負けないでっ、ブルージャスティス!
「ぐっ、おお!?」
一。
「ちくしょうが、聞こえねえじゃねえか!」
短く息を吐き出し、一歩前へ。
ペガサスが両腕で顔面をガードする。野郎の足を払い、体勢を崩したところに二発目のパンチを打ち込んだ。スーツの内側にまで届くような手応えを感じ、俺は更に前へと踏み込む。
野郎の顔が怒りによって歪んでいた。なんだよ、そんな顔してんじゃねえよ。腹ぁ据えかねてんのはこっちも同じなんだ!
「だらあああぁぁあああっ!」
跳び、体を捻って蹴りをこめかみにぶち当てる。これで三発目か。ノルマまであと一発だが、ぶっ倒れるまでどつきまわしてやるぜ。
ペガサスは空を見上げた。上に行かれちゃあ追いつけない。普通にやるんじゃあだめなんだ。
「そこはてめえの庭なんかじゃねえぞ」
飛行ユニットを使い、中空へ逃れるペガサス。俺はボタンを押し、右膝を空へと向けた。
「当たるかよ、んなおもちゃがなあ!」
ミサイルが発射したと同時、足の裏から火花が散る。ブーストで、ミサイルを追いかけるようにして高く跳び上がる。俺の狙いはこいつをペガサスにぶち当てることじゃない。踏み台にする為だ。
「自殺かよっ、てめえ!」
爺さんの作ったスーツを舐めるんじゃねえ。
ペガサスと同じ高度まで達する。俺はミサイルを蹴飛ばした。後ろで爆発が起こるが、耐熱だってばっちりである。ブーストで更に距離を詰め、ワイヤーを伸ばして野郎の脚を捕まえた。さっそく引き寄せ、
「んなっ、てめえみたいな蠅にっ、ふざけ……」
「落ちやがれ」
顔面にいいのを叩き込む。ちょこまか逃げ回る野郎だが、この距離じゃあどうしようもない。ペガサスは受け身も取れないまま、地面へと急降下して、砂と土と煙を巻き上げる。
着地し、俺は煙の中をねめつけた。影が蠢く。一気に距離を詰め、拳を振り上げた。
「いいのか?」
「……っ!? く、そが!?」
「青井っ!」
寸前で殴るのを止める。腹に衝撃が走り、後方へと吹っ飛ぶ。やられた。ペガサスは社長の身体を盾にしていた。
「ひゃっ、はっはっは! ヒーローってのは楽じゃねえなあ!」
「あなた……! 卑怯よっ、こんな!」
「勝てばいいのさ! だろう!?」
……ああ、その通りだっつーの。身体を起こし、野郎を睨む。愉しそうに笑いやがって。ガキを人質にして、悪党の美学ってのも忘れちまったかよ。
「で、どうすんだ?」
「決まってんだろ。動くな。動けばこのガキをぶっ殺すぞってやつだ」
ああ。
ああ、畜生。ノルマが増える。
「おらっ、どうした! ここで倒れていいのかヒーローさんよう! ヒーローだったら倒れねえで突っ立って、サンドバッグになってなきゃあいけねえよなあ!? てめえが倒れたら、このガキが死んじまうもんなあ!」
「やめてっ、お願いだから、もう……!」
「ああーん? てめえの上司はやめろって言ってっけど、どうする?」
もう何度、何回、何発殴られて、蹴られただろう。
「……続けろよ」
「おうよ。と、言いたいところだがな、これ以上やってもつまんねえ。だからよう、白鳥澪子。いや、御剣澪子か。言え。このスーツの鍵を開けろ。まだまだあるんだろうがこいつにはよう。すげえ武器が。とんでもねえ力が備わってんだろ? そいつを使えるようにする為のキーワードをよこせ。なら、こいつの命だけは取らないでおいてやる」
キーワード? 何のことだ、こいつ。つーか、やばいだろ、それ。これ以上強くなったらマジで手がつけられねえ。
「そんなの知らないっ、知ってたら教えているわよ! だからもう青井を殴らないでっ」
「殴るだろボケ。戦ってんだからよ。だから、てめえが言えば見逃すってんだ。今は、だけどな」
ジレンマだ。そのキーワードとやらを言って欲しいって気持ちはある。そうすりゃあ、少なくとも今だけは解放される。けど、言われると次がない。今はあくまで互角。だが、ペガサス・ブレイドが強くなっても、俺がこれ以上伸びる余地はない。だったら、やるしかねえよな。
「……社長」
「勝手に口開いてんじゃねえ!」
殴られ、倒される。俺はそのままで社長を見た。
「社長。言うな。よく分からねえが、こんなやつに従うな」
「うるせえっ」
「でも、青井、あなたが」
うん。死ぬかもしんない。
「俺もあんたもよそ様から見りゃあニセモノなのかもな。でも、せめて最後くらいは本物っぽく足掻いてやろうぜ」
社長は俯き、それから、俺を見た。
