正面から堂々と
俺は枕が変わると眠れなくなるほど繊細な神経を持っていない。だけど、流石にこういう状況で寝るのは無理だった。次に起きた時、何をされるか分からないんだ。超怖い。
消灯されたから部屋も廊下も真っ暗で、暗がりの中にいるとろくなことしか思いつかないし考えられない。
「……ああああああ」
自分の声すらも自分のものだと認識しづらい。発した音は闇の中に吸い込まれて消えていく。俺はこのまま死んでいくんだろうか。管理局のイヌになってワンワン鳴くことしか出来ないのだろうか。
それは、すげえ嫌だった。
眠れなかったが、少しずつ瞼が重くなってきて、意識を保っているのも難しい状態になってきた。
畳の上にぼーっと座り込んでいると、暗がりで何かが蠢いているように見えた。幻覚だろうか。しかし、仮にそうであっても気は紛れる。
俺の前方にある畳がもぞもぞと動いて、跳ねた。ややあってから、人影がぬっと姿を現す。
「……青井殿」
おお、幻覚だけじゃなく幻聴まで。
「青井殿、ご無事ですか?」
肩を揺さぶられた。あれ? つーか、幻じゃない?
目を凝らすと、ヒーロースーツに身を包んだイダテン丸の顔があった。心配そうに俺を見ている。
「お前……今までどこ行ってたんだよ!?」
管理局が来てからずっと雲隠れしやがって。俺たちがどんだけ面倒なことになってると思ってんだ。
「お静かにっ。色々とありまして。しかし、今はこうして青井殿を救出しに来た次第」
「カラーズを辞めたんじゃないんだな?」
「もちろんです。私のいるところは、あそこしかありませんから」
「分かった。とりあえず、お前が無事でよかったよ。つーか社長に連絡くらいしとけバカ」
「面目ない」
まあ、うん、そうか。
俺は助かるのか。完全に脱獄って感じだけど、別に逮捕されたわけじゃなし、こんなところでじっとしてるのもつまらねえしな。
「社長に頼まれて来たのか?」
するとイダテン丸は首を横に振る。じゃあ、誰が?
考え込んでいると、イダテン丸の出てきたところから、また別のやつがにゅっと現れた。
「久しぶりだね青井君」
「わーーーーっ!?」
「青井殿お静かに!」
現れたのは背の高い男である。急に出てくるもんだから心臓に悪い。……そういや、こいつ今、久しぶりとか言わなかったっけ。
よーく見ると、見覚えのあるロングコートに、見覚えのある銀色のロングヘアーに、見覚えのある……ある……。
「江戸さん?」
「ああ、まさかこんな形で再会するとは思っていなかったよ」
江戸さんだ。間違いない。でも、どうしてここにいるんだ? しかもイダテン丸と一緒に。
「……イダテン丸、どういうことだ、こりゃ」
イダテン丸は目を瞑り、難しそうな顔を作る。問い詰めようとしたが、江戸さんが彼女の代わりに口を開いた。
「共闘だよ、青井君。事情があって、イダテン丸と我々は一時的に協力し合っているんだ」
ヒーローと悪の組織が共闘? いまいち状況が見えねえ。だけど、俺はこの二人を信用出来る。
「今、この街にはヒーロー管理局がいる。悪の組織を効率的に壊滅する、厄介な連中だ。もちろんヒーローや市民にとっては有り難いのかもしれないが、我々は困る。そして何より厄介なのは管理局ではないのだよ」
「管理局以外に、何か?」
「シュピネンゲヴェーベ。ドイツ語で蜘蛛の巣を指すが、そういう名前の組織がある。この街に以前から根を張っていたであろう悪の組織だ」
聞いたことねえな。
「その蜘蛛の巣が他の組織を売っているんだ。司法取引……とは違うが、似たようなものだ。そうして自分たちは見逃してもらっている」
ああ、そうか。そういうことか。道理で。管理局の連中が情報を持ってたってのはそういうことだったのか。
「つまり、管理局は悪の組織と協力してるってことなんすね」
「そういうことになるだろう。今は、蜘蛛の巣が見逃されているだけだろうがね」
