楽しかったぜ
頭を下げる。すぐ上をペガサス・ブレイドの脚が通り過ぎた。野郎の足元を見ながら肩で押す。右でパンチを打つ。大振りにならないよう、スーツに振り回されないように、コンパクトに打つ。ペガサスの脇腹を殴りつけるが、効いた感じはしない。
「いいもん着てんじゃねえか、ああ?」
「だろ?」
ペガサスが空へと逃げる。野郎は俺を見下ろし、鼻で笑った。
「だが、俺のスーツには敵わねえ」
「お前のじゃねえだろ、そいつは」
「俺のなんだよ!」
急降下。スピードの乗った一撃だ。このスーツでも防げるかどうか分からない。俺はローラーを出し、前方にあった瓦礫を狙ってワイヤーを撃つ。引っかかったのを確認した瞬間に走り出した。
たぶん、追ってくる。俺は無理な体勢だったが振り向き、膝ミサイルを二発飛ばした。着地したペガサスは再び上昇して逃げる。
「も一発!」
三発目を上昇中のペガサス狙って撃ち込む。地上ではミサイルが爆発し、爆音が耳をつんざいた。
「……にゃろう」
だが、三発目は爆発しない。ペガサスは飛来するミサイルの胴体を両手で掴み、
「青井よお、どうやら、お前はおもちゃが好きらしいな」
返すぜと、やつがミサイルを投げ返してくる。避けるか? ……冗談じゃねえ。
急停止し、ワイヤーを引き戻す。新しいボタンを押し、右腕を前に出す。右腕部分のパーツから抜身の刃が飛び出した。常は折り畳まれているが、ボタンを押せばこうしてガントレットと一体になる。
「おもちゃが好きなのはなあ!」
ローラーで前へ。ミサイルが目の前に。俺は迷わず、右腕のブレードでミサイルを叩き切った。スーツの内側にある小さなモニターで確認すると、二つになったミサイルは左右に分かれてふらふらと飛んでいき、小さな爆発を起こした。何をするのよと、社長が非難の声を上げていた。
「ペガサス、てめえもだろ。おもちゃが好きなんだよなあ、てめえは。こんなでっけえ皿に乗って喜んでたんじゃねえかよ」
「一緒にするんじゃねえ!」
「一緒だよ。爆発して、木端微塵だ。ミサイルとお揃いだな」
ひひひと笑う。ペガサスが地面を蹴り出し、真正面から突進してきた。速い。イダテン丸よりも、黒武者よりも。
だけど見える。見える。見える!
この前はさんざんボコボコにされたが、今は違う。ペガサス・ブレイドの動きが認識出来る。スーツの性能だけじゃない。余裕が出来たからだ。
俺はペガサスの体当たりを避け、やつの背に蹴りを叩き込む。飛行ユニットを狙ってやったが、上手いこと避けられちまった。
「舐めやがって……!」
舐めちゃいねえさ。俺は一度負けてるし、爺さんからもらったスーツにも慣れてねえ。しかも相手はあの御剣天馬のスーツなんだ。だから本気だ。
「六年も待ったんだ、俺は!」
下っ端として走り回った。怪人にもなれず、専用のスーツなんか手に入らなかった。派遣ヒーローになったって、社長がくれるのはアホな仮装グッズだけである。……俺だって、ヒーローになりたかった。本当の、本物のヒーローに! だけど俺は馬鹿だから、屑だから。諦めかけてたのに、やっともらったんだ。
「六年間くだらねえことをやってきた!」
「だからなんだってんだ!」
ペガサスが距離を詰める。俺は腰を落として迎え撃つ。
俺をヒーローと呼んでくれる人がいる。だったら、せめてそいつの期待を裏切りたくない。
「だからもう勝たなきゃならねえんだ!」
ペガサスが目を見開いた。俺は口の端をつり上げる。やつは、背中から伝わる違和感に気づいたのだろう。しかし遅い。時間だ。ペガサスの背中から小さな爆発が起こる。
「ぐあ……!?」
さっきの蹴りと一緒に、前に使っていためんこ爆弾みたいなものを取り付けておいたからな。今の爆発はそいつのせいだろう。
「手ぐすねっ、引かせてもらうぜ!」
ワイヤーを伸ばす。先端はよろめいているペガサスの胸に。俺はそいつを引き戻し、右腕を大きく振り被る。
確かな感触が伝わった。ペガサス・ブレイドは後方へと吹っ飛んでいく。やつは中空で体勢を整えられることもなく、地面に落ち、バウンドしながら転がった。
