怖じることはない。臆すことはない。君は前を向いて戦い続けろ。さあ見るがいい、ブルージャスティス。君の周りを
苦しい。
苦しい。誰か助けてくれ。
なんて、そんなことさえ考えられなくなっていた。
「はっ、はああああ! くそっ、調子に乗りやがってザコが! あああああっ」
ペガサス・ブレイドの動きが鈍くなっている。というより、最初に戦い始めた頃のような動きだ。なんでだ? スーツがイカれちまったわけでもないし、ボロボロの俺よりかは戦えるはずだろう。
だけど、実際は俺が押している。優勢なのは俺だ。……考えろ。考えろ。何が違う。さっきと今で何が違う。何が変わった。
「って、いっ……!?」
ペガサスの腕が頭の上を過ぎていく。ぎりぎりだった。やべえ。考え事してたら余計な攻撃を食らっちまう。くっそう。どうせ押してるのは俺なんだ。このままやりまくってやらあ!
◆◆◆
青井正義がペガサス・ブレイドを押している。この事実に間違いはない。だが、その理由が青井本人には分かっていなかった。
「青井……っ!」
ペガサス・ブレイドは十全に力を発揮出来ていない。その事実、理由に気づいた者は現段階で三人いる。一人は白鳥澪子であった。彼女は父親の言葉を思い出した。御剣天馬のスーツには力があるのだと。御剣はこの国を救う為、助けを求めている人の声を聞く為にスーツを得て、着たのだ。
間違いない。澪子は青井にペガサスの能力を伝えようとした。口を開きかける。だが、青井の名を、ブルージャスティスの名を呼ぶ声は穴の中からも外からも止まなかった。彼女の声はかき消されてしまう。
白鳥澪子以外に、ペガサス・ブレイドの能力に気づいている者がいた。スピーネルである。だが、気づいたところでどうしようもないことも分かっていた。
「……伝えたところで」
スピーネルは、ペガサス・ブレイドの能力は十中八九、音に関するものだろうと踏んでいる。彼の動きが鈍っているのは、青井に声援を送っている者たちが原因なのだ。ペガサスは敵の『音』を聞いている。今はその音が聞き取れなくなっているだけなのだ。
人は動く際、音を発する。たとえば鼓動。たとえば呼吸。地面を蹴り、力を溜める音。静から動へと転じる瞬間、必ず音は鳴る。音を聞き、スーツの性能に飽かして反応し、戦う。それがペガサスの戦法であり、力の正体だ。
しかし、知ったところでどうしようもない。完全な無音で戦える人間はほとんど存在しない。青井にそのような芸当は無理であった。じき、彼に対する声援も終わってしまうだろう。そうなった時が、青井正義の敗北を意味する。
◆◆◆
パンチが当たらなくなってきた。俺が疲れてるってのもあるが、野郎、動きが戻ってきやがった。
「クソが!」
「乱れてきてんぞォ、呼吸がよ!」
んなもんとっくに無茶苦茶なんだ。気にしていられるか。どんなに無様でも、戦い続けるしかねえんだ。
ペガサスの蹴りがこめかみを捉える。堪えて殴り返そうとしたが、足がふらついた。やつは俺を見て笑った。
「一対一でやりゃあこんなもんなんだよ、てめえなんかな」
「……何抜かしてやがる。ハナっから、俺とてめえでタイマンやってんだろうが」
「そう思うか?」
腹を殴られる。俺はダメージを無視して左手を振るう。だが、ペガサスはその行動を読み切っていた。拳は弾かれ、バランスを崩したところに蹴りをもらう。
スーツの性能が全てじゃない、か。確かにそうかもしんない。だけど、こいつは。中身も一級品だってのかよ。……いや、待て。こいつ。こんなに、腕の立つやつだったか? いくら御剣天馬のスーツを着てたって、中の桑染がここまで強いってことはねえだろう。
だったら、なんだ。
「ちっ、おらぁ!」
「分かってんだよ! 見えてんだ!」
殴りかかっても躱される。いや、俺が殴るのが分かってたみてえな動作と口ぶりだ。まさか未来が見えるってわけでもねえだろう。目か? 目が良くなるような能力がスーツについてんのか? あり得る。こいつの反応の良さは異常過ぎるからな。
俺はその場に屈み、やつの顔をねめつける。
「じゃあこいつはどうだっ」
右のパンチを打つ。やはり避けられるが、本命はこれじゃない。拳を開き、さっき握り込んでた砂を、やつの目玉狙って投げつける。
「それでもヒーローかてめえ」
「ぐっ、う……!?」
ペガサスの一撃を食らい、俺は地面に寝転がる。
「狡い真似しやがって」
もっと考えろ。このままじゃダメなんだ。このままがむしゃらに戦ってたって勝ち目はねえ。もう、今の俺は俺一人じゃない。俺がやられちまったら、他の連中はどうなる。こいつをぶちのめす為にどうすりゃいいかって、知恵を絞れ。
今、ペガサスは砂を避けなかった。そういや、さっきだって気にしていなかったように思える。だとしたら、目じゃない。
『ちくしょうが』
思い出せ。
こいつの動きが鈍ったのは、
『聞こえねえじゃねえか!』
皆が、俺を呼んでからじゃねえのか?
