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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第1章 言の葉は紙一重
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第12話 千里の道も一歩から

 次の日、元気に司書の仕事をこなすレネを見ながら、杜人は残りの日数で何をすべきかを考えていた。現状では反復練習を繰り返して完成度を上げるしかないが、それではまだ不安が残る。そのため何かテコ入れできるものはないかと思ったのだ。


 そして検討の結果、どうしてもしておきたい練習があった。しかし、それにはいくつかの問題点があり、やり方を間違えれば考えずに拒否される可能性があった。そのため話の仕方を慎重に考え、実行した。


『レネ、今から不愉快なことを質問する。身構えて聞いてくれ』


「……分かったけど、なに?」


 片付けの手を止めて、真面目な顔で杜人を見つめる。杜人も遊ぶこと無く頷き、真面目な声で質問を開始した。


『あのお嬢様、エルセリアについてなんだが』


「……」


 それだけでレネの眉は不愉快そうにひそめられたが、何も言わずに聞いている。


『レネはエルセリアにお願いをする場合、どの程度までなら許容できるかというのが質問だ。具体例を出すから考えてくれ』


「……分かった」


 不機嫌気味の声音だが、爆発はしない。あらかじめ不愉快なことを聞くと言われていたことと、聞いてきたのが杜人だったからだ。少なくとも今まで杜人はレネのために親身になってくれている。これが単なる知り合い程度ならば、こう言われていても無言で立ち去る程度の質問であった。


 なぜ杜人がこれを聞いたかというと、どうせそのうち向こうから爆弾を背負ってやってくると思っているからだ。不発ならまだましで、試験前日に特大爆弾を爆発させられては今までの苦労が水の泡である。それなら回避のついでに関係修復の前倒しとテコ入れを同時に行おうと考えたのだ。


『まずは、試験に合格する確率を上げるために頭を下げてお願いすることはできるか? 具体的にはレネでは確保が難しい、屋外の訓練場での練習についてだが』


 ここで重要な点は『試験のため』という理由を与えることだ。人は嫌なことでも理由さえあれば、それが言い訳と分かっていても我慢できるものだ。馬鹿正直に仲直りさせるためと言えば、その時点で終わりである。


 屋外の訓練場は早い者勝ちで予約による締め出しは基本的にはない。その代わり、暗黙の了解で成績上位者が優先して使うというものがある。もしレネが朝早くから練習していてある場所を使っていたと仮定する。そこに成績上位者が来ても譲る必要は無い。


 しかし、独占はできないのでその場所の近くで練習されても文句は言えない。たまに誤爆されるかもしれないが、練習なのだから当たり前のことである。つまり、嫌がらせじみたことをされている状態になるので、練習をするだけ時間の無駄なのだ。


 だがそこに成績上位者のエルセリアが居れば話は別だ。名目上はエルセリアがレネに指導する形になるので、わざわざ近くで練習しようと思う者は少なくなる。


 ある程度の広さがあるとはいえ、やはり実習室では限られた練習となる。できれば一回は本番同様に広い場所で練習したいと考えた結果だ。


「……できるよ。私のためなんだから、その程度は我慢できる」


 思わず本当かと問い返したくなる声で答えが来たが、杜人は触らずに次に進む。実のところ、最初のこれが一番の難関だったため、これさえ大丈夫なら後は何とでもなる。そのため杜人はかなり安堵していた。


『では次だ。練習中は色々と話しかけられるだろう。さすがに内容までは予想できないが、練習しながら受け流したり話をきちんと合わせたりすることができるか? 要するに、他の人と会話するような感じで対処できるかということだ。喧嘩腰はもちろん不愉快そうな言動も駄目だ。もちろん俺も協力する』


 知らずに後ろから攻撃されれば大きな損害を受けることでも、あらかじめ来ることを予測して身構えておけば最小限の損害で済む。ここが今回の主要部分である。後で来るなら今処理してしまおうということと、多少なりとも長時間接すれば何か感じるものがあるだろうということだ。


