従として裏切り行為をしているのと同じなため、シアリーナに無視されるのは当たり前と思っている。


 フィリも、シアリーナがどうなろうと知ったことではないと思っているわけではなく、できるなら良い方向に変わって欲しいと願っている。だからとてつもなく怪しい挙動のティアが近づいてきても何も言わず、しつこく通ってきても黙認していた。


 そして他者を拒絶していたシアリーナが少しずつ受け入れ始め、最初は敵愾心に満ちていたレネの話題でも平静にしていられるようになっていた。そのため、これなら何とかなるかもしれないと期待に胸を膨らませているのである。


「噂のほうでは颯爽と登場して主を翻弄し、特異領域全体を一瞬で凍らせたって聞いたんだよ。それが実際は探索者が逃げ出すまで必死に避け続けていて、最後も氷の中に閉じ込められないように全力で逃げていたとか、話に血が通ったような気がする」


「……そう」


 ティアの興奮は収まらない。声はそれほどでもないが身振りが大きいので、一緒に講義を受けていた人や通りすがりの人から注目を浴びているのだが全く気が付いていない。それだけにシアリーナにはティアの嬉しさがよく伝わってくる。


 シアリーナはティアからそっと視線を外す。唇がほんの少しだけ不機嫌そうに尖っているのだが、その自覚は無い。悔しいとは違うのだが、うまく言葉にできないもやもやが心の中に渦巻いていた。


 ひとりではなかったが、シアリーナも迷宮探索の経験はあった。そのときは第四十階層周辺で他の探索者が慎重に行動するのを見ながら魔物と戦ったのだが、恐れるような相手とは思わなかったし実際倒すのは簡単だった。


 だからシアリーナは、魔物、ひいては迷宮の本当の恐ろしさをまだ知らない。今のレネでも、油断すれば第一階層であっても死ぬ。理不尽という名の暴力が平然と通り過ぎる場所が迷宮なのだ。


 芽生えた感情に無自覚なまま、レネの話を思い出して強めに手を握りしめる。そして明確に意識せずに言葉が飛び出した。


「主を倒すくらい私にだってできる。動けなくして止めをさすだけじゃない」


「え?」


 その声は意外に大きく、聞こえた学院生達はぎょっとした表情でシアリーナに視線を向ける。そしてその内容がレネの話を否定する発言だったため、すぐさま視線を外して足早にその場を去っていく。


 シアリーナも周囲を気にすることなく渦巻く感情を持て余しながら早足で歩いていき、フィリも小さくため息をつきながらも遅れないように付いていく。

 

「ま、待ってぇー……」


 そして突然の発言に固まっていたため置いてけぼりにされたティアは、ちょっぴり涙目になりながらシアリーナの後を追いかけたのであった。






 次の日。ティアはいつも通り講義室へ入ると、最近は実に自然にできるようになったシアリーナへの挨拶をしようと笑顔で手を挙げた。


「お……ぉ?」


 そしてその段階になってようやく室内の雰囲気に気が付き、出しかけた声を萎ませる。今までは緩やかな無関心だったものが積極的な無視となり、排斥する気配がシアリーナに向いていた。そして今まで以上にシアリーナの周りに人が居なくなっていて、あからさまに避けられているのは簡単に分かった。正直に言って、対象が己だったなら泣きながら逃げ出したい状況である。


 その今までにない急激な変化に戸惑いながら、ティアは笑顔を固めたままシアリーナの後ろにいるフィリに視線で問いかける。それを受けてフィリは力なく微笑むとレネの講義資料を破くふりをし、後ろを向いて頭を抱えた。


(ああ、あれで遂に師匠とあからさまに敵対すると思われちゃったんだ。師匠は何もしないのに……)


 こっそりと観察していたティアには一目瞭然のことなのだが、噂の又聞きとこの間の対人訓練の結果、知らない人は見事に噂を信じることになってしまった。講義を受けている人は多少軽減されているが、払拭するには至っていない。


 そして昨日の話とその後の発言である。誰がどう聞いても友好的なものは含まれていないのは分かるので、下手に関わって飛び火するのを恐れているのだ。


 いつもと変わらないように見えるシアリーナも、観察を続けたティアの目には突き刺さる気配に気を荒立てているのが分かった。


 その姿、まさしく『寄らば切る。寄らねば切り行く。覚悟しろ』であった。


 もはや爆発まで秒読みに入っていてもおかしくない苛立ち具合である。ティアは今までなら気にしないのにと不思議に思いながらも、ここで無視しては振り出しに戻ってしまうため、心を奮い立たせると左右の両手両足を揃えながら近づいていった。


(こんなときは、こんなときは……そうだ! 師匠ありがとうございます!)


