大人しゅうしとりゃあ良かったのに
誰にも言えない秘密を抱えたまま暮らすってのは、想像以上にストレスの溜まるものだった。
組織を裏切ったガキ、レン。
先日、俺はそいつをどうにかして追っ払う事に成功した。レンが、スーツを持っていない俺を舐めていたのと、社長が彼のペースを崩した事が起因しているのだが。まあ、生きてるのは俺だ。いや、あいつ死んでないけど。死んでて欲しいけど。
俺は、誰にも、何も言えなかった。当然だ。レンを見つけたのに、逃がしてしまったのである。話せる訳がない。調子ん乗って喋ってしまえば、追求されるのは間違いない。ヒーロー派遣会社に内緒で勤めているのがバレれば、俺だって裏切り者扱いされるだろう。……エスメラルド様は、裏切り者を許せないと言っていた。身内には優しい人なんだが。うーん。まあ、裏切る方が悪いっちゃ悪いんだけど。うーん。
珍しく、今日は数字付きにも仕事があった。他の組織が動くとの情報を得た江戸さんが、便乗してスーパーマーケットを襲撃すると決めたのである。控え室は、いつもよりも騒がしかった。
「江戸さんって掛け持ちしてるらしいぜ」
「えっ? マジで?」
「だってさ、前にもあったんだよこういうの。他の組織がどっか襲うから、ヒーローはそっちに行く。そこを狙って別の場所を襲うんだって。そういう情報って、簡単には手に入らないんじゃないのかな?」
耳を済ませる。江戸さんが掛け持ちだって? まあ、ありえるっちゃありえるが。
「その辺の下っ端を潜り込ませてるんじゃねえの?」
「金でネタ買ってるかもな。まあ、俺だって売れって言われりゃ売るだろうし」
控え室では面白い話が聞ける。まあ、根も葉もない、くだらない噂話が大半を占めているが。
しかし、江戸さんか。あの人は、すっげえ出来る人である。エスメラルド様が好き勝手やれているのは、彼の手腕によるところが大きいだろう。何故、江戸さんは彼女に仕えているのだろうか。その気になれば、彼が四天王になる事だって……いや、邪推だなこりゃ。よしておこう。それよりも仕事だ、仕事。
午後六時。
俺たち数字付きは所定の場所についていた。半分は逃走ルートの確保と見張りに、残りはスーパーマーケットの駐車場に停めたワゴンの中で、他の組織の奴らが動くのを待っている。
「そういや、今日は怪人いねえのな」俺は呟く。窓の外に目を遣れば、スーパーマーケットは多くの買い物客で賑わっていた。この喧騒を、狂騒に変える。それだけで、心が躍るような気さえしていた。
「数字付きだけで充分だろうって、江戸さん言ってたな」
「今日はアレだろ。スーパーのバックヤードから野菜盗ってくるだけだし」
「……エスメラルド様に食べさせんのかな?」
「あー、最近肉ばっか食ってるもんな。でもさ、全然太らないんだよあの人」
「俺の彼女が聞いたら羨ましいとか言うんだろうな」
合図を待つ間は、皆リラックスムードである。仕事が終わったら飲みに行こうぜ、なんて話も出ていた。
居酒屋に予約でも入れようかという話が出た後、七番の携帯電話が鳴り始める。
「おい、仕事ん前は切っとけよ」
「悪い悪い。……あれ? 九番からだ」
九番? あいつは、確か見張りだったな。何かを見つけたんだろうか。
「なんで無線じゃないんだ?」
嫌な予感がする。七番は通話ボタンを押し、電話を耳に当てた。
『そっちにヒーローが向かってる! でけえしゃもじ持った女だ!』
「はあああっ!?」
車内が驚愕、その色に染まる。だが、俺だけは違った。
でかいしゃもじを持ったヒーローだと? あいつだ。あいつしかいねえ。
「どうしてバレてんだよ!?」
『悪い。見つかった。で、洗いざらい喋ったら見逃してくれるとか言うから』
「てめええ俺らを売ったんか! もう良いっ、今日の飲みはお前持ちだからな!」
『ふざけんなよっ』
「んな事よりどうすんだよ、仕掛けんのか? 帰るのか?」
意見が割れ始める。
『帰るな帰るなっ! ここで逃げたら俺の罪が重くなるだろ!』
「死ね犯罪者が! 俺たちを殺す気かっ」
七番は電話を切った。どっちにしろ、結論を出すのは急いだ方が良い。
「十から十三の四人でバックヤード向かえ! 残りは裏口に車回して逃げる準備だ!」
「仕方ねえ! 出るぞっ」
俺は車から降りて、スーパーの入り口を目指した。後ろを見ると、他の三人も駆け出している。ワゴンは一度駐車場を飛び出し、裏口の方へ回った。そこからなら、仕事が終わった俺たち四人を上手く拾えるかもしれない。
「うわっ、何だあいつら!」
「また出た、道開けといた方が良いぞー!」
退け退け、悪の組織のお通りだ!
