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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第6章 写し鏡のその奥に
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第10話 落とし穴

 試験販売開始の朝。杜人はいつもより早起きして準備を始めた。まずまだ薄暗いうちに魔導書から出ると座卓の上にて日課の体操を行う。少し離れたところには布団にくるまって眠るレネが居るが、未だに夢の世界の住人である。


 そして座卓の上を布巾で清めてから、時間を見つけては少しずつ作っていた祭壇を取り出して設置していく。といっても木製の簡単なもので、お供えを置く台と水入れ、榊程度である。それでもご神体をきちんとお迎えするという心が大切だと杜人は思っている。


 本日のお供え物として売り物となる塗り薬を台の上に置くと、まずは今日も良いことがありますようにとお祈りを行う。それが終われば後は待つだけである。


 姿勢を正し、正座をしながら待っているといつも通りの時間に部屋が明るくなり、布団から未だに寝ぼけている寝巻き姿のレネが這い出てきた。もちろん杜人は失礼の無いようにきちんと挨拶を行う。


『おはよう。今日も頑張ろうな』


「うん……、おはよう……」


 レネは完全な生返事で答えると、着替えるためにボタンを上から外していく。そして日に照らされた瑞々しい肌が露わになり始めたところで、杜人は拍手をうって神々しいご神体をありがたやと拝む。そして良いくらいでもう一度大きめに拍手をうった。


 レネはその音でようやく目を覚ますと身体を硬直させ、ぎこちない動きで座卓を見る。当然そこにはニコニコ顔の杜人が居て、しっかりレネを見つめ返していた。そのため瞬時に耳まで真っ赤になり、脱いだ上着をかき抱いた。


 いつもならばここでレネの攻撃が来るため杜人は吹き飛ばされる覚悟をしていたのだが、本日はなぜか何もなく、見つめ合ったまま気まずい無言の時間が流れた。笑いを取る機会を逸した杜人は、これはまずいと背中に大量の汗を掻いている。


「……あっち、向いて」


『う、うむ』


 やがて俯いたレネが恥ずかしそうに小さく呟き、杜人は急いで後ろを向いた。聞こえてくる衣擦れの音を聞きながら、精神修養不足を痛感していた。そして無言の同意によって何もなかったことになり、何とかいつもの調子を取り戻したのであった。






「それでは説明いたします。お手元の資料をご覧ください」


 ダイル商会に来たレネと杜人は、シアリーナと共にリュトナから試験販売の説明を聞く。シアリーナはレネと顔を合わせたときに勝ち誇った笑みを見せたのだが、レネの心に焦りは生まれず普通の微笑みを返すことができていた。


 お供のフィリとシャンティナも同じ部屋に居るのだが、双方挨拶後は気配を消しているので気にならない。


「まず原価の算定ですが、教えて頂いた材料を職人が入手するときの価格となっております。そして今回は必要最低製作個数で単価を決めました。それと職人の手間賃ですが、レネ様は委託製作のため実費から、リーナ様は納品ですのでお聞きした製作時間から算出しております」


『ふむ? ……まあ良いか』


 杜人はリュトナの説明に首を傾げたが、他には誰も気が付いた様子はなかった。そのためそれを確認してから、特に支障はないので放置することにした。


 資料には双方の一個当たりの原価が記載されている。このまま積み上げても総原価とは異なるものになるが、今回の判定は純利益で行われるので、始める前に確定させておかないと接戦のときに勝敗がつかなくなるのだ。


『おー、結構高いな。ということは高性能化できる組み合わせを見つけたのかな。となると標的は上級の探索者だろうな。当たれば一気に売れるから、これは良い選択だ』


「私とは考え方から違うんだね」


 原価からシアリーナが高級品を扱うことが分かるので、そこから工夫した部分を推測する。原価を高くすればそれだけ良い品質の魔法薬を作れるが、それだけならば同じようなものはたくさんある。そのため同一価格帯でも頭一つ飛び出した品を作ったと考えた。


