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プライスレスっ



「シャシャシャシャ、おい、金ぇ用意出来てんだろうなあ、おい?」

 マスターは無言で、入り口付近に陣取る男を見つめている。こいつが、怪人だ。声からして、どうやら若い男らしいな。

 怪人はきっちりスーツを着込んでやがる。黒と白の二色で構成されたものだ。パンダ? いや、毛は殆ど生えていない。頭ん部分も変に飛び出してて。良く見りゃ、背中に何かある。……そうか、ひれか。背びれだな、ありゃ。と、なると、魚型の怪人か?

「シャチだよ」九重が呟く。

 なるほど、シャチ型か。ええと、シャチっつーとクジラの仲間だから、魚じゃなくて哺乳類だったっけ。ふうん、いや、初めて見たが、中々に鋭いフォルムをしている。はっきり言って強そうだ。こんな七面倒な事しなくたって、良いもん着てんだから、そこそこは仕事出来るだろうに。

「シャッシャッシャッ! どうしたよマスター、金はどうしたよォ? あ? おいおい、客が殆どいねえじゃねえか。シャシャシャ、逃げられちまったなあ、残念だよなあ」

 怪人は嫌らしく笑う。さて、ここまでだ。いつまでも好き勝手許してはいられない。俺は立ち上がる。マントが翻る。ちょっと、足を踏み出すのが怖いけど。

「……ああ? 何だよてめえ、邪魔だろうが。シャシャシャ、それとも何か、てめえが金をくれんのかよ?」

「やらん」

 マントの中に右腕を隠す。

「お前にはびた一文やらねえよ」

「おい、マスターまさかてめえこんなのを用心棒として雇ったんじゃねえだろうな、おい。良いぜ、おもしれえ、スーツもなしに俺とやろうってのか、シャシャシャ! 舐めんじゃねえぞ!?」

 シャチ怪人が足で床を踏みつけた。どうやら、相当キレてるらしい。やりやすくて助かるぜ。

「マスター、奥に」促され、マスターはカウンターを抜け出す。彼が社長たちの方へ退避したのを確認し、俺は怪人に向き直った。

 今、仕掛けるか?

 どうする、野郎は油断している。一気に間ぁ詰めるか? 迎え撃つか?

「シャシャっ、出てきたのは良いけどビビってんのか、ああん?」

 まるで警戒していない。良いぜ、だったら一発で決めてやる。

 俺は足を踏み出した。

「出せ」

「あ?」

 シャチ怪人は俺の歩みを手で制する。

「てめえ、何を隠してる? 俺の目は誤魔化せねえぞ」顔のどこに目がついてるか分からないような顔してるくせに。

「ビビってんのはてめえだろうが。三枚に下ろしてポン酢つけて食い尽くすぞ」

「俺は魚じゃねえ! シャシャッ!」

 頭に血が上ってる割には良く回る。つーか、こいつは臆病なんだろう。強気な態度は、踏み込まれたくないという弱気を隠す為か。

「だったら、そっちから来いよ」

 俺は左腕だけを出し、手招きする。怪人はじっと、俺の手を見据えていた。

「出せ」

 しつけえな。さっさと来いよ。さっさと打たせろよ。

「……分かったよ」面倒くせえ、当てりゃ良いんだ。こっちから仕掛けてやる。どっちにしろ、まともに打てるパンチは一発だ。野郎の性格からして、避けられりゃ警戒されちまうだろうしな。

 踏み、込む。

「シャアッ!?」

 まだ、ギリギリまで右腕は出さねえ。最悪、一発受けても仕方がない。だが、ちゃんと喰らってくれよ。

「おっ、おお……!」

 腰を落とす。同時、マントを翻らせる。怪人の視界は黒一色に染まっている事だろう。狙うのは腹だ。スーツの上からだろうが関係ねえ。三流が、気絶だけじゃ済まねえぞ。

 拳を作る。しっかりと握り締める。グローブから力が伝わるような感覚を受け、力をグローブに伝えるような感覚に溺れ、俺は振り上げるようにパンチを放った。それは、怪人の腹部を確実に捉える。重く、鈍い一撃は確かに通っているのだ。

「おおおおおらああああああああっ!」

「ぎっ……!」

 怪人は短く叫ぶ。まともに声を上げられず、入り口から、階段横のコンクリートの壁に吹き飛んだ。怪人はスーツを着て身体能力が上がっている。それでも、野郎は軽々と宙を浮き、壁にべったりと張り付いている。

 やばいだろ、これ。

 俺は声が出なかった。絶句である。自分の右腕をぼんやりと見つめていた。やばい。こいつはやば過ぎる。殴打による反動もない。制限はない。条件もない。すげえ、何発だって打てる。何回だって殴れる。やべえだろこれ最高にハッピーじゃねえか。

「しまった。何か、カッコイイ台詞とか考えとくべきだったな」

 店の奥に目を遣ると、社長たちが信じられないといった表情を浮かべている。うん。……うん、うん。俺はさ、奴らのこういう顔が見たくてしようがなかったんだな。やーっと、俺をすげえ男って認める気になったみたいだ。はっはっは、讃えろ。崇めろ。俺を生涯敬って暮らせ! 平伏せ愚民が頭がたけえっつーの!

