いつもうちの組織のやつらがお世話になってます
レンと二人で飯を食べた後、俺は寝転がってのんびりとテレビを見ていた。今日は隣に住んでる赤丸も静かだし、平穏無事に一日を終えることが出来そうである。
「お兄さん、お風呂は?」
「うーん、どうしよっかなあ」
「一緒に入る?」
「いや、大丈夫」
「何がっ」
レンはじたばた動き回る。埃が立つからやめなさい。
不満をたらたら言った後、レンは風呂に入った。俺はもう少しのんびりするか。そう思ってあくびを一つ。その時、チャイムが鳴った。珍しい。誰だ?
赤丸や黒武者ならチャイムは鳴らさない。普通に入ってくる。イダテン丸や百鬼さんは突然来ない。家に来る前にメールの一つでもしてくるはずだ。
俺は部屋の壁にかかった時計を見る。チャイムがまた鳴った。今は、十九時過ぎか。変なやつではないと信じよう。
「あい、今出ますよ」
俺は立ち上がって三和土へ。サンダルを履いてドアを開く。外には、シャツの上にオーバーオールを着て、キャスケット帽を目深に被った女が立っていた。背は低く、肌は褐色。若いってよりガキっぽい。宗教の勧誘だったら怒鳴り返してやろう。
「……なんすか」
女が口を利かなかったので、俺は『今すげえ忙しいんだけど』オーラを発する。すると、オーバーオールの女は少しだけたじろぐようなそぶりを見せた。
「あ。なんだ。その、夜遅くにごめんな」
別に今はそこまで遅い時間じゃあないが、それよりも気になったのは言葉遣いだ。なんだって知らねえやつにタメ口使われなきゃいけねえんだ。俺よりも年下っぽいくせによう。敬えやコルルァ。
「どこのどなた様か知らねえけどさ、タメ口は」
「ん。そうか。うん、そうだよな。もうアオイは私の部下じゃないんだもんな」
……アオイ? どうして俺の名前を? あ、いや、表札出してるもんな。うん。
女は帽子を脱いで、俺に向かって小さく頭を下げた。
「ええと、失礼しました。アオイ、さん。お久しぶりです」
「え?」
「いつもうちの組織のやつらがお世話になってます」
ま、まさか。ああ、いや、ここまできたら間違いない。
「エスメラルド改め、緑間縁です。覚えていますか?」
俺の元上司、エスメラルド様はよそ行きの笑顔を見せた。俺はその場で土下座した。
「は、ははーっ! とんだ失礼を! とんだ失礼を! ま、まさかエスメラルド様がこのような場所に来られるとは思いも! 思いもしなかったものですから!」
「よ、よせアオイ。人に見られると変に思われる」
「しかし! しかしながら!」
「さっきも言ったけど、アオイは私の部下じゃない。お前はヒーローなんだ。そんな簡単に頭を下げるな。お前の男も下がる」
そう言われても、俺は戦闘員を六年もやってたんだ。体にしみついた下っ端根性が土下座の体勢を解いてくれなかった。エスメラルド様が半ば強引に俺の首根っこを掴んで部屋に入るまで、俺は彼女の顔をまともに見られなかった。
どうにか落ち着きを取り戻した俺は、エスメラルド様に座布団をお出しして、ジュースとお菓子をご用意した。彼女は出されたものへ即座に手を伸ばそうとしたが、なぜかその手を引っ込めてしまう。
「あ、あのう。それで、いったい今日はどうされたんでしょうか。というか、お一人でここまで来られたんですか?」
エスメラルド様はそうだと頷いた。よかった。江戸さんがいなくて。俺はてっきり、今になって組織を抜けたお礼参りをされるのかと思ってたんだが、エスメラルド様一人だとそんなことにはならなそうである。
「アオイの家をエドに聞いたんだ。あいつは行くのは止めた方がいいって言ってたけどな。うるさいから無視してきた」
「は、はあ、そうなんですか」
「うん、そうなんだ」
何しに来たんだろう、この人。つーか冷静に考えて、悪の組織に住所とか顔とかが完全にバレまくってる俺って何なんだろう。もしかしなくても物凄くやばいんじゃあないか。
「で、その、用事、とかは……」
エスメラルド様はジュースを一口飲んで、テレビに視線を向ける。
「用事か。それがな、特にないんだ」
「はあ?」
「久しぶりにアオイの顔が見たくなったんだ。それが用事といえば用事なのかもしれないな」
それだけで悪の組織の幹部がヒーローの家に来たっていうんですか。……まあ、そうなんだろうな。エスメラルド様は嘘が吐けない人だし。そら江戸さんも止めるわ。
「元気にしてたか?」
「お陰様で、元気にヒーローをやれてます」
「そっか! よかった、安心したぞ。最近、お前の話を聞かないからな」
ああ、そういうことか。
「あー、実は現場には出てないんすよ。今はデスクワークやってます」
「ヒーローなのにか?」
「え、ええ、まあ」
俺は茶を飲んでエスメラルド様から目を逸らした。
「ところでその服、エスメラルド様の私服ですか。似合ってますけど」
ついでに話も逸らした。
