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てめえの命はそんなに安いのか



 江戸さんから気を遣われてもらった休みではあったが、俺は布団から抜け出せないでいた。と言うか、殆ど眠れていない。どうしても、昨夜の事が頭から離れない。ゴリラの死に様が、レンの血に染まった横顔が、焼きついて、離れない。目を瞑ると怖くて、もしも、あいつが俺の部屋にいたらと思うと、もう駄目だった。

 今、何時だろ。もう嫌だな。明日なんか来なきゃ良いのに。とりあえず携帯電話に手を伸ばす。瞬間、鳴った。死ぬかと思った。誰からだろうと、ビビりながら確認してみると、社長からだった。あのアマはこういう時に空気読まない。メールは、いつも通り簡潔なものである。『仕事。水族館前に十時集合』との事だ。内容については一切触れていない。俺を仕事が断れない立場に追い込んでいるからだ。何をさせても良いと思ってやがる。鬼か。悪魔か。何が正義か。

 だが、良いかもしれない。働いてたら、色々と忘れられる。少なくとも、体を動かしている間は。こうして鬱々としているよりは、金も稼げるし生産的で健康的だろう。今日は晴れ。絶好の行楽日和。どこかで遊べる訳じゃないけど、うん、外には出よう。俺は布団を跳ね除けて、身支度を始めた。



 社長に指定された水族館は、この街で唯一のそれである。電車に乗って数十分、最寄り駅から歩いて五分、街の郊外に位置していた。そこまで大きくはない。むしろ、日本でも小さい方だろう。さてさて、交通費は出してくれるんだろうな。

 さて、水族館前といっても、一体奴らはどこにいるんだろう。視線を忙しなく動かしていると、入り口近くの広場で、売店の開店準備が始められていた。シロクマだのペンギンだの、様々な動物のぬいぐるみなんかが目立つ。しかし、確か、この水族館にはペンギンなんかいなかったような……ちょっとした詐欺である。

 と、売店の売り子がこっちを見て手招きしていた。あの車椅子、社長か。なるほど、今日の仕事は水族館の売り子って訳ね。やっぱヒーロー関係ねえ仕事じゃん。

「おーす」

「社長にはちゃんと挨拶しなさい。あなた、自分が社員だって立場を分かっているんでしょうね?」

「分かってるって。で、今日は何か、ここの店員をやれって事か」

「物分りが早くて助かるわ。九重」

「はーい」と、売店の裏から声が聞こえてくる。

 九重も、売店手伝ってくれるのか。運転手だってのに、悪いな。

 しかし、顔を見せた九重の表情は俺の予想に反して明るいものに感じられた。彼は両手いっぱいにぬいぐるみを抱えている。帽子は、いつものドライバーのじゃあない。フグみたいな、不細工な魚の帽子を被っている。恐らくはここの商品だろう。

「……何か、楽しそうだな」

「そうですか」素っ気なく言うが、九重の口元は緩んでいる。まあ、いつもいつも車運転して、俺の素晴らしい仕事振りを見ているだけだから、こういうのも良いんじゃないかな。うん。

「さて、じゃ着替えてきなさい。小さな水族館とはいえ、今日はお客も多いでしょうし」

「今日って、平日だろ?」

 平日の昼間っから水族館に行く奴なんかいるのかよ。

「何でも、珍しい魚が入ったらしいわよ」その言い方だと魚屋っぽく聞こえるが。

「開館は何時だ?」

「もうすぐよ。だから、あなたも今の内に着替えてらっしゃい」

 着替える?

「馬鹿ね。水族館なんだからマスコットもいるに決まっているじゃない。そういうのは、あなたの仕事でしょう?」

「ちょっと待てや。どうして俺の役目になるんだよ? 九重が着れば良いじゃねえか」

「九重は、マスコットになってるあなたが見たいの。さ、四の五の言わないで。給料下げるわよ」

 きたねえ! 九重っ、お前もキラキラした目でこっち見んじゃねえよ!