 杜人の見立てでは、エルセリアはレネに好意を持っているはずなのだ。だから接する時間を長くすることによって、レネの思い込みを少しでも緩める作戦だ。勘違いを誘発する言動も、杜人がいれば修正が可能だ。そしてこの場合は練習のために我慢するのが前提なのだから、会話に口を挟み放題である。


 レネにとっては我慢できるかが重要なことだが、杜人にとってはある程度意図した方向に誘導できることが重要となる。レネは手を握り締めて考えていたが、やがて結論を出して静かに答えた。


「……やる。やってみせる。手伝ってくれるんだよね?」


『もちろんだとも。だから受け答えは深呼吸をしてからにしてくれよ。さすがに直後は間に合わないからな!』


 杜人は笑顔になって親指を上に向けて拳を力強く突き出す。それを見て、レネはやっと小さく笑みを浮かべることができた。


「でも、どうやってお願いすれば良いの?」


 今までまともに会話してこなかったため、話の出だしやそこまで持っていく方法が分からない。そのため不安そうに聞いてくるレネに、杜人は自信を持って力強く答える。


『任せろ! その辺りは今から教える。完全に憶える必要はないから安心して良いぞ』


「うん、お願い」


 杜人は回転しながら斜め四十五度のポーズを決め、レネはその動きのおかしさに口を押さえて笑いを堪えていた。





 そして運命の時間が遂にやってきた。おそらく来るだろうと予想していた昼前の時間に、エルセリアはいつも通り緊張した面持ちでやってきた。


「こんにちはレネ。いつも熱心ね」


「……こんにちは。ありがとう」


『出だしはこれで良い。作戦開始だ!』


 杜人はせっかく褒めるのだからもう少し柔らかく言えば良いのにと思いながらも、作戦の開始をレネに告げる。レネは小さく頷いて、唾を飲み込むと久しぶりに自分からエルセリアに話しかけた。


「実はお願いがあるの」


「え……?」


 唐突かつ見事な棒読みだが、予想外のことが起きたために思考が停止したエルセリアは気が付かない。喧嘩別れをしてから初めてレネの方から話しかけて来たのだ。エルセリアにとっては棒読み口調など些細な問題であった。


『予定通りだ。一気にたたみかけろ!』


 その指示にレネはこっそり拳を握り締めると、腹に力を入れて声を出した。


「今度の試験のために屋外の訓練場で練習をしたい。私では場所を確保できないから一緒に居て欲しい。空いている時間はある?」


 今度は箇条書きを読んでいるような言い方となった。お願いする言い方ではないが、緊張状態にあるレネは気が付いていない。そして思考が停止しているエルセリアも細かいことは認識できない。


 二人の様子を観察している杜人は、予想通りの状況に腕組みをしながら頷いていた。しかし、この状態は長続きしない。双方が我に返る前に決めなければならないため、杜人は真剣な表情で推移を見守っている。


「あ、明日なら朝から大丈夫だけど……」


『良し、作戦一番だ!』


 なんとか答えたエルセリアの返答を聞いて、杜人は想定していた作戦を指示する。もはやレネも緊張によって思考が停止していて勢いだけで話している。


「それなら明日の朝食後に屋外の訓練場で待っているから」


「え、ええ」


 予定を聞いた時点で確定として話を繋げ、かなり強引だが了承を取り付けることに成功した。後で思い直しても断りはしないと確信しているので、杜人は終了を宣言する。


『作戦完了。撤収だ!』


 話が一段落したためこの状態はもうすぐ解除される。そのため破綻する前に素早く逃げなければならない。それを見越して杜人はあらかじめ撤収までの行動をきちんと指示をしていた。


「ありがとう。それじゃあまた明日」


「ええ、また明日……」


 レネは礼をしながら挨拶をし、素早く身を翻して逃走する。エルセリアは呆然とその背中を見つめていたが、やがて我に返るといつの間にか一歩前進していた関係に、涙を流して喜んだ。