自動ドアが開くのを待つ。この時間ですら惜しい。立ち止まりたくはない。いつ、追いつかれるか分かったもんじゃない。
「バックはどこだ?」
「鮮魚コーナーだ!」
十一番を先頭に、俺たちは店内を走って回った。買い物客は俺たちに道を開けて、商品を品定めしている。見慣れたものなのだろう。
鮮魚コーナーでスイングドアを発見する。十一番は体当たりするかのように突っ込み、俺たちは後に続いた。加工場には入らず、ストックヤードへと向かう。薄暗く、寒い雰囲気の中、俺たちは大量の段ボールを認めて腰が引けた。
「野菜ってどれだよ!?」
「もう適当に持って帰ろうぜ」
「そこまでだ悪党ども」
はっ?
裏口から、誰かが入ってくる。足音が規則的に響く。数字付きか? いや、違う。今のは女の声だ。そして、数字付きに女はいない。
「だっ、誰だ?」
ぬらりと、影が動く。
しゃもじが見えた。あ、やばい。
「追いつかれたあああああああ!」
ストックヤードを逃げ惑う戦闘員。外には逃げられない。あのアマが裏口から来たって事は、俺たちを拾う筈のワゴンは……? くっ、確認には行けない。一度店ん中に戻って、そっから……っておいバカども勝手に動いてんじゃねえぞ!
「臆病者が。大人しゅうしとりゃあ良かったのに」
間違いない、やっぱり、あの女だ。現れたのは、こんな場所には似つかわしくないヒーロー。
退くか、行くか。どうするよ俺。
「十三番っ」くそ、他の奴らは既に店内に戻ったか。俺一人で相手に出来るような奴じゃない。逃げるが勝ちだ!
ワゴンを探したがどこにも見当たらない。俺たち四人はスーパーの近くの物陰に身を潜めていた。
「ケータイは?」
「車ん中だ。どうするよ、一旦戻るか?」
「あのヒーローが残ってたらどうすんだよ?」
見張りの奴らも、逃走ルートの確保にいってる奴らとも連絡が取れない。ここは、やはりワゴンを探すのが得策ではないだろうか。いや、あんまり長いことうろうろしてんのも怖いな。
「もしかしたら、あいつらも別んところに車停めてるかもしれねえぞ」
「じゃあ二手に分かれっか」
「いや」俺は十一番の発言を制した。
「これ以上分かれんのはやべえだろ。第一、心細い」
他の組織も動いている。ヒーローだって他にもいるだろう。この近くには、やばい奴らが山ほどいやがる。
「俺たちは数字付きなんだ。あいつらだって馬鹿じゃない。ここでうろうろしてたってさっきの奴に見つかって、捕まるだけだ。だから、戻ろう」
逃げ、帰る事は俺たち皆が得意の筈だ。
「仕事がミスっちまったもんはしようがない。江戸さんに報告して指示を仰ごう」
「よし、とりあえず九番が悪いって事にしよう」
「つーかあいつのせいじゃんか。あいつが見つかって、しかもゲロったんだぜ」
「殺されてもおかしくないだろ。……言わない方が良いんじゃないか? マジで、江戸さんに殺されるかも」
と、とりあえず、帰ろう。
組織に戻ると、他の奴らは駐車場で俺たち突入班の帰りを待ってくれていた。それくらいの良心は持ち合わせていたのだろう。しかし九番はボコられていた。丁寧にスーツまで脱がされていたので、ダメージをかなり受けている。未だに胸倉掴まれているが、止めようとは思わなかった。死ぬ寸前までやられとけ。
俺らを拾う筈だったワゴン組は、しゃもじヒーローを見掛けてそのまま組織に戻ったらしい。せめて連絡の一つでもして欲しかったが、誰もケータイを所持していなかった、あの状況じゃあ仕方ないっちゃ仕方ない。立場が逆なら、俺だって逃げていただろうし。
「報告はどうする?」
「そろそろ行かなきゃ江戸さんだって勘付くぞ」
「じゃあ十三番だけで行ってこいよ」
「なっ、俺一人なんて嫌だ! 九番が行けよ」
「アホか。こんな顔の九番が行ったら怪しまれるだろ。新入り、てめえが行ってこい。文句あんのか?」
ずいと、数字付きん中でも大柄の三番が前に出る。重圧を感じて、俺は後ろに下がった。
「な、ない、です」
「だったら行け。おら、駆け足だ」ケツを蹴られる。畜生、覚えてやがれ!