 どうも、マスコットのペン太君です。ペンギンの着ぐるみです。

「あら、やっぱり似合うわね」

 ふざけんな、こんなん誰が入ったって同じじゃねえか。あ、皮肉か。皮肉なのかコラ。

「しかし、この着ぐるみ妙にリアルだな。デフォルメしようと言う意思が一切感じられん」ただのでかいペンギンである。オセロット君のがまだ可愛げがあったぞ。

「ガキが引いちまうんじゃねえのか?」

「さあ、どうでも良いわよそんなの」

 お前だって今は水族館に雇われてる身ぃだろうが。



 やっぱり、正解だった。働いている内は気分も楽になる。と言うか、余計な事を考えなくても済むのだ。ペン太君の人気は、意外にも上々であった。デパートん時とは違い、水族館に来るガキはそこそこ大人しかったのである。あくまでそこそこな。けど、こっちも色々と動きを工夫したり、休憩時間には売店にあったペンギンのDVDを九重と二人で見たりして研究を重ねた。ただし、マスコットの人気とは関係なく、売店に金を落とす者は殆どいなかった。社長は舌打ちばかりしていた。金の亡者め。

 そうして、いつの間にか、閉館時間も迫ってきていた。

「全然、駄目ね。はあ、歩合制だったのに」

「おいそういうのは先に言えよ! タダ働きとか嫌だからな!」

「あ、あの、まだお客さんがいるから……」

 俺はじたばたする。九重に止められて、俺は息を吐いた。

 水族館の出入り口を見ると、結構な数の客が帰ろうとしている。話は、あの客がはけてからだな。しかし、畜生、歩合制だと? どうすんだよ、もう。

 だけど休んではいられない。最後に残った力を振り絞り、少しでも売店の土産物に気を引かせる。ほらっ、こっちだぞガキども。何かペンギンがちょろちょろしてるだろ、お母さんに言え! ペンギンを近くで見たいと! そんでぬいぐるみとか欲しがれ! そうだ、そうだよな! そもそも、水族館の行きしなに土産買う奴がどこにいんだよ。荷物になるから、普通は帰りに買っていくんだ。俺はペース配分をミスってしまったらしい。今なんだ。今、俺は最高のパフォーマンスを見せるべきだったんだ!

「俺を見ろおおおおおおおっ!」

 頑張ってみる。

「うあああああああっ、ペンギンが逆立ちしてるよおかあさん! おかあさん!」

「すげーっ、あっちいこうぜ!」

 どうだっ、俺を見ろ!

「……マスコットが口を利いてどうするのよ」

 人込みに目を向ける。その時、

「あ、ペンギンがねちゃったー」

 俺は、信じられないものを見てしまった。

「青井? どうしたの、ほら、もう一息よ。休憩、終わりっ」

 いた。見た。

 レンだ。

 見間違えじゃない。野郎、こんなところに来てやがった。いや、けど、ああしてりゃあただのガキにしか見えねえ。楽しそうに笑ってやがる。あいつは昨日、ゴリラを、ヒーローを殺したってのに……!

 このままじゃまずい。あいつ、何をしでかすか分からないぞ。こんな人込みで、もしも昨日みたいな事になれば。やばい。死人が出る。それどころか、ウチの奴らも危ない。社長も、九重も、狙われないって道理はねえ。あのクソガキは理由もなく、誰かを殺せるんだ。一秒でも早く、ここから逃げないと。

「社長、仕事、切り上げよう」

「……書き入れ時よ? 分かって言っているの?」

 金よりも命のが大事だろう! けど、ああっ、どう説明すりゃあ良い!? レンを知ってるのは俺だけだ。どうして奴を知っているのか、問い質されても返せない。悪の組織にいるなんて、信じてくれる筈もないし、信じられれば、俺はもうここで働けない。第一、社長たちを死なせるのはきつ過ぎる。こいつらは一般人なんだ。ヒーローでもない。怪人でもない。あのガキに、殺されても良い訳がない。

「頼むからっ」

「駄目よ」うう、聞いてくれない。……いや、でも、ここで下手に騒ぐよりも、レンがどこかへ行くのを期待する方が良いのか? そもそも、あいつが何かやらかすつもりなら、とっくにここは血の海だ。少なくとも、今は水族館を楽しんでいるガキにしか見えない。

 見、だな。やり過ごそう。

「あ、いらっしゃいませ」

「いらっしゃい。好きなものを買っていきなさい」

 …………最悪だ。

「あは、すごい。いっぱいあるね」

 来ちまったよ。

 レンは昨夜と殆ど変わらない格好だった。返り血を浴びた服と、似たようなタンクトップと短パンである。野郎は売店の中を興味深そうに見回していた。たっ、頼むお願い早く帰って!

