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斬 -ZAN-   作者: 鷹玖沙 眞
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第1章 僕と祖母

 「ただいま…」

 僕は学校から帰ると玄関から声を掛けたのだが、家の中は静けさで支配されていた。玄関の扉の鍵すら掛かっていない。鍵も掛けずに家を空けるなんて無用心にも程があると思う。僕だって家の合鍵を持っているのだから、出掛けるのであれば戸締りぐらいして行けば良い話なのである。


 うっかり者の母親が帰ってきたらガツンと厳しく言ってやるんだから!と靴を脱ぎ捨て、僕は怒りに任せて家にズカズカと上がり込んだ。

 しかしそんな怒りも何処へやら、先ずは自室に戻り鞄を置いて着替えを済ます事にする。次に居間でテレビを観ながら本日のおやつを嗜む。その後は母が夕飯の準備を始めるまでボンヤリとテレビを見るか、それとも自室に篭って友達に借りた漫画を読み耽るか、どちらにしようかと大まかに予定を考えていた。

 廊下を歩いている内に、ある結論に達したのである。突き当りの階段まで来た時にはどちらの予定にせよ“家族が帰ってくるまではダラダラと過ごしてやろう”と僕は決心したのである。


 つまりこの時点での僕の結論には”宿題を済ませる”という発想など毛頭に無い。


「今日は僕一人みたいだしなぁ…。」

 誰に聞かれる訳でも無いからわざと口に出してみた。居るべき相手が居ないのもつまらないからである。

 階段の手摺に手を掛け、一段目に右足を乗せた瞬間に和室の襖がガラリと開いた。自室まで駆け上がろうとした矢先に、構えた体はがぴたりと止まる。


「あら、お帰り。」

 そう僕に声を掛けたのは祖母だった。祖母はいつも和服を着込んでいるような人間で、今日は濃紺の紬を着ている。しゃんと背筋を伸ばし、凛とした姿に気品と気高さを感じた。

 祖母は穏やかなのだが、躾は厳しい。


「ただいま、って家に居たの?」

「ええ、今日は一日家に居りましたよ。それとも何かい?私が家に居ちゃいけないのかい?」

 祖母は私の問い掛けに少しムッとしたような表情をして言い返してくる。

「そうじゃなくて、玄関から声を掛けたのに誰も返事してくれないし、また母さんが鍵を掛け忘れて何処か出掛けちゃったのかと思ったの!」

「あらそう、葉子さんは買い物に出掛けたきりよ。そう言割れてみれば…まだ帰って来てないわねぇ。」


 そうなんだ…と改めて階段を駆け上がろうとしたのだが、祖母は「お待ちなさい!」と手にしていた竹尺でピシリと僕のお尻を叩いて止めた。

「靴が散らかってますよ、部屋に上がる前に先ずは靴を直しなさい!」

「後で…じゃダメ?」

「今すぐ!」

 高校生にもなって、きちんとなさい!と小言が続くので、僕は肩を竦めて玄関にすごすごと戻る。このまま小言が続くと適わないので、さっきまで履いていた靴を手に取りそっと土間の端へと置く。


「こういう事は普段からきちんとなさい!」

 このまま説教になっては敵わない。「はぁい」と僕は気の無い返事をしつつも「着替えてくるね」とだけ言って階段をダダダっと駆け上る。


「家の中を走るんじゃありません!」

 祖母の声を背中で聞きつつ、僕は自室へと飛び込んだ。全く持ってこういう事には煩い祖母だと思う。

 ぼんと鞄をベッドの脇に放り投げると、適当に私服を選んだ。着慣れぬ真新しい制服を脱ぐと、開放感に溢れた。学生服というのは成長の期待を込め、大きめのサイズを頼むのが一般的。そんな学生服を着るのが一年生の宿命であり、着こなすにはまだまだ時間が掛かるだろう。ブレザーをハンガーに掛け、着ていたワイシャツを脱いで丸める。薄手のトレーナーに袖を通すと僕の気分は幾分か楽になった。


