一グラムだって妥協しなかった
俺とリュウさんは、混乱に紛れて軽トラックの方へと向かい、ハリマ一家と合流することに成功した。
「お? おー、青井か! 久しぶりだな!」
「よーう一郎。景気よくぶっ放してるじゃねえかよ」
運転席の一郎はがははと豪快に笑い、車から降りた。
「よっしゃ、ここは少し任せたぞ青井。俺も体を動かすことに決めたぞ!」
「味方ってことでいいのかな。よし、私も付き合おう」
一郎とリュウさんが、近づいてくる戦闘員の相手を始めている。俺は助手席で、こっちを見ようとしない爺さんをねめつけた。
「よくこの場所が分かったな、爺さん」
「……江戸から連絡があってな。『よかったら青井君を助けてやってくれ』と。全く、わしは何の為に組織を抜けたのやら」
「ありがてえが、いなせまで連れてきやがって。俺ぁ、一応爺さんを信用してあいつを預けたんだぞ」
俺がそう言うと、爺さんはふんと鼻を鳴らした。
「わしは止めたぞ。来たいと言うたのは銀川の孫じゃ」
「ああ?」
ふと、袖を引っ張られていることに気づき振り向く。俺を見上げるいなせの姿があった。こいつとは、いつぶりに会うんだっけ。何だか少し背が伸びたような。そんな風に見えた。
「マサヨシ」
「……なんだよ」
「あたしがいなくなって寂しかったかい」
俺は爆笑した。いなせにこういうのを吹き込んだのは茜だな。
案の定、茜は荷台から俺をニヤニヤとした顔つきで見下ろしていた。
「って、あれー? なんで笑ってるのー?」
「はっは、笑うかドン引きするかしねえだろこんなん」
げらげら笑っていると、いなせに腹を摘ままれた。やめろ地味に痛いんだぞ。
「青井ー、ちょっとだけここは任せといてよ。いなせが渡したいものあるって。一応さー、ボクらからの贈り物だから感謝しといてよ! さー行くぞー! 兄ちゃん次弾装填だー!」
贈り物?
不思議に思っていると、いなせはでけえ旅行鞄を開けて、色々なものを取り出した。
「……ああ、くそ。お前な、なんつーもん持ってくるんだよ」
「懐かしいだろ」
めんこにでんでん太鼓に、凧。スーツを手に入れる前に使っていたアイテムだ。他にはなんか、ピコピコハンマーみたいなのもあるが、俺の目を惹いたのはやはりグローブだった。
グローブはグローブだが、管理局に取り上げられているものとは色が違う。こいつは白と青を基調にしていた。ひっくり返すと、手の甲に当たる部分には動物が描かれている。右手にはコウモリが。左手には、羽の生えた馬が。
「って、コウモリかよ……」
「色々とどっちつかずのマサヨシにはこれしかないって思ってね。でも、そういう正義だってあると思うんだ」
「まあ、こいつは有り難くもらっとくよ」
両手にグローブか。こいつは捗りそうだ。
「うん。自信作だから。耐久性と軽さを秤にかけて、少しずつ調整して、一グラムだって妥協しなかった」
いなせは誇らしげに言った。……一グラムだって、か。
「もっと普通の女の子らしいことやって欲しかったんだけどなあ」
「考えがあるって言ったろ。あたしらが預かったペガサススーツ、無駄にはしないって決めてたからね」
……ああ、そうだ。
俺は爺さんにいなせを預けたが、それだけじゃない。社長の了承も得て、御剣天馬のスーツも一緒に預けていた。爺さんやハリマ一家は、ある意味、俺が一番信頼出来る人たちだったからだ。こいつら、正義も悪もあんまし関係ないからな。スーツに毒されることはないだろうと思ってた。
「……ん? ってことは、このグローブも、他のも……」
「ああ」と、いなせは何でもないように言った。
「全部分解したよ。あんたが前に着ていた、あの壊れたスーツの部品も回収していたからね。そいつも合わせて色々と作ったんだ」
「ぶ、分解?」
知らねえぞ。俺は知らねえぞ。つーか、ええ? マジかよ。あの御剣天馬のスーツを、社長の大事なもんを分解って。
「スーツを遊ばせるのもよくないだろうし、どうせマサヨシはアレを着ないって、皆思ってたから。あの社長には適当に謝っとくよ」
「図太くなったなあ」
まあ、うん。そうだな。その方がよかったのかもしれねえ。蜘蛛の巣の狙いもパッと消えちまった感じでざまあみろってんだ。
俺はグローブ以外に、めんこなどのアイテムをもらうことにした。
「それだけでいいのかい? こっちのはアカネが作った最新の……」
「いや、いい。使い方を知ってるのだけ持ってくよ。ありがとうな」
