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だからウチに頼んだのよ



 俺はカラーズでの仕事に身の危険を感じていた。そう、今更ながらに。しかし、このままではスーツを買う金を貯めるよりも先に死んでしまう。ありったけの、なけなしの貯金を下ろし、俺は爺さんの元へと向かっていた。



「何じゃ、これは?」

 俺は爺さんを無理矢理起こして、封筒に入った有り金を突きつけていた。

「金だ。いや、誠意だ」

「……気の早い奴め」

 爺さんはパソコンの群れを見回して、あくびを一つ。つまらなさそうに俺を見て、キーボードを叩き始めた。

「どうしても、必要なんだ。もうこの際だ、並以下のスーツでも良い。この誠意でどうにかしてくれ」

「乗り気じゃない」

「乗らなくても良い」

「たわけが」キーボードを叩く指に力が入る。静かな部屋に高く、乾いた音が響いた。

 乗り気じゃないって言われても困る。こっちゃ命が掛かってんだ。無慈悲な社長に理不尽な書類を握られちまってる。何とかして盗み出そうとしたが、どうやらカラーズの社内には書類など置いていそうになかった。調べていないのは、社長の私室らしき扉の向こうだが、鍵が掛かってどうにもならねえ。

「わしがスーツを作っているのは、紛れもなく趣味じゃ。誰に言われても、気が乗らん限りはやらん」

「そりゃ約束が違うんじゃねえのか?」

「抜かせ。どうしても作って欲しいと言うんなら、わしを乗せてみんか」

 理由がなくちゃ、それも、相当に面白そうな理由じゃなきゃ爺さんは動かないだろう。……事情を説明するか? いや、駄目だ。この爺さんは組織に忠誠こそ誓っているかどうか怪しいが、古い人間であるのに違いはない。こないだも背信がどうとか言ってたし、ヒーロー派遣会社で働いているのを馬鹿正直に話しても、部屋を叩き出されるのがオチだろう。

「分かった。今日は帰るよ。……とりあえず、この誠意は持って帰っても良いか?」

「好きにせえ」

 床から立ち上がる。ケーブルがうじゃうじゃとしていて蹴り飛ばしてやりたかったが、これ以上爺さんの機嫌を損ねるのもまずいだろう。

「ああ、そうじゃ」爺さんは思い出したかのように、デスクの引き出しから何かを取り出した。

 ……グローブ? うん、黒いグローブだ。サッカーのゴールキーパーが使っているような、分厚い奴である。しかも、片方だけ。

「今は理由を聞かん。お前の敵に回るのもつまらなさそうじゃからな。どうしても、必要なのだろう。だが、スーツまでは出来ておらん。これで暫くは我慢しておれ」

 差し出される。爺さんの皺くちゃな手が、誇らしいものに思えた。

「これは……?」

「暇潰しに作っておいた。素晴らしいぞ、それ。並の怪人やヒーローのスーツよりも威力のあるパンチを打てる筈じゃ。正直、お前にやるのはもったいない」

「い、良いのか? だって俺、爺さんには何も……」

 爺さんは何も言わず、白衣のポケットから硬貨を三枚取り出す。それは、以前、俺から取り上げた三百円だった。三百円、ぽっちである。

「お、おお」じっ、爺さん! すげえ、かっけえ! マジか! 良いのかよ!? 並のスーツよりも性能が良いものをくれんのか? いや、グローブだけだけど。片方だけだけど。

