却下よ
説教と言うのは、教訓を垂れる事だったり、良く分からんもんを分かりやすく教えてくれる事を指すらしい。が、今俺が聞いてる説教ってのは、小言である。つーかもう暴言とか、そういう領域のものになっていた。
「……許してくれ」
朝もはよから、俺はカラーズの床に正座させられていた。白鳥社長は非常にご立腹の様子である。
「駄目よ。スーツも着ていないただの泥棒に逃げられたですって? おまけに、事が起きたのに私を起こさないし」
「俺だってスーツを着てないただの人間だぞ。良いじゃねえか、あの店長は痛い目見て、依頼だって達成出来たんだからよ」
「悔しいの! スーツを着た怪人を倒してきたあなたが、どうして、あんな小悪党にあしらわれてしまったのだろうって。そんなのって、ないじゃない」
油断してたと言えば、そうかもしれん。
「だから、悪かったって」
「うるさいわね。私の気が収まるまでそうしてなさい」
「いつになったら収まるんだ?」
「聞きたいの?」
いいえ、聞きたくないです。
失敗は失敗だ。忘れるのではなく、割り切って次に進もうじゃないか。失敗は成功の母である。己の中で糧と変え、新たな仕事に臨むのだ。
「怪人、退治か」
「そうよ。商店街の方で、怪人らしき者が目撃されたらしいの」
らしき? 怪人なのかどうかはっきりさせろよ。
「それを見たのが、ちょっと歳のいったおばあさんで」
ババアの言う事はあてにならん。あいつら、送迎代わりに救急車呼ぶんだもん。頭おかしいよ。アレだろ、目立ちたいとか、そういういらん事を考えてんだろどうせ。
「やってられん。お前らで処理しとけよ。出たかどうかも分からん怪人とやらをな」
「何よ、その言い方」
「うるせえなあ。レン、帰るぞ」
九重と遊んでいたレンが顔を上げる。
「お仕事じゃないの?」
「仕事になるかどうかは、これから社長が確かめに行くんだよ。なあ?」
って、うわ、すごい睨まれてる。
「いや、あやふや過ぎんだろ。ちゃんと確認してから仕事しようぜ。俺に無駄足踏ませんなよ」
「足を無駄にするくらいなら、あなたも一緒に確かめてちょうだい。その時に怪人と出会えたらラッキーと思って」
だってなあ、あそこの商店街って、行く度に何かあるんだよ。やだよ。俺にとっては鬼門だね、鬼門。
「どうせ暇でしょう。商店街で買い物して、地域に貢献してあげなさい。ああ、そう言えば、あそこのコロッケは美味しかったわね」
「おごらんぞ」
「結構よ。九重、車を」
九重は頷き、先に外へ出て行った。俺たちはその後をゆっくりと追いかける。何事もなければ良いなあ。お願いだから。
商店街は、相変わらず閑散としていた。俺がコロッケを何個買ったって、ここに活気は戻るまい。
「で、怪人を見たって婆さんは?」
「九重が聞き込みに回っているじゃない。もう少し待ちなさいよ」
俺たち三人は、駄菓子屋の前の朽ちかけたベンチに座ってコロッケを齧っている。
「このコロッケ、出来立てで美味しいね」
「そうだな。おい、そんな急いで食うなよ。口元に食べかす付いてんぞ」
「あは、取って取って」自分で取れ。
「……仲が良いのね、あなたたち」
知った風な口を利きやがる。誰のせいだと思ってんだ。
「社長、食べかす付いてるぞ」
「え、うそ……」
「うん、嘘。ひゃはは、慌ててやがる」
「口の利き方に気を付けなさい。ぶつわよ」
こういうのに引っ掛かっちまうくらい、社長は美味そうにコロッケを食ってたって事である。これからも隙を衝いて、ちょいちょい反撃に出よう。そうでないと精神衛生上よろしくない。
「……戻りました」
「ご苦労様。それで、どうだった?」
九重が戻ってきたので、俺は彼に場所を譲ってやった。九重はお辞儀し、ベンチに座る。
「……例のおばあさんですが、病院に行っているみたいですね」
「はあ? 死んだのか?」
「どうしてそうなるんですか。接骨院に行ってるだけですよ」
じゃあババアから話聞けねえじゃん。解散だな、解散。
「よし九重、家まで送ってくれ。今日はもう無理そうだ」
「勝手に決めないで。本当に怪人が出たらどうするつもりなのよ」
だって朝から呼び出されて眠いし、ここにはいたくない。この商店街は呪われているに違いない。
「レンも家に帰って休みたいよなー?」
「ちょっと、子供をダシに使うなんて卑怯よ」
「黙れ。俺の進退を握ってる分際で」
「馬鹿ね。それが分かってるならもう少し賢く立ち回りなさい。私を敵に回しても、損しかしないわよ」
味方に回しても損しかしてねえぞ。
「口だけは良く回るっつーの。じゃあ、俺は何をしたら良いんですかね?」
嫌みったらしく言ってみる。いるかどうかも分からん怪人を相手にしろって何? パントマイムでもやれってのか?
