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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第1章 言の葉は紙一重
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第10話 それぞれの想い

 次の日の日中は何事も無く終わり、現在は夕食の時間である。本日のまかないは、いつものスープにパンの耳を入れたものと、骨に付いた肉をこそぎ取り叩いて練り上げて作ったチーズ入りハンバーグと付け合わせの温野菜、それと肉団子ひとつである。ソースはさすがに普通の料理のものを使っている。今回のおまけはパン一個だ。


「おいしいんだよね、このハンバーグ。おかわりできないのが残念無念……」


『本当に腕が良いな。というか、まかないにしては手間がかかり過ぎだろう。一品料理として成立しているぞ』


 骨のところの肉はおいしいと聞いたことがある杜人は、そうであろうと頷いている。しかし、それだけでは味わいが薄いだろうから他の肉もきちんと混ぜているに違いないと推測していた。


「おいしいんだから良いの。このハンバーグはまかないを食べ続けた人だけの特権なんだから。……この軟骨がまた良いんだよね」


 レネは肉団子を放り込むと、こりこりと音を立てながら嬉しそうに噛みしめている。育ち盛りなので肉は大好きなのだ。


 もう無理だろうが希望は捨てるなと失礼なことを考えながら杜人は観察を続ける。ハンバーグはきちんとした手順で焼かれているので肉汁が内部に閉じ込められていて、半分に割ると中から熱く溶けたチーズと混ざり合って表に流れ出す。


 そうすると湯気と共に周囲に食欲をそそる匂いがたちのぼり、口の中に唾が湧き出たようでレネは危うくこぼしそうになっていた。そして混ざり合ったものをソースと共に絡めて食べているわけだが、レネは一気に食べずにしっかりと味わって食べていた。


 普段の食事は早く食べるほうなので珍しいと首を傾げ周囲を見てみると、同じ物を頼んだまかない仲間の中には一気に食べてしまい物欲しそうに見ている者もいた。


『なるほど、以前に失敗したことがあるのだな……』


 おおよそレネの行動原理を理解してきた杜人は深く納得して頷く。ハンバーグと付けあわせを食べ終えたレネは、パンをちぎって皿に残ったソースをふき取りながら綺麗に平らげていく。


 貴族なら行儀が悪いと言われるかもしれないが、まかないを食べている時点でそんなことを気にする必要はなくなっている。そのため洗いたてのように皿を綺麗にしたレネは、スープを飲み干すと満足そうに腹を撫でた。


「うん、おいしかった」


『良かったな。では少し休憩してから練習に行くか』


 幸せそうに笑うレネを見ながら、幸せを運ぶ偉大な料理人に心の中で敬礼をする杜人であった。






 夕食後はいつも通り、実習室にて訓練を行う。


『もう少し速度を上げてみようか』


「このくらい? ……あっ」


 速度のほうに気をとられたため、維持に失敗して灯明は消失した。炸裂氷針はなんとかなりそうなので、今日は灯明の方を重点的に練習していた。


『速度と言うより、変化に弱いな。急に曲げても駄目だから、等速で動くように術式に最初から組み込んだ方が良くないか? そうすれば発動後の制御がひとつ減る分、維持や位置の把握がしやすいだろう』


「ん……。けれど、そうすると時間がなくなっても速度を上げられないんだよね。正直不安……」


 レネは髪の毛の先を指で弄びながら案を検討する。もう少し操作が下手ならば迷うことはないのだが、手ごたえを感じ始めている現在では変えたくないのが本音だ。


『それならそのままで構わない。では、もう少し状況を変えながら練習しようか』


 杜人としては安定させるために変えたかったが、不安を抱えたまま失敗して苦手意識を持たれても困るので、あえて説得はしなかった。こうなると、練習する時間が足りないと愚痴りたくなる。


『操作の試験における最大の難所は、見えない位置の的に当てることだからな。配置情報は直前に公開されるとはいえ、一発でできるとは思えない。位置情報から実際の距離を把握できるようにならないとな』


「うん。けど見えないからやっぱり難しい……」


 再配置を行い、レネは灯明を発動して後ろの的に向かわせる。当てるだけなら前の的を避けてから直進させれば良いのだが、距離感がつかめていない今は、いつ当たったかがあてずっぽうになる。当てすぎれば崩壊してしまうし、それを意識すると当てる前に移動させてしまう。こんな配置が複数あるので、ひとつの間違いで簡単に終わってしまいかねないのだ。


『……よしそこで停止だ。ではもう一度同じようにやってみよう』


 杜人は少し高く飛んで、灯明が的に接触したことを教える。灯明では杜人はこの程度しか手伝えることは無い。構築から維持、操作まで全てレネが行わなければならないのだ。そして高いところと言ってもたかがしれているので完全な俯瞰視点は不可能だ。そのため少しでも距離感を感覚で分かるようにしておいた方が良いと考え、繰り返し行っている。