「何やってるの!?」

「あ?」

 社長は俺を、いや、俺の向こうにあるものを指差していた。

「シャアアアアアアアアアア!」

「うおっ? なっ、マジかよてめえ」

「馬鹿じゃないのあなた!? 油断していてどうするのよ!」

 頭を低くして、距離を取る。信じられん、怪人め、まだ動けるのかよ。一発でくたばったのかと思ったぜ。

「シャッ、シャッ、シャッ……て、めえ……! んなもん、やっぱ隠し持ってたんじゃねえか。許さねえ、許さねえぞ!」

 侮っていたか。ちっ、やべえぞ。どうする。どうすりゃ良い。いや、打つだけだ。足見ろ、ふらついてんじゃねえか。

 俺はもう一度、いや、さっきよりも深く腰を落とす。だが、怪人は焦らない。野郎は背中に手を伸ばした。何を、するつもりだ?

「驚いちまったが、シャシャシャ、二度目はねえ。てめえ、さっきので倒れなかった俺に驚いてやがったな? もう隠しているものはないな? つまり、そういう事なんだろ? もう、タネは終わりって事なんだろ?」

 怪人は、自分の背びれを掴む。それを、引き抜いた。つーか抜けるもんなのそれ?

「シャシャシャ、見切ったぜぇてめえ」シャチ怪人は引っこ抜いた背びれを握り、構える。どうやら、野郎も得物を隠していたらしい。……リーチこそ短いが、空手の俺には充分だろう。いよいよまずい。

「シャッ、お前、威力はともかくパンチの速さってのは大した事なかったぜ。マントで面食らっちまったが、その手はもう二度と食わねえ。それじゃあ、俺には届かないぜ。打ってみろ。そいつが届くよりも先に、こいつで切り落としてやる」

 面白いくらいに手がバレている。あんだけ警戒されちゃあ、確かに同じ手は使えねえだろう。

「なるほどな。良く回る頭と舌だよ」

 俺は左腕をマントの中に戻す。

「おい、こらてめえその手を戻すんだよ、おい」

「お前は金が大好きらしいな」

「シャ?」

 怪人は俺の問いを受け、高く笑った。

「シャッシャッシャッシャッ! ええおい、金が嫌いな奴なんているのかよ、おい!?」

 左手を、ジーンズの後ろに回す。ポケットに差し込んだままのものに、手を伸ばす。

「金がありゃあ何だって出来るだろうが! 何だってっ、何だってなあ!」

「……概ねその通りだ」

「シャーッ、概ねじゃねえ。全部だ。俺の言っている事は何一つ間違ってねえ。金が、全てだ。分かるかクソが」

 そこまで金が好きか。そうかよ。

「分かったよ。確かにそうだ、金があれば何でも出来る」

「シャシャシャ、そうだろうが!」

「金さえありゃあ……」

 左手をマントから、抜く。怪人が構える。俺は掴んでいたものをばら撒いた。封筒から、三十枚の札が飛び出して、舞う。目玉しっかり見開いとけよ、そんで有り難く見ろ。こいつが俺の有り金だ!

「シャーッ……!?」

「てめえをぶん殴れるんだからな!」

 怪人は俺の誠意に気を取られていたが、すぐに得物を構え直す。

 だが遅い。

 既に俺は野郎の懐に入り込み、拳を放っている。衝撃をなるだけ逃がさないように、怪人の背中に手を回す。こいつが邪魔な背びれを抜いてくれたお陰で、余計な傷は負わずに済んだ。

「やめろおおおおおおおおおおお!」

 この世にあるものは、何だって金で買える。金さえありゃあどんなものでも手に入るのかもしれない。だけど、金にだって変えられないものがある。金がなくても、手に入るものはある。俺だって金は大好きだ! 愛してる! けど、この店にはきっと、そういうものがあるんだ。俺みたいなクズじゃあ手に入らないものが。てめえみてえな三流が触れちゃあならないものがあるんだ。あったんだ。てめえが、そいつを奪ったんだろうが!

「おおおおおおおっ!?」

 まずは一発。怪人の体が浮き掛けるが、俺はしっかりと抱き止める。簡単には寝かさねえ。軽く足で蹴ってやると、ボディブローが突き刺さっていた怪人は後ろへとふらつく。もう少し頑張ってくれや。

 腰を落とす。低く、もっと低く。そこから、振り上げた拳を、野郎の顔面に!