「ブヒイイイイイイィィィィィ!」
うっ、うお!? 何だ!?
響き渡った奇声。声のした方に目を向けると、肉屋の前にブタがいた。正確に言えば、ブタ型のスーツを着た怪人である。彼は肉屋の店主にいちゃもんをつけているらしかった。
「……ほら、いたじゃない。怪人」
「顔が引きつってるぞ」
マジかよ。本当に怪人がいたのか。グローブは持ってきてるが、どうする? やるのか?
「あははっ、すごく怒ってる。ねえねえお兄さん、僕が行ってこようか?」
却下だ。
「社長、どうすんだ?」
「勿論倒すのよ。と、言いたいところだけど、あの怪人は何をやっているのかしら? 文句を言っているみたいだけど」
「様子見てくる。お前らはここにいろ。良いか、動くなよ。動いたら本気で張り飛ばすからな」
俺は社長たちを駄菓子屋に残し、肉屋に近づいていく。距離が縮まるにつれ、ブタ怪人と店主の会話が良く聞こえてくる。
「お客さん、そんな言われてもね、ウチはこれでずっとやってるわけだから」
ブタ怪人に負けないくらいの体格をした店主が、鬱陶しそうに言い放つ。怪人は負けじと言い返した。
「ブヒィ、ブタはやめろ! ビーフかチキンだけにしろ!」
「いや、そりゃコロッケとかは牛肉使ってますけどね、インドじゃないんだし、何の肉使ったってウチの勝手じゃないですか」
「ブヒィィ! 口答えを!」
何を血迷ってるんだ、こいつは。
「ブタを大切にしろと言ってるのが分からない奴だ! ブヒッ、ブヒッ! こないだもあれほど忠告したのに、これ以上続けるならどうなるかと言ったのに!」
「商売ですから。おたく、警察呼んだから、もうどこかへ行った方が……」
「警察が何だブヒ!」
どうやら、この怪人は豚肉を使っている肉屋にいちゃもん付けているらしかった。いや、だって、なあ? 肉屋だし。ブタだろうがなんだろうが使うだろ普通。
「その辺にしとけよ」しかし、弱そうだ。手ぇ出さないって事は、戦いに自信がないんだろう。だから、こうしてガタガタ抜かしやがる。文句があるならやれよ。そのスーツは伊達か?
「牛と鶏が良くてブタが駄目って事はねえだろうが」
「……何ブヒ?」
「そいつは俺の台詞だ。何だお前? 文句があるなら養豚場へ行けよ」
そんで意味なく捌かれろ。てめえの肉は食いたくねえ。
「生意気な奴ブヒ。やってやるブヒ」
「ブヒブヒうっせえんだよ。やれるもんならやって……」
ブタの姿が消える。俺の目が、野郎の動きを追いきれなかったらしい。咄嗟に両腕で顔面をカバーする。同時、背中に強い衝撃が走った。視界が反転し、二転三転していく。体中が熱いと感じるのは、地面にしこたま転がされたからだろう。擦りまくってすげえ痛い。
「……い、でぇ……」
「ブヒイイイイ! ぼくちんを舐めていたなお前! 人を見た目だけで判断したブヒか!? そもそもブタというのは賢く! 綺麗好きな生き物だブヒ! ブタで使えないのは鳴き声だけっ、ぼくちんは素晴らしいエコノミックアニマルなんだブヒィィ!」
油断してた。畜生。最近、マジに調子乗ってたな。弱そうだったけど、こいつもスーツを着てるれっきとした怪人なんだ。俺より強いのは当然じゃねえか。
「とどめの百貫プレスを受けるブヒィィ……!」
ブタ怪人が高く跳び上がる。このまま、俺に圧し掛かるつもりなんだろう。よけなきゃ死ぬ。逃げなきゃやばい。だってのに体は動いてくれない。
「たっ……」助けてくれ! 誰でも良いから! 声を出そうとしたのに、喉が痛んで変な音だけが漏れた。
「ブヒイイイイイイイイイ!」
爆発音がする。
見上げると、ブタ怪人が中空で燃え上がっていた。奴は俺の近くの地面に落ち、悲鳴を上げながら転がっていた。……レン? い、いつの間にそんな危ない技を覚えたんだ?