「……どうかな?」


『あと三歩程度だな。……行き過ぎだ』


 レネだけで行った時は、見えないので正確に当てることができない。これは元々不安定なので意識を維持に多く割かねばならず、移動速度まで気が回らないのでなかなか距離感覚がつかめないためだ。それでも短期間でここまでできればたいしたものだと杜人は思う。


(しかし、どうやら試験までには無理そうだな。かといって意思に反することを強制すれば他も駄目になるかもしれない。……良し、こっちを予備にして、手を貸せる攻撃と総合に賭けよう。となると練習の時間配分を変えるか)


 杜人は今の状況から最初の計画をあっさりと捨てて、練り直しを行うことに決めた。と言ってもレネには伝えない。ここで方針転換を伝えるとやっぱり駄目かもと不安だけが膨らむためだ。特にレネは気持ちが不安定な時期なので、今のやる気に水をさせばそれが良い案でもうまくいかなくなる。


 この辺りの切り替えの速さが杜人の長所でもあるのだが、他人を置いてけぼりにしてしまう短所でもある。そのため言動不一致と思われたこともあったが、その程度でうまくいくならと直す気はまったく無い。


 こうして何度か練習を繰り返した訳だが、レネだけで行うとなかなか上手に当てることができなかった。そのためレネの気持ちは沈みがちになり、その都度杜人は笑顔で持ち上げ続けた。


「むぅ……」


『ふふふ、遂に俺が居ないと駄目な身体になってしまったか。さすが俺、罪な男よ……』


「はいはい、次いくよ」


 だんだん杜人の言葉を流せるようになったレネは放置して練習を続ける。


『冷たいな。凍えそうだぞ』


「大丈夫、本は凍えても死なないから」


 軽口に笑みを浮かべるレネの様子にうまくいったと思いながら、これからどうしようかと悩む杜人であった。






 練習が終われば後は風呂に入って寝るだけとなる。レネは着替えを持つと、笑顔で杜人に声をかけた。


「さ、お風呂だお風呂。一緒に行く?」


『おお、ついに連れて行ってくれるのか。もちろん行くぞ!』


 机の上で嬉しさを示すためにポーズを決める杜人だったが、残念ながらレネの感性とはかけ離れていたためまったく伝わっていない。


「そう。それじゃあ別の寮にある男湯に置いておくから、勝手に帰ってきてね」


『……現実はいつも非情なものだな。おとなしくここで待っていることにしよう』


 がっくりと膝を落とし両手を机についた杜人の姿にくすりと笑いながら、レネは手を振って部屋を出ていった。


 レネの住んでいる寮は学院の中でも一番賃料が安いのだが、共同の風呂はきちんとある。金持ちや貴族用になると個別にあるが、レネはそこまで欲しいとは思っていない。もう遅い時間なので風呂には誰もおらず、レネは気兼ねすること無く入っていった。


 中には安物だが石鹸などの入浴用品が一揃いあるので、それらを使って楽しげに鼻歌を歌いながら長い黒髪や華奢な身体を洗ったあと、ぬるい湯船につかる。


「ふぅー、よかよか……」


 お湯の良い感触に微笑みながら手を動かす。少し前まではこんな風に楽しむ余裕も無かったことを思い出して、笑いながらゆっくりと息をはいた。


「良かった。なんとかなりそう……」


 今日の練習ではあまり成果が上がらなかったが、今までのことを考えれば十分希望に満ちていた。


「本当に良かった。……これでもう少しあれじゃなかったらもっと良いのに」


 ぱしゃりとお湯を顔に当て、杜人のことを考えたレネは微笑みながら天井を見上げる。あれとはもちろん杜人の奇矯な言動のことだ。ほぼ素ではあるが、中にはレネの気持ちを高めるためにわざと行ったこともある。だが他人と交流した経験がほとんど無いレネはその区別がつかない。だからレネにとっての評価は『頼りになるが、ちょっとあれ』となっている。


 思い出せば笑みがこぼれる評価だが信頼はしている。依存に近くなっていると分かっているが、すがるものが何も無かったのだから仕方が無いと言い訳をしていた。


「明日も頑張ろう……」


 湯気が満ちる天井を見上げながら、願いを込めてそっと呟いた。







 レネが眠りについてから、杜人は本体である魔導書の中に入っていた。契約してからは内部が変わっていて、現在は白い空間に椅子とテーブルがひとつずつと、空中に半透明な表示窓がずらりと並んでいる状態だ。俗に言う電子の世界に紛れ込んだようなと言う表現が一番近い。


 最初見た時は驚いたが、おそらく深層意識が現実とは違う世界として表現しているのだろうと推測していた。杜人はそんな場所で椅子に座りながら表示窓のひとつを引き寄せて今後のことを考えていた。



『まだまだ第一章の修復すら終わらないか』


 杜人が得た知識はこの本に刻まれていたもので、魔導書としての基礎部分はそのまま獲得していた。しかし、それ以外の応用に関する部分が欠落、あるいは破損していたため修復作業を続けていた。


