ミストルティンが吸うのは栄養ではない
組織に行かなきゃならないが、しゃもじ女こと、赤丸を放置するのも怖い。帰ってきたらアパートが燃えていたなんて、マジでシャレにならん。だが、説得も無理だろう。この場を取り繕ったところで、どこでまた襲われるか分からないんだし。けど、けどなあ、スーツも着てないこいつをぶん殴るか? つーかどっか埋めるか? ……無理だよなあ。
赤丸はペットボトルを握り締めたまま俯いている。どうしよう。どうすれば良いんだ。
「……昨夜は、俺たちの組織とは関係ない」
何を喋ったら良いか分からないまま、俺の口は半ば勝手に動いている。
「そっちだって知ってるとは思うけど、ヤテベオの独断だ」
「そんなん知っとる」赤丸はやけくそ気味に言い放った。
「お前はたいぎいんじゃ」
「たい、ぎ?」
赤丸は弾かれたように顔を上げる。
「ちっ、違う。うざいんじゃ、お前は」
何を言ってんだ、こいつは。
「今日も来るかもしれねえぜ、あいつら。……何せ、てめえらを恨んでる連中は山ほどいるんだからな」
「黙れ。ワルにゆわれとぉない」
そりゃそうだ。だけど、ヒーローだって恨みを買うんだよ。
「何されても文句はゆえん筈じゃ」
「……どういう意味だ?」
赤丸は、その問いには答えなかった。間が持たないので、話題を変えてみる。どうして、俺がヒーローに気を遣っているんだろう、とは考えたくなかった。
「お前さ、会社の仕事以外にも色々やってたんだろ」
「なっ、何を……」明らかにうろたえてやがる。腹芸の出来ない奴だ。
「目を付けられ過ぎ」
しゃもじ女は怪人を倒した。会社の仕事で。……本当にそれだけか? それにしちゃあ多過ぎる。倒された怪人の数も、目撃された回数も。こいつはきっと『内職』してたんだ。会社を無視して勝手に動いて、あるいは、勝手に依頼を受けたりもしていたんじゃないだろうか。
カマでも掛けてみるか。
「お前が俺を調べ上げたように、俺もお前を調べ上げている。ネタは上がってんだぜ。俺はさ、ただ理由が聞きたいだけなんだよ。ヒーローと話せる機会なんか、滅多にねえし」
赤丸はこっちを睨みつけようとしたのか、顔を上げる。けど、その目にさっきまでの力は宿っていなかった。
「金が」
ぽつりと、呟く。
「ヒーローは、金払いがええんじゃ。怪人を倒せば倒すほど、面白いくらいに、こう……」
俯きながら、赤丸は話を始めた。
赤丸夜明がヒーローを選んだのは、他に何もなかったからである。
中学卒業と同時にとある町工場で働いていたが、数年後、そこが悪の組織によって破壊されてしまったらしい。悪を憎むのも無理からぬ事だろう。
が、彼女は人よりもまっすぐ過ぎたのだ。こつこつと貯めてきた金をスーツに充て、病床の親とまだ幼い兄弟を置いて、この街まで単身でやって来たらしい。
街に着いた赤丸夜明だが、彼女はヒーロー派遣会社に入る事を選ばなかった。曰く、ピンハネを恐れたそうだ。フリーランスでやるなら、依頼料は丸々入ってくると考えたのである。
しかし、新人のヒーローがこの街で上手く稼いで、やっていける筈もない。半ば諦め気味に怪人を追いかけていると、そこでミストルティンにスカウトされた、そうだ。俺と出会ったのもその時期だろう。
そうしてあの日、名刺一枚を持ってミストルティンを探していたのである。
赤丸は、ミストルティンについてはあまり話さなかったが、あまりまともな会社ではなさそうだった。
要は、金である。
赤丸夜明は悪を憎む気持ちと、故郷の家族への仕送りの為にヒーローをやっているのだった。
身の上話を打ち明けた理由は分からない。一人きりでこの街に来たのだ。赤丸は弱っていたのかもしれない。あるいは、昨夜の戦闘で相当に疲れているのかもしれない。俺には良く、分からない。
「同情して欲しかったのか」
赤丸は俯いたままだった。
「戦闘員の同情引けば、どうにかなるとでも思ったのか」
「違う」赤丸の声は震えている。
笑わせるな。