まずは一つ、借りは返せたかもな。
ペガサス・ブレイドが立ち上がる。何故か、耳鳴りがした。俺は顔をしかめ、唾を飲み込む。
「……やってくれるじゃねえか。まさか、天馬のスーツを着た俺が、てめえみてえな野郎に、こんな目に遭わされるとはな。思ってなかったぜ」
ごきりと、野郎が首の骨を鳴らした。その瞬間、視界からもモニターからもセンサーからもペガサスの反応が消え失せる。咄嗟に上を向くと、そこには降下してくるやつがいた。
叫びながら、横っ飛びでペガサスから逃れる。破砕音。砂煙と土が舞い上がる。再び、あいつの姿が見えなくなった。
「アニメじゃねえんだぞっ。いきなり速くなりやがった!」
こっから本気ってことかよ、畜生。だけど、負けてたまるか。
後ろから音がする。センサーが反応し、俺は裏拳気味に左でパンチを打ち抜く。だが手応えはない。気配がない。まずいと思って振り返るも、そこにも何もない。脳天から伝わる衝撃に目を瞑り、俺は倒れそうになった。隙を見せるのはもっとまずい。地面に両手をつき、横っ飛びで逃げ出す。
「お……!?」
ああ。この痛みには覚えがある。脇腹が蹴り上げられたんだ。ぐるりと目が回り、視界がちかちかとし始める。吐き気を堪えながら、俺は追撃を避けようとして動いた。スーツ越しだってのに死ぬほどいてえ。だけど死んじゃいない。あの夜とは違う。今の俺は生身じゃないんだ。まだ耐えられる。まだ戦える。
「うざってえってんだ!」
ペガサスの姿がない。だだっ広くて、ろくな隠れ場所もないってのに、野郎の動きは捕えられなかった。スピードで負けてるわけじゃない。何だ。何が違う。あいつと俺の何が違う!
「ちくしょうっ!」
「はっは、どうしたよ青井! それでか! それで終いか!?」
愉しそうに笑ってやがる。自分が負けるはずないって、そう信じ切ってやがる。だが何故だ。戦ってみて初めて分かったが、爺さんが作ったスーツと野郎のスーツに差はない。だからこそ、俺は無様にぶっ倒れず戦っていられるんだ。あいつだって、それが分からないほどの馬鹿じゃない。何かある。武器じゃない。もっと別の何かが。だけど、それを見つけるのは難しいだろう。
俺は右手を伸ばす。ワイヤーを使い、大きく距離を取るためだ。
「なあっ!?」
だが、伸ばしたワイヤーの先端が捕まえられる。ペガサスはそいつを握ったまま、腕をぶんぶんと振り回した。浮遊する感覚は一瞬。あとは好き放題に回されるだけだった。
「くたばるか!?」
「おおおおおおおおおああああああああ!?」
手を離される。中空で速度を落とそうとしても軌道を制御しようとしても無駄である。俺は大穴の壁面に叩き付けられ、肺に残った空気を全部吐き出した。背中が痛い。しくしくと痛む。役に立たないワイヤーを引き戻し、咄嗟に、痛む箇所に手を当てた。スーツにはひび一つ入っていないらしいが、中身は無事というわけにはいかない。
落ち着け。まずは呼吸だ。次に、背中を壁につけたままで待機。急場しのぎにしかならねえし反撃だって難しくなるだろうが、こうすりゃ死角は減る。黒武者やデパートの屋上でのピヨピヨ野郎ん時と同じだ。ただ、相手が違い過ぎる。……駄目だ切り替えろ。少しだけ目を瞑って、開けた時、俺は、
「よう、寝てんのか?」
俺は、何をやってんだ。
眼前にいたペガサスがラッシュを仕掛けてくる。何の捻りも芸もない連打だ。だけど速い。重い。やばいが、チャンスでもある。この距離なら俺の拳だって届くはずだ。
叫び、野郎の腕を弾きながら俺も攻撃を繰り出す。手だけじゃ足りねえから足も使う。互角だ。この距離、このやり方じゃあ小細工も誤魔化しも通用しねえ。気合と根性だ。
「あああああああっ、らあああああああっ!」
「……叫ぶのもてめえの武器ってわけか、青井よう」
黙ってろ!
「ま、パターンも読めたぜ。もちっと寝とけや!」
右の拳が弾かれる。左足の蹴りが防がれる。ペガサスは頭を下げ、左の裏拳を易々と避けやがった。何でだ。なんで、この距離で躱される。防がれる。どういう反射神経してやがんだ、こいつ!