 何を話せば良いか分からなかったティアだったが、レネの『甘い物は心を落ち着かせてくれる』という言葉を思い出した。


 そのためシアリーナの前に立つと、もらってからポケットに常備している飴を勢い良くかさりと音を立てながら掴み取ると、一気に取り出してシアリーナに突き出した。


「あげる!」


「……ありがとう」


 唐突な行動だったが、シアリーナは動じることなく両手で飴を受け取る。そして安堵したティアがそそくさと立ち去る前に、飴と一緒に渡された紙を無意識の期待を込めて読む。


 そこには、見たことのある筆跡で、ティアから教えてもらった天虎に関する事柄が書かれていた。そして情報が整合し認識した瞬間、シアリーナの心のどこかで何かが砕けた。


 変化を最初に気付いたのはフィリである。シアリーナの髪がふわりと浮かび、目に見えるほどの光を身体に纏い始めたのを確認した。そしてそれが感情の爆発による魔力の過剰放出と悟り、机を飛び越えて最も危険な位置に居るティアを抱きしめると、一瞬後に障壁を展開した。


「騙してたんだ……嗤っていたんだ……そんなに面白かった?」


「え、え? ……あぁ!」


「姫様、落ち着いて……」


「うるさい!」


「きゃあぁ!」


「くぅ……」


 膨れ上がった魔力が、圧力を伴って轟音と共に周囲を吹き飛ばす。信じていた家族に裏切られ、そしてまた裏切られたと思っているシアリーナは、心から血を流しながら絶叫する。


「みんな、みんなだいっきらい!!」


 そう言って無意識に拒絶の意志を周囲に叩きつけると、講義室を飛び出していった。室内に居た者はほぼ全員気絶し、無事だったのは障壁で身を守っていたフィリとティアだけであった。


「私は後を追います。ティアさんはこのことを……レネ先生に伝えてください」


「は、はい!」


 フィリは一瞬迷ったが、可能性を信じて学院ではなくレネに伝えることを選択した。学院に言えば速やかに動くだろうが、それでは事件が表沙汰になってシアリーナの未来は無くなる。だがレネならば王族からシアリーナに対する生殺与奪権を与えられているため、動いても『王族の依頼』としての形式が整うため内密に処理できる。


 後は聞いたレネがどう動くかにかかってくるが、少なくとも意識してシアリーナに不利益を与える行動をするとは思わなかった。


「早まったことはしないでください……」


「師匠ー!」


 こうして二人はわき目も振らずに駆け出して行き、室内は気絶した者達だけが残されたのだった。






「これが分かりやすいかな。それとこれも」


「上級は範囲が広いから大変だね」


「それは仕方ありません。……良さそうです。ありがとうございました」


『こうして見ると、レネもきちんと仕事をしていると実感するな』


 レネは図書館にて臨時司書として仕事をしているわけだが、普段は蔵書整理が主な仕事のため真面目に働いているのにも関わらず、本を持ってただ歩いているようにしか見えないのだ。それでも昔は司書を示す腕章があるので話しかけられたりもしたのだが、名が轟いた今のレネに聞ける猛者は皆無である。そのため、今回の仕事は司書として久しぶりの別業務であった。


 杜人は腕組みしながらうむうむと頷いている。発言を聞いたレネは、つんと顔をそらして反論する。


「失礼な。私はいつだって真面目に仕事をしているよ。整理は重要なんだからね」


『そうだな。見たことのない本を見つけてはその都度読み、続巻がないと嘆き、入荷の要望を出したりするのも仕事の内だな』


「う……、それより早く貸し出し手続きに行こう」


 によっと笑いながら杜人はレネの前を漂っている。レネは額に汗を掻きながら眼をそらすと、誤魔化すように言って受付へと歩き始めた。エルセリアとセリエナはその後ろを仕方がないなあと微笑みながら付いていく。


 そして到着した受付でセリエナが手続きをしているとき、入口の扉が乱暴に開かれたためその場に居た者達が視線を向ける。そこには肩で息をしている涙目のティアが居て、レネの姿を見つけた途端にぶつかるように駆け寄ってきた。


「師匠ぅぅぅぅ! どかんでぼかんで大変なんですぅぅぅぅ!」


「ちょ、テ、ティア? 落ち着いて、ね?」


 しがみ付いて泣きながら興奮しているティアの様子に何か大変なことが起きたのは理解できたが、肝心の内容が支離滅裂のため、しがみ付かれたレネも混乱気味である。


『レネ、とりあえず飴を口に放り込め。話せなくなれば多少落ち着く』


「う、うん。……はい、飴」


「むぐっ……」


 レネは鞄から飴を取り出すとティアの頭を押さえて飴を口に放り込んだ。そのためようやく静かになり、今のうちにと受付の中に移動する。


『そのまま抱きしめたまま話を聞いたほうが良い。とにかく今は順序立ててゆっくり聞きださないと駄目だ。結論からだとまた混乱し始めるぞ』


 通常の報告は結論からだが、興奮気味な今のティアではその後が支離滅裂になりかねない。そのため杜人は落ち着かせるのも兼ねて思考させないと駄目と判断した。


 指示を受けたレネはティアの頭を撫でながら優しく微笑む。


「落ち着いた? どこにも行かないから、ゆっくりと最初から話してくれるかな」


「……はい」


 ようやく飴を食べ終えたティアの興奮はそれなりに治まっていたが、涙はまだ止まっていない。そのためレネの制服をしっかりと掴みながら、何が起きたかを話し始めた。そして聞き終えたとき、その場に居る全員が一大事であるとの思いで一致した。