「……やはりか」
「えっ?」
江戸さんの部屋まで報告に行くと、彼はひとりごちるように言った。失敗したのだから、もっと怒られると思っていたのだけど。
「数字付きは全員無事なんだな?」
「はい」九番の事は伏せておこう。
「それより、やはり、と言うのは?」
失敗するのが分かっていて俺たちを行かせたんなら、色々と考えを改める必要が出てくる。
「ヒーローが出たと言ったね。しゃもじを持った、女の」
「ええ。……最近、良くそいつを見ますね」
「やはりと言うのはその事だ。今回の仕事が失敗したのを予想していた訳ではない。他の組織が行動していたのまでは間違いなかった。問題は、そのヒーローだな」
どういう事だろうか。
「件のヒーローだが、どうやら、最近は酷く頑張っているらしい」
「と、言うと?」
「他の部隊、他の怪人にも被害報告が出ている。『しゃもじを持った女に邪魔をされた』と。別の組織も同様だ。そのヒーローは、ピンポイントで姿を見せている」
そうだったのか。野郎、じゃなくてあのアマ……!
「様子見に徹した方が良いのかもしれない。青井君、数字付きには良く休むように言っておいてくれ。うん、君たちに怪我がなくて本当に良かった。仕事は失敗したが、エスメラルド様も責めはすまい」
そう言ってくれるのは有り難いが、今後について不安は残る。あのしゃもじ女がいる以上、果たして、今後の仕事が上手く事はあるのだろうか。
翌日、俺は朝早くから社長に呼び出されていた。仕事である。
「今日は何すんだ?」
「交通量調査ね」
「……もうさ、普通のバイトじゃねえか。ヒーローとしての仕事、どうなってんだよ?」
こないだのマスター以来、依頼がきてねえじゃねえか。
社長は会社の前の道路をじっと見つめている。仕事場まで、今日は九重のタクシーで行くのだ。
「焦らなくても来るわよ。その内、嫌と言うほどね」
「どうだかな」お、タクシーだ。時間に正確な奴である。
タクシーが俺たちの前に停まり、九重が姿を見せた。
「お、おはようございます」
「揃ったな」
今の内に、言っておきたい事があった。それは、先日の水族館での事、レンとの戦闘についてである。あんまりこういうのは好きじゃないんだが、足を引っ張られるのはごめんだった。
「話がある」
「後にしてもらえる? 早く現場に行かなくちゃいけないのよ」
「聞けって。あんな、こないだの事だけどよ」
そう言うと、社長と九重は黙り込む。一応、気にしてはいるらしかった。
「マジで、やばい時は逃げてくれ」
「言わなかった? 社長が社員を置いて……」
「はっきり言って邪魔なんだ。俺は、スーツだってもらってねえんだぞ。その上、どこまで追い込めば気が済むんだ」
九重はうな垂れている。泣きそうだった。
「嫌よ」
「はあ? お前……だからな、足手まといだって言ってんだよ」
「だから、あなたが守ってくれれば良いんじゃない」
「前に出てくんなって言ってんだ!」
社長は肩を竦める。舐めてんのか。いや、舐め切ってるらしいな、こいつは。
「うるさいわね」
う、いつか見たような目で睨まれる。人は、ここまで邪悪な目付きというのが出来るものなのだろうか。
「お金を払っているのは私よ。お給料の中には、私のボディーガード代も含まれていると知りなさい」
「へりくつだ」
「あらそう」ありえんこいつ。
「ヒーローが増えたら、私は後ろで構えていようかしら。でも、それまでは、私は逃げない」
何言ってんだ?
「今のところ、ね。あなたがいなくなってしまえば、ウチは終わりなの。だから、私はあなたの終わりを見届ける必要があるわ。安心して、骨だけは拾ってあげるから」
「俺が焼け死ぬの限定じゃん」
「安心して、骨になるまできちんと燃やしてあげるから」
「お前が燃やすなっ。……もういい。今度は助けねえからな」
「そうね、ありがとう」
お礼を言うな! 絶対見捨てる! つーか俺が殺してやるかんな!