お家でかき氷が作れるようになるの?
暑くなってきた。夏の到来である。太陽はじわじわと俺の体力を奪い、セミはじわじわとやかましく鳴き、やる気なんかもじわじわと削り取られていくような気がしてならない。これで、まだまだ本番じゃないってんだから気が滅入る。夏はこれから。この先、もっともっと蒸し暑くなり、えげつなくなる。外に出たくない。
「あはは、お兄さん、犬みたい」
スーパーの買い物袋を提げていた俺は、舌をだらりと出してしまっていたらしい。
「汗だくだ」
「僕も僕もー」
嘘つけ。全然暑そうな素振りを見せないじゃねえか。レンは元気そのもので、何も変わってない。まさか、改造人間ってのは熱すら感じないのか? んな訳ないよな。
家までの近道の為、噴水のある公園を横切る。途中、レンが空いていたベンチを見つけて腰を下ろした。何してやがる。さっさと帰るぞと言おうとしたが、水音に誘われ、俺はふらふらと彼の横に座った。
「きゅうけーい。お兄さん、荷物持ち変わろっか?」
「……いや、良い。しかしあちぃな。もう夕方だってのに」
陽は落ちつつあるのに、湿気が多くて気持ち悪い。帰って風呂入って着替えたい。組織の仕事も行きたくない。夜になりゃあ、少しは凌ぎやすくなってるだろうが、暑いもんは暑い。早く冬が来れば良いのに。そして冬が来れば早く春になってくれれば良いのに。
ぼけーっと噴水を眺めていると、公園の入り口にピンク色のファンシーな車が停まった。
「ねえお兄さん、アレ、何?」
「ソフトクリームか何かの、移動販売車じゃねえのかな」
「ソフトクリーム……」
車の前面には、ネコみたいな顔がペイントされている。しかし、塗装が剥げつつあって妖怪みたいになっていた。あれじゃあ子供は寄り付かない。……そう思いきや、我先にと群がるガキども。この熱気だ、アイスやかき氷はアホみたいに売れるだろう。
「ねえお兄さん」
「食べたいのか?」
「どうして分かったの?」
わからいでか。
いつもの俺なら『駄目だ』と切るんだろうが、正直、食べたい。俺もアイス食べたい。何か冷たいものを口の中に入れてみたい。
「俺の分も頼む」レンに千円札を渡す。彼は大きく頷き、他のちびっ子に混ざるように駆け出した。
息を一つ吐き、噴水に視線を戻す。そこの縁に、小さな女の子が腰掛けていた。歳は、レンと変わらないだろう。黄緑色のトラックジャケットに、同色のスカートを合わせて履いている。活動的っつーか、あの年頃の子にしちゃあ可愛げがない。と言うか、ちょっと怖いくらいだ。やけに凛々しい顔つきをしていらっしゃる。目は切れ長だし、ショートヘアに、銀髪だ。珍しい。
と、気付く。俺はガキをじろじろと見つめて、何をしているんだ。
「お兄さん?」
「ん、あー、サンキュ」レンからソフトクリームを受け取り、俺は『何でもないよ』と取り繕いたくなる。
あー、ソフトクリームつめたくてうめーなー。
「かき氷も食いたくなってきたな」
「売ってたよ?」
「うーん、そういうんは店で買うよりも、今度家で……ああ、マシーンがないんだった。明日、買いに行くか」
「お家でかき氷が作れるようになるの?」
なるなる。つっても、氷を入れてかき回すだけなんだけどな。
「今から買いに行こうよ!」
「やだよ」ん? 噴水の少女と、目が合う。見ていたのを咎めるような視線ではない。じっと、こっちを見ているだけっぽい。が、なんだか気まずい。気恥ずかしい。
あ。もしかして、あの子、ソフトクリームを見てるのか? はっはっは、何だよ、キツそうな感じだけど、やっぱガキじゃん。可愛いところもあるじゃないか。
「ねえねえお兄さんお兄さん、なんか、さっきから見られてるんだけど」
「よし、あの子の分も買ってきてやれよ」
「え? どうして?」
「あの子も食べたそうにしているじゃないか。今日の俺は機嫌が良いからな。誰彼構わずおごってやっても良いくらいだ」
何せ、給料がこないだ入ったばかりなのである。数字付きになった事で組織の給料は上がったし、カラーズからもちゃんと出た。正直、驚いた。あの社長がきっちり金を払ってくれるとは思っていなかったし、しかも、中々の額である。手渡しで頼んどいて良かった。あの、ずしりとくる感触がたまんないんだよなあ。金の重さは幸せの重さである。大概のもんは金だ、金で買える! がはは!
「良いの?」
「良いの良いの。あ、今行かなくても、食べ終わってからで……展開はええな、あいつは」
レンは食べかけのソフトクリームを持ったまま駆け出してしまった。
女の子はまだ、俺を、あ、いや、俺のソフトクリームを見つめている。食いづらい。つーか、よく考えたらどうすんだよ。どうやってあの子に渡すんだよ。『はいどうぞ』とか絶対怪しまれるだろ。もしかしたら近くに親御さんがいるかもしれなくて、通報とかされたらどうしよう。やべえじゃん。
「たっだいまー!」 ぎゃああ帰ってくるのが早いよ!