「怪我は?」
え?
誰かに顔を覗き込まれている。女の人だった。そんな若くはない。黒髪をポニーテールに結っている。二十代後半にも見えるが、三十代、くらいにも見える。彼女はエプロンをして、エコバッグを持っていた。そこからはネギが覗いている。買い物帰りの主婦にしか見えない。
「ああ、話せないの。だったら良い、寝てなさい」
「ブヒイイイイ、ヒイイイイ」チャーシューが泣き叫んでいる。
まさか、この主婦が? 彼女があのブタ怪人を?
主婦は俺の前に立ち、ブタ怪人を見据えた。何をやろうってんだ、この人。武器もない。スーツもない。なのに怪人と向き合おうなんて、自殺行為だ。
「ぼくちんを、おおおおっ、燃やそうなんて考えはァァ!」
ブタ怪人が立ち上がる。
主婦は、ネギを取った。いや、ネギではない。ネギの形をした、カバーのようなものである。そこから姿を覗かせたのは、メカメカしい細長い何かだった。一見すると、杖のようにも見える。
「立て、『シャクヤク』」
『……起動完了』
何かが喋ったように聞こえた。やけにノイズの雑じった、機械音。それが、長々と流れ続けている。何を言っているのかは分からない。
「ブヒイイイイイ! そんなおもちゃでええええええ!」 ブタ怪人がこっちに向かってくる。
『状況、甲。ブレイブシュートの使用を提案』
「却下よ」主婦は、どうやらあの杖みたいなもんと会話しているらしかった。
主婦はエコバッグから、メタリックな杖を引き抜く。彼女がそいつを振ると、小振りだった杖が太く、長く伸びていた。どうなってんだ、ありゃ?
『敵性存在との相対距離縮減。キラリンバスターの使用を提案』
「却下よ」
杖の先端には、星のようなエンブレムがついている。そこが、かぱっと開いた。主婦が何かを呟くと、杖が反応する。
『音声認識、八パーセント』
「やりなさい」
『了承。放出開始』
「ブヒ?」
ブタ怪人が立ち止まる。杖の先から光が漏れていた。開いた穴からは、小さな、黒いものが幾つか飛び出してくる。そいつは怪人の直前で、
「ブッ、ブヒ!? ヒっ――――」
「おっ、おわああ!?」
爆発した。
黒焦げになったブタが転がっている。
「お兄さん、大丈夫? 立てる? 手、貸すよ?」
「……え、あ、何?」
「早く立ちなさい」
商店街には活気があった。悪い意味で。その辺の建物の窓からは、野次馬が顔を見せている。肉屋の店主はコロッケを揚げ続けていた。
俺はよろよろと立ち上がり、はたと気付く。あの主婦を探したが、彼女はもうどこにもいなかった。
「さっきの人、どこ行った?」
「ああ、あの女性ね。そう、ね。いつの間にか消えていたわ」
「……ヒーロー、なんでしょうか?」
「あはははっ、すごかったね、さっきの」
ヒーロー、なのか? 武器らしきものはあったが、マスクは被ってなかったな。でも、怪人を倒したのは事実で、助けてもらったのも事実だ。礼くらい言わせてもらっても、なあ。
「ヒーローだとして、見た事のない者だったわね。ルーキーなのかしら」助けてもらってなんだけど、その割には、歳がいってるような気もする。
「おいしいところを持っていかれたわね」
「おーい、俺の心配は?」
「勿論、してたわよ」
にっこりと微笑まれて、俺は何も言えなくなった。