「分かった。言うわ。今、父の……お父様の言っていたことが思い出せた」
ペガサスが顔を歪める。社長は彼を見ないで、何故か、俺に顔を向けたままだ。
「『最強のスーツなんか、本当はない。御剣天馬のスーツは、この国を守りたいと思った彼が着たからこそ最強と呼ばれたんだ。スーツの性能が全てを決めるわけじゃない。決めるのは人の心であり、その人自身の強さなんだ』」
「……あ? てめえ、その長ったらしいのがキーワードなのか?」
「ペガサス・ブレイド。あなたには何も分かっていないのね」
社長が、すうと息を吸い込む。俺は拳を握り込む。
「負けないで! 負けるなっ、負けちゃいやだっ! お願い、こんなやつぶっ飛ばしちゃって!」
「この……アマっ」
「負けないでっ、ブルージャスティス!」
彼女もまた覚悟を決めてくれたのだろう。それでいい。上司ってのは下っ端の責任を取ってくれなきゃあな。どうやらうちの社長は下っ端と一緒に地獄へ落ちてくれるような。馬鹿で、いいやつだった。
ペガサスが社長に手を伸ばす。
「てめえの相手は俺だろう!」
「引っ込んでろ半端ヤロウ!」
その前に俺はワイヤーを伸ばす。だが、躱される。もはや何のフェイクもなしに攻撃は当たらない。怒り心頭のペガサス・ブレイドの動きはキレが増している。ワイヤーを引き戻す前に掴まれ、強引に引き寄せられた。
俺は膝ミサイルを発射する。ペガサスはワイヤーから手を放し、上方へと飛行した。同じ手が通用するとは思えず、俺は地上でやつの接近を待つ。
だが、速い。目が慣れてきたとはいえ、それでも相手は御剣天馬のスーツ。こいつはイダテン丸や黒武者を倒してきたんだ。
「いっ……で!」
攻撃を避けたと思っても、背後から強かに打ち据えられる。反撃に移るも、やつはもうそこにいない。今度は真正面から蹴り飛ばされ、地面を滑っていく。バイザーには土が付き、少しだけ視界が塞がれた。息を一つ。吸って、吐く。冷静になれ。考えろ。考えて考えて、考えて…………勝てるのか? こんなやつに。
立ち上がろうとしても、気持ちがなかなか追いつかない。立ったところでパンチを空振りして、ぶっ飛ばされるのがオチだろう。とりあえず、少し休もう。こうして回復を待ち、チャンスを待つんだ。
「立てよ! 立ってくれよ!」
声が聞こえた。
「頼むっ、お願いだ!」
「あいつをぶっ倒してくれよ!」
俺は上半身を起こす。
「もう、あんたしかいないんだ!」
「勝手なこと言ってんのは分かってる、だけど!」
……なんだ?
叫んでいたのは、ヒーローと、戦闘員たちだった。彼らは皆、俺を見ている。俺を見て、叫んでいる。
「いけ、いってくれえ!」
「そんな馬面、さっさと伸してくれよ! お願いだっ」
訳が分からないまま立ち上がると、顔面をけっ飛ばされた。俺は再び地面に体をこすりつけられながら、倒れる。どこかから悲鳴が上がった。
「青井っ、青井正義! どうした、貴様の力はそんなものだったのか!? 違うだろう!?」
野太い声だ。顔を上げると、グロシュラがこっちを見ていた。
「そうだ、立ちたまえ! 君は今、この世界で誰よりも、何よりも美しい!」
クンツァイト……? あいつまでどうしたってんだ。
ペガサスが目の前にまで迫る。俺は両腕で防御の体勢を取った。そのガードごとぶん殴られ、堪えられずに宙を舞う。まるで野郎のおもちゃだ。
「く、貴様腑抜けか青井正義! 生身の方がよっぽど歯ごたえがあったぞ!」
ぐるぐると回る視界の中、目の端でセンチネル警備保障の連中を捉える。無防備なまま落ちるのは駄目だ。俺はブースターを使い、地面に落ちる寸前で、両足で着地する。そこを衝かれた。ペガサスのサッカーボールキックが俺の腹に深く突き刺さる。
「青井君っ、止まっちゃ駄目よ! あなたならまだ……!」
息が、止まりそうだ。だけど、止まれない。百鬼さんの声が俺の意識を繋ぎ止める。突進してくるペガサスを横っ飛びで避け、ブレードを素振りする。
――――距離を取って休んだ方がいいんじゃねえか?
「離れるな青井! 相手の方が速い! 僕ならともかくお前では追いつけない!」
「……黒武者か」
黙ってろってんだ。
俺は走り出す。ペガサスも呼応するかのように、宙を滑る。振りかざしたブレードは空を切り、すり抜けざまに殴られた。刃が根元から折れ、地面に突き刺さる。
――――倒れたままだ。息を整えろ。そっちの方が、気持ちいいだろう?