 上級の探索者は良いものなら金を惜しまないため、高くても売れるのである。杜人が何ともならなかったときの予備として考えたものと同じ発想だ。


「間違いございませんか? ……はい、それでは次ですが、販売方法は屋外広場にて露店を開き、ひとつの露店に同じように並べて差が出ないようにします。販売期間は十日とし、店じまいした時点の売り上げから利益を算出いたします。その際、試供品に関しては算定から外します」


 名目は試験販売のため、目立つ宣伝は行わない。そのため買い占めそうなレンティには購入禁止令が出されている。その代わり試供品をお礼として多めに渡していた。


「質問はございますか? ……それではしばらく休憩としますので、その間に売値を決定してください」


「私はこれでお願いします。先に帰ってもよろしいでしょうか?」


「はい。私はもう少しかかりますので」


 シアリーナは休憩することなく売値を決め、余裕の笑みを浮かべてフィリと共に帰っていった。それをレネは笑顔で見送り、リュトナは大変そうだと苦笑してから席を外した。


『確かにここまで決まれば考える必要は無いからな。原価率は三割程度で十分だろう』


「それだと儲けが多すぎない? 手間も原価に入っているから、もう少し安くできるよ?」


 レネも杜人から理屈を教えてもらったため、数値上だけなら何となく分かるようになっている。レネと杜人の塗り薬は通常の魔法薬のような目に見えてすぐ実感できる性能はない。そのため高めにすると手に取ってすらもらえなくなる可能性が高くなるのだ。


 その問いに対して杜人は『まだまだよのう』と言いたげに笑った。


『残念ながら、これは全部自分で製作を依頼して、自分で直接売る場合の原価だ。俺達が売る場合はこの原価にダイル商会への仲介手数料も追加される。売れ始めたから値上げしたと取られると、客の印象は悪くなるぞ?』


「うっ、忘れてた……」


『それか、売値をお任せするというのも手だ。やはり素人では目先の利益や売り上げを気にしてしまい、需要と供給に合わない価格にしてしまうからな。これでも規則には反しない。どうする?』


 条件で提示されている売値は自由に決めて良いというものだ。誰かに任せるのもまた『決めた』ことに変わりはないのである。杜人はあえてその選択肢を告げたのだが、これはレネにそれもまた己の選択であり、責任が発生すると認識してほしいからである。


「うーん……。うん、決めてもらおう! 自分で決めたら後で胃が痛くなりそうだよ」


『それならそれで良い。但し、それを決めたのは自分ということだけは忘れるなよ』


「分かってる。たとえどんな結果になっても、その責任は私にある」


 レネはしばらくの間悩んでいたが、いくらで決めようが後悔すると結論を出した。そして杜人の確認に頷くと、それが自分の決定であり意思であると心に刻んだ。そしてお茶を淹れて来たリュトナに頭を下げてお願いする。


「リュトナさん。売値はお任せします。売れなくても構いませんから、試験販売が終わっても変えなくて良い値段にしてください」


「ふふっ、分かりました。それでは何度も買って頂けるような価格を考えますね。その代わり、終わって実際に販売するときの名称は黒姫霊薬にします」


「うぇ! ……そ、それは、その……うぅ……よろしく、お願いしますぅぅぅ……」


 リュトナの提案にレネは悩みに悩み、結局お願いすることにした。そのやりとりを聞いて、杜人は心配いらなかったなと満足げに頷いたのだった。


 こうして試験販売を隠れ蓑にした勝負が始まり、事前の予想通りシアリーナが大差で勝利したのだった。






「ふふん、本気を出せば負けるわけないんだから」


 試験販売が終わった数日後、シアリーナは上機嫌に町を散策していた。後ろにはフィリが居るが主従の間に会話はなく、シアリーナはフィリを居ない者として無視している。


 結果発表のときにレネから良かったねと笑顔で言われ、悔しがる顔を見られなかったのが残念だったが、やせ我慢と考えればそれはそれで良いものであった。


 そんなことを考えながら歩いていると、ふとひとつの商店の立て看板が目に入った。それは最近になって出始めた幻影魔法による看板で、そこに大きく『黒姫霊薬再入荷!』と書かれていた。