そりゃ、江戸さんたちからすりゃあ蜘蛛の巣ってのは鬱陶しいことこの上ないだろう。いつ自分たちが管理局に差し出されるか分からないんだ。放置するのは自殺に等しい。
「でも、なんで蜘蛛の巣が管理局とつるんでるって分かったんすか?」
「蜘蛛の巣の戦闘員には共通する特徴がある。数日前、その戦闘員をとある事情で捕まえたんだが」
ふと、俺は今日ぶん殴ったクソ野郎のことを思いだした。
「……特徴って、もしかして刺青っすか? なんか、虫みたいな」
「ああ、そうだ。蜘蛛の刺青。それこそが蜘蛛の巣のメンバーの証になる」
俺が殴ったやつも蜘蛛の巣のメンバーだったのかもしれねえな。
「我々もちょうど、その戦闘員が『穴』から出てきたところを確保してね、洗いざらい吐かせた。木端の戦闘員で大したことは話さなかったが、蜘蛛の巣ならば管理局に魂ごと売ることもあり得ない話ではない」
「江戸さんは蜘蛛の巣を知ってるんすね」
「以前から彼らが動いているのは掴んでいたからね。蜘蛛の巣の首領はアラクニートという女だ。噂によると、人前には姿を見せず、しかし人を動かすことに長けているとも……そいつが何か企んでいると、確証はないが、確信している」
でも、それだけじゃ弱くないか?
「さっき『穴』と言ったが、それは、これのことなんだ」
そう言って、江戸さんは自分たちが出てきた穴を指差す。
「これ……掘ってきたんすか?」
「いや、掘られていた。我々はそれを利用しているに過ぎない。君はウゴロモチという組織を覚えているか?」
うごろ? あ。あー。あーあーあー。あのモグラどもか。そういや、そんなやつらもいたっけ。
「ウゴロモチは壊滅したが、彼らの残した地下通路は健在だ。何かに使えるかもしれないと調査を進めていたんだが、面白いことが分かった。我々の知らない内にルートが変わっていたり、使えなくなっているものが見つかったんだ」
「江戸さんたち以外にも、この穴を使っているやつらがいたってことですね」
そんでもって、使ってたのは蜘蛛の巣のメンバーだったってことか。
「まさか地下通路がこんな場所に繋がっていたとは思わなかったが。イダテン丸の要請がなければ、ここまで来るつもりはなかったよ」
「でも、やっぱ決まりっぽいですね」
管理局に通じる地下のルートがあり、そいつを蜘蛛の巣のメンバーが使っていた。管理局と蜘蛛の巣。両者には何かしらの接点があるのだろう。
……そういや、俺は今日ぶん殴ったやつについてアイリスに電話で伝えたよな。『刺青がある』って。その後、アイリスはすぐに返事をしなかった。誰かと話していたんだ。その誰かが蜘蛛の巣のことを知ってたとしたら……。
「そも、蜘蛛の巣や管理局に気がついたのはクンツァイトなんだ。危機回避能力とでも言えばいいのか、彼はそういったことに敏感でね」
「私のメル友でもあります」
今まで喋らなかったイダテン丸が、少しだけ得意そうにして携帯電話を見せてきた。俺はアホの頭を叩いて黙らす。
「あ、悪の組織の四天王とメル友だあ? お前社長に知られたら……!」
「あっ、青井殿だって戦闘員だったじゃないですか。私は知ってるんですよ。青井殿の家にエスメラルドという組織の方が出入りしているのを」
「ば、馬鹿っ」
俺はイダテン丸の口を塞いだ。エスメラルド様が俺の家に来ているなんて江戸さんが知ってみろ。殺されるぞ。
俺は江戸さんをちらりと見遣った。彼は仕方なさそうに溜め息を吐き出す。
「……知っているとも。エスメラルド様たっての希望だ。もちろん、青井君は『よからぬこと』をしないと信じているしな」
江戸さんの目がぎらりと光った。俺は壊れたおもちゃみたいに何度も頷いた。
その時、揺れを感じた。ここは地下だ。何か、上で騒ぎでも起こっているんだろうか。かすかに人の声のようなものも聞こえてくる。
訝しんでいると、江戸さんは腕時計を確認して小さく頷いた。
