第16話 学院祭の始まり
学院祭が始まる朝。朝食を終えたレネはひとまず部屋に帰ってセリエナと共に杜人の指示を聞いていた。
『大雑把に言えば、ジンレイが飲食店舗を見る。セリエナは魔法具。レネは全体を監督することになる。騒ぎが起きたらそこに行って、責任者として即座に解決するのが主な仕事だな』
「ちゃんとできるかなぁ。なんだかもう緊張してきたような気がする……」
「深刻なことは滅多に起きませんから大丈夫ですよ」
まだまだ本番に弱いレネは予想外のことが起きたときに対処できる自信を持っていないので、セリエナの励ましもあまり効果が無かった。そのため今度は杜人がその役目を引き継いで、レネの目の前でにこにこと上機嫌に回転する。
『なに、こういうことは失敗したことも後の思い出として楽しく思えるものだ。それに周りにはセリエナもいるしジンレイもいる。なによりこの俺が一緒にいる。どう悩んでも失敗するのだから、気にせずに思いっきり張り切って盛大に失敗するのだ!』
「どうして失敗が前提なのよ! 絶対にうまくやってみせるんだからね!」
杜人は最後にびしりとレネを指差し、乗せられたレネも怒り気味の口調ながらも元気になった。そんなレネに杜人はわざと『にたり』という音が聞こえそうな笑みを向ける。
『それは頼もしいな。それでは少しだけ手助けをしよう』
杜人が合図を出すと、控えていたジンレイが赤いはっぴをレネとセリエナに手渡し、シャンティナに着付けを行った。笑みを見たレネは『しまった』と言いたげな表情になっている。
「……派手、だね」
『ひと目で同じ班の構成員と分からなければ意味が無いからな。増員された手伝いの人達に対して、同じ服を着ることによって仲間意識を高めてもらう目的と、騒ぎが起きたときに客と班員がもめたのかどうかをひと目で判別するのが目的だ。特に対処はそれによってだいぶ異なるものになる。出だしを間違うと対処不可能になる場合もあるのは分かるだろう? 事前に考える時間があれば、対処もそれなりにできる。良いこと尽くめな一着だ』
「ううっ……」
レネの消極的な反対意見は、笑顔の杜人によって一瞬で粉砕された。不安だと言っていた手前、言われた理由を否定することはできない。そのためレネはがくりと肩を落として着ることを受け入れるしかなかった。
もちろん理由は後付けである。どうやったら着てもらえるか考えていたところにちょうど良い話題が出たため利用したのだ。セリエナは急ごしらえでできるわけが無い品質に何となく真実を悟っていたが、言われた理由はもっともなので何も言わずに袖を通した。
「ゆったりしているので羽織っても動きやすいですね」
「あれ、ぴったり?」
『一応レネ達のは合うように作ってあるからな。前の紐で縛れば裾も暴れないぞ』
レネもしぶしぶ着てみたが、制服の上からでも支障なく動けるため目を丸くして驚く。腕を動かしても引きつらないので、着ているのを忘れそうであった。
「まあ、これなら」
『色で目立つが変ではないから安心してくれ。……おっと、少し遅くなったな。そろそろ行こうか』
「そうですね。急ぎましょう」
話しているうちに少し遅い時間となったため、赤くなったレネ一行は普段より早足で屋外訓練場に向かったのだった。
「綿飴? これで不思議なおやつを作るの?」
「見たことの無い形の道具ですね」
『そうだ。ジンレイ、頼む』
「それでは作りますね」
集まった手伝いの人にもはっぴを配布して挨拶を行い、今はばらけて各店舗で人員の動きなどの調整を行っている。レネとセリエナはと言うと、今まで隠されていた不思議なおやつの屋台にて、試食を行うところである。
ジンレイは器具を起動させると中央に材料を入れ、木の棒をその周囲に回転させる。すると徐々に白い綿状の飴がふんわりとからまって大きくなっていった。
「おおー、これは楽しいね」
『そうだろう、そうだろう。簡単に見えるが、うまくやらないとおいしそうにならないんだよ。といっても砂糖の甘さだけだから、味は期待するほどでもない。日常ではない雰囲気を味わうためのものだな』