俺の攻撃はろくすっぽ当たらない。なのに、こいつの攻撃は防げない。同じだった。互角だった。そのはずなのに少しずつ押し負ける。わけが分からず、かと言って考えてる暇はない。無理でも戦い続けるしかない。
「そぉらあ!」
「がっ……!?」
まずい。いいのをもらった。スーツ越しでも関係ない。中身だけがシェイクするような、妙な感覚。意識が飛びかける。頭では分かってんのに体が動かない。
「ここまでだな」
強く、地面に叩きつけられる。背を踏まれ、胸が痛んだ。……どうしてだ。なんでこんな、一方的にやられちまうんだよ。
「……がっかりだぜ、青井。まあ、しようがねえよなあ」
頭をわしづかみにされ、引きずられる。
「不思議だなあ、なんて思ってそうだから教えてやるよ。お前が俺に勝てねえ理由をな。一つは、経験の差だ。てめえのスーツ、ムカつくが認めてやるよ。とんでもねえ一級品だ。けどな、てめえはそのスーツに振り回されてんだよ。力を発揮出来てねえ。てめえの汗が染み付いてなきゃあ俺が使ってやってたところだぜ」
ペガサスが笑う。
「今までのやつは格下ばっかでクソつまらなかったけどよ、おかげで俺はこいつの扱い方には慣れてんだ。もう一つ。俺のスーツにはいいもんがついてんのよ。てめえらみんな丸裸にしか見えなくなるようなもんがな」
随分と長い距離を引きずられたあと、ゴミのように投げ捨てられる。
「そんで最後だがよ。単純に、俺はお前より強い。それだけだ」
ぐっと顔を持ち上げられた。……社長がいた。彼女は俺と同じような体勢でこっちを見ている。
「おら、感動のご対面だろ。感謝してくれよな」
「なんだか、青井らしいわね」
「……泣いてんのか、あんた」
泣いている。あの白鳥澪子が。目を腫らし、頬を赤く染めて。
「何しやがった。こんなガキを、こんなところに連れてきて、何がしたいんだてめえは」
「ヒーローぶってんじゃねえよ。ま、何、ちっと面白え話を聞いたもんでな。青井、お前にも聞かせてやろうと思ってよ」
やめてと、社長が叫ぶ。彼女の声は震えていた。
「はっ、さっきまでの威勢の良さはどうしたよお嬢ちゃん? だったら代わりに話してやるぜ。よう、青井。この俺のイカしたスーツはなあ、御剣天馬の着てたもんだってのは知ってんな?」
拳を握り込む。身体が痛い。頭ン中は真っ白だ。
「どうして、こんなチンケな街にあの御剣のスーツがあるのかと思わねえか? 答えは簡単だ。このガキが、御剣の関係者だからなんだよ。ひっひ、驚いたか?」
「あお……青井っ、わ、私は……!」
「御剣の血を引いてんだ、こいつはっ。しかもこいつの親は悪の組織の親玉やってるって歪みっぷりだ! 笑えるぜ! てめえがこのガキを騙してたのと同じように、てめえもこいつに騙されてたみたいなもんなんだよっ。悪を語ったクソ野郎が正義の皮ぁ被って騙ってんだ! コウモリ同士でヒーローごっこやんのは楽しかったか!? ああ!?」
まだ戦える。俺はまだ、何も出来ちゃあいないんだ。
「ああ。楽しかったぜ」
そうか。道理で。
は、何だよ。じゃあもしかして、俺は御剣天馬のスーツを着られたかもしれないってことか。あーあー、もったいねえ。
「舐めた口利ける立場かよ!」
ペガサスが脚を上げる。もう一度、俺を踏みつけるつもりなのだろう。
……ごっこ、か。そうか。だよな。違いない。俺も社長も、端っから偽物の正義を追い続けて、偽者のヒーローであろうとしたんだ。どっちつかずの蝙蝠だった。
だから。あの日、彼女と出会えたことは間違いなんかじゃない。そうに違いない。ごっこでも構わない。偽者だって指をさされたって構わない。誰にも信じてもらえなくたっていいんだ、もう。
「楽しかった。だからさ、邪魔すんじゃねえよ」
「くっ、動けんのかよ!」
「てめえの舌がよく回ってくれたお陰でな」
立ち上がり、野郎の脚を殴って弾き、距離を取らせる。俺は社長の前に立ち、腰を低く落とした。
「……久しぶりだな、社長。元気してたか?」
「少し、頬っぺたが痛いわ」
「あいつに叩かれたのか? ……いい薬になったんじゃねえの」
かもしれないと、社長は微笑む。モニター越しの彼女は俺の背を見上げた。
「青井。これは仕事なんかじゃない。お金だって、誰が払ってくれるわけでもない。それでも、戦うの?」
「ちんちくりんのガキとはいえ、嫁入り前の女の顔に、しかもうちの社長に傷をつけたんだ。理由なんざそんなもんで充分なんだよ。倍にして返してきてやる」
「……ふ。ふふ。二発よ。ああ、とても痛かったわ。泣いちゃいそうになるくらい」
「了解だ」
両の拳を打合せ、俺は首の骨を鳴らした。