 楽になったままベッドにゴロリと転がる。授業は始まったが中学の頃よりもペースは速いし、追いついていくのもやっとだ。疲れたなあ…と呟いた矢先にくぅとお腹が鳴ったので、小腹が空いた事を思い出す。

「こんな事をしている場合じゃなかった、おやつ!おやつ!」

 今度は階段を駆け下りれば祖母からまた雷が落ちるだろう。今度は慌てずにゆっくりと降り始める。


「今日は貴方の好きなおやつですってよ。」

 閉め切った和室の中から祖母の声がした。気付かれないように静かに降りたのに、階段を降りた矢先に声を掛けられた。

 祖母には透視能力でも有るんじゃないだろうか?そんな風にも思ってしまう。気配を消したのに良く判るなと感心する。

「うん、わかったよ。」

“僕の好きなおやつ”って何だろう?今日のおやつはちょっと気になった。


 台所へ向かうと僕は冷蔵庫の前に立つと、そこには母が書いた一枚のメモ用紙が貼られていた。


“今日のおやつはこの中に入ってます”

 ”おやつ”というこの一言には僕の中のボルテージを一気に高める効果がある。何だろう、洋菓子なんだろうか?それとも和菓子?ここまで僕にドキドキ感を与えてくれるおやつとは…

 僕は恐る恐る冷蔵庫の取っ手に手を掛けると、ばっと扉を開けてみた。


 そこには一本の羊羹が鎮座している。

 しかもその羊羹をよく見ると箱書きには大きく一文字で“松”と記されていた。


 思わず拳をぐっと固めてしまう。

 これは僕の大好きな和菓子、松屋の“栗蒸し羊羹”だ。

 甘さ控えめ、濃い目のお茶とよく合う!僕は年寄り臭いと言われるが、これは祖母の影響で良く食べる羊羹なのである。そそくさと小皿を用意し、ほど良い大きさに切り分けた。自分の湯呑みと祖母の湯呑を用意し、急須に茶葉を多めに入れてお湯を注いだ。これで用意は万端!


 お盆に載せると、笑顔と共に浮き足立ちながら祖母の部屋に向かった。

「お祖母ちゃん、入って良い?」

「お入りなさいな」

 和室の中からは祖母の優しい声、一旦は僕はその場に腰を下ろすと手にしていたお盆を一回床に置いてからそっと襖を開けてみる。


「おやま、少しは礼儀正しい所作が出来るようになったみたいね。」

 祖母は手にしていた縫い針を針山に差し込むと、部屋に入りつつ着座をしながら襖を閉める僕に向かってニコリと微笑んだ。


「そうかなぁ。」

「そうですよ、もし貴女がお盆を持ったまま、襖を開けてごらんなさい。ちょっとした拍子に転んだらどうするの?貴女が運んできたお茶とお茶菓子も駄目になってしまうでしょう?それどころかお茶が相手に掛かったら大迷惑でしょう?

 きちんとお盆を置いて危険を防いだ事。相手を想い、優しく丁寧に対処をしたという事。そうきちんとした所作をする事で貴女はお茶やお菓子を運んだのでなく、気持ちを運んできたのです。

 それが自然と出来るという事は、成長したという事ですよ」

 厳しい性格の祖母に褒められる事は珍しい。だから些細な事でも褒められるのは嬉しい気持ちにさせられる。

 

「折角だからさ、一緒にお茶でも飲まないかな…なんて思ってさ。」

「あら気が利くわねぇ、喉が渇いてきたしお茶が欲しいな、なんて思っていたところよ。」

 照れ隠しの提案でもあったのだが、おやつを一人で食べるのは正直なところ味気無かった。それに祖母と話すのは嫌いじゃないし、どうせなら一緒に居る方が良い。早い話、僕はおばあちゃん子だからである。