 俺は早速、そのグローブを右腕にはめる。少し指の先が余ったが、握れば問題ない。誰かをぶちのめすには何も、問題なんてなかった。

「今はグローブだけじゃが、ま、いずれスーツも完成するだろうよ」

「へ、へへへ、すげえ。うん、絶対爺さんを乗せてみせるよ。良いもん、作ってくれよな」

「たわけが」爺さんは俺から顔を背け、パソコンのモニターを見遣る。

「わしは良いものしか作らん」

「その通りだな。さてと」

 腕をぶんぶんと振り回す。

「……何をしている?」

「いや、とりあえず試しに何か殴っておこうと思って」

「ふ、ふっ、ふざけるな! お前、恩を仇で返すつもりか!?」

 滅茶苦茶怒られた。部屋を叩き出された。三百円はやっぱり返してもらえなかった。パソコン、いっぱいあんだから一個くらい良いじゃんよう。早く試したかったんだよう。



 スーツではなく、グローブ、それも片方だけを受け取った。

 だが、調子に乗り過ぎるのは危険だろう。こいつが爺さんお墨付きのものすげえ性能のもんだとしても、所詮はグローブ。右腕、拳の部分しか纏えない。俺は、右拳しかヒーローになっていないのだ。他の部分は何も変わらない。一般人だ。どんなに強い一撃を打てたとしても、相手の攻撃を喰らえば、先に倒れるのは俺なのだから。

 しかも、まだ一発だって試していない。戦闘員用のスーツもあるし、数字付きん時にヒーロー相手に試すのが一番確実だし楽しそうだが、グローブをどこから手に入れたのか、他の奴らに聞かれるのも危ない。やはり、カラーズでの仕事ん時に試すしかないのだろうか。

 俺は部屋の中を見回す。……何か、殴ってみようか。いや、でも、ヒーローとしての最初の一撃だぞ? つまらないものを殴ってどうするんだ、俺。けど早く試したいしなー、どうしようかなー。

 そんな事をにやにやしながら考えていたら、いつの間にか布団の上で寝こけていた。グローブをはめたまま。小学生か。



 そんな折、カラーズにある仕事が舞い込んできた。地道な宣伝活動が遂に実を結んだのである。チラシにティッシュに、配れるものは配った。うんうん、よきかなよきかな。それに、俺には爺さんからもらったスーパーグローブもある。

「何かがついているとしか思えないな」

「何を言っているのよ、突然」

 九重が運転するタクシーの中、俺は笑う。楽しくて楽しくて仕方がないのだ。

「ちょっと、少しは緊張してよね」

「うむ、分かっておるわ。がっはっは」

 仕事は、とあるバーのマスターからだった。髭面で強面の、バーテンダー服が筋肉質なボディで張り裂けんばかりの。そんな人だった。駅前でティッシュを受け取り、カラーズの存在を知ったらしく『怪人を倒してくれ』と言われたのだが、正直自分でやればとも思ったものだ。

 依頼者は繁華街の地下にあるバーでマスターをやっている。そういう場所なので、ちょっとした揉め事いざこざは起こっていたらしいが、そこは自慢の肉体を見せ付ける事でどうにか回避してきたそうだ。だが、幾ら鍛えていようとも、スーツを着なけりゃ一般人。一般人では敵わないモノが、この世には、この国には、この街にはいる。つまり、怪人。依頼人は、怪人に脅されているのだった。どこの組織か知らないが、カタギから売り上げハネようなんざ悪の組織の風上にも置けねえ。欲しかったら襲って奪えってんだ。

「相手は、単独らしいわね。それだと、ううん、どこかの組織には属していないのかしら?」

 さて、そりゃ分からんな。小金欲しさで勝手にやってるって事もあるだろ。

「けれどもったいないわね。あの依頼人、あれだけの体があるなら自分がヒーローになれれば良いのに。……詮無い事ね」

「あのおっさん一人ならどうにでも出来るだろうが、客が人質に取られてるようなもんらしいからな。確か、ちいせえ店なんだろ? 常連客しか来ないみたいな事言ってたじゃねえか。そんなんで、よくもまあヒーロー派遣しようだなんて思ったな」

「だからウチに頼んだのよ」

 ミラー越しの社長は、真剣な眼差しをしている。あの、意地悪そうな笑みはなりを潜めていた。

「潰されたくなかったのよ、きっと」

 ……まあ、小さいのは小さいながらに楽しくやっていたんだろう。何かしらの店を持った事のない俺には分かんないけど、常連客に囲まれて、和やかに。だけど、その時間を大切に思っていた。そうに、違いない。