俺はいなせの頭に手を遣って、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回してやった。珍しいことに、いなせは抵抗しなかった。
「たまには家に帰ってこいよ」
「……また、戦うんだね」
「おうよ。ヒーローだからな、俺は。まあ、終わったら飯でも食いに行こうぜ。爺さんもいいだろ? な?」
爺さんは鼻を鳴らして、さっさと行けとばかりに手を振った。
「マサヨシ。必ずだよ。必ず無事に戻ってきて」
「任せとけ」
いなせは俺に戦う術をくれた。だけど俺を戦わせたいってつもりじゃあないんだろう。俺の身を案じてくれてたんだな、こいつも。だったら、俺が簡単にボコボコにされるわけにはいかねえ。
「ちょうど、迎えも来たみたいだからな」
俺は、近づいてくるタクシーに向けて手を上げた。
タクシーには社長が、その屋根には仁王立ちするイダテン丸が乗っていた。
「こっちだっ」
九重はタクシーを軽トラックの傍に停める。俺はリュウさんを呼び、いなせを荷台に戻した。
「ご無事でしたか、青井殿」
「お前もな」
屋根から飛び降りてきたイダテン丸も、どうやら無事らしい。
「状況はどうなってんだ? 管理局は?」
「……いや、私も今ここがどうなっているのか気になるのですが」
「そっちはいなせにでも聞いといてくれ」
「……管理局の様子はまだ定かではありません。私も、あの後敵の囲みを抜けてカラーズに戻りましたゆえ」
ちっ、やっぱ行くっきゃねえみたいだな。
「分かった。俺は、リュウさんって人と一緒に管理局へ向かう」
「話は白鳥殿から聞いています。アイリスという方を救いに行くのですね?」
「ああ、まあ、仕方なくな」
イダテン丸は薄く微笑み、リュウさんと一郎の方へと歩いていく。
「この場に残るお味方は全て私にお任せを。青井殿の背を守るのは、私の役目です」
「ああ、お前しかいねえよ。リュウさんをタクシーに呼んどいてくれ」
赤丸や黒武者だと、背中を預けるには不安過ぎるからな。
……よし。切り替えろ。
俺はタクシーに向かい、後部座席のドアを開けて乗り込んだ。助手席の社長は少しだけ機嫌が悪そうな様子である。
「青井さん、お怪我は?」
「平気だ。それより、あー、あのな、社長。実は爺さんたちに預けてたスーツなんだけどよ」
社長は悟ったようなツラで長い息を吐き出した。
「まともじゃなくなったんでしょ? 分かってたわよ、そんなの」
「え? え? あの、何が……」
九重は不安そうに社長を見ている。
「よかったのか?」
「どうかしら。でも、私はあのスーツを壊して欲しかったのかも。だからこそ、あの人たちに預けたのよ」
その気持ちは、なんとなくだけど分かった。俺たちは御剣のスーツに振り回され過ぎたのかもしれない。
「青井こそよかったの? あなたの知り合いに作ってもらったスーツは壊れちゃったし、奥の手だったペガサススーツも使えなくなっちゃったけど」
「いいんだよ」
「ねえ。どうして、スーツを着なかったの?」
「御剣天馬のを、か?」
社長はこくりと頷く。
俺は前に『桑染の汗が染みこんでるスーツだから嫌なんだ』と茶化して、誤魔化した。だけど本当は違う。
「……怖かったんだよ。あのスーツを着たら、俺も桑染みたいになっちまうんじゃねえかと思ってよ」
御剣天馬のスーツはこの国で最初の正義だった。正義の象徴で、塊みたいなものだ。あまりにもまっすぐ過ぎて、強過ぎる。戦闘員をやってた俺からすりゃあ毒みたいなもんだ。だからこそ、それを見て、触れた、桑染だっておかしなことをやらかしたに違いない。
「社長こそ、どうして俺を使ってくれなくなったんだよ。スーツを着せりゃあよかったし、そうでなくても、今まで通りにしてくれりゃあさ。俺にデスクワークは向かないって、たぶん、社長が一番よく分かってただろ」
ミラー越しに社長を見ると、彼女は静かに目を伏せた。
「なんか、分かんない。けど、もう怪我するあなたは見たくないなって思ったの。今まで無茶苦茶働かせていたのに。変よね」
「うん」
「否定なさい」
いやー、無理だろ。だってスーツもくれなかったし、武器だってくれなかったし。……まあ、でも。俺がハンパにこなせちまったってのもあるんだろうな。