『しかし、修復がある程度終わらないと章の中身が閲覧できないのにはまいったな。おかげで他の章に取り掛かれるのはいつのことになるやら』


 この魔導書は取り込んだ品物の力によって強化が行われるようになっていて、それを利用して修復をしているのだ。感覚としては破れたページを取り込んだ力で新たに作っているような感じである。作り終わったらその力を使って別のページを作る。これの繰り返しである。


 一度修復してしまえば品物を取り出しても支障ないのだが、今は取り出した分だけ力が減少して修復が遅くなってしまう。できるだけ速く進めているが、かなり無理をしているので穴も多い。今は試験のためだが、終わってしまえば急ぐ必要は無いのでゆっくり修復しようと思っている。


『それにしても、この各章を封印して順次解放していく手順はさすがだ。よく分かっている。やはり封印とはこうあるべきだろう』


 腕を組んで満足げに頷く。


『第一章の解放実験は試験の後だな。さすがに不完全すぎてレネに負担がかかりすぎる。何かあるとまずいからな』


 杜人は今まで見ていた表示窓を脇によけると、パチリと指を鳴らす。すると新たな表示窓が降りてきて、よけた方は上昇していった。今度の窓には白珠粘液が映し出されている。


 既に表記は整えられ、絵柄も色つきになっている。本当は明日にでも披露する予定だったが、本日の決定を受けて更なる改良が必要となったため、それは中止となった。


『第三階層には新たに硬鱗赤蛇が出てくるから、確実に抑えられるようにしておかないとまずいな……』


 もちろん情報はレネから得ている。硬鱗赤蛇の大きさは普通の蛇と変わらないが、硬い鱗で攻撃を防ぎ素早い動きで接近してくるので魔法使いにとっては嫌な魔物である。毒を持っていないのが救いだが、慣れないレネは近寄られただけで無力化されてしまいそうな予感があった。そのため白珠粘液を急遽強化しようと思ったのだ。


 強化には二種類あり、純粋に個体の能力を上げる方法と、複数の個体を呼び出す方法だ。必要な力は能力を上げる方がかかるが、杜人は迷わずそちらを選んだ。これは確実に一体は抑えるつもりだからである。今から数を増やしてもせいぜい三匹がやっとであり、素早い硬鱗赤蛇には追いつけないのでどのみち対処できない。


『まずは速さか。捕捉できなければなんともならない』


 完全に記載されてから余った魔石を消費してどんどん強化していく。消費すると取り出せなくなるが、一体化するため魔導書の力は下がらない。


『まだ足りないな。……魔石以外も探してみるか。ついでに使える領域が増えた分で何か術式を作ってみよう。やはり派手な方が目を引くからそっち方面かな』


 今まで獲得した魔石をつぎ込んでも、まだ安心できるところまで辿り着けなかった。このまま魔石を収集していっても、そこまで行けるか怪しいと感覚が訴えている。そのため杜人は、それ以外で強化できる素材を探してみようと考えた。


 そして修復の副産物として何も無い空領域ができたので、そこに何か新しい術式の構築を行うことにした。こちらはついでなので、実用性は考慮しないことにしていた。ここに書いた術式は杜人の管理領域なので杜人にしか使えない魔法になる。レネが使う分と合わせると魔力消費量が増えるが、それでも十分役に立つと考えていた。


『ぬふふのふ、あのなめらかなお肌に傷を付けるわけにはいかぬのである!』


 最後の動機は不純極まりないが、杜人はきちんとレネのことを考えているのだ。





「はぁ……、今日は一度もレネに会えなかった……」


 エルセリアはいつも通り枕に顔を埋めて、器用にため息をついた。本日のレネは、午前中に図書館にて司書の仕事をこなし、午後は迷宮にて白珠粘液を大量殺戮。夜は実習室にて練習と、いつもどおりの行動だ。


 それに対して本日のエルセリアはと言えば、午前中は講義があったために会えず、午後はどこに居るのか分からないから会えず、夜は一応貴族のお嬢様なので寮の外に出ることは色々な意味でとてもまずいために会えない。食事中はこの間手酷く振られたのでしばらく止めようと思っていた。そのため結果的に一度も会うことができなかった。


「それにしても、今日の夕食がチーズ入りハンバーグだったなんて……。遠慮せずに行けば良かった」


 長年レネを観察し続けたエルセリアは、本日のハンバーグがレネの大好物であることを知っている。そしてあれならエルセリアが食べても違和感が無いものなので、一緒に食事をする口実にぴったりだったのだ。


 エルセリアは残念に思っているが、杜人が聞いていたら確実に止めただろうことだ。何故ならば、楽しい時間に不愉快な思いをしたい人など誰も居ないからである。そしてレネは食事自体が大好きである。


 つまり、親しい人以外が食事中のレネにどうでも良い内容で話しかけると、楽しい時間を削ったと言う理由で好意は減っていくのだ。これはエルセリアだけに限らない。なんといっても、今まで図書館にこもっていたレネには親しい人など皆無なのだから。


「レネに会いたい……」


 もはや刷り込みや呪いの領域でレネへの好意が固定されているのではと思いたくなることを呟きながら、エルセリアは夢の世界へと旅立っていった。





 試験まで、残り五日。

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