 ムカつくわな、そりゃ。

 その怪人ってのは、まあ、やってる事は理解出来る。俺だって端くれながら悪の道に手を染めているのだから。けど、他人がやってるとなりゃあ話は別だ。俺以外の誰かが良い目を見ているというのは、納得出来ない。俺が自分の幸せを掴む事は難しい。しかし、俺が誰かの幸せを潰す事は簡単である。この世の中、作るよりも壊す方が楽勝なのだ。

「うあ、青井、悪い顔してるわよ」

 てめえに言われたくねえよ。



 午後十時を回ったところ、俺たちは店の近くにタクシーを停めて、地下へ続く階段を下りていく。こういう、洒落た店に入った事はなかったので、少しばかり気が引けてしまう。が、社長はあっさりと扉を引いた。店内には、ジャズっぽい音楽が鳴っている。ムードあるな。大人の隠れ家って感じだ。

「ああ、ようこそいらっしゃいました」

 ムキムキのマスターが頭を下げる。

「どこでも好きな場所にお掛けください」怪人を恐れているのだろう、俺たち以外に客はいなかった。いや、俺らは仕事で来てる。つまり、客は一人もいないんだ。……怪人のせいで。

 俺はカウンターに一人で座る。社長と九重は奥にあるソファに座らされていた。注文を聞かれたが、丁重に断っておいた。アルコールの入った状態で戦える相手なら、酒を楽しめたんだけどなあ。とりあえずウーロン茶で喉を潤す。

 ここで、怪人を待つ。

 今日、来ると怪人は言ったらしい。マスターは、金を渡さなければ、この店を潰す。客を殺すと脅されている。物騒な輩だ。

 俺は、倒せるだろうか。いや、倒す。ぶっ潰す。こっちには爺さんからもらったグローブだってある。こういったものにかけて、爺さんは嘘を吐かない。自信があると言っていた。だから、このグローブは本物だ。問題は俺にある。俺が打たなきゃ、俺が当てなきゃ、このグローブを無駄にしちまうんだ。逆に、当てれば何とかなる。並のスーツよりも性能が上だと爺さんは言った。そんじょそこらの怪人くらいじゃあ、耐えられないだろう。そうでないと困る。

 ならばどうやって当てるか。簡単だ、近づいて当てる。あるいはノコノコと近づいてきたところをぶん殴る。こっちはほぼ生身。ちょびっとだけヒーローみたいな存在なのだ。グローブだけはめてりゃ目立つだろうが、相手は油断するだろう。そこに付け込む。そこを仕掛ける。