エスメラルド様は自分の着ている服を見た後、照れくさそうにはにかんだ。
「エドには止められたけど、他の怪人は私がアオイの家に行くって言ったら、服を選んでくれたんだ。ほら、カガムラとか」
カガムラ? ああ、女王蜂怪人のあいつか。そういや、あの若作りはおせっかいを焼くのが好きだったっけ。
「アオイに褒められるんなら、たまにはこういう服も悪くないな」
「そうしてると普通の女の子っぽいですよ」
「いつもの私は普通の女の子に見えないか?」
「言葉の綾なんで気にしないでください」
じっとりとした目で見られてしまう。少し不機嫌になったエスメラルド様はお皿に盛ったクッキーを鷲掴みして口に運んだ。そうしてもしゃもしゃと噛み砕く。
「組織の皆は元気ですか?」
「ヒーローには組織のことは教えられないな」
あ、拗ねてる。
「ヒーロー管理局って知ってます?」
「………………知らないな、そんなやつら」
なんだ今の間は。
「エスメラルド様たちに味方するわけじゃあないですけど、あんまし派手なことはやらない方がいいですよ。目ぇつけられたら厄介そうなのが来てますんで」
「ヒーローの言うことは聞けないな」
「どうなるかは分かんないですし、悪の組織とはいえ、昔世話になったところを潰すのは嫌ですからね、俺」
エスメラルド様は何か言いたそうにしていた。その時、風呂場の方から音が聞こえてきた。あ、そういやレンがそこにいたっけ。すっかり忘れてた。
風呂から上がってきたレンは部屋にいるエスメラルド様を指差して頭を抱えた。
「ああっ、お兄さんが僕がお風呂に入ってる隙に女の人を連れ込んでる!」
「あのな、レン」
「浮気だっ。裏切りだよ酷いよう! せっかくあの無愛想がいなくなって二人きりだと思ったのに!」
「アオイ、お前……レンとそういう関係だったのか? グロシュラに言うぞ」
冗談がきつ過ぎますよ。
「勘弁してくれよ。レン、この人は四天王のエスメラルド様だ。お前だって見たことあるんじゃねえのか」
「んー? ……あっ、本当だ。でもさ、なんで悪い人がここにいるの?」
悪い人呼ばわり(その通りなんだけどな)されたエスメラルド様は何食わぬ顔でにっこりと笑い、クッキーを食い始めた。
「まあ、僕を連れ戻しに来たんじゃないならいいけどさ」
「私はお前のことをあんまり気にしてないからな。今はアオイのところにいるのが一番だと思うし。あ、グロシュラは元気だぞ」
「聞いてないしー」
レンはグラスに牛乳を注ぎ、それを一気に飲み干した。
「元気そうみたいでよかったな。グロシュラにも話してやろう」
「えー。やめてよそういうのさー」
「あっはっは! あ、ところでアオイ」
なんすか。
「組織に戻らないか?」
「戻らないっすよ」
即答すると、エスメラルド様はつまらなそうに顔をしかめた。
「そんなにヒーローっていいものか?」
「そりゃ、まあ……」
「でも、今のアオイは楽しそうな顔をしていないぞ」
俺は、今度はすぐさま言い返すことが出来なかった。
エスメラルド様は俺が言葉に詰まったことに満足したのか、立ち上がって軽快に歩き、三和土で靴を履き替える。
「もうお帰りになるんですか」
「数字付きの十三番はお前の為に空けてある。いつでも戻ってきてくれていいんだぞ」
「気持ちだけ受け取っておきます」
「遠慮するな。また来る。じゃあな、楽しかった、ありがとう、ばいばい!」
「ええっ!? ちょ、また来るんすか!?」
俺はエスメラルド様を止めようとしたが、彼女はドアを開けて駆け出していく。追いつけそうになかった。相変わらず嵐のような人である。まあ、少しは嬉しかったけど。
次の日。カラーズに行くと、今日も書類仕事が待ち受けてくれていた。俺は自分にあてがわれた椅子に座り、机を睨んだ。
「なあ社長ー、俺も外に行きてえよー。戦闘員をぶん殴りたいよー」
新聞を読んでいた社長は、それを丸めて素振りし始めた。
「ここに来た時のあなたは仕事を嫌がっていたのに」
「そりゃ、スーツも武器もねえんだもん。誰だって嫌がるだろ」
「今だってスーツはないようなものじゃない。せっかくペガサススーツが戻ってきたっていうのに。あれから一度も着ていないじゃないの」
やだよあんなの。俺の趣味じゃねえもん。
「俺の証明書っつーか書類さ、書き換えてくれよ。ペガサススーツは着ないって」
「じゃあ、代わりに他のスーツを着るの?」
「別に着なくてもよくね?」
社長は素振りを止めて俺をねめつける。
「よくないわよ。あなたね、言ってることが意味分からないんだけど」
「とにかくさあ、体が鈍っちまうって。管理局が回してくる仕事だって、別にヒーローを指名してるわけじゃねえだろ。赤丸や黒武者の代わりに俺が行ったっていいわけだ」
「駄目って言ってるじゃない。ブルージャスティスは管理局にマークされてるんだから」
え? そうなのか?