俺がマジでズッタボロになったのは、後にも先にも桑染と戦った時だけだ。あの時、死にかけの俺を見た社長は自分が何をしていたのか、やっと分かったのかもしれない。すげーおせえよって怒鳴りつけてやりたいが、俺にはここしかねえんだよな。俺はカラーズでしか、ヒーローをやれないんだ。そこ以外は、嫌なんだ。
「怪我がなんだよ。俺は、俺以外のやつが痛い目見る方が嫌なんだ。心配してくれるのは有り難いけどよ、なんつーの? こう、ベクトルが違うわな」
「ベクトル……」
「うーん。まあ、気にしないで今まで通りにやろうぜってことだよ」
社長は何事かを考えていたらしいが、笑みを浮かべた。少し、ぎこちないものではあったが。
「そうね。うん。そうしましょう」
「わあ、じゃあ、青井さん……じゃなくって、ブルージャスティスの復活ですね」
九重が小さく拍手した。楽しそうだね。
「待たせてすまない」
「よっしゃ、行きましょう!」
リュウさんが俺の隣に乗り込む。これで準備は整ったな。
俺は九重に車を発進させるよう言って、窓を開けた。
「おーいっ、お前ら! やばくなったらすぐ逃げろよ!」
「あっはっはー! いいぞーいなせっ、筋がいい! もっと撃っちゃえ!」
「がはは! いやー、こういう風に暴れんのは久しぶりだよなあ」
「全く。わしがおらんかったらどうなっていたか。……ああ、おい、銀川の。向こうに戦闘員どもが固まっておるぞ」
「言われなくても分かってるよ」
「話聞けよ!?」
二郎とイダテン丸の二人には、疲労困憊といった表情が張りついていた。うん。まあ、ここはよろしくお願いな。
車が発進し、いなせたちの姿が見えなくなり始めた頃、社長が口を開いた。
「他のヒーローや派遣会社も、蜘蛛の巣を掃除する為に動いているわ」
俺とリュウさんは顔を見合わせる。あれ、そんなことになってたのか。
「匿名で派遣会社に連絡があったのは言ったわね?」
「でも、そんなもん信じるやつはいないだろ」
実際、俺とリュウさんは管理局の指示に従っているであろうヒーローにも襲われたんだ。
「気づき始めたのよ。最初は私たちだけだったけれど、管理局の存在を疎ましく思っているヒーローたちがね」
「赤丸が何かやりやがったな?」
「……まあ、うん。謹慎していたんだけど、どこからどうやって蜘蛛の巣のことを知ったのか」
どうせイダテン丸あたりが連絡したんだろうな。
「同じように謹慎していたヒーローたちと連絡を取り合って、蜘蛛の巣潰しに乗り出したみたい。この街の隅から隅まで血眼になって、ストレス発散の相手を探してるの。青井に借りを返したつもりなのかしら」
「それだけじゃないと思うよ」
難しい顔をしていたリュウさんが社長を見る。
「他のヒーローや派遣会社にとって、そのタレコミが真実である必要はない。ただ、動くに足る理由が、大義名分があれば充分だったんだろうね」
「疑わしきは罰せ、ね」
「ああ、なるほどなるほど、そういうことか」
真実は後からついてくる。まずはいけすかねえ連中をどうにかするのが先ってやつか。
なんだそれ。超いいじゃねえか。好き放題やってやろうってやつか。
「私たちにとっては追い風だ。管理局……いや、蜘蛛の巣の目があちこちへ向いてくれれば戦いやすくなる」
「そうね。ああ、あなたの娘だけじゃなくて、うちの青井もよろしくお願いね。緋雲さん」
「……なんだって?」
「緋雲竜。『赤い竜』とも呼ばれていた、気を操り、怪人や戦闘員のスーツを相手に生身で立ち向かうヒーロー。あなたのことでしょう?」
社長は得意げな顔でリュウさんに微笑みかけた。
「参ったな。バレていたのか」
えっ。
「ふふふ、調べさせてもらいました」
「私がヒーローをやっていたのはもう随分と昔のことだよ。よく調べられたね」
「まあ、私にも、その、コネがあるから」
あ、こいつ……もしかして悪の組織繋がりで調べたんじゃないだろうな。
「つーか、リュウさんってヒーローなのにスーツ着てなかったんすか?」
「君が言うかな……。まあ、そうだね。私は少しとある国の武術を齧っていてね。勁を、ほんの少しだけ」
「あー、浸透勁ってやつですか!」
「げ、厳密には違うんだけどね。まあ、そうか。そう思ってくれてもいいかな」
そうか。だからリュウさんはさっきみたいに戦闘員を吹っ飛ばしていたのか。おおおおおお、すげえぜ。いける気がしてきた。
「青井」
「んあ、何?」
「緋雲さんに全部任せよう、とか思ってないでしょうね」
「…………そんなわけねえじゃん」
「何よっ今の間は!?」