「青井、青井」

「……何だよ」こっちゃ色々考えてるってのに。

「用があるならそっちが……いや、良い。何?」

 カウンター席から奥へ移動する。社長と九重は馬鹿でかいパフェを食っていた。ここ、こういうのも出すのか。

「てめえ、仕事だって分かってんだろうな?」

「ええ、心配せずともギャラから引いてもらっているから」

「俺の分からじゃないだろうな?」

 九重の横に座り、俺は彼のパフェを食おうとした。

「だ、駄目」しかし、九重はしっかりとブロックしている。ケチ。

「で、何か用かよ? 俺は精神統一するのに忙しいんだ」

「寝てたんじゃなかったの?」

 失敬だなキミは。

「いえ、あなた、今日は随分と大人しいのね。いつもならもっと醜く喚き散しているのに。自信があるの?」

「まあね」はぐらかす。あのグローブについて、まだ話すつもりはない。

「ふうん、そ。なら、私からは特に何もないわ」

 もっと美味そうに食えよ、パフェ。

「……そういやさ、今日は何もないのか?」

「何もって、何よ」スプーンをこっちに向けるな。

「いや、だから、マスクだの着ぐるみだの、そういったもんだよ」

 社長はゆっくりとアイスクリームを飲み込んでいく。

「あるわよ、当然じゃない。大事な社員を裸で送り出す訳ないでしょう」

 野郎、スカした顔で。

「九重、出しなさい」

 頷き、九重はテーブルの下に置いてあった紙袋を持ち上げる。

「今回は何だ? 段ボールで作った剣でもくれんのかよ?」

 俺がそう言うと、九重は不満そうな顔を浮かべた。こいつ、まだ気にしてやがる。

「違うわよ。……ヒーローには、似合うものがあると思わない?」

「スーツだろ」

「特に、私たちのような孤高の者には。孤高のヒーローには、これは欠かせないわ」

 答えを聞くのが面倒になったので、俺は紙袋を逆さにした。落ちてきたのは、黒くてでかい布である。何だコリャ? 着るのか? まあ、今までよりは一番それっぽい感じだが。スーツにしちゃあ随分と薄いな、これ。

「マントよ」

「あー、なるほど。でも、どうしてこの、端の部分が擦り切れてるんだよ」今日、初めて着るんだぞ。既にぼろぼろってどういう事だよ。

「そっちのが歴戦の証って感じがするじゃない」

 このマントを着るのは、今日が初めてだと言っているだろう。何が歴戦だ。そうやって格好で人を騙そうとしやがって。

「こけおどしにはなるかもしれないわ。ちょっと着てみなさいよ」

 立ち上がり、ジャケットを脱いで着てみる。

「あはは、似合わない」

「うるせえよ。それよか、顔隠すもんはないか?」

「あ、忘れていたわ」

 おいざけんなよ!

「ここで怪人を逃がさなければ良いじゃない。マスターだって、あなたの正体は言い触らさないわ」

「どうかな、人の口には戸が立てられねえんだぜ。とにかく、何かないか」

「……るっさいわね。マスター、少し良いかしら?」

 社長はマスターを呼びつけ、耳元で何か囁いた。マスターは頷き、奥に引っ込む。何を持ってこさせるつもりなんだろう。



 眼鏡だった。

「う」レンズもしっかり入ってる。

「マスターの私物よ。弁償出来ないから、レンズは外さないでね」

 ちっ、ないよりマシか。

 とりあえず、眼鏡は怪人が来てからで良いだろう。マントだけ着ておこう。

 しかし、アレだな。社長もたまには良いもん持ってくるじゃねえか。これは良いぞ。マントってのは実に良い。これで、体を隠せる。相手からは、俺の腕が見えない筈だ。うん、いけそうな気がしてくる。

 俺は再びカウンター席で茶を啜る。もう、誰も口を開かなかった。パフェを食い切ったあいつらも黙ってくれている。……つーか眠たそうだった。まあ、ぎゃあぎゃあと騒がれるよりは良い。

 マスターは、さっきからずっとグラスを拭いている。誰の為に。何の為に。俺よりも随分と年上の男の顔は、どこか寂しそうだった。不安ではなく、寂しがっている。この店に常連が戻るのを待ち望んでいるのだ。

 誰が悪い。何が悪い。それはきっと、誰にも分からない。怪人がこの店を選び、金をよこせと脅している。もしも、金があったなら。なら、怪人はこんな事をせず、マスターだって平穏に暮らせていたのだ。だけど、俺は殴る。怪人をぶっ飛ばす。無性に腹が立つからだ。どこのもんかは知らないが、その体に叩き込んでやる。悪党にも流儀はあるのだ。折角スーツ着てんだから、面倒な真似せず奪えば、襲えば良い。他人を殴る、それが出来ない臆病者は、スーツを着る資格も、怪人を名乗る資格もねえ。俺たちクズは、体使ってナンボだろうが。

 店に着いてから約二時間。遂に、扉が開いた。客ではない。待ち望んでいた野郎だ。俺は眼鏡を着けて、入り口を睨む。慣れない世界が目の前に広がっていて、少しだけ吐き気がした。

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