「ところで学校はどうだい?」

 お茶を啜ると、祖母はふぅと一息つき僕に話し掛けてきた。

「学校にもだいぶ慣れたし、落ち着いてきたかなぁ。」

 そう祖母の質問に答えながら、小さく切り分けた羊羹の一切れをポンと口に放り込みながら、僕はそのままお茶を流し込んだ。…少し茶葉を入れすぎたようだ、羊羹の甘味よりお茶の苦みがきつい。

 

「勉強の方はどうなんだい?」

「うん…やっぱり高校だよね。中学校に比べれば難しいよ。この前もいきなりテストでさ、“まず知るべきは自分の実力だ!”だって…」

「そりゃそうよ、己を知らなきゃ戦えないものよ。」

 正直な話、その結果たるや悲惨なもので気を落としていたのも事実だったのである。そこは黙っておこう。


「友達は出来たのかい?」

「うん、同じ出身中学の友達が居たし、通っていた塾の子も同級生にいたもん。あ、変わった奴が居たなぁ…」

 そうかい、そうかいと僕の学校での日常を、祖母は目を細め頷きながら聞いていた。


「だってさ、日本刀を持った奴が学校に居るんだよ。」

「日本刀?」

 祖母はえっ?という表情で僕を見る。そりゃそうだろう、“日本刀”と言われて驚かない人が居るのだろうか?

「物騒な子ねぇ…その子は剣道部なのかい?」

「そんな感じでもないんだよねぇ。」


 桜の木の下で冬用のコートを着込んでいた少年は僕と同級生であり、しかも同じクラスの人間だった。流石に気温が高くなりコートは止めたようだが、ワイシャツのボタンを外してネクタイを緩めている。そんなルーズな着こなしをしていた。それ以上に僕は彼が柄を肩に乗せ、座り込みながらボンヤリと桜を眺めていた時の姿しか思い出せない。


「そんな子と馴れ合うんじゃないよ。」

「まぁ…避けたい相手では有るんだけどさ、同じクラスに居るんだよねぇ。でも彼の名前は…何て言うんだったかな?」

「ふぅん、同じクラスならその子の名前を知っているもんなんじゃないのかい?」

 そうなのだが僕が学校から離れると、この日本刀を持った同級生の名前がどうしても思い出せなくなる。


「学校では普通に名前を呼べるんだけどさ…」

 そんな事って有るのかな?と祖母に聞くと、何やら難しい顔つきで考え込み始めた。こうなると話し掛けてもなかなか答えない。


「私もね…女学生時代に似たような人が居たのよ。その人とは何度も話しているのよ?何度も名前を呼んでいるの。それなのに覚えているはずの名前がどうしても思い出せなくなるのよ。」

 物凄く物覚えの良い祖母なのに、そのような不思議な発言をする事の方が珍しい。


「確かに日本刀を持っていたのよ、特徴ある人なのに名前を思い出せないなんて…。」

 日本刀を持っていると言うのは重要なポイントだ。

「私の学生時代…って言っても終戦に近い頃ね。

 軍人さんとかなら刀を持っている人は居たわよ。将校さんとか…でもね、軍刀では無くて日本刀を持っていたというのはあの人だけなのよ。」

 そこまではっきり記憶が残っているのに、名前を口に出せない事が祖母としては大変にもどかしいのだろう。


「服装と日本刀に違和感があったんでしょ?」

 僕の一言に、祖母は「そうなのよね…」と深く頷いたのである。祖母の学生時代と現代では背景も服装も違いすぎるのに、僕と祖母の話に”日本刀を所持した学生が居る”という共通事項が有る事が信じられない。


 同一人物?

