身体強化外甲殻服管理局管理官、アイリス・エアウェイブルーです
「……あ、青井さん。昨日は写真、ありがとうございました。すごく可愛くって可愛くって。猫ちゃん、見つかってよかったですね」
「おう、そっちも誤魔化してくれてありがとうな」
猫探しの翌日。カラーズには九重がいた。どうやら俺を待っていたらしい。こそこそと二人で話していると、不機嫌そうな顔をぶら下げた社長が近づいてきた。
「何の写真?」
「何でもねえよ」と社長を遠ざけようとすると、彼女は車椅子を器用に動かして俺の背中へ回り込もうとしてきた。
「ちょっと、社長を蔑ろにするなんて!」
こういうところはガキなんだよな、こいつ。
「あっ、そういや社長。ヒーロー管理局っての知ってるか?」
「……知ってるけど、そいつらがどうしたのよ」
おや。社長の機嫌が更に悪くなったぞ。
「この街に来るんだってよ」
「はあ? なんで? 嘘? 冗談じゃないわ!」
「きゅ、急にどうしたんだよ……」
「まずいわね。いったん、赤丸さんたちを呼び出して」
社長が何か言いかけた瞬間、電話が鳴った。俺たち三人は鳴り続ける電話をじっと見つめていた。
「なあ、誰か出ろよ」
「駄目よ。とても、途轍もなく嫌な予感がするの」
「放っておくのも駄目な気がするんですけど」
しばらくすると電話は切れた。ホッとしたのもつかの間、電話はまたけたたましい音を鳴らし始める。もう逃げられそうにないな。
「なあ、管理局って何なんだよ。教えてくれよ」
「あなたヒーローなのにそんなことも知らないの? バカ。愚鈍。あのね、ヒーロー管理局って言うのは、政府が試験的に導入した鬱陶しい組織なの」
結局説明はしてくれるんだな。
「そんなもんあったのか?」
「本当に最近やり始めたみたいだから。外国じゃあとっくにやってたみたいだけどね。いつかはこっちでもやるなあって思ってたの。ほら、この国の人たちって海の向こうにあこがれを持ってるから」
「刺々しいなあ」
「そいつら、犯罪発生率が高い区域にやってきて、ヒーローを自分たちで好きにまとめるの。仕事を割り振ることでスムーズな怪人退治を行う……って名目だけど、派遣会社にしたらたまったものじゃないわ。その間のお仕事はどうするのって話よ」
実際、どうなるんだ?
「その間は管理局から安い賃金が出るみたい。手当とかいう名目でね。でもね、自由に仕事を受けられなくなるの。監視だってつくかもしれないし、横からうるさく言われちゃうかも」
「今と大して変わらねえ気はするけどな」
「何か言った?」
「聞こえてるじゃねえか」
しかし、マジかよ。そいつはかなり困るじゃねえか。給料が安くなるのは困るぞ。
「私たちだけじゃない。ヒーローを勝手に派遣出来ないのなら、依頼したいって人たちも困るじゃない。これだから政府とか国とかは好きじゃないのよ」
流石悪の首領の娘でもあるな。反体制気質である。
「放置も出来ねえだろ? とにかく話を聞くしかねえだろうな」
社長は諦めたらしい。乱暴な手つきで受話器を取り、ぶっきら棒な口調で話し始めた。それでも人の上に立つ人間か。全くよう。
ヒーロー管理局とやらの対応は速かった。この街のヒーロー派遣会社全てに連絡を取り、集められるだけのヒーローを一か所に集めやがったのだ。
その場所は市民体育館である。なもんで、俺たちも体育館のフロアに地べたで座らされていた。
集められたヒーローの数は、百や二百を優に超えていそうな感じである。ただ、大抵のやつがスーツではなく私服なので誰が誰だか分からない。戦闘員時代に色んな意味で世話になったやつもいるんだろうな。ちょっと落ち着かねえ。
「くそう、何が管理局じゃ」