「……」


 シアリーナは立ち止まると聞いたことのある名称に眉をひそめ、その商店を観察する。そこは雑貨店のようなのだが、無手で入った女性客がしばらくしてから見たことのある容器を持って出てきていた。


 そして何度か似たような光景が繰り返されたのち、流れが途切れたところで疑問を解消するために無言のまま店に入ると、すぐに店員から申し訳なさそうに声がかかった。


「申し訳ありません。午前分の黒姫霊薬は売り切れました。また午後にお越しください」


「いえ、私は買いに来たわけではなく、黒姫霊薬とは何なのかと思って聞きにきたのです。ここは雑貨店ですよね? 薬も扱っているのですか」


 シアリーナはフィリを連れているため、立ち振る舞いも相まって平民には貴族のお嬢様に見える。そのため知らなくても当然かと試供品を見せながら丁寧に教え始めた。


「いえ、こちらがそうなのですが、これは懇意にしている取引先が作ったものを店頭に置いているのです。実売店舗を持たない職人が作った品を買い取り、販売する形式ですね。ですから、同じ物は他でも販売しています」


「売れているのですか?」


「そうですね。一応魔法薬なので普通の薬としてみれば高いのですが、買えない値段ではありませんし魔法薬としては格安です。そして特徴として塗ったところの肌が綺麗になるので、当店では主に女性のお客様に人気がありますね。何より考案者が殲滅の黒姫様ということで、知っていれば品質を疑われません」


 これまでも黒姫の名を冠した商品は販売されていて、ダイル商会できちんと品質を保って製作しているので黒姫の名を持つ品は良品との認識が広まっていた。


 真似た商品はいつの世にも存在するが、レネの作った術式が特殊すぎるので劣化品で真似しても値段は本物のほうが安くなる。そのため割に合わないので同様の商品が出回らず、勘違いによる評判の低下がないのである。


 シアリーナは試験販売では大して売れなかったはずのレネの魔法薬が売り切れるほどの人気と聞き、心が何とも言えないもやもやした感覚を訴える。店員としては自信を持ってお勧めできる商品のため色々長所を述べたのだが、それが更にもやもやを大きくしていた。


 そのためそれを晴らすため、行動することに決めた。


「卸元は……」


「お嬢様」


「ああ、構いませんよ。この通りの先にあるダイル商会です。直接販売の店舗ではありませんが、問い合わせればそこでも買うことができますよ。ただ、今は品薄のため飛び込みでは手に入らないと思います」


 シアリーナの問いは商人にとっては命綱ともいえる情報である。そのため後ろで聞いていたフィリは止めに入ったのだが、店員は特に気分を害した様子はない。


 店員は他店でも売られているため貴族に見えるシアリーナの機嫌を損ねてまで隠すことでもなく、商人以外に売る場合は卸値で売らないことを知っているため、特に隠さずに卸元を教えたのである。


「ご厚意、感謝いたします」


「……ありがとうございます」


 そしてシアリーナは失敗に気が付いてばつが悪くなったが、ここで礼を言わなければ失礼をしたままとなってしまうため、恥ずかしそうに小声で礼を言ってから店を出て行った。





 そのままの足でダイル商会へ入ると唯一の顔見知りであるリュトナが接客中だったため、少し離れたところで待機した。そして小柄な女性の前にある荷物が目に入ったため、聞こえてくる会話に耳をそばたてる。


「無理を言って申し訳ありませんでした。どこも売り切れで困っていたんです」


「もう少しすれば、普通に手に入れられるようになると思います。……ところで、長期間置いていても悪くはなりませんが、おひとりで使うのですか?」


 探し回って最後に泣きついたレンティは、ようやく手に入れることができたため満面の笑みを浮かべている。そして小柄なレンティの前にはそのまま入れそうな大きさの木箱があり、蓋が開いたまま鎮座している。中身はすべて黒姫霊薬であり、ひとりで使えば何年かは補充不要の量であった。


 そのためリュトナは不思議に思ったのだが、レンティは手を振って否定する。


「まさかですよ。これはですね、頂いていた試供品を学校中に広めておいたので、そいつらに高く売り付けてやるんです! それに売れなくても私達が使いますので問題ないです。ふっふっふ、快適な眠りを思い出した後で、痛みで眠れない夜に耐えられるかな……」