その程度の話なら、嫌と言うほど聞かされてきてるんだ。きっと、こいつ以外のヒーローだけじゃない。悪の組織の戦闘員にだって、怪人にだって、色々あるんだよ。少なからず、俺にだってあるんだから、きっと、そうだ。そうに違いないんだ。
赤丸夜明。てめえはどこまで俺をムカつかせるんだ。
「俺は手を緩めねえ」
背を向けて、歩く。振り返る事はしない。絶対に。
赤丸夜明は、昨夜に引き続き、今夜も最前線での戦いを割り当てられているらしい。
組織に着き、江戸さんの部屋に行く。
「ヤテベオは今夜も仕掛けるそうだ。一時間後か、三時間後か、もしかしたら一分後かもしれないがね」
江戸さんは涼しげに告げた。俺はそれを、どんな顔で聞いていたのだろう。
「君は先遣隊として働いたのだ。総攻撃の日まで休んでもらってくれても構わない。ああ、ただし体は怠けさせて欲しくない」
今夜は、とりあえず、今だけはという感じだが、仕事がないらしい。けど、組織まで終電で来ていたのである。歩いて帰らなきゃならないので、一度、爺さんの開発状況とやらを聞きに行く事にした。
爺さんは相変わらずだった。が、少しだけ疲れているようにも見える。
「差し入れは俺の笑顔だ」
「お前が孫なら勘当ものだな」
「疲れてんじゃねえか。珍しい事もあるもんだな」
言って、俺は床に座り込んだ。
「ミストルティンの連中に仕掛けるとか仕掛けないとかで、スーツの調子を確かめろと言う奴らが増えておってな。だから青井、お前の分は後回しじゃ」
思わぬ弊害である。まあ、そうなりゃ俺の分は後回しになっても仕方がないな。
「……ミストルティンについて知ってるのか?」
会議の時じゃ、大した話は出なかった。赤丸も、何も言わなかった。
「相手の情報を掴んでおくのは常勝のコツだろうが。まさか、知らんのか?」
「いや、怪人退治を専門にやってる奴らだろ。知ってるよ」
「それだけではない」
俺は爺さんを見上げる。彼は、キーボードを叩く手を止めていた。肩が凝っているのだろう、親指でそこを押さえている。
「奴らは正しくヤドリギじゃよ」
ミストルティンってのは、古い外国の言葉でヤドリギを意味している。しかし、正しくヤドリギとはどういう意味だろうか。
「樹皮の下を這い回り、栄養を吸い取る事で己の渇きを充たし、己以外を渇かせる。寄生植物のヤドリギはな、吸血鬼の木とも呼ばれておる。無論、悪く扱われているばかりではないがな。幸運の源ともされ、薬効もある。魔法的な部分が注目されて、ヤドリギを信仰する者もおるしのう」
今日は喋るじゃねえの、爺さん。だけど、俺はそう言う事を聞きたいんじゃない。ミストルティンは、つまり何だ? 何をしているんだ?
「ミストルティンが吸うのは栄養ではない。金じゃ。その為なら、わしらでも『腐っている』と思うような事を平気な顔でやりおる」
「腐って……?」
「ミストルティンのやり口はな、怪人、戦闘員の素性を調べ上げる事から始まる。依頼を受けた、受けないには関わらず、常に個人情報を収集しておるんじゃ」
あ、そうか。それで、俺の名前やら住所が割れていたのか。
確かに、個人情報があるのとないのとでは、戦い方が全然違ってくる。そもそも、正体を知らなければ戦闘さえ起こらない事もあるだろう。
「依頼を受けた時にそいつを使うんだな」爺さんは頷く。
「怪人の家族や恋人を人質に取る事も珍しくはない。雁字搦めの状況を作った上で叩くのよ、奴らは」
人質、か。俺たちの組織はそんな七面倒には手を出さないが。
別に、そういうのが悪いとか汚いとかの話ではない。だってそうだろうが、人質取る奴なんざ、悪いし、汚いに決まってんだから。
「真っ向からぶつかっても勝てるほどのスーツを持っているらしいがな」
爺さんは忌々しそうに呟く。
「依頼者によって料金を変えるのもザラだし、払えなかった者を脅迫したと言う話も聞いたのう」
そう言えば、社長からもそんな話を聞いていたっけ。ヤの付くお仕事してるじゃねえの、ミストルティンめ。
「そら恨まれるわ。ヤテベオの連中だって、似たような事をされたんだろ?」