ざわざわとしている中、俺の隣にいる赤丸がぼやいた。……結局、あの電話は管理局からのものだった。が、カラーズから出向いたのは俺と赤丸だけである。何故ならイダテン丸も黒武者も逃げたからだ。あいつら、こういうのを面倒くさがるとは思っていたけど、ワリ食ってんのは俺なんだぞ。ちくしょう。
「せめて百鬼さんがいてくれたらなあ」
「……あの人はパートじゃろうが」
「でも心強いじゃんか」
「うちじゃ不服なんか」
大いに。
「しかし、随分待たせやがるな」
午前中に体育館に着いてから、もう一時間は経ってるぞ。
場の空気も妙にピリピリしてきた時、体育館の壇上に誰かが立った。
「ガキじゃねえか」
壇上に立ち、俺たちヒーローを睨みつけるように見回したのは、長い金髪を靡かせた少女だった。少女は高そうなブランド物のスーツを着ているが、背は低く、大人っぽくない。顔立ちは整っていて冷たい雰囲気を纏わせてはいるが、どこか幼さも残っているような。
俺たちがいるのは体育館の後ろの方だからよく見えないが、少女の釣り上がった目からはやってやるぜって意志の強さを感じる。
「うちの社長に似とるな」
ああ。そうか。確かにそうかもしれねえな。だからか。何か、さっきから嫌な予感がしているのは。
金髪の女の子は、SPらしきスーツ姿の男からマイクを受け取り、口を開いた。その瞬間、今の今までざわついていた体育館の空気がぴしりと固まって静かになる。
「身体強化外甲殻服管理局管理官、アイリス・エアウェイブルーです」
アイリスと、そう名乗った長ったらしい肩書きを持った少女はもう一度俺たちのことを見回した。
「外人さんみたいじゃのう」
「だな。しかも偉そうだ」
それから、アイリスとかいうガキは管理局についてベラベラと喋り出す。方針だの、そういったことに興味はない。俺は話を殆ど聞き流していた。
「舐めやがって。管理局とか知るかよ」
「ああ、だな。自分らの好きなようにやろうぜ」
「クソガキが。生意気なんだよ」
そこらから囁きが漏れ聞こえてくる。
ああ、そうだ。その通りだ。くだらねえ。ヒーローを管理だと。ふざけやがって。俺だって管理局なんてわけの分からねえもんには従わねえぞ。
だが、冷め切ったヒーローたちとは違い、壇上の金髪の口調には熱がこもっていた。
「ヒーローは……正義は、かくも素晴らしいものです。しかし、過酷な労働環境に耐えられず、雇用者に対して反旗を翻すヒーローもいるのです。悪の組織を倒す存在ながら、悪に最も近い為に悪の組織に染まる者もいるのです。だから私たちが、あなたたちを管理をするのです。されなければいけない。それは力を持つ者の義務であると、そうお考えになってください」
よろしいですよね。
そう言って、アイリスは微笑んだ。
「ふっざけんな!」
おっ、前の方に座っていた若い男が立ち上がった。いいぞ、いけいけ。
「てめえらみたいな頭でっかちの言うことなんか聞けっかよ!」
血気盛んな若手ヒーローは管理局の連中を見回す。彼に続き、他のヒーローもそうだそうだと煽りまくった。俺も煽った。
「ヒーローってのはなあ! ……あ?」
若手ヒーローが何か言いかけたが、アイリスは何者かを手招きした。やってきたのは黒服の男である。そいつは真っ黒いファイルを持っていた。
アイリスはヒーローを無視してファイルをぱらぱらとめくり始める。そうして一枚の書類を指で摘まんだ。
「……んだよ、その紙切れは?」
「ん?」
アイリスは摘まんでいる紙切れを見る。
「この紙はあなたそのものですよ、ファルコンレンジャー」
ファルコンレンジャー? って、あいつか? 人の獲物を横取りすることで有名なヒーロー、だよな?