「青井殿っ、背を向けてはいけません!」
うるせえ。うるせえってんだ。
息を吐きながら立ち上がる。俺を踏みつけようとしていたペガサスの脚が地面を抉った。起き上がりざま、握っていた砂を野郎の顔面に向けて放る。ペガサスは全く怯む様子を見せず、怒りに飽かせて俺のバイザーを蹴り抜いた。
ああ、畜生、いてえ。どうして俺はこんな目に遭ってるんだ。
「何やってんだ十三番!」
「いけよ青井! お前ならいける!」
「俺たちの分までよろしく頼む!」
勝手なことを言いやがる。
「青井君、押し負けるな! 気持ちで負けるな! 君はまだ負けていない!」
「アオイっ、アオイ! がんばれ! がんばってえええええ!」
エスメラルド様たちが必死になって叫んでいる。
「ひひ、外野がうるせえよなあ?」
「てめえもな」
四肢に力を込めろ。
立ち上がってぶん殴れ。
「がああああああっ!」
空ぶった拳が地面を砕く。ペガサスの姿が視界から消えた。
――――倒れろ! 倒れろ! どうせ負けちまうんだ!
「何をやっておる! わしのスーツを着たお前が、ヒーローであるお前が!」
――――痛い目に遭いたいのかよ!?
「ボケェどこ見とるんじゃ! こがあなやつに、好き勝手されて悔しくないんか!? われなら勝てる! ぶっ飛ばせ!」
――――大人しくしてればいいんだ! 誰かが助けに来てくれるかもしれないぜ!
「マサヨシっ、やっちゃえ!」
「お兄さああああああん! そんなやつ、お兄さんの敵じゃないから! だからっ!」
ぶっ飛ばされる。
誰かが叫ぶ。
蹴られて、地面に這う。
誰かが俺の名を呼んだ。
「……いい加減にしぶてえな、てめえも」
「まあ、な」
その度に立ち上がって、戦う。何でかは分からない。ただ、そうしなくちゃいけない気がした。
「おらっ、くたばれや!」
寝転がると、空は青かった。馬鹿みたいだった。
声は大きくなる。大穴の真ん中に転がっていた俺は、ゆっくりと立ち上がった。いつの間にか、穴の外にも人がいる。大勢の人だ。この街の住人皆が、俺たちの戦いを見ているような気さえした。ぐるりと周囲を見回す。眩暈がした。
「負けるなーっ!」
「頑張れええええええええええ!」
「青井さん! 青井さああぁぁぁああん!」
声は更に大きくなる。だけど、もう、うるさいとは思わなかった。
「ブルージャスティス! 立って!」
「やっちまえ! そんなやつぶっ倒してくれ!」
……俺の名前を、知ってるやつも知らないやつも、大きな声で叫んでいる。俺の名前が呼ばれている。
こんなこと、生まれて初めてだった。
――――勝手だよなあ? 俺一人に戦わせておいて、あいつらは叫んでるだけなんだぜ。
皆が俺を呼んでいる。
戦えって、負けるなって、頑張れって、勝ってくれって、期待をしている。
「ヒーロー……」
思わず、呟いた。
悪の組織で下っ端をやっていたんじゃ、決して味わえない感覚だった。
「くそがっ、雑魚が群れててうるせえ!」
「やばいな」
面映ゆい。恥ずかしい。だけど何よりそれ以上に、気持ちがいい。
やばい。……ボッコボコにやられまくって全身が痛い。ずきずきと、どこかが熱を持って疼いている。たぶん骨が折れてる。ワイヤーは見破られてる。爆弾だって通用しねえだろう。ミサイルは品切れだし、ブレードは折られた。ペガサスのスピードについていけるとは思えない。息が荒い。死ぬほど疲れてる。さっきまでは気にならなかったが、今となってはスーツが重く感じてしまう。こいつは、アレだな。うん。
「ふ、く、あ、はは」
「……何笑ってやがる」
――――よし、やったれ、俺。
「やべえな、負ける気がしねえ」
「言ってろ!」
気のせいか、ペガサスの動きが鈍い。少なくとも、俺にはそう見えた。やつの拳を弾き、空いた腹に掌底を叩き込む。一瞬間、ペガサスが止まった。見逃すか。至近距離で連打を放つ。
「ぐ、は!?」
耐えられなかったのだろう。ペガサスの顔が上がった。俺は腰を深く落とし、右の拳に力を込めた。今までのお返しには全然足らねえが、こっからが本番だ。
「いけえええええブルージャスティスううううう!」
そうだ。そいつが俺の名前だ。
「ブルージャスティス、ここにありってな!」
ペガサス・ブレイドが、のけぞったままで宙に舞う。俺は思わず、声に応えるかのように右手を掲げていた。