「プライスレスっ、パアアアアアンチイイイイッ!」

 ぶっ飛ぶ。間違いなく、クリーンヒットだ。グローブの性能に飽かした一発目のそれとは違う。全身全霊、本気で打ったパンチだ。これで立たれちゃおしまいだ。けど、どうやらその心配はいらないらしい。入り口を過ぎ、再び壁にぶつかった怪人だが、その体はコンクリにめり込んでいる。

「う、嘘……何よ、それ……?」

「や、やったあ! すごいや青井さん!」

 正直、やり過ぎ感があった。まさかとは思うけど、死んでないよな。俺は慌てて怪人に駆け寄る。耳を済ませると、どうやら、息はしているようだった。医者さえ呼んでやりゃどうにかなる。ついでに警察も呼んでやるか。怪人を捕まえるなんて、奴らにとっちゃ滅多にない体験だろうし。怪人だってスーツさえ剥いじまえばただの人間だ。普通に捕まって、普通に刑務所行け。バーカ。

「今のっ、今のパンチ! すごいね!」

「お、おお? そ、そうか?」

 駆け寄ってきた九重の目はすげえキラキラしてた。ちょっと引いてしまう。

「……青井」社長が俺を、何かこう、すごい目で見ていた。

「あなた……」

 あ、まずい。グローブについて、何か言われるんだろうか。でも、どう説明すれば良いんだ? まだ隠しておこうと思ったけど、ここまで威力のあるもんとは思ってなかったし。

「やるじゃない」

 社長はにっこりと微笑んだ。歳相応の、可愛らしい笑顔である。こうしてりゃあ、もう少し頑張ってやろうかなあ、なんて思うんだが。

「まあな」とりあえず、誤魔化す必要もないらしい。俺はこっそりとグローブを外して、ジャケットを羽織る。とりあえず、それはポケットに突っ込んで上着で上手く隠しておこう。

 と、マスターが壁にめり込んだままの怪人を見遣る。彼は、何を言えば良いのか迷っているらしかった。だけど、分かる。嬉しがっているに決まってる。気持ち良かったに決まってるじゃないか。俺の手は、震えている。怖かったんじゃない。当然じゃねえか。こんなの。

「どうやら、依頼は終了したらしいわね。マスター、こんなところで良いのかしら?」

 おい、お前がやったみたいに言うなよ。

 マスターは無言で、頭を下げた。その目からは、一筋の涙が。当たり前の日常が戻って来る事を思い、感極まったのか。俺には、やっぱり良く分からない。だけど、明日からこの店には確かな平穏が帰ってくる筈だ。そうでなきゃ、駄目だ。うん、そうに違いない。



 翌日、俺は組織の仕事がなかったので、カラーズに向かおうと決めた。決めていた。とにかく褒めて欲しかったのである。こう、やっぱりまだ慣れていないが、他人から『すごい』やら『かっこいい』なんて言われて嬉しくない奴はいない。いてたまるか。いたらぶん殴ってやる。

「ギャラは必要ないわよね」

「は?」

 だから、ちょっと社長の言っている意味が良く分からなかった。

「だって、昨日はあんな風にお金をばら撒いちゃうんだもの」

「いや、あれ、後で全部拾ったじゃん。ああいうのはノーカンだから。つーか、仮に俺が億万長者だったとして、社員が働いた分はしっかり払うのが社長の仕事だろ」

 俺はソファに座る。茶など、出る気配はない。

「……そうね」何だか機嫌はよろしくなかった。何が不満なんだろう。怪人だってやっつけたし、マスターの店だって綺麗に守った。

 それでも、社長は物憂げに息を吐く。むう、昨日の笑顔はどこへやら。

「あんだよ、何かあんなら言ってくれよ」

「名前よ」

 は?

「昨日、あなたのヒーロー名を考えていなかった事に気付いたの」

「いや、別にそういうのは……」

「駄目よ。馬マン、オセロット君、段ボールファイトマシンに続く四号。それを、はあ。失敗したわ。カラーズが知られても、カラーズのヒーローの名前だって知られなきゃいけないのに」

 んな事今更言われてもなあ。第一、オセロット君はあのデパートが考えた名前だろ。

「あなたのせいね。だって、特徴がなかったもの。と言うか、マントと眼鏡をつけた、ただの青井正義じゃない」

 ただのって……! ひでえ、なんつー言い草だ。

「もう良いじゃねえか、ガタガタとうるせえなあ。あのマスターには、昨日のヒーローは眼鏡マンでしたとか適当言っとけよ」

「眼鏡はマスターありきのものじゃない!」

「そんなんで怒んなよっ」何をやったって文句を言うのな、こいつは。エスメラルド様を見習え。あの人には好き嫌いがないんだぞ。何だって食う。

「仕事はちゃんと成功したんだからさ、もう良いじゃねえか」

「はあ……そうね」

 社長は窓を開けて、室内の空気を入れ替える。俺は、彼女が自分の気持ちを切り替えようとしているのだと思った。

「青井、どうだった?」

「何が?」

「怪人を、悪をぶっ飛ばした気分よ」

 気分、ねえ。んな事今更言われても、まあ悪くはなかったんじゃねえのかな。何か、複雑な気持ちでもあるけど。俺も、いつかはああいう風にぶっ飛ばされちまうんだろうなあ。とか。

「案外、普通だったよ」

「うそ」社長は俺を指差す。

「だってあなた、楽しそうにしているもの」

 思わず鏡を探したが、社長は俺のそんな姿を見て、小さく笑った。

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