「できました。どうぞ」
「えへへ、ありがとう」
レネは顔程ある綿飴を笑顔で受け取ると、大口を開けて食いついた。そして口の中で溶けていく食感と広がる砂糖の甘さに相好を崩し、すぐ二口めに取りかかった。
「確かに不思議な食感です。ただ、甘いだけなので飽きますね」
『砂糖の塊だから仕方がない。ちなみに翌日まで残すとしぼんで悲しいことになるから、渡すときは一言伝えることになっている』
セリエナは上品に少しずつ食べていたが、半分も行かないうちに飽きてしまった。そのため残りをシャンティナにあげ、シャンティナはそれを残らず平らげていた。
「量は半分程度で良くないですか?」
「え? 足りなくない?」
意見の食い違いにセリエナとレネは瞬きながら見つめ合う。もちろん変なのはレネである。
『これは大きくないと嬉しさが半減するんだよ。かといって大きすぎても無駄にするだけだ。だからこの大きさがちょうど良いというわけだな』
「それもそうですね」
「うんうん」
嬉しさを証明していたレネを見ながらセリエナは納得する。食べ物としての視点ではなく、楽しむための視点で見るものなのだと理解したのである。
『それではその他の試食に行こう。食い過ぎるなよ』
「わーい」
「私は準備に行きますね」
レネは喜び勇んで次の店舗に行き、シャンティナも嬉しそうにリボンを動かして付いていく。セリエナは制覇できる胃袋は無いためレネ達を見送り、己が責任者となる店舗に向かったのだった。
そしてついに、フィーレ魔法学院の学院祭が幕を開けた。遠くからは人のざわめきが聞こえてくるが、屋外訓練場は平和なものである。
「やっぱり何もしないと人が来ないね」
『確かにこれなら赤字になるな』
レネは中央に用意した休憩用の椅子に座りながら周囲を見渡す。全員が赤いはっぴ姿なので、客が誰も居ないのはひと目で分かった。奥にはルトリスの天幕があるが、初日の開催は午後からなのでそちらの客も来ていない。イスファールの劇も午後からのためそちらの宣伝もされておらず、実に寂しい状況であった。
もちろん宣伝していないのはわざとであり、今は採用した学院生にクリンデル達が手伝い方を教えている最中である。初級魔法使いの女の子が真剣な表情で説明を聞いたり、試食をして小躍りしたり、魔法具と財布を見比べて頭を抱えて悩んでいたりなど、微笑ましい光景が展開されていた。
杜人は人が来ないことを利用して午前中いっぱい練習にあてることを提案し、レネも了承した結果である。そのため宣伝要員であるノバルト達は今のうちに学院祭を見て回っているし、地面に置く看板も今はしまってある。
「けど、せっかく広いのに使わないのももったいないよね」
『そう思った先人達の無念が、ここには染み込んでいるのだよ……。ふふふふふ』
「聞こえない、聞こえないからね!」
杜人はわざとおどろおどろしい言い方をし、レネは両耳を塞いでいやいやと首を振る。対抗手段を持ったからといっても生理的に嫌いなものが平気になるわけではないのだ。作り話であろうが想像たくましいレネは、その情景を思い描いてしまうのである。
「うー」
『そんなに見つめられると照れるじゃないか。……おっと、誰か来たようだぞ』
無言で繰り出されたレネの攻撃を笑顔でかわしながら、杜人は入口を指差した。レネも遊びを止めて顔を向けると、アイリスが学院生を五人ほど引き連れて歩いていた。レネはひくりと頬を引きつらせると、慌てて杜人に向き直る。
「嫌な予感しかしないんだけど……」
『なに、笑顔で迎えれば良いだけだ。くっくっく』
杜人はレネに作戦を伝え、レネは仕方がないなぁと笑いながら席を立つと忙しく動いているリュトナに伝達した。聞いたリュトナも微笑みながら了承し、各員に伝達していった。そしてそのままシャンティナを連れて入口に向かい、笑顔でアイリスを出迎えた。
「いらっしゃいませ。初めてのお客様ですので、全商品おまけしますよ。どうですか?」
「あら、そうなの。それではいただこうかしら」