「始まったか。……青井君。我々の目的は蜘蛛の巣の首領アラクニートだ。だが、やつがどこにいるのかは分からない。恐らく、ウゴロモチの地下通路の先にいるのだろうが、ルートが多過ぎる。これ以上時間をかけてもいられない」
だから。江戸さんはそう言って立ち上がる。
「やつを巣から出す為に、ここで騒ぎを起こそうと思う。用心深いやつだが、何かしらの動きを見せてくれれば重畳。管理局にも打撃を与えられれば一石二鳥だからね。君を助けるのはそのついでだ」
「……ええ、そういうことにしといてください」
俺も江戸さんに倣って立ち上がった。そんで、少しだけ距離を取る。
「ただ、俺は協力出来ねえっすよ。管理局は蜘蛛の巣から情報を買ってるのかもしれないけど、何もヒーローの敵になろうってんじゃない。つまり正義の敵じゃないってことなんすよ」
「ほう、では、どうすると?」
「あなたが管理局のやつらを潰すってんなら、止めるだけだ」
江戸さんはコートの中に手を入れた。俺の傍にいたイダテン丸は逡巡するそぶりを見せたが、俺の横に並んだ。この野郎、裏切ったらどうしてやろうかと思ってた。
「二対一だ。分が悪いぞ江戸さん」
「ふ。組織を抜けて記憶力が鈍ったか、青井君」
江戸さんの腕が動く。その瞬間、彼はもう得物を握り、そいつを外気に触れさせていた。いつかも見た江戸さんの小太刀は、
「私を誰だと思っている。エスメラルド様の右腕、江戸京太郎だぞ」
鉄格子をめっためたに切り刻んで、檻を破壊していた。
俺とイダテン丸が呆気にとられていると、江戸さんは自分で切り開いた部分から廊下に抜け出て、辺りを見回し始める。
「管理局と言えど彼らはスーツを着ていない。ヒーロー以外の人たちと真っ向からやり合うのは私の美学に反する。それに、エスメラルド様が望んでおられるのは君の奪還だ。……ああ、それから、二対一と言ったな? 違うぞ」
「え?」
俺が気づくより先、イダテン丸が反応した。後ろの穴からぞろぞろと戦闘員が姿を見せたのである。
江戸さんはにやりと笑った。
「二対十三だ。分が悪いぞ青井君」
現れた戦闘員は全部で十二人。彼らは狭い部屋だというのにきっちり整列して、無駄口叩かずに江戸さんの指示を待っていた。
整列している戦闘員のスーツには数字が書かれている。一から十二の、なんともまあ、懐かしい意匠だった。
「数字付きのっ。お前らもかよ!」
その内、数字付きの一番が口を開く。
「エスメラルド部隊、数字付き全員揃いました!」
「や、全員って」
数字付きは全部で十三人だろ。俺が不思議に思っていると、数字付きの一番が戦闘員のマスクを取り出した。
「……これって」
俺がそのマスクをまじまじと見ていると、数字付きの連中は楽しそうに俺を指差した。
「逃げる時に顔を見られたらまともな言い訳も出来ねえだろ? まあー、青井よー。お前もヒーローになって思うところはあるだろうけどさ、被っとけよ」
無理矢理マスクを握らされた。でも、俺はもう……。
「こまけえこと気にすんなって!」
「なんつーか、お前はヒーローなんだけどヒーローじゃねえっつーか」
「青井は青井だからさ、たまにはいいじゃん! な?」
迷っていると、イダテン丸が俺の肩に手を置いてきた。
「青井殿にとってマスクやスーツは、自らの信念を定めるものにはなりません。青井殿の正義は、何者かに縛られ、囚われるようなものではないはず」
「……そうか。じゃあ、まあ」
俺は、久しぶりに数字付きのマスクを被る。ちょっと汗臭かった。
「青井君。エスメラルド様もおっしゃられたかもしれないが、鞍替えするなら歓迎するよ」
「コウモリになる気はもうないっすよ。気づくのが遅かったけど、俺にはヒーローのが合ってますから」
「ふ、それでこそだ。では行くぞ。道を切り開く!」
応、と、全員が威勢のいい声を発した。
数字付き部隊を先頭に、俺たちは管理局(と言ってもほとんど大使館のようなものだが)の建物内を駆ける。途中、管理局の人間にも出くわしたが、手は出さず、ほとんど無視するような形で突っ切った。