 そんな事は有り得ない。僕が出会ったのは、今風にだらしなく学生服を着込んで登校する奴なのである。顔立ちは余りにも幼いし、僕よりも童顔に見えた。


 そんな男が祖母の学生時代の同級生と言うのなら…僕は祖母に対して「嘘だ!」と叫びだしかねない。

「変な話しだよねぇ…」

 そうねぇ…と、祖母はどこか腑に落ちないような表情でお茶を啜る。


「人がさ、”年を取らない”なんて事は無いよね?」

「八百比丘尼みたいに?そんな事は有り得ないでしょ。」

 やお?と思わず僕は聞き返してしまった。

「もう少し古典を勉強なさいな!」

 思わぬ所で怒られてしまった僕は、ペロッと舌を出して誤魔化す。


「人魚の肉を食べて何百年と長生きをしてしまった女性の話です。最後には世を儚んで尼さんになったのよ?」

 僕のごまかしの表情にくすりと笑いながら、しょうがないという面持ちで簡単に解説をしてくれたのである。

「年を取らないの?」

「“人魚の肉を食べた者は不老不死を得られる”という話は、昔からあちこちで有るのよ。」

 ふ~ん、と祖母の古典解説に相槌を打ったが、僕にはそもそも人魚の存在なんて信じられない。

 ともなれば祖母の話した“八百比丘尼”の存在も疑わしくなってきた。言い伝えなのだから真実味は乏しいのだが…


「って事はさ、僕が話している同級生とお祖母ちゃんの話した人が、同じ人だって事はない訳じゃん。」

「何を今更…当たり前でしょ、そんな年を取らない人なんて居るもんかね?」

 ふぅ、と溜息混じりに祖母は答える。

「貴女の話を聞くと、私の思い出の人とその子の関係は…“祖父と孫”と言う関係の方が妥当じゃないかしらねぇ。」

 祖母の言う通りだ。そう答えを導き出すのがしっくりくる。それでも…僕も祖母も揃って名前を覚えられない、なんて事は有るのだろうか?揃って面影や印象を記憶しているのに名前だけが記憶に残らないのだろう。


「人魚の肉を食べて不老不死になった話より、すっきりしないこの話の方が不気味でしょう?」

 素直に僕は頷く。

「今度はさ、名前を聞いてみるよ…」

「それが良いわね。それも名前を忘れないように、メモをしておく方が良いわ。」

 祖母は自分でお茶を注ぎ入れると両手で湯呑みを持ち、じっと考え込み出す。


「このお茶はちょっと濃い目ね…」

「この羊羹には濃い目の方が合うでしょ?」

 そうだけど…と言葉を濁しつつ、ずずずっとお茶を啜り出したのである。何か難しい事を考えているのかと思いつつ、他愛の無い事を考えていたようだ。

 しかしながら本当は祖母の長考は続いていたみたいで、どうやら僕の考えとは別の方向性を基に思考を構築していたみたいである。


「貴方が知っているその子の特徴は、名前を除いて何が有るの?」

 その祖母の一言に思い出したことがあった。それは彼が持っていた日本刀で、その刀を見る事が出来るのは僕だけ…らしい。仲の良いクラスメートに、それとなく彼が持っていた日本刀について話を振ってみた事がある。

“えっ?刀なんて何処にあるのよ?”

 返ってきた友達の答えは僕の質問そのものを否定するものだった。


「ああ、私もそれを言われた事があるわ。」

 祖母は思い出した、思い出したと何度も頷く。

「だってさ、日本刀だよ?誰が見たって判るよ?」

 日本刀の所有者である彼は、大きな背丈ではない。もしクラスの男子が背の順で並んだとしたら、前から数えた方が早いように小柄なのだ。それなのに不釣合いなほど大きな日本刀を持っている。物凄く目立つ代物なのに、クラスメートは誰一人として見る事が出来ない。


 授業中も席に座りながら、日本刀を抱えていた。

 僕には日本刀が見えるから彼を見ると“とても大切な物だから手離すまい”という感じを受けるのだが、クラスメートから見れば“腕を組んで生意気そう”に座っているように見えるのだと言う。