俺も、俺以外のやつも声を出すことは止めて、アイリスと若手ヒーローを不思議そうに見つめた。
「だ、誰がファルコンレンジャーだって? ん? アー、ハン?」
「とぼけても無駄ですよ。顔写真と一致しています。よろしければあなたの本名や住所も言ってみましょうか」
「よ、よせっ!」
どうやら、あの若手がファルコンレンジャーってことに間違いなさそうだ。そんでもって、あのファイルに綴じてあった紙切れに何かが書かれているらしい。
気になったので赤丸に聞いてみると、彼女は声を潜めて言った。
「なんじゃ、知らんのんか。ありゃあうちらの証明書じゃ。国の偉い人からもろぉた、ヒーローだって証じゃ」
「……証明書?」
「われ……あ、ほーかほーか。社長に書いてもろうたんじゃったっけ」
ヒーローの証明書。そんなもんがあったのか。いや、あるんだってことは知ってたが、実際に見たことは一度もない。俺がヒーローになった時、煩わしい手続きは全て社長がやってくれたからだ。
「あれがないと、うちらはヒーローになれん」
「たかが紙切れ一枚だろうが」
「そうじゃ。あれはな。あれはただの紙切れじゃ。だけどな、あれがないと、うちらぁヒーローでいられん」
俺の目に見えているのは紙切れだ。あれを破っても燃やしても大した意味はない。問題なのは誰がその紙切れを破るのか、だ。そして。この体育館にいるヒーローたちはそのことをよく分かっている。
アイリスはヒーローが事態を呑み込み始めたことを察したのか、先とは違う種類の笑みを浮かべた。
「脅迫しているつもりも、するつもりもありません。ただ、我々はこういったものを持っています。忘れないでくださいね。我々はあなた方を管理する。つまり、あなた方がヒーローでいられるかどうかすらも管理しているのです」
バリバリ脅してるじゃねえか。従わないならヒーロー辞めさすぞって言ってんじゃねえかよ。
アイリスは両の手のひらを合わせて可愛らしいポーズを作った。俺たちの神経を逆撫でするつもりなのだろうか。
「さ、それでは、資格を剥奪されたい人はどうぞ、前に出てきてくださいな」
嘘のように静まり返る体育館。そりゃそうだ。ヒーローでいられなくなったらどうしようもなくなる。仕事をなくしたいってやつがどんだけいるよ。
それに悪いことばかりじゃない。見ようによっちゃ、あの管理局って連中は仕事を斡旋してやるって言ってるんだ。小さい派遣会社は依頼を取ってくるのも難しい。むしろ管理局の介入をプラスに思ってるやつだっているかもな。
うん、ここで騒ぐのはアホのすることだ。
しかし赤丸の様子はおかしかった。えーと、お前、なんで立とうとしてんの?
「お、おい馬鹿」
「うち、あのガキに文句ゆうてくる」
何を考えてんだこいつ。何を殺気立ってんだ。
「よせよ。逆らったらヒーローやれなくなるんだぞ」
俺がそう言うと、赤丸は無言でこっちを睨んできた。俺は間違ったこと言ってねえだろ。
「あのな、お前が勝手やるとカラーズにも迷惑がかかるんだ」
「……黙れ」
「今はお前一人でやってんじゃねえんだぞ。頼むから大人しくしてくれ」
赤丸は立ち上がりかけた状態で俺を見ている。管理局の連中も俺たちに気づいたらしい、不審そうにこっちに視線を向けていた。
「青井。うちはお前に借りがあるけえ、今はお前のゆうこと聞く」
ああ、そうしてくれると非常に助かる。
「けどな、二度目はない。そう思っとけ」
俺は答えなかった。あ、こいつ何かやるつもりだなって、そう思ったからだ。
思考の停まったヒーローたちとは違い、管理局の動きは実に素早かった。その日の内にこの街を何ブロックかに分け、その分けたブロックにヒーローを割り当てた。
明日から、この街のヒーローは管理局の連絡を受けて仕事に向かうことになる。それ以外の依頼は受けられないし、余計なことをすると資格を剥奪される。
一四五九のB。
これが俺たちカラーズのヒーローに割り当てられたブロックだった。
赤丸や一部のヒーローは管理局のやり方に反発心を覚えているみたいだが、俺は違っていた。少しだけありがたいってくらいに思っていた。デスクワークから解放されるかもしれねえし、何もしないで口を開けてるだけで仕事が来るんだ。こんな楽な話はねえだろう。