「……なんだ」
「あ?」
そうか。そういうことだったのか。何の証拠もねえが、確信に近いものを感じた。ペガサス・ブレイドは、すげえ耳がいいんだ。音を聞いて戦っている。そうに違いない。なるほど、確かに、そうなると俺の動きは読まれてるってことにもなるだろう。どこまでの音を聞き分けてるか知らねえが、生半なフェイントじゃ引っかからねえはずだ。
「……どうした。立てよ、ヒーローさんよ」
「ああ。待ってろよ」
こいつは俺の音を聞いている。能力には察しがついた。でも対抗策が思いつかねえ。音を出さずに動くどころか、戦うのなんかもっと無理だ。今は、皆が俺を応援してくれているから戦えている。ペガサスの能力を封じているんだ。だけど声は小さくなる。このままじゃ、やばい。声が止む前にカタをつけねえと駄目だ!
「あァー? どうしたよ、鈍いぜ」
「知ってらあ!」
くそっ、当たりやしねえ。焦ってるのは分かってる。大振りになってるし、狙いだって単調になってるんだろう。だけど、それでも動かなきゃ勝てないんだろうが。
このままじゃ、俺は。この街は。皆は。
「はーっ! はっはっはぁ! 愉しいな! 愉しくなってきやがったぜ!」
こんな、やつに。
「……んだよ」
ペガサス・ブレイドの動きが止まる。
「……なんだよ、これはよォ」
今、野郎が何か呟いたみたいだが、全く、何も聞こえなかった。
「おおおおおおおおおおおお! いけええええええええええ!」
「何してんだよヒーロー!」
「さっきからやられっ放しじゃねえええかよおおお!」
「ジャスティス! ブルージャスティス!」
地鳴りだ。
穴の外にいる連中の数が増えている。声も大きくなっている。もはやそれは怒鳴り声だ。さっきまでとは訳が違う。いったい、どういうことだ。
不思議に思っていると、穴の縁に誰かが立つのが見えた。そいつは、金ぴかのヒーローだった。趣味の悪い赤マントに、鹿の角やらしゃちほこやら、ごてごてとした飾りをヘルメットにつけている。どっかで見たことあんな、あいつ。
「聞こえているか」と、そいつはマイクを強く握り締めていた。
「聞こえているか、正義の味方。そして悪の手先。俺の声が。皆の声が。聞こえているのならそれでいい。この声は、言わば祈りだ。神聖な願いだ」
ボリュームを上げ過ぎて音割れしているが、そいつの声は不思議と良く通った。
「戦いは常に混沌を招く。混沌は喜劇を悲劇に変えるだろう。この街は今、叫んでいる。人々の嘆きを受け止めて泣いているのだ。だが決して、力を振るうなとは言わん。俺はこう見えて暴力には寛容だ。戦いはいつだって失うことばかりではない。己が信念を貫く為には涙を流し、血を流すことも必要になる。しかし得るものはあるはずだ。だから、青い蝙蝠よ。俺の同胞よ。戦え。怖じることはない。臆すことはない。君は前を向いて戦い続けろ。さあ見るがいい、ブルージャスティス。君の周りを」
言われるがままに、俺は周囲を見回す。子供の高い声。老人のしわがれた声。男の野太い声。女の、悲鳴のような声。穴の中、外。誰も彼もが俺の名前を呼んでいる。先よりも大きな声で、さっきよりも強い思いを込めて。
「見たか? 認めたか? この街の全てが君の味方だ。理解したか?」
「……俺の」
味方。
偽物だった。半端だった。
だけど、今の俺には。
「ぐっ、がああああああ! やめろっ、声を! 黙りやがれええええ!」
ペガサス・ブレイドが苦しんでいる。……そうか。声か。やつの能力は、たぶんコントロール出来ないんだ。鼓膜が破けちまいそうな大歓声を一方的に聞くしかない。こいつの能力にはオンとオフしかないんだ。
「さあ、存分に戦うといい。俺は君の勝利を心から願っている。悪が駆逐され、正義が名乗りを上げる瞬間をいつまでも待ち続けている。俺の名前はゴールデンコウモリ。闇夜に身を溶かしながらも、昼の光を忘れられない半端者だ。ヒーローに身をやつしてからは日が浅い。しかし、この街のことだけをずっと考え、思い続けてきた。その気持ちは誰にも負けないと、そう信じている。頼む。俺の代わりに、この街を守ってくれ」