 そんな彼を快く思わないのは、教師達だろう。

 別に騒がしくしている訳でも、授業の進行を妨げている訳でもない。それなのに、“反抗的な態度を取っている”と思われ、目を付けられている。


 本人はふざけているつもりなんて全く無い。

 むしろ彼の成績は学年でもトップクラスの成績なのだ。

 もし、彼が腕を組まずしゃんと座るのであれば…一旦は刀を手離さなくてはならない。彼と刀は一心同体と言いたいのかもしれない。


「なんだお前のその態度は?」

 そんな彼にいつもしつこく絡んでくる教師と言えば、陰湿で粗暴と定評のある世界史担当教師の山川だけである。手にした教科書を丸め、彼の頭をポンポンと玩具の様に叩くのが定番だった。


 周りの僕らから見れば完全に体罰にしか見えないのだが、誰一人として粗暴な山川に逆らえる訳でもない。彼もまたその陰湿さを誰にも訴えもせず、反抗もしないでじっと耐えている感じだった。無抵抗にただただ無言で…


 そんな彼の態度に面白味を感じないのだろう。 

 山川は「つまらん奴だ…」と呟きくるりと背を向け、教壇へと戻る。何事も無かったから良かったが、ホッとしたのも束の間で、僕は瞬時に冷たい視線を感じた。

 何か心を突き刺す様な恐ろしいまでの殺気。

 心臓を掴まれたような胸苦しさに襲われると、僕はその視線の根源を探すためきょろきょろと室内を見渡したのを覚えている。


 彼だ!山川が背を向けた瞬間に、彼が山川の背中を鋭い視線で射抜いた。その漏れた凄まじい殺気に、僕の体は芯から恐怖で震え始める。

 山川が“授業を進めるぞ”と僕らの方に向き直ると、彼の顔はいつも通りのボンヤリと惚けた表情に戻っていた。

 怖い…、彼の事を思い返すだけで恐怖に襲われる。そんな恐怖以上に彼への謎が深まるのを感じた。


「その子に友達は居ないのかい?」

 祖母の疑問で僕はふと我に返ったのだが、ボンヤリする祖母の事をどうこう言う以前に、僕にも考え耽ってしまう癖が有る。

「確かに“仲良い奴は居ない”って感じなんだよねぇ。」

「休憩時間とかはどうなんだい?」

「う~ん…何か”周りの者が近寄れない”って雰囲気を醸し出しているよ。」

 授業中は腕を組んだまま黒板を凝視するが、ノートは一切取らない。それでも本人は全てを覚えきっていると感じの態度だった。

 授業間の休憩時は、教室を移動する授業でない限り基本的には席を立たない。

 そして誰も彼には近寄らないし、話し掛けもしない。


「昼休みは?」

 僕は弁当派なので、仲の良い友達と教室内で席を囲んで食べている。クラスメートの中には購買でパンを買ってきたり、食堂へ学食を食べていたりする者もいた。

 だけど彼は教室にもいないし、購買へ走る事も学食へ定食を食べに行く様子もない。気がつけば教室から居ない。


「何処行っちゃっうのかな?」

 僕が弁当のおかずに入っていた唐揚げを箸で突きながら、仲の良い友達に彼の動向を聞いた事がある。

「誰の事よ?」

「ほらいつも世界史の時間になるとさ、山川に目を付けられている…」

 誰だっけ…と考え込むも、「あぁ」と思い出したようだ。

「あぁ“死神君”ね。」


 死神君?と聞き返しつつ祖母は眉を顰めた。

「あまり良い渾名じゃないわねぇ。」

「でしょ?でもね、あいつがそう言われるのには理由が有るのよ。」

「目を見た相手の不幸を言い当てる…とか?」

 僕が言おうとした理由を、ズバリと言い当てた祖母に拍手で送ろうか、とさえ思えてしまう。

「お祖母ちゃんの思い出の人もそうだったの?」

 そう、と祖母は首を縦に振る。


「私らの時代は零戦に乗って、命を落とした人がたくさん居るの。

 ただね…零戦に乗り込む人にあの人が話しかけると、話し掛ける人は帰還できない。“声を掛けられた人は命を落とす”なんて専らの噂だったのよ。」