アイリスは閑散とした会場を見て作戦がうまく行っていることに気分を良くし、慈悲の心で頷いた。取り巻き達も追随して頷くが、瞳には僅かに嘲りが浮かんでいる。しかし、それは杜人の作戦通りなためレネの笑顔は揺らがない。
「ありがとうございます! リュトナさーん、六名分おまけ増量つきでおねがいしまーす! ささ、こちらでお待ちください」
レネが笑顔で休憩所に案内すると、手始めに見本の絵柄を見せてシャンティナの飾り飴を勧める。
「どうですかこれ。お好きなものを作りますよ」
「まあ……、それではこちらをお願いします」
アイリスは感心しながらも一番難しいと思われる花弁が多い花を選んだ。難しいので気力が費やされると思ったのだが、注文を受けたシャンティナは熱い飴を取り出しながら手と道具を動かし、目にも止まらぬ速さで花を作り上げてしまった。
「どうぞ」
「あ、ありがとう……」
『出だしは上々だな』
アイリスは思惑が外れたため笑顔に少しだけヒビが入っている。そこにリュトナが人を引き連れて商品を持ってきた。
「お待たせいたしました。六名分おまけ増量です。持ち帰り用にしてありますので、ゆっくりとご賞味くださいませ」
「……」
リュトナと仲間達はテーブルの上に品物を置くと、一礼して立ち去った。テーブルの上にはできたての品物が所狭しと並べられていて、今にも零れ落ちそうである。アイリスはといえば、積み上げられた量に絶句していた。
「ご注文通り、全商品おまけしてあります。お買い上げありがとうございました! あ、これがお支払い明細です」
「……はい。それではごきげんよう」
明細の金額にアイリスはひくりと頬を引きつらせたが文句は言わずに料金分の換金札を渡し、微笑みを浮かべたまま取り巻きに荷物を持たせて帰っていった。その背中に若干哀愁が漂っていたような気がしたが、レネは見なかったことにした。
杜人の考えた作戦は『調子に乗らせて儲けさせてもらう』である。相手の目的がレネを下に見るためなので、実にやりやすい獲物であった。
まずレネは全商品おまけすると微妙な言い方をし、承諾を得たところで問答無用で注文を行った。ここで罠に気が付いてもレネを下に見たいがために訂正することはできないし、したらしたで『気が付かなくて申し訳ありません』と意味深に優しく言えば相手の意図を挫くことができる。
そして今回は気付かなかったためシャンティナを使って出鼻を完全に挫き、立ち直る前に止めを刺したのだ。出来上がってしまえば体面に関わるので、買わないという選択肢は取れない。レネの背後にはルトリスがいると思っているアイリスは、弱みを見せることができないのである。
「確かに魔法具は高いけれど、貴族なら大丈夫だよね?」
『自分の小遣いだったのではないか? ま、とりあえず貶めることにはならないから問題ないだろう』
レネは換金札に印を押して枚数を数えると思ったより多かったため、ちょっとやり過ぎたかなとほんの少しだけ反省する。
ちなみに学院祭では本物のお金ではなく換金札を使用する。受け取った店舗側で印を押せば、事務局で集計がなされて後で換金されるのである。もちろん押さなければ他のところで使えるが、その場合盗まれても文句を言うことはできないし、売り上げも計上されないのだ。
「そうだね。普通に売って、買っていっただけだもんね。……ほんと、気を付けないと」
レネは鞄に換金札をしまうと、同じことに引っかからないようにと真面目な顔で小さく呟く。もちろん杜人にも聞こえているのだが、本当に引っかかりそうなので冗談の種には出来なかった。そのためこれ以上暗くならないようにと話題を変えることにした。
『ま、今は頼りになり過ぎる俺が居るから心配無用だ。それよりそろそろ仕上がりを見に行かないか?』
もちろん普通には言わず、髪をかき上げながら無意味に斜め四十五度のポーズをとっている。その格好にレネはくすりと笑った。
「そうだね。行こう」
レネは気持ちを入れ替えると杜人に微笑みかけ、元気に皆のところへと向かったのだった。