 会話を聞かずに遠目から見れば、レネがエルセリアを泣かせたように見えたかもしれない。そのため誰かが見ていれば悪い噂が駆け巡ったかもしれないが、その辺りは杜人がしっかりと計算し、目撃者が居ない場所に誘導してから決行している。


 そしてレネとエルセリアの関係は、見た目上はエルセリアの方が上位にいると思われている。そのためエルセリアがひとりで泣いているのを見かけても、レネとの関連は誰も疑わなかった。





『どうだ、言った通り順調に進んだだろう』


「うん、あんなにうまくいくなんて思わなかった」


 一度部屋に逃げ帰ってから気持ちを落ち着かせ、今は食堂で昼食の最中である。スープとパンのみだが、おまけで甘めのクッキーが付いていた。


 見ていた杜人の感覚ではかなり綱渡りな結果だが、半ば思考停止していたレネからすれば指示通りにしたらうまくいった程度の感覚だ。杜人は分かっているが、指摘はしない。目に見えない信頼はとても大切なものなのだ。


『これで明日は広場で練習できる。試験本番の感覚を掴む上では大切な練習だ。おそらく一度しかできないから、心して練習しよう』


「うん。さすがに連続して占有は駄目だよね」


 切羽詰まっているからといっても、なりふり構わないわけではない。合格すれば引き続き学院に在籍できるのだから、敵を量産する行動は駄目なのだ。


「明日は頑張るから」


『その意気だ』


 一つ目の試練を乗り越えたレネは、レネにとっての最大の試練となる明日の練習に向けて気合いを入れる。杜人にとっては既に最難関は過ぎたので逆に余裕がある。


 最後のクッキーを味わいながらゆっくりと食べるレネを見ながら、杜人はうまくいって良かったとほっと息を吐いていた。







 午後は迷宮での練習を行う予定なのだが、その前に今日からダイル商会に立ち寄ることになっている。


『たった一日分、されど一日分。立ち寄るだけで力の増加量が倍になるのだから、だいぶ助かるな』


「おまけにお金ももらえる。これで少しは贅沢しても良いかなぁ」


 レネは髪を結ぶリボンの端をいじくりながら、これくらいは新しくしても良いかなとか考えている。レネの考える贅沢とはこの程度である。


 店の中に入ると、昨日と同じように大勢の人が商談をしていた。もちろんレネの場違い具合も健在だ。


「視線が痛い……」


『通えばそのうち憶えてもらえるだろうから、それまでの辛抱だな』


 俯きがちになりながら早足で受付に向かう。そしてカウンターの前に来たところで、レネが用件を言う前に受付に居たリュトナがにこやかに話しかけてきた。


「いらっしゃいませレネ様。ご用件は商品の引き取りでしょうか」


「え、は、はい……」


『もう顔と用件を憶えたのか。教育が行き届いているな……』


 レネは顔を憶えられて、何やら嬉しいような恥ずかしいような気分になりながら返事をする。


「それでは案内いたします。こちらへどうぞ」


「……ありがとうございます」


 なんだか突然偉くなったような気分になりながら、上機嫌にリュトナの後ろを付いていく。そんなレネに杜人はにんまりとしながら声をかけた。


『ふふふ、突然大物になった気分はどうだ? よきにはからえとか考えていないだろうな』


「そ、そそそ、そんなことは考えてないっ」


 少々焦りながらレネは顔を赤らめて杜人を指ではじく。そしてそんなに分かりやすかっただろうかと耳まで真っ赤になって俯いた。杜人はそんなレネを、恥じ入る姿も実に良いと頷きながらじっくりと鑑賞していた。