「ゆっくり見て行って良いからね」おい九重、てめえ。

 九重の言葉に従うかのように、レンは一つ一つ、丁寧に商品を見て回っていく。手に取り、ぬいぐるみを顔に押し付けてみたり。だけど、いつ、爆発するか分からない。破裂寸前の風船を前にしているような……とにかく、頼むから……!

「これはどうかしら」さりげなく、社長は一番高いぬいぐるみを勧めていた。

「……うーん、僕、これが良いかな」

 レンが気に入ったのは、小さなイルカのぬいぐるみである。もう、それタダでやるから。ああっもう、九重め、レジをもたついてんじゃねえぞ。早く袋入れて、そう、そうそう、早く帰せそんな恐ろしいガキは。

「……ありがとうね」

「うん、ありがとっ」レンはぬいぐるみの入った袋を抱える。うん、まあ、どうにかなるか。スイッチさえ入らなけりゃ、普通のガキだ。問題は、スイッチがいつ入るか、なんだけど。


「見つけたぞっ!」


 最悪だ。

「あら、お客かしら?」

 いや、多分、違う。見覚えがある。レンを指差しているのは、青いスーツに、赤いマントの男である。そいつの胸元には『XL』と刻まれていた。こいつは、ヒーローだ。

「弟たちの仇っ、悪魔めっ、鬼の子め!」

 ポーズを決めるXLマン。……ややこしい時に出てきやがって。敵討ちだか何だか知らねえが、他所でやれってんだよ。

「社長、逃げよう」

「どうして? ……良く分からないけど、あの人はヒーローよね? どうして、この子が狙われてるのかしら」

 言ってる場合かよ!

「九重っ、店仕舞いだ!」

「え、え?」

 ああもうっ! そんなに死にたいのかよ!? 嫌だっ、嫌だ嫌だ嫌だ死んでも嫌だ死にたくねえ! 俺はまだ死にたくないんだよ!

「貴様が面白半分に殺したのは、俺の家族だ。その罪、償う覚悟は……」

「あはは、って言うかおじさん、誰?」

「……因果応報っ」XLマンが高く、跳躍する。うお、嘘だろ、水族館の屋根まで届きそうだ。野郎、良いスーツ着てんな、マジに。あ、じゃなくて、レンは?

 レンは、既に臨戦態勢だった。ぬいぐるみの入った袋を地面に置き、最初から持っていた手提げから、己の得物を取り出す。それは、昨夜も見た、鉈だ。それで、あいつは、ゴリラを、ヒーローを殺した。

「あはっ、すごい飛ぶじゃん!」

 嬉しそうに、レンは笑い飛ばす。

「社長っ!」

「分かっているわ」

 既に店を畳む準備は出来ている。つーか、もうギャラなんかいらねえ! こっから逃げようっての!

「行きなさい、青井」

「…………うん?」

「好機よ。あのヒーロー、子供を狙うなんて大した正義じゃないの。気に入らないわ、やってしまいなさい」

 いやいやいやいや! あいつらの話聞いてたか? レンがっ、あっちのヒーローの兄弟を殺したんだって!

「どうして俺があのガキをっ! やばいのがどっちかなんて見りゃ分かるだろ!?」

「分からないわ。どんな理由があるにせよ、子供に手を出す者を見過ごせないもの」

「分からず屋が。九重、こいつを連れてけ。……何してんだよお前?」

 九重はじっと、一点を見つめていた。XLマンが降下してくる。いや、攻撃だ。両足を突き出すようにして、レンを狙っている。だけど、大雑把な蹴りが当たる筈もない。

「詫びろ!」

 XLマンの足はアスファルトを砕く。レンは、彼の背後に回っていた。

「あははははははははっ!」

 あ。

 躊躇なく、振り下ろす。

 レンの鉈は、ヒーローの頭部に直撃していた。スーツをしていても関係ない。ざっくりと、突き刺さっている。

「あは、あははっ。やっぱり魚よりも面白い。僕はっ、こっちのが面白い!」

 そうして、動かなくなった男を蹴飛ばして、馬乗りになって、鉈を振る。何度も、何度も。

 狂気が、こっちにまで伝わってきた。駄目だ。もう、逃げられない。

「……何、あの子」今更気付いたってもう遅い。俺たちは、レンの狩場ん中にいる。だから、言ったろうが。馬鹿が。

「あのままにしておけないわ」

「何、言ってんだお前?」

 社長は決して目を逸らさない。レンの行為を、しっかりと見続けている。

「分かってる。分かってるわ。だけど、他のヒーローが来るまで……」

「持ちこたえろってのか? お前、本気でイカれてんのか?」

 誰がやると思ってんだ。お前じゃない。お前は、指図するだけだろうが!