そうしてひと通り手順を教えてそれなりに動けるようになった頃に、ノバルト達が深刻な表情で戻ってきた。そして客が誰も居ないのを確認すると、急いでレネのところに報告に来た。
「お帰り。楽しかった?」
「それなりには。それよりも団長、まずはこれを見てください」
「ん? ……クレープとジュース? こっちは一口ケーキ?」
ノバルトがテーブルに置いたものは、レネ達が作っているクレープに似た食べ物とジュース、そして持ちやすいクッキー製のカップに入ったケーキだった。クレープもどきはどちらかというとパンケーキを薄くしたような生地である。
『ほう、似た発想をした班があったのか。ま、他に無いほうがおかしいか。味はどうだ』
「おいしいけど、うちのほうがおいしい。うちより普通の材料の割合が多いからと、料理人の腕の差だと思う。材料の割に魔法効果がそれなりにあるから、大変だけれど作りながら付与しているのかな? これがどうかしたのですか?」
杜人はのんきに観察している。そのためレネも特に気にすることなく食べ、普通に感想を述べた。そんな落ち着いたレネの様子にノバルト達は顔を見合わせ、問題ないのだろうかと判断に迷ってしまった。
「いえ、売り上げに響かないかなと……」
「これらの店舗は、ここに来る道の周辺に密集していました」
「客引きもすごいです」
「ついでに朝には無かった大きな看板が置かれていて、ここに来る道を見つけにくくなっていました。知らない人はまず来ないと思います」
ノバルトとセラルの報告に、ミアシュとレンティも付け足した。そのためレネは瞬くとテーブルの上に居る杜人に視線を向ける。多少の不安が乗った視線だったが、杜人は笑顔で受け止めた。
『ほほう、考えることは皆同じだから、偶然とはいえ内容がかぶるのは当たり前か。だがしかし! 俺の案とレネの力が合わさった客引きには力不足過ぎる! ふっ、商売は弱肉強食。場所はあちらのほうが良いのだから、客を奪っても文句を言われる筋合いはない。それに通過点に居るのだから、逆に客の流れは多くなる。後はあちらの努力だろう。俺達は見ていく客を増やしているわけだから、努力しないことまで責任をとる必要はない』
杜人は元気に回転し、不安を見せずにまったく問題ないことを強調する。そのおかげでレネの瞳に浮かんだ不安は払拭され、小さく微笑みを浮かべた。それを見たノバルト達は、自信溢れるその態度に団長にはこの程度は障害にすらならないのだと思い安堵している。
もちろん杜人の態度はわざとである。エルセリアからあらかじめ情報を得ていたので、慌てることなく対処できた。レネには楽しんでもらいたいため、偶然を強調し嫌がらせかもという思考が浮かばないようにしたのだ。
フォーレイアの班と知ればまた話は別だが、レネはアイリスと先程来た取り巻きしか分からない。そして今までの嫌がらせも杜人が楽しむ方向で対処してきたため、心の傷にはなっていない。そのためその店舗群とフォーレイアが結びつかないのである。
『レネ、時間もちょうど良い。そろそろ始めようか』
勢いのままに杜人はレネに告げ、レネも小さく頷いて立ち上がった。
「みんなー! 始めるよー! 準備はできたー?」
「大丈夫です!」
レネの呼びかけに店舗に居るクリンデル達は笑顔で手を振って答え、しまっていた看板を表に出した。それを見たレネはにこりと笑うと、端末石を空高く浮かべ、片手を挙げて天を指差す。すると端末石が輝き始め、放たれた光の線が互いを結びつけていき、広場を覆う大きさの魔法陣が天空に現れた。それを班員達は驚きの表情を張りつけながら、口を開けて見つめている。
『良いな。安定している。これなら終わりまで大丈夫だろう』
レネは魔法陣を見上げたままだが、聞いていないわけではない。単に端末石の連動制御が大変なので答えられないだけである。今回は範囲が広いので、普段は使わない方法を採用している。そのためレネは返事代わりに魔法陣に魔力を流すと、静かに魔法の発動を告げる。
「……夢幻結界」
その瞬間、辺りは魔法陣が放つ光に包まれていき、レネと杜人の学院祭はついに始まったのだった。