「管理局はあなたみたいなヒーローを厄介だと思ってるのよ。そうに違いないわ」
それよりと、社長は俺たち二人以外に誰もいない事務所を見回したのにもかかわらず声を潜めて言った。
「赤丸さんなんだけれど」
「……あいつが何かしたのか?」
「ううん、むしろ、かなりいい働きをしてくれているみたい。でも、少しおかしいなって」
赤丸がどこかおかしいのはいつものことじゃねえか。
「赤丸さん、管理局のことを聞いてくるの。あいつらのアジトはどこなんだとか、人数はどれくらいなんだー、とか」アジトて。
「興味があるだけじゃねえの?」
「私の第六感が囁くのよ。すんごい嫌な予感がするぞって」
そうかあ? って、俺はそうは思わねえが、女の勘ってのは当たるし、この社長だって妙に鋭いところがあるからなあ。
「あいつに直接聞いてみるか?」
「それが一番いいんだろうけど……」
社長は言葉を濁す。ま、流石に聞きにくいか。どうするかなあ。俺が聞いてやってもいいけど、最近、俺は赤丸にかなり嫌われてるみたいだしな。
いや、待てよ。妙案がある。今思いついた。
「尾行でもするか?」
「尾行? 素行調査ってこと?」
俺が頷くと、社長は露骨に嫌そうな顔を浮かべる。
「なんか、そこまでするのはどうかしらと思わないでもないのよね」
「でも気になるんだろ? 分からねえことをそのままにしとくのはよくないと思うぜ。信じてるからこそ疑うんだよ。な?」
「……乗り気ね。あ。調査にかこつけてデスクワークから逃げるつもりでしょう」
バレたか。
「いやいや、そういうのは専門家に任せりゃいいんだって」
「専門家……探偵の知り合いでもいるの?」
「まあな。ま、赤丸を調べたって何も出てきやしねえって。誰にも言わねえからさ、そん時はそん時で二人だけの笑い話にすりゃあいいんだよ」
社長は少しの間考え込んでいたが、息を吐き出して、小さな声でそうねと呟く。
「じゃあ、お願いしようかしら」
「おう、任せとけ。頼んでみるよ。腕は確かだから安心しとけ」
「ちょっと待って!」
「どした。やっぱ怖気づいたか?」
「その探偵ってあなたの知り合いなのよね。割り引きとか、ある?」
知るか。
「割り引き? あるよ?」
「あるんすか!?」
赤丸の素行調査を行う。社長にその許可をもらった俺は、昼休みになってリュウさんのところへ向かった。
とはいえ、リュウさんがどこでどのように探偵を営んでいるのかは分からなかったりする。大抵、彼とはふとした時に出会うだけなのだ。
そんなわけで街をふらふらとしていたら、公園のベンチで居眠りしているリュウさんを見つけた。色々と不安になるが、見つけてしまったのなら仕方ない。申し訳なかったが、俺は彼を起こして仕事の依頼をすることにしたのだった。
しかし、リュウさんは俺が素行調査を頼みたいと知ると、残り少ない髪の毛を掻いて気乗りしないとでも言いたげにこっちを見た。
「頼んますよ。依頼料なら少しくらい盛っちゃっていいですから」
「いや、お金じゃなくてね。君の同僚、ある意味、仲間のことを調べるわけだよ。その人の嫌な部分が見えてしまったらどうするつもりだい。君は今まで通り、その人と上手く付き合っていけるかい?」
リュウさんは俺や、赤丸のことを心配しているらしい。有り難いが、赤丸に限って言えばそんなことはどうでもいい。何せ、俺とあいつは出会った時、敵同士だったんだ。
「そいつの嫌なところは嫌ってほど知ってますよ。今更幻滅することなんかないっす」
「まあ、君がそう言うなら……」
「お願いします」
俺は赤丸の写真や、社長から預かってきた書類をリュウさんに渡した。
「赤丸夜明さん。確か、しゃもじのヒーローだったね。とりあえず一週間、調べてみよう。彼女に何かおかしな点があれば君に連絡する。そうでなくても、一週間経てば調査は一度打ち切るつもりだ。私は、何も出てこないのを祈っているが」
出来れば俺もそうしたい。素行調査なんか料金だって馬鹿にならねえ。気安く頼めるようなもんじゃないんだ。社長だってそれくらい分かってるはずだ。なのに、社長は依頼料を払う気になった。何かあるかもしれないって思ってんだ、きっと。
ま、あの赤丸だからな。特に大したことなんか出来ねえだろ。