「しっ、市長! 下がってください、危険です!」
「何を! くだらないことを! そんなことを言う暇があるのなら君も叫ぶといい。負けるな! 頑張れ! そう叫ぶんだ!」
そうか。あいつ、あのヒーロー。前に水族館で出会ったやつか。しかし、市長? 今、何か聞こえた気がするけど。まあいいか。どうやら、外のいる人たちに呼びかけてくれたみたいだ。あいつのお陰で、ペガサスの能力を封じることが出来た。
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおお!」
ヒーローだなんて言っても一人じゃあ何も出来ないんだな、俺は。でも、ケリをつけよう。それは俺にしか出来ないことなんだ。
ペガサス・ブレイドが拳を放つ。俺は避けず、肩で受けて殴り返した。ぱきりと音がする。どっちかのスーツが砕けたのだろう。知るか。知るかよ。
「てめえがっ、てめえなんかが俺の! 俺のおオオオオ!」
「もうっ、もういいだろう!?」
左足が重い。アラートだ。何かが鳴っている。ローラーが壊れているらしかった。
「今まで散々好き勝手やってきたんだろうが!」
「まだだっ、まだ何もやっちゃいねえんだよおおおっ」
ペガサスの肩が下がる。骨が折れたのかもしれない。それでも、野郎はパンチを打ち続けた。至近距離で殴り合う。もはや技巧も何も関係ない。殴って、殴られるだけだ。蹴り返して、蹴り返されるだけだ。
「俺にはまだ何もねえんだ!」
「そりゃ……そうだろうよ!」
ペガサス・ブレイドには力がある。最強と呼ばれたスーツがある。だけどそれだけだ。こいつにはそれしかなかった。こいつには味方がいない。仲間がいない。守る者がいないんだ。たった一人で戦い続けるのなんか無理なんだ。
「どうして、てめえなんかが俺の邪魔をしてるんだよおお!?」
足が。腕が。肩が。胸が。スーツが少しずつ壊れていく。
「この声が! お前には聞こえねえのか!」
青い正義を皆が叫んでいた。俺にだって何もなかったはずだった。一歩間違えりゃ、俺だってこいつと同じような姿になってたのかもしれない。だけど、違う。違うんだ。
「ないんだよっ、お前には!」
「があああああああああああっ、ああああ! ああああああああぁぁぁぁぁ!」
「守りたいものがないんだ!」
アッパー気味の拳が直撃し、ペガサスの顎が上がる。
「人のもん奪ってるだけじゃあ駄目だったんだよ! 自分さえよければいいって、そう思ってたら駄目だったんだ! 今の俺は、俺だけの為に戦ってるんじゃねえんだ!」
左腕のパーツが砕けた。構わず、押し倒す。
「人間だろうがっ、自分の為に戦って何が悪いんだ!? 俺が悪いってのかよ!」
「それを決めるのはてめえじゃねえ!」
ぶちのめす。ペガサスは宙を舞い、地面に激突する。だが、まだ動いていた。やつは遂に、背を向けた。飛行ユニットである羽根はもいでやったから、もう飛ぶことは出来ない。もはやこいつは天馬じゃない。
「待ちやがれっ」
追おうとしたが、異変を感じた。スーツだ。スーツがもう、限界なんだ。
殆ど全部がぶっ壊れて、気づけば、生身に近い状態になっている。構わねえ。ペガサスだってもう限界なんだ。
「どけえっ、どけえカスが! カスどもが!」
ペガサスは穴をかけ上ろうとしている。だが、体はまともに動いていない。滑りながら、落ちながら、突起に手をかけ、必死に逃げようとしている。上にいる人たちはその形相に怯え、道を開けてしまっていた。このままじゃあ逃げられちまう。
「くそっ、往生際が悪いんだよ!」
どこまで悪いことをしたら気が済むんだ、あいつは。
「……お、おお?」
走ろうとしてよろける。まずい。ちょっとやばいぞ、これ。動きにくいったらありゃしねえ。だけど止まれない。ゆっくりでもなんでもいいから、進むしかねえ。
その時、後ろから空気を切り裂くような音が聞こえてきた。