今日は君の好きなトンカツだから
時間が経てば色々変わるが、俺は数か月前、時間が経っても変わらない物を手に入れられた。
それは正義と言う名の証である。人間一人一人が持っているであろう信念である。
紆余曲折あったが、とにかく俺は自分の正義というものをこの手で掴んだ。
……だが。
人間ってのは正義に殉じることが出来る生き物なのだろうか。
正義は道だ。生き方だ。俺は今……いや、俺だけじゃない。誰もが先の見えないまっすぐな道の上に立っている。その道を進むことが正しいと信じていても歩き続けることは酷く難しい。
こうだと決めたものを曲げることはない。しかし、擦り減ることはあるだろう。擦り減って擦り減って、その先、自分が信じた正義がどんな形になっているのか。
俺は、それが知りたい。
一年ってのはいい。区切りがいい。分かりやすくていい。
「おめでとうって言って欲しい?」
「……いらねえ」
俺の上司、白鳥澪子がいつものように意地悪な笑みを浮かべた。
俺はノートパソコンを閉じて、椅子の背もたれに体重を預ける。安普請の頼りないそれが、止めてくれって軋みを上げた。
「あなたがカラーズに来てから一年。つまり、あなたがヒーローになってから一年が経ったのよね」
「まあ、そういうことになるな」
「ありがとう、青井。カラーズが軌道に乗ったのはあなたのお陰よ」
「さいですか」
カラーズの事務所ん中を見回す。広さこそ変わっちゃいないが、ここに来るやつらは増えた。社員も。依頼人もだ。
……あの日。
最初で最後のブルージャスティス。俺が、俺だけのスーツを着て戦った日。
その日から数か月が経っていた。カラーズには新しい社員が入ってきて、俺の怪我はすっかり良くなり、新しい春が来ている。
「まさか、俺がデスクワークするたあな」
肩をべきべき鳴らすと、社長はくすくすと笑みを零した。
怪我こそ治ったはずだし、復帰当初は色んなやつらと戦わされた。宇宙人とか、変なロボットとかな。けど、俺は少し前から書類業務っつーか、社長の手伝いをさせられている。社長曰く『あなたは切り札だから』とのことだが。
「ん、何。私の顔に何かついてる?」
「……いや、何も」
たぶん、社長は俺に気を遣っているんだろうな。
俺はもう無理をしなくてもいい。怪人を何とかしてくれって依頼が来ても、赤丸たちがいるし。つーか、社長も無理をしなくてもいい。無理に俺を使う必要なんかねえんだよな。ああ、もしかしてアレか。クビにされないだけマシなんだろうか。
「なんつーか、相変わらずお美しいって感じですよ。へっへっへ」
「媚びの売り方が下手ね。どうしたの。お給料でも上げて欲しいの?」
「え、上げてくれんの?」
「始末書の書き方を覚えたらね」
誰だこいつ。俺の知ってる社長じゃない。宇宙人に手術でもされて頭がおかしくなってんじゃねえのか。
慄いていると外が騒がしくなってきた。仕事に行ってた誰かが帰ってきたらしい。
「ただいまー、いやー、楽な仕事じゃった……なんじゃ、青井もおったんか」
カラーズの暴力担当こと、しゃもじを担いだ赤丸がやってきた。ヒーロースーツではなく、ジャケットを羽織ってジーンズを履いているみたいだが。なんでしゃもじ持ってんだこいつ。
「お帰りなさい、赤丸さん。依頼者からもさっき連絡が来てたわよ」
「ほーかほーか。怪人をぶちのめしてやったから喜んどったじゃろう」
「お店の壁を壊した分は依頼料から引いておきますって。お給料から引いておくわね」
赤丸はなんでじゃあと叫んでしゃもじを取り落した。またやったのか。
「てめえボケが。大人しく仕事が出来ねえのかよ。始末書書かされるのは俺なんだぞ」
「ああ?」
赤丸は俺を睨み、ずかずかとした足取りで近づいてくる。
「表出んくせにガタガタ抜かすなや。ヒーローっちゅうのはな、怪人しばいてなんぼなんじゃ」