「そんな人だったんだ…でもさ、僕のクラスの死神君はそこまでじゃないよ。せいぜい“階段に気をつけろ”とか、“ボールにぶち当たるぞ”ぐらいなもんだよ。」

「それでも予期せぬ不幸がその人に降りかかるのは間違いないでしょ?不幸の大小じゃないの。」

 そうだよねぇ…僕は冷え切った濃い目の緑茶を一気に飲み干した。


「でさ、話が逸れたけど…その死神君が昼時になると何処に消えるかって話ね…」

「屋上に居た、って言うんでしょ?」

 また祖母に言い当てられる。そこまであいつの事が判るのなら、僕が話す意味が無いじゃないか、と言い掛けながら無言で急須のお茶を湯呑みに搾り出した。

 たまたま屋上で弁当を食べていた友人が彼を見たのだと言うのだが、祖母の言う通り学校の屋上で寝転がって空を眺めていたのだと聞いた事がある。


「私の知っている人と血縁がある子なら、血は争えないわねぇ…あの人もよく空を眺めて寝転がっていたもの。気になるわねぇ…その子」

 祖母の顔を見ると、その表情はすっかり若き乙女の頃まで飛んでいる。

「貴方、彼とは同じクラスなんでしょ?だったら話は早いわ、彼を我が家へ連れてらっしゃい。」

 いきなりの祖母の一言に、僕は思わず飲み掛けのお茶を吹き出しそうになった。何を祖母は突然に無茶を言う?


「でもさお祖母ちゃん、僕は彼に用なんて無いよ?」

「良いのよ、別に貴方に用事が無くっても私が彼に用事があるの!」

 こう決めた事には、頑固な祖母である。

「もし僕が断ったら?」

「その時は私が貴方の学校に乗り込むまでよ!」

 この祖母なら本気でやりかねない。だが、それは困る!身内の人間が若い少年を目当てに学校に押し掛けてくる、なんて話が学校中に広がったら…それは本当に嫌だ!


「解かった!何とかして家に呼ぶから!」

 僕はそう祖母に無理な約束をさせられたのだが…悩んでいたのである。

 祖母が通称“死神”の彼を我が家に招き入れろ!なんて言うからだ。

 普段からあまり話をする相手じゃないので、どういう人間かも解かっていない。それに彼も僕の家に呼ばれたからと、ホイホイと来るような感じでもないだろうし…

 そう考えつつおやつを食べていた僕は、突然に部屋の主である祖母に追い出された。


「ほら、いつまでもダラダラとしていないの、早く宿題を片付けていらっしゃい!」

 私はやる事が有るんだからと押入れの襖を開け、行李を引っ張り出すと何かを漁り始めた。

 そんな祖母の様子を眺めていた所で僕にはどうしようも無い訳だし、湯呑みや小皿を盆に載せてそっと部屋を抜け出す。


「ただいまぁ。」

 間の抜けた声が玄関からしたという事は…どうやら母親が帰ってきたようである。母親も盆を持った僕の姿を見るなり、「宿題をしたの?」という祖母と同じ科白を言う放った。これにはウンザリしてしてしまう。


「今からするよぉ…」

 手にしたお盆を母に押し付けて手渡すと、早々に僕は自室に戻る。

 そして背中から一気にベッドにダイブをすると、天井を見上げて誘い文句を考えてはみた。

 これだと思えるような決め台詞が何一つ浮かぶ訳も無く、宿題すら片付かないまま時間だけが過ぎていく。思い返せば彼に声を掛けたのは、桜の木の下で会った日の事。偶然に同じクラスになったとは言えども、僕から声を掛けた事も掛けられた事もない。


 そんな相手に僕はなんて声を掛ければ良いのだろう…

 これは思っている以上に難しい問題なのだよ、ワトソン君…

 思わず枕元に置いてある熊のぬいぐるみに話しかけた。話し掛けた所で“誰がワトソンやねん!”と突っ込みが帰ってくる訳も無く、どことなく虚しさがこみ上げる。


 祖母の気紛れにどう付き合うべきか…

 年頃の僕には、これはかなり由々しき問題に思えた。

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