「確か、幹部の家族がさらわれたと、どこかで聞いたな」
「……無事、なんだろ?」
爺さんは答えなかった。……怪人の家族、か。幹部ともなると、相当色々な事に手を出し、染めていたんだろう。ヒーローや一般人から恨まれても仕方がない。だけど、身内にまで手を出されても良いのか? 普通、そこまでやるか? やって良いものか? 良くねえに決まってる。ミストルティンは、その線を越えるような、飛び抜けて狂った連中らしい。
「じゃが、わしらのような者がどこに言えるか。何をされても仕方がないとも言えるだろうな」
――――何を、されても。
「ミストルティンの社員、人数とか、爺さんは知らないのか?」
「わしがそれを知っておったら、スパイじゃないかと疑えよ。流石に、そこまでは知らん。人づてに聞いた話じゃ。第一、情報を売りにしとる奴らが、そう簡単に情報を流すものか」
「その割にゃ会社の場所とか割れてんじゃん」
「どこにあるか分からなければ、依頼人が来れなくなるだろうに」
そりゃそうだ。
「本丸はここだと言っておきながら、いつ襲撃されてもおかしくないような真似をする。ヤドリギめ、相当、自信があるらしいな」
「だからこそ、まだ仕事を続けているんだろうな」
普通、二度も会社を襲われたら逃げようと思うだろう。基本的に、ヒーロー派遣会社ってのは相手が大きな組織である場合、好んで依頼を受けようとしない。行わない。怪人、戦闘員個人をターゲットとして動く。理由は簡単、危ないからだ。金は欲しいが、必要以上に敵を増やしたくないんだろう。
だが、ミストルティンはやらかした。そして徹底して抗戦している。それは自信か、プライドか。弱みを見せたくないという恐怖からか。
「一体、どんな奴らがそこで働いてるんだろうな」
「社員の評判もあまり良くないとも聞いておるぞ。その辺の戦闘員よりも柄が悪いと専らの噂じゃ。まあ、仕方ないとも言えるだろうな。何せ、良いように使われておる駒だ」
上がアレなら、誰がワリを食う。決まりきってる。下だ。
「所属しているヒーローを使って使って、使い潰すのも茶飯事といったところだろうなあ」
「ああ、だろうな」
俺は、赤丸夜明の姿を思い出す。疲れ果て、力を失っていた彼女を。
「おお、それよりも青井、太鼓の調子はどうじゃった?」
「悪くなかった。けど、どうしたって慣れねえな。使いこなすには時間が掛かりそうだ」
「……どこで使った?」
「黙秘権を行使するぜ」
「阿呆が。戦闘員に権利などあるものか」
おっしゃる通りである。だが、話す訳にはいかないだろう。
「無理に聞き出そうとは思わんがな。具合が悪くなったら持ってこい」
「あいよ」
「それから、新しい武器をやろう」
「えっ、マジかよ。気前が良いじゃねえか、爺さん。ありがとうよ」
爺さんは机の引き出しをごそごそと漁り始める。
「何、当分はお前のスーツに手をつけられんからな」
「あー、そう言う事ね。くれるのは嬉しいんだけどよ、ついでに鞄とかくれねえか?」
「鞄? 知るか」
いや、だってさ、グローブはともかく、太鼓を持ち歩くってのはどうかと思うのよ。
「そこまでは面倒を見られん。……おお、あったあった。ほれ、持っていけ」
新しい武器をもらい、その使い方についての説明を受けて、俺は組織を後にした。このまま、家まで一時間程度は掛かる。
今夜も、ヤテベオは動くのだ。
きっと、どちらかの組織が潰れるまで続くだろう。
ふと、赤丸の事を思い出した。彼女は、今日も最前線で戦うらしい。どっちが悪か分からないような会社を守る為に。
俺は、何を考えているんだろう。あいつを助ける義理なんかどこにもない。依頼だって受けていない。動く理由なんざ、何一つないんだ。
俺は戦闘員で、彼女はヒーローだ。可哀想な話を聞いたところで、立場は変わらない。立っている場所ってのは、そう簡単に動かない。
だけど、あんな調子で戦えるのか? 数多の怪人を叩いて屠り、俺を腹立たせたヒーローが、他の誰かに倒されるんじゃないのか?
馬鹿が。俺に、何が出来るって言うんだ。