あ、あのっ、あなたのお名前は!?
天馬が空を翔ける。
壁のように立ち連なっていたヒーローが右方へ、慌てて戦闘態勢を取った戦闘員が左方へ吹き飛んだ。抉れ、剥き出しになった大穴の壁面へ叩きつけられる。強かに背や腹をぶつけ、順番に動かなくなる。
「一人になるな、狙われんぞ!」
ペガサス・ブレイドは怪人の腕を掴み、得物のように振り回した。激突した戦闘員は腹を打ち、悶絶する。ペガサスを囲もうとしたヒーローたちだが、彼のスピードに追いつけなかった。ペガサス・ブレイドは囲みを抜け、手薄な個所を突破する。
剣が振り下ろされた。ペガサスはそれを腕で受け、弾き返す。折れた剣が地面に落ちるよりも早く、彼は周りにいた者を蹴りつけ、打ち据えた。倒れた者を踏みつけ、相手の数が増えればその場から飛び立って距離を取る。
『牡丹。状況庚、フォルティシモマインの使用を提案』
「却下よ」
「今だ撃て!」
空中のペガサスに向けて、遠距離からの砲撃が始まった。百鬼牡丹を筆頭に、飛び道具を持った者たちが一斉に攻撃を開始する。爆炎が新たな瓦礫を作り、着弾によって砂煙が上がる。
「仕留めてねえぞ、突っ込め!」
砂煙の中へ、ヒーロー、戦闘員が突撃を始めた。が、中へ入った者から順番に空へと打ち上げられる。煙が晴れるが、鈍い音と共に、ペガサスが動かなくなったヒーローを投げ飛ばした。エスメラルド数字付きの十二名が仕掛けるが、ペガサスは数をものともしなかった。
数字付きに呼応する形で、センチネル警備保障の精鋭たちが接近する。個々の能力は高かったが、それでもペガサス・ブレイドには届かない。彼は低く跳躍し、左右から向かってくる者を蹴りつける。着地の瞬間に足元を狙われたが、強靭なスーツの前では歯が立たない。
「個人の能力で戦局を左右するなどっ」
灰空が鞭を伸ばす。ペガサスの腕に絡みついたそれを手繰ろうとしたが、しかし、彼自身が先に灰空を引っ張り込んだ。彼女は踏ん張ろうとするが、膂力では敵わない。ふわりとした浮遊感を覚えると、視界が上下左右にぶれる。ペガサスは鞭ごと、灰空を振り回しているのだ。
「くううっ……!」
「おら、飛べ」
鞭が引き千切れ、灰空が空へ投げ出される。その時、飛行ユニットを持つヒーローたちが上空から現れ、彼女を受け止めた。他の者はそのままペガサスへと攻撃を試みるが、躱され、あるいは掌底によって弾かれる。スーパーボールのように跳ね、地面を滑る。
ペガサスは飛び道具を撃ってきた者に狙いを定めて地面を強く蹴り出した。真正面から距離を詰める。彼のスーツに弾丸や矢が当たるが、一つたりとも貫くことが出来ないでいる。牡丹は諦めずにシャクヤクでの砲撃を繰り返すが、ペガサスはびくともしなかった。
「させないよ」
横合いから小さな影が飛び出す。いなせであった。彼女は柔術を使い、ペガサスの勢いを利用して彼の身体を回転させる。だが、ペガサスは倒れなかった。彼は浮かされながらも飛行ユニットを発動させ、無理矢理に受け身を取ったのである。ペガサスは中空で体勢を整え、いなせをねめつけた。
「最近のガキは生意気が過ぎるぜ」
「鼻っ柱の伸びた大人に言われたくないね」
いなせは再度の反撃を狙うが、ペガサスは先よりも速度を上げて突っ込んだ。彼女では捉えられない動きである。だが、その体当たりをグロシュラが受け止めた。勢いを殺し切れず、彼はペガサスの背に両腕を回したまま、後方へと滑っていく。剥き出しになった土を削りながら、グロシュラは吼え声を迸らせた。ぴたりと動きが止まり、ペガサスは舌打ちする。
「四天王が子守たあ、落ちぶれたかよ」
「借りは返すぞ!」
グロシュラが手を放す。ペガサスは口の端をつり上げて笑ったが、その表情が驚愕の色に染まった。
「返すのは、我ではないがな!」
脇腹に強い衝撃を受け、ペガサスは錐揉みになって吹き飛んだ。彼を殴りつけたのはレンである。彼はグロシュラを見上げたが、怯え、縮こまるようなことはしなかった。
「いい一撃だ。我には劣るがな」
「……ふん、相変わらずうるさいんだから」
殴られたペガサスだが、大したダメージはない。彼は立ち上がり、レンを認めた。
「へえ、あん時の泣き虫坊主が俺に逆らうかよ。なあ、友達だろう、俺らは」
「お前はっ、白いけどもうかっこよくなんかない! 友達なんかじゃない! 僕にはお兄さんたちがいるんだ! お前なんかいらないよ!」
グロシュラが苦笑し、レンの頭に手を置く。
「少し、大きくなったか」
「さ、触んないでよ」
「うぜえなあ! 芝居見に来たんじゃねえよ!」
ほぼ一瞬で距離を詰めたペガサスが、グロシュラの胴を叩く。が、彼は決して倒れなかった。ペガサスの腕を掴み、空いた腕でアッパー気味のパンチを放つ。至近距離から殴り合い、互いが譲らない。しかし、スーツの性能はいかんともし難かった。先に膝をついたのは獅子の男である。
ペガサスはグロシュラの頭部に回し蹴りを放とうとしたが、レンの身体がそれを防いだ。身代わりとなった彼は目を丸くさせ、先のペガサスのように錐揉みになって宙を舞う。
「レン……!」
「おら、後追えよ」
「がッッ!?」 短く叫び、グロシュラがくの字になって悶絶した。
追撃を試みたペガサスだが、センサーが反応し、その場から飛び退く。多数の苦無が彼のいた場所に降り注いだ。疾風のような速度で仕掛けたのはイダテン丸である。
「……先刻のようには」
「まあたやられに来たかっ」
イダテン丸は跳ねるのを繰り返しながら死角へ回り込もうとした。その動きを