「こちらです」


「ありがとうございます……」


『倉庫か?』


 案内されて来た場所は集まった商品が所狭しと並んでいる場所で、リュトナはその一角にある袋の山を指し示している。袋の大きさはレネがすっぽりと入れるくらい大きかった。


「これの中のどれでしょうか」


 纏めたのかなと思いながらレネが聞くと、リュトナは山を囲むように手をぐるりと回した。


「全部です」


「え?」


『なに?』


 レネと杜人は驚いてリュトナを見るが、リュトナはその反応を予想していたので変わらぬ笑みで説明を続ける。


「今回は初日ですので、今まで溜まっていた分も一緒に回収されたためこの量になっております。次回以降はそれなりになりますので、ご安心ください」


『ああ、そういうことか』


「びっくりした……」


 杜人は袋の山を見ながら、確かにこの量ならやり方を間違えなければ商売になると頷く。そして、レネが引き取りに来ない時の損失を考えるとずいぶん良心的な契約だったのだなと、内容を思い返しながら商会長のダイルに感謝した。


『良し、袋の口を開けて、その上に魔導書を置いてくれ』


 杜人は納得したところでレネに指示を出す。レネも頷いて袋に近づき、口を開けて魔導書を粉状の屑素材の上に置いた。すると最初に魔導書が沈み込んでいき、その後に周囲が崩れて魔導書が埋もれていく。しかし、崩れる量は一向に減らずにすり鉢状になりながら崩れ続け、見る間に中身が無くなっていった。


「おおー」


「すごい……」


『ふふふふふ、遠慮せずにもっと褒めて良いのだよ?』


 目を見開いて驚く二人を見て、杜人は無意味に胸を張っていた。


 単に接触面から取り込んでいるだけなのだが、見た目は魔導書が吸い込んでいるかのように無くなっていく。砂時計の砂が落ちていくように消えていく様子はなかなか見ごたえがあった。


『というかレネ、持ち主が一緒に驚いてどうする』


 にやけている杜人の指摘にレネは顔を赤らめ、無言で目の前に浮かぶ杜人を指で弾いた。







 夜の練習も終わり、風呂から上がれば後は寝るだけである。既に明かりは消され、月明かりが部屋を照らしている。レネは寝台に寝そべりながら、机に居る杜人と明日に向けて軽い打ち合わせをしていた。


『さて、最後にエルセリアについてだが』


「うん……」


 遂に来たかとレネは沈んだ声で返事をした。


『基本的には話を聞く必要は無いから安心しろ』


「……良いの?」


 思わず身を起こして杜人を見る。


『ああ、正確にはエルセリアの話を俺が通訳してレネに言うから、レネはそれに対して返事をすれば良いんだ』


 レネはまだよく分からないので首を傾げる。


『例えば、ゴホン、今日は調子が良くないの? と言った場合』


 杜人はエルセリアの声音に似せて声を出した。硬質で温かみが感じられない声は、内容の如何を問わず突き刺さるような言葉になった。


「うわ、似てる……」


 レネは嫌そうに眉をひそめる。杜人はにやりと笑って任せろと拳を突き出しながら話を続ける。


『俺が、体調が良くないの? 大丈夫? という様に通訳する。だいぶ印象が違うと思うがどうだ?』


 今度は真似ではないが、意識して柔らかい声音で話す。同じ内容でも良いのだが、より分かりやすく言葉も変えてみた。


「だいぶと言うか、同じ内容とは思えない。すごい」


 前者は『いつもそうなのにね』という嫌味に聞こえたが、後者はきちんと心配しているように聞こえた。言った内容だけ比べれば大差ないはずなのに、ここまで違うのかとレネは感心して小さく拍手をする。


『もちろんエルセリアの発言も聞こえるから完全には無理だろうが、直接やりとりするよりはずっと受け答えしやすくなるはずだ。その辺りの切り替えは頑張ってくれ。深呼吸を忘れるなよ』


「分かった。頑張る」


 レネは安心して再び横になると、身体を動かして杜人の方を向いた。


『後は明日だな。ゆっくり休んで気力を充実させてくれ』


「うん、おやすみ」


 レネは掛け物をきちんとかけると、丸まって目を瞑った。懸念が解消されて安心したせいか、意識はすぐに闇に溶けていった。





「明日はレネと……。あのことを話そうかな。あ、あっちの方が……」


 とある一室に、はしゃぎながらまだ眠らない人物がいたが、今のところは平穏であった……。





 試験まで、残り三日。

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