 もう少し前なら硬い心によって傷つくことはなかった。もっと後なら柔軟さを得て笑い話になった。まさしく、この時期でなければ起きなかった事件である。


「私が、私がきちんとしていなかったから……」


 話し終えたティアだったが、今度は自分の粗忽さを責めはじめている。そのためこれは本当に時間がないと杜人は矢継ぎ早に指示を出した。


『レネ、とにかく動くぞ。エルセリアは騒ぎの後始末を頼む。セリエナはレネの仕事を引き継いでくれ』


 シアリーナのことを考えれば、大々的に騒ぐわけにはいかない。そのため貴族としての力を使えるエルセリアに始末を頼み、まだ業務時間が残っているのでセリエナに代わりを頼む。二人とも事情は理解しているので、疑問を挟まず頷いた。


「分かりました。レネ、こっちのことは任せて」


「うん。お願い」


 エルセリアは身を翻すと走って図書館を出て行った。レネも笑顔で見送ると腕章をセリエナに渡した。


「はい。業務時間は昼までだから。細かい内容は他の人に聞けば分かると思う」


「ええ、任せてください」


 セリエナは腕章を腕に通すと力強く頷いた。この仕事は給料が出るため記録が残る。地味なことだが、後で『無かったこと』にするためには重要な役割と理解していた。レネは騒ぎを聞いて奥の部屋から出てきていた館長に頭を下げると、館長は分かっているというように微笑みながら頷いた。


「それじゃあティアは……」


「私も行きます! 連れて行ってください!」


 残ってと言う前にティアはしがみ付く力を強めて懇願する。その様子に短時間の説得は無理と判断した杜人はすぐに決断を下した。


『連れて行くぞ』


「で、でも……」


「師匠、お願いします!」


 聞いたシアリーナの様子から、下手をするとティアは直接狙われかねず、それ以上に暴言によって傷つくかもしれなかった。危険もあるが、そんな思いをしてほしくないのでレネは連れて行くと言えない。そんな心を悟った杜人は、笑みを浮かべて自信を持って断言した。


『心配するな。余程のことがなければ傷一つ付けずに守れるし、どのみちきちんとぶつからなければ元に戻ることもない。それはレネが一番理解しているだろう? それに、こういうことは気持ちが落ち着いてからでは尻込みしてしまう。綺麗に解消するのであれば、熱いうちにぶつからないと駄目だ』


「そう……だね。分かった。ティア、指示は必ず聞くこと。絶対に先走ったりしちゃ駄目。約束できる?」


「はい!」


 きちんと返事ができたことを確認した杜人は、これなら大丈夫だろうと扱いを変更する。


『良し。シャンティナ、ティアを抱えてくれ。全力で追いかけるぞ!』


「はい」


「ひょわ!?」


 一瞬でレネから引きはがされてシャンティナに抱えられたティアが変な声を出したが、もちろん誰も気にしない。


『講義室を中心にして騒ぎが大きいほうへ向かおう』


「分かった。行くよ!」


「おー」


「気を付けてくださいね」


「お、え、あ? きゅわぁぁぁぁ……」


 手を振るセリエナに見送られながら、全力移動を開始したレネとシャンティナはティアの悲鳴を置き土産にして遠ざかっていった。そして声が聞こえなくなったところで残ったセリエナは館長に声をかけた。


「それで、仕事は何をすればよろしいでしょうか」


「これを書架に戻すのがレネの主な仕事です」


 そう言って指し示す先には、積み重ねれば天井に届きそうなくらいの大量の本がテーブルの上に置かれていた。それを見たセリエナは、背中にじっとりと汗を掻きながら念のために聞いてみる。


「ひとりで、でしょうか」


「ええ。人手不足なものですから」


 セリエナが『嘘ですよね?』と視線で問いかけ、館長が『本当です』と目を細める。二人はしばらく見つめ合い、次に本の山を見て、もう一度視線を交わして同時ににっこりと微笑んだ。


「ではそういうことで。頑張ってください」


 普通ならば手伝えるのだが、誰かが手伝うと記録に残る。無かったことにする身代わりである以上、誰も手伝えないのだ。館長はほっほっほと笑いながら後始末の手伝いをするために図書館を出て行く。その背中を固まった笑みで見送ったセリエナは、まだ本の前に立ち尽くしている。


「レネ……無事に帰ってきてくださいね。……できれば昼前に」


 本心からの呟きは誰にも聞かれることなく消えていき、図書館にはいつもの静寂が訪れたのだった。


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