扉をぶっ壊して地上に上がると、窓から見える外は暗かった。
そうか。夜か。
俺は、戦闘員として働いていた頃を思い出す。少しだけ胸が騒いだが、すぐに自重した。
「つーか! どっから逃げるんすか!?」
「決まっている。正面から堂々と」
「いっ!?」
ホールらしき場所を抜けて外へ出ると、大使館前では激しい戦闘が繰り広げられていた。門は破壊され、柵はべっこべこに凹んでいる。
「オオオオオオオっ! どこだあっ、アラクニートォ!」
うわ。
グロシュラだ。あいつが部下の怪人どもと一緒になって暴れ回っている。あいつを取り押さえようとして、駆けつけたヒーローや警備の人間が取り囲んでいるが、誰も近づけそうにない雰囲気だった。
江戸さんは一度立ち止まり、小太刀の切っ先で大使館の外を示す。
「追っ手を分散させる目的もあるが、固まっていると嫌でも目立つ。ここで分かれよう」
「分かりました。江戸さんたちは、どっちへ?」
「決まっている。目の前にはヒーローがいるからね」
じゃあな、とか、次に会う時は敵同士だぞ、とか、数字付きのやつらは気楽そうに手を上げてヒーローたちの方へと向かっていく。
「あの、江戸さん。ありが――――」
俺が頭を下げようとした瞬間、江戸さんは俺がそうするのを止めた。
「悪の組織の人間に礼を言うヒーローがどこにいる。……次はないぞ、ブルージャスティス」
江戸さんは両手に得物を握り、地面を蹴った。
すんません。でも、心の中で頭下げるのは構わないっすよね。ありがとう、皆。俺はまた、大事なことを忘れそうになっちまってた。
「青井殿、裏から行きましょう」
「ああ、分かった」
建物の裏手は警備が手薄になっていた。俺はイダテン丸の手を借りて柵を上ろうとする。
「青井さん! 青井っ、正義!」
だが、見つかった。しかも、考えうる限り一番嫌なやつに。
俺は戦闘員のマスクを脱ぎ捨てて、そいつを見下ろす。アイリス・エアウェイブルーを。
アイリスは一人きりだった。武器も持っていない。こいつからなら簡単に逃げられるだろう。
「あなたは、自分のやったことを分かっているんですか。悪人の手を借りて、裏からこそこそと逃げるなんてっ。ヒーローの資格を取り上げるだけでは済みませんよ」
「……お前らだって裏でこそこそやってんじゃねえか。蜘蛛の巣って組織と色々とやってんだろ。忘れてたぜ。お前らはヒーローじゃない。あくまでヒーローを管理するってだけなんだ」
「何を言っているんですか。それに、どうしてここでも蜘蛛の巣なんて名前が」
「しらばっくれんなよ! 悪いけどな、俺はもうお前らを信用しねえ。自分の正義なんだ。自分の好きなようにやらせてもらう」
アイリスは目を丸くさせて、震えを隠すように自らの体をかき抱いた。
「説明してくださいっ。蜘蛛の巣と私たちが、どうしてっ」
「てめえ、何も知らねえって顔しやがって」
「あなたが何を言っているのか、私には分かりません」
そうかよ。
「追いますよ。あなたを地獄の果てまで追いかけます。決して逃げられると思わないでください」
「逃げるんじゃねえよ、俺ぁ」
言いかけたが、こっちに向かってくるヒーローたちの姿が見えた。
「まずいっ。イダテン丸、行くぞ」
だが、イダテン丸はその場から動かなかった。
「……青井殿、お早く。ここは私が食い止めます」
「馬鹿、何言ってんだ!?」
「お早くと! 言っているのです!」
イダテン丸は俺に背を向けてしまう。まさかこいつ、今まで姿を見せなかったことに罪悪感でも覚えてんじゃねえだろうな。
「適当なところで切り上げろよ。お前だけじゃない。カラーズのやつらがひでえ目に遭わされたら、俺はそいつをぶち殺すだけじゃ済まねえからな。俺を人殺しにしたくなかったら無事に戻ってこい」
「委細承知」
「約束だぞ!」
「青井さん! 必ず、管理局はあなたを!」
俺は柵を乗り越えて、歩道に着地した。アイリスは追いすがってきたが、俺はもう振り向かなかった。