 レンティは黒い笑みを浮かべながら結構酷い理由をのたまった。今はそれなりに改善されたとはいえ、孤立していたときに嫌味を言われたりしたことを許したわけではない。そのため実地試験のお礼としてもらった試供品を用いて仕込みを行ったのである。


 騎士見習いは毎日の訓練で小さい怪我はどこかに必ず負ってしまう。そして怪我をいちいち魔法薬で治していては金がいくらあっても足りないため、我慢するか普通の薬を使っている。慣れれば我慢できる程度の痛みだが、慣れないうちは痛みでなかなか眠れない。そして人は痛みには強いが快楽には弱いのだ。


「早目に売り切ってくださいね?」


「任せてください。値段を吊り上げることはしません。精々お小遣い程度ですよ」


 リュトナは止めず、レンティと視線を合わせて微笑みあった。そしてレンティは木箱に蓋をし、軽々と持ち上げると礼を言って外に消えていった。


 そして重い木箱を小柄なレンティが軽々と運んだことに口を開けて驚いているシアリーナに、リュトナのほうから声がかかった。


「お待たせいたしました。本日はどのようなご用件でしょうか」


「あ、はい。その……レネ先生の……黒姫霊薬について聞きたいことが」


「分かりました。それではこちらへどうぞ」


 リュトナは用件を聞いても慌てず、受付の代わりを頼んでシアリーナ達を応接室へ案内した。そしてお茶を出してソファに座ると、優しく切り出した。


「お聞きになりたいのは、どのようなことでしょうか」


「はい。何故試験販売が終わってからも売られているのでしょうか」


 他にもあるが、一番はこれである。声をかけたにしてもシアリーナには販売するかとの問い合わせは無かった。シアリーナの魔法薬のほうが売れたはずなのに、納得できなかった。


「それは、初めからそのような契約だからです」


 リュトナの返事は理由としてはもっともなことだが、納得できる理由ではない。それはリュトナも承知しているので、説明を続けた。


「少し詳しく説明します。実は少し前に手前共で取引を失敗して、大量の売れない在庫を抱えてしまったのです。それを知ったレネ様が、それを原料に使った魔法薬を開発してくださったのです。それが黒姫霊薬ですね。ですから手前共としましても、売れないと困ることになるのです。そのため試験販売が終わるまで待ち、伝手を使って広く売り出したというわけです。おかげさまで不良在庫どころか、足りなくて新規に買い付けしなければならなくなるほどの評判を頂いております」


 リュトナは少しだけ事実とは異なる説明を行った。レネは開発すると約束したわけではないが、リュトナの印象としてシアリーナがレネと反目しているのではと感じたため、わざと勘違いする言い方を織り込んだ。


 嘘は言っていない。竜舌草のことを知ったレネが実験材料に使ったのは事実であり、開発に成功したのも本当のことだ。そして売れないと困るのも事実である。


 そのためシアリーナの中に、レネは最初から勝負を行っていなかったのではとの考えが浮かんだ。しかし、勝負は勝負という思いもあるため、もうひとつの疑問を尋ねる。


「それでは、何故私の魔法薬を売ろうと思わなかったのでしょうか」


 損失を補填するなら売れるものを取り扱うのが普通の考えだ。それなのに選ばれなかったため、視線に自然と力が入った。それでもリュトナは優しく微笑んでいる。


「あくまで手前共の理由なのですが、リーナ様の魔法薬を販売した場合、利益を見込めないからです」


「……五割もあれば十分ですよね?」


 決めた価格で実際に売れているので需要がないわけではない。そして原価を決めたのはリュトナである。それなのに利益が見込めないと言われてもシアリーナは納得できないのは当然といえる。そのためリュトナはそこも説明することにした。


「それは店持ちの職人が販売する場合の利益率です。当店を通す場合、更に手数料がかかります。そして実売店舗の利益も上乗せされます。それと材料と効果、納品数量から特殊な調合ということも分かります。そのため推測できる歩留まりが悪すぎるため、こちらで実際に作れば算定した原価では作れないでしょう」