「こっちは病み上がりなんだよ」
「つまりもせんことゆうのー、われ。ペガサスぶっ飛ばした時の覇気はどこ行ったんじゃ」
これだから脳みそが筋肉で出来てるやつは嫌なんだ。
「報告が済んだらとっとと帰れバーカ」
「うちの勝手じゃろうが! ちったあ労ったらどうなんじゃ!」
俺は赤丸を無視して、社長に教えてもらいながら始末書の作製に取り掛かった。
「イダテン丸、ただいま戻りました」
「はい、お帰りなさい。後でいいから報告書をよろしくね」
一人。
「戻ったぞ」
「あ、黒武者。お前な、こないだの昼食代ってなんだよ。経費で落とすつもりかてめえ」
「腹が減っては満足に戦えない。それが僕という男だ」
「食い過ぎなんだよお前は!」
また一人。
ヒーローとしての仕事を終えたやつらが戻ってくる。羨ましいかって言われるとそうでもない。だけど、なんとなく寂しいっつーか、置いていかれてるような気がしてくる。俺はこうして机の前でキーボードをカチカチやってるだけだ。それも仕事だって分かってる。だけど、なあ。
「青井」
「……ん、何?」
書類の束を整理していると、社長が声をかけてきた。
「九重が戻ってきたら今日はもう終わりよ。あなたもその辺で切り上げたら?」
「や、まだ出来てねえもんがあるんだけど」
「どれ?」
俺はパソコンの画面を指差す。社長は顔を近づけてそれを確認し、ふんふんと頷いた。
「急ぎじゃないから明日でも構わないわよ」
「いいのか?」
ええ、と、社長はこともなげに答える。今までの社長だったら、出来るまで帰れると思わないことね、なんて言いそうなんだが。
「そんじゃあ、帰るかな」
「おっ、青井ー、呑みに行くか!」
赤丸はげらげらと笑ってイダテン丸の肩をばんばんと叩いていた。
「縹野も行くじゃろう?」
「……いや、私は部屋に戻って録り溜めしていたドラマを」
「そがぁなもん帰ってから見たらええじゃろう!」
「赤丸殿は朝まで帰してくれないではないですか! しかも愚痴ばっかり言うし!」
俺は二人が言い争っている隙に事務所を抜け出た。
赤丸もイダテン丸も黒武者も、たまに面倒な問題ごとを引き連れてくるが、基本的にはそつなく仕事をこなしている。あの三人がいりゃあ大抵の怪人は成す術なくボコられる。
……カラーズは上手くいっている。俺が一人で体張ってる時よりも。
「ただいまー」
家に戻ってドアを開けると、エプロン姿のレンが棍棒を持って流しの前に突っ立っていた。冷たい目をしてまな板の上の豚肉を見つめている。
「んー、あっ、お兄さんお帰りなさい!」
「……何してんだ?」
「お肉を叩いてたの。こうしたら柔らかくなるんだってさ」
俺は荷物を下ろして卓袱台の前に座り込んだ。
「へー。あれ? そういやいなせは?」
「えー? 何言ってるの? いなせは出て行ったじゃんか」
「ああ、そういやそうだっけ」
俺はレンに淹れてもらったお茶を啜り、少しだけ広くなったような部屋を見回す。本棚にはいなせが揃えてきた小説が並んでいた。
「元気でやってるかなあ」
「あは、寂しくて泣いてるかもね」
二人でいなせのことを話していると、ドアが開いた。入ってきたのは買い物袋を提げた百鬼さんである。彼女もまた、レンと同じくエプロンをつけていた。
「あ、どうもっす」
俺が軽く頭を下げると、百鬼さんは静かに微笑む。
「どうも。またお邪魔しているけれど、ごめんなさいね」
「いやいや、全然大丈夫っすよ」
「ねーねーおばさん、早く教えてよー」
「ああ、はいはい。ちょっと待っててね」
百鬼さんはちょっと前からレンに料理を教えてくれているようだ。
一度、百鬼さんの料理を食べたレンが感銘を受けたらしい。レンは『やっぱり袋を掴まなきゃ』とか言い出して百鬼さんに頼み込んだみたいである。非常に申し訳なかったが、彼女も暇つぶしになるし、楽しそうだから、という理由で引き受けてくれた。