「はい、あの子の分。お兄さんが渡してあげるんでしょ?」
「いや、やっぱお前食って良いぞ」
「えーっ、僕もう食べられないよう」
ちらりと、女の子に目を遣るが、やっぱり彼女はこっちを見続けていた。ええい、覚悟を決めろ。いざとなれば走って逃げ出せ。俺は優しいお兄さん。ソフトクリームをあげるだけだ。別に何もやましいところはない。
「よし」俺はベンチから立ち上がり、自分のソフトクリームを平らげ、レンから新しいものを受け取る。少しずつ、野良猫に近づくようにして歩いていくと、女の子が俺を捉えた。
「……こ、これをあげよう」
女の子は、俺ではなく、差し出されたソフトクリームを見つめている。
「誰だ、お前は」
おおう? 意外と、その口調は大人びていた。ただ、少女の声がそれに追いついていない。背伸びしているような印象を受ける。
「他人から物を受け取る理由はない。それに、あたしはソフトクリームなんかいらない」
しっかりしてらあ。
「そらそうか。いや、じっと見てたからさ、食べたいのかな、とか思って」
「見ていただけだ。お節介な奴だな、身を滅ぼすぞ」
「滅ぼすって……一人なのか?」
近くに親の姿はない。まあ、一人でぶらついててもおかしくはない年齢だが、そろそろ暗くなる。怪人が出ないとも限らない。
「いけないのかい?」
女の子は鬱陶しいといわんばかりに、俺を睨んだ。
「うちの人が心配するんじゃないのか」
「うちの? ……ああ、そういう事か」
何がそういう事なんだろうか。
「帰るさ。じゃあな」
女の子は立ち上がり、公園の出口へと向かう。それと同時、ソフトクリームの移動販売車から、奇声が聞こえてきた。
「シャアアアアアアアアア! 許せん、許せんぞおおおお!」
目を向けると、蛇型のスーツを着た、怪人らしき男が暴れている。どうやら、奴の狙いは件の販売車らしい。
「何だ。怪人か」女の子はつまらなさそうに怪人を見遣ると、腕を組んで、鼻で笑い飛ばした。
「いや、何その反応? 早く逃げた方が良いって。……レン、レーン! カムヒア!」
レンは蛇怪人が気になるのか、すぐにはこっちに来なかった。早く逃げなきゃ、厄介な事になるぞ、こりゃ。俺の勘が、そう告げている。だから、そうに違いないのだ。
「あはっ、怪人だあ」
「うんそうだね。じゃあ行くぞ。おい、さっさと逃げた方が良いぜ」
女の子は動かない。地面と足がくっ付いちまったみたいに。流石に、置いてはいけないだろう。どこか、安全なところまで逃がしてやらないと。
「シャアアアア! とぐろを巻いても良いのは我々蛇型の怪人だけなのだあ! シャアアアア!」
馬鹿じゃねえの、クソして寝ろってんだ。そんな理由で、あのソフトクリーム屋を襲ってるってのかよ。許せん。が、どうにもならん。直、ヒーローが駆けつけてくれるだろう。それまで、あの車が壊れないのを祈るしか出来ない。
「ほら、早く逃げなって」
「平気だ。おじいちゃんを待っている」
「……おじいちゃん?」
「何だ、待ち合わせしてたのか」
でも、ここにいちゃあ巻き込まれる可能性がある。無理矢理にでも引っ張っていくか。……いや、そのおじいちゃんとやらと鉢合わせしたら言い逃れ出来ねえぞ。ああもう、ガキってのは本当に面倒くせえ。わがままだし、生意気だしな!
「いなせーっ、いなせーっ!」
「おじいちゃんだ」
こっちに向かってくる者が見えた。グレーのスーツと帽子を着こなし、真っ黒い杖をついた爺さんである。ジェントルマン。なんて言葉が脳裏を過ぎった。
「お前のじいちゃんか?」
「そうだ」女の子は頷き、爺さんに手を振る。それに気付いた爺さんは、嬉しそうにこっちへやってきた。……あー、良かった。下手に連れて行こうとしないで。
「おうおう、全く、どこに行っておったんじゃ」
さっきまでの俺に対する生意気な口はどこへやら。女の子は申し訳なさそうに俯き、しゅんとしていた。
「怪人が出たんスよ。早く逃げた方が良いです」
爺さんは俺とレンを見比べた後、納得がいったような表情を浮かべる。
「もしや、この子の相手を?」
「あー、まあ、相手っつー相手は。ただ、一人でいたんで。危ないなー、と」ソフトクリームのくだりはカット。俺は何食わぬ顔でソフトクリームを平らげる。
「大変だったでしょう」
爺さんは笑い、俺に握手を求めた。感謝、されているのだろうか。慣れていないので、ぎこちなく、手を差し出す。
「……あはは、別に、子供の相手すんのは慣れてますから」
「私は銀川と申します。この子はいなせ。いや、助かりました」
「ねえお兄さん、帰らなくて良いのー?」
あ、そうだった。ここでのん気に自己紹介なんざやってる場合じゃねえ。
「あの、それじゃあ俺たちは行くんで」
「ああ、そうですか。さ、いなせ、行こうか」
いなせちゃんは小さく頷き、爺さんと手を繋いで公園を出て行く。実にのどかな光景だ。まあ、後ろでは蛇型怪人が店主に詰め寄ってるけど。俺たちもさっさと帰ろう。
「……お兄さん?」
「ん、ああ、何でもねえ」
しかしあの爺さん、やけに力が強かったな。ジジイの握力とは思えなかったぜ。何かスポーツでもやってたのか? あるいは、今も何かをやってるのだろうか。