「だってこのままじゃ……」

「ああ助からねえよ。ガタガタ抜かして、こっちのいう事に耳ぃ貸さねえからだろ」

 いや、今はこいつを責めたって仕方ない。

「逃げるぞ。とりあえず、水族館へ……」

 言い掛けた俺は口をつぐむ。レンが、こっちを見ていた。それだけで、足が動かなくなる。

「う、あ……」

「青井っ」

 やめろ。見るな。こっちを、俺を見るな。やめてくれ。頼むからっ、お願いだから!

「うああああああああああああああっ!」

 レンが立ち上がり、鉈を構えて、くっ、来るな!

「ペンギンが叫んでるっ、すごいや!」

 鉈が、俺の前方のアスファルトを砕いた。

「あは、びっくりした?」

 背中を向けて、逃げ出す。どこまで逃げれば助かるのか、そんなもん知らない。けど、もうこれ以上ここにはいられない。後の事なんか、他の奴なんか知らねえ。俺が、俺さえ、俺だけでも! 死にたくない。死にたくないっ死にたくなんか……!

「あれー? 逃げるの? じゃあ良いや。ねえねえ、さっきはぬいぐるみありがとね」

「え?」 間の抜けた、九重の声。

 振り向けば、レンが、九重のすぐ近くにまで迫っている。彼の右手には鉈が。左手には、イルカのぬいぐるみが。

「いっ、いや……!」

 尻餅をついた九重は売店の奥へと逃げる。レンは、楽しそうに彼を追いかけた。まるで、鬼ごっこでもしているかのような気安さで。

 ああ、あいつ、死んじゃうぞ。

 何をやってんだ。何をやってんだお前ら。どうして俺の言う事を聞かなかった。どうして逃げようとしなかった。だから間抜けでだから死ぬ。

 社長はその場から動かない。じっと……さっきから、ずっと、俺を、見ている。やめろ。見るな。俺を見るな。俺を頼るな。俺を、殺そうとするな。

「くっ、くそっ、くそがっ、くそがっ」

 言えよ。もう言えよ。助けろって喚けよ、死にたくないって泣いてみろよ。そうすりゃレンだって気まぐれ起こして助かるかもしれねえってのに。……だから、言えよ間抜け! そんなに死にたいのかよ。

「あ、ち、ちくしょうちくしょう! てっ、てめえの命はそんなに安いのかっ」

 足が震える。声が震える。

 違うだろうが。絶対、違う。お前らはヒーローでもヒールでもない。ただの、人なんだ。だからもっと見苦しくても良い。潔い真似すんなよ。俺とは違うだろ。

 いや、きっと、そうに違いないんだ。

「おおおおおおっ、俺を見ろおおおおおおおおおおおっ!」

 震える手で、着ぐるみの頭を外す。レンに当たらなくても良い。こっちに気付きさえすればっ、俺を見さえすれば、それで良い!

 走りながらペンギンの頭を投げる。レンの気が逸れて、俺は死ぬのを覚悟して、飛び込んだ。鉈が胴を掠める。素材が分厚かった為か、俺には届かなかった。

「――――何だよそれっ?」

 レンの体を押し倒す。その衝撃で売店の商品が棚から落ちる。ぬいぐるみやキーホルダーが降ってくる。必死で九重の名前を叫んだ。レンが鉈を振る。だけど、外れた。奴の得物は俺の投げたペンギンの頭に刺さっている。

「ごめんなさい」誰かが謝った。けど、気にしてられるか。とにかく手当たり次第に物を投げつける。俺の後ろに九重が回って、チャックを外してくれた。そうだ。こんな邪魔なもん、いつまでも着ていられるか。

「あはははすごいっ、何それ、何それ!?」

 レンが売店から抜け出る。俺はそれを追い掛けた。走りながら、ポケットに差し込んでおいたグローブをはめて、野郎の顔面に狙いをつける。

「すっご……!」

 アスファルトが砕けて、俺の頬を破片が切りつけた。

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