そんなわけでいつでも来られるようにと、俺は百鬼さんに家のカギを渡している。家の中の物は適当に使ってくれていいし、百鬼さんなら信用出来る。何よりレンが喜ぶからだ。いなせがいなくなって強がっているが、一人で留守番するのもつまらないだろうし。
「青井君も疲れてるでしょう? 今日は君の好きなトンカツだから楽しみにしていてちょうだい」
「おお、マジすか」
「男の子が二人もいると作り甲斐があるわ」
俺はごろりと寝転がり、テレビを点けた。ローカル局のアナウンサーが『ヒーロー派遣会社が潰れた』だの『市長がまた悪漢退治に国外へ飛んだ』だの政府のどうたらがこうたらだの言っていた。
「ああ、駄目よレン君。お肉を叩く時は強ければいいってわけじゃないの」
「じゃあどうするの?」
「よく見て。的確に、鋭く一点を潰していく感じで」
…………なんか怖い。
レンと百鬼さんの作ってくれた晩飯を食べた後、俺はぼんやりとしていた。テレビを見ているはずなのに、音を聞いているはずなのに、ちっとも頭に入ってこない。気分が妙に盛り上がらない。
「はい、どうぞ」
「あ、どもっす」
百鬼さんは俺の対面に座り、お茶を飲む。俺も彼女につられるような形で湯呑に口をつけた。
「将来について、とか?」
「へ? 何がっすか?」
「青井君の悩み」
口の中の茶を噴き出すことはなかったが、少しだけ驚いた。将来という言葉を突きつけられて、俺自身も『ああ、そうなんだ』って実感する。
カラーズのやつらも、レンも、いなせも、俺以外のやつらは新しいことを始めているようで、きちんとした道を進んでいるようで焦るんだ。喜ぶべきことなのだろうが、嫉妬心が勝る。
「まあ、はい。そうっすね。最近は身体動かしてないんで、余計なことを考えてるのかもしんないですけど」
「明日どうなるかなんて誰にも分からないもの。私だって悩みの種の一つよ」
百鬼さんも?
「これから先、一人寂しく死んでいくのか……って」
俺は思わず押し黙った。レンが風呂に入っているから、向こうからの水音だけが聞こえてきて居心地が悪い。
「結婚、すりゃあいいんじゃないんすか。百鬼さんだったら引く手あまたって感じだと思いますけど」
「そう? じゃあ青井君にもらってもらおうかな」
「はっは、冗談が上手いっすね」
俺は笑って茶を飲んだ。百鬼さんは穏やかな笑みを浮かべたが、何か、含みのあるそれに思えて咄嗟に目をそらしてしまう。
「と、ところで、カラーズのパートってどうですか。あの社長に無茶苦茶言われてません?」
「全然。澪子ちゃんはとってもいい子よ。私もストレス解消にちょうどいいしね」
「怪人ぶっ飛ばすのが、ですか?」
百鬼さんは無言で頷いた。そうして、俺の方を窺うような目で見てくる。
「青井君は気を遣われているのよ。澪子ちゃんにとっては、あなたが本当のヒーローなんですから」
「ヒーローに始末書とかやらせますかあ?」
「手放したくないのよ、きっと」
そんな風には思えないけどな。
「それじゃあ、私はそろそろお暇しようかしら」
「あ、今日もごちそうさまでした。レンも喜んでますから、よかったらまたよろしくお願いします」
「そんな他人行儀なことを言わなくても平気よ。じゃあ、またね。おやすみなさい」
百鬼さんは立ち上がり、小さく手を振る。ぱたんとドアが閉められて、俺は、温くなったお茶を飲み干した。
そういや、最後にグローブをはめたのはいつだったっけな。もう一か月は怪人と戦ってない気がする。
グローブだけは手元にあるが、爺さんからもらった他のもんはないし。そんでもって爺さんは組織から離れているらしいし。……ああ、なんか。なんか安心してる。武器がなくてもいいんだって思ってる。
だけど、安心してるってことに不安を覚えちまう。それでいいのかよって。