「それなら私が納品すれば何とかなりますよね?」


 価格設定の甘さは理解したが、それでもまだ納得できずに食い下がる。しかし、取引相手として話をしているリュトナは甘さを見せない。


「そうですね。リーナ様の利益をほとんど削り、納品されたものと同じ品質で、同じ数量を五日間隔で長期間納品して頂けるのであれば販売を考えても良いです。いつ入荷するのか分からない、入荷しても少なくて買えないでは、どんな良い商品でもお客様はそのうち買わなくなりますから。もちろんこれは当店が取り扱う場合です。他店ならばもっと軽い条件かもしれませんね」


 最後に『できますか?』と言いたげに小首を傾げ、『できませんよね?』という意味を伝えた。試験販売にて納品したものは一月かけて作ったものなので、要求に応えられるわけがないシアリーナは唇をかんで俯く。


「レネ先生のも生産が追いついていませんよね。あれはどうなのですか」


 最後に残った希望に縋るが、リュトナは淡く微笑んで首を横に振る。


「あれは生産に必要な魔法具の製造が間に合っていないからです。ですが、もうすぐ大型のものが完成しますので供給不足は解消されます。レネ様の魔法薬も特殊調合ですが、レネ様は難しい部分を誰でも簡単に作れる魔法具も一緒に開発してくださいました。おかげで無駄になる材料が出ませんし、熟練した職人以外でも生産可能なのです」


「あんな短期間で生産用の魔法具も……」


 それ以上シアリーナは何も言えなかった。礼を言って帰り、部屋に辿り着くとそのまま寝台へ潜り込んだ。


 確かに設定した勝利条件で勝ったのはシアリーナである。しかし、シアリーナは魔法薬が売られ続けることを考えていなかった。そしてレネは最初から考えていて、しかも自由な条件で開発したわけでもない。


「……う」


 内側を知ってしまえば、レネの『良かったね』は喜ばしいものではなくなり、己の認識不足を笑う鋭い刃となって心に突き刺さる。シアリーナは相手にされていなかった悔しさで歯を食いしばり、枕に顔を押し付けたのだった。





「レネ様いらっしゃいませ。……リーナ様がいらっしゃいましたので、ご依頼通り伝えておきました」


「あ、そうですか。ありがとうございます」


『だから妙におとなしかったのだな』


 杜人の提案で、何か聞かれたら話せる範囲で隠さずに教えてあげて欲しいと依頼していた。杜人はリュトナが原価の説明をしたときの言い回しから『これでは作れませんが』という意味を読み取っていたのだ。


 そのため勝ったと思われたままでも罠は仕込まれているので問題なかったのだが、念のための追撃用であった。


 悪いことの指摘は対立している当事者からより無関係な第三者からのほうが心の奥に届くものである。リュトナは純粋な第三者とは言えないが、商売人としての判断を伝えるには最適なのだ。


「先生というのも大変ですね」


「……そうですね。もし最初の受け持ちがああだったら、投げ出していたかもしれません」


 微笑むリュトナにレネも頬を掻きながら笑う。同情の方向は少しずれているが、大変なのは本当である。


 そしていつもの用件を済ませてから迷宮へと歩いていく。


『罠にもしっかりかかったようだし、これで悟ってくれれば良いのだが……まだ無理だろうな』


「無理だろうね。昔の私だってこの程度なら耐えられるよ」


 ほとんどの人が敵に見えた過去を思い出して、淡く微笑む。そのため杜人も真面目な顔で重々しく頷いた。


『確かにその通り。頑なになっていると、なかなか折れなくなるからな。一番良いのは少し柔らかくしてからそこ目掛けて攻撃することだ。……純粋に慕う者を使い、そんな非道なことを平然とやってのける。レネはなんて恐ろしい仕込みをしたのだろう。俺にはそんな酷いことはできない……』


「違うから! そんなこと考えてないから!」


『うんうん、分かっている。分かっているぞ』


「ううぅ、違うんだよぅ……」


 からかわれていると理解していても、そんな方法もあると知ったレネは、しばらくの間頭を抱えて己の選択が正しかったかどうかを悩んだのだった。


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