「はあ? 赤丸がいない?」
管理局に呼び出された次の日、いつも通りにカラーズへ行くと、不機嫌オーラを纏わせた社長が事務所の中をうろうろとしていた。なもんで事情を聞いてみると、赤丸と連絡が取れないそうだ。……あのアマ、何かやらかすとは思ってたが、まさかこんなに早くやらかすとは思ってなかったぞ。
「他のやつらは?」
「ええ? ああ、うん。イダテン丸も黒武者も出ちゃってるの。というか、イダテン丸は昨日から用事があるとかでのらりくらりと躱して捕まらないし……! 百鬼さんに応援頼んだけど、もう、もう!」
おお、久しぶりに社長がイライラしてる。
「笑ってないでよっ、もう!」
こっちに飛び火する前に、俺は事務所からそっと抜け出した。社長の頭が冷えるのを待つつもりだったが、階段を上ってくる赤丸が見えた。
「おおい、おせえぞ! 社長怒ってんぞ!」
声をかけたが、赤丸は俺を無視して口を開かない。階段をゆっくりと上り切った彼女は俺の横を通り過ぎ、一切悪びれる様子を見せないで扉を開いた。その瞬間、百メートル先まで聞こえちまいそうな社長の怒鳴り声が。
そのすぐ後、ぶっすーとした顔の赤丸が出てくる。仕事場へ向かうよう指示されたのだろう。
「おい、今度は無視すんじゃねえぞ」
「……なんじゃ、コウモリ」
「あ?」
赤丸は俺を睨みつけていた。なんでだ。なんでそんな目で見られなきゃいけねえ。
「今の俺はヒーローだ。コウモリなんかじゃねえ」
「どっちつかずには似合いの言葉じゃろうが。われ、何の為にヒーローやっとんじゃ」
「そんなの決まってんだろ」
「決まってないんじゃ、ボケ。青井。前までのわれじゃったら、そがぁな温いことゆわんかった」
ふざけんな。言い返してやろうとしたが、赤丸は俺に背を向けて階段を下りていった。……クソが。俺はもう、コウモリなんかじゃねえんだ。
その日から、赤丸が遅刻をすることはなかった。管理局の指示で動くヒーローからは未だに不満の声が上がっていたが、皆、渋々といった感じで仕事を続けているようだ。そりゃそうだ。管理局ってのは、要は国なんだ。自分の住んでる国の法に抗う術はない。どうしても嫌だったら別の国に引っ越せばいい。
赤丸だってごちゃごちゃ言ってたが、結局は真面目に仕事をこなしている。ただ、どうにも不審な点が見受けられる。少なくとも俺はそう感じた。こういう時に限ってイダテン丸は姿を見せないし。もしかしたら、あいつはカラーズを辞めて、本当に違う国に行っちまうんじゃないか。なんてことを社長は不安がっていた。
「ただいまー」
「あっ、お兄さん! お帰り……なさい」
家に帰ってきた俺を見て、レンは不思議そうに小首を傾げた。
「今日もパソコンと睨めっこしてたの?」
「分かるのか?」
「あは、あんまし疲れてなさそうだから」
俺は頭を掻いて部屋の中に上がった。テレビを見ていたレンはエプロンをつけて立ち上がる。夕飯の用意をしてくれるらしかった。
「最近、ずっと体を動かしてないんだね」
「ああ。まあな」
「ヒーロー管理局の人たちから仕事もらえてないの?」
子供というのはストレートに痛いところを突いてくる。
「俺はな。カラーズにはちゃんと仕事が割り振られてるよ」
「えー? じゃあなんで? お兄さんだけなんで?」
「……スーツを着ていないからだとよ」
ヒーロー派遣会社カラーズに所属するブルージャスティスは、管理局の連中も持っていた書類の通りにヒーローをやらなきゃいけない。その書類を書いたのは社長で、書かれた内容によれば、『ペガサススーツを着ている』のが『ブルージャスティス』でなくてはならないらしい。
だから、今の俺はブルージャスティスじゃあない。未認可のヒーローで、仲間外れにされているようなものだった。
「スーツを着てなきゃヒーローになれないの?」
レンは俺に尋ねてくる。だが、違うよね、とでも言いたげだった。
「ああ、違うよ。ヒーローに大事なのはスーツじゃねえんだからよ」
ただ、そのことを管理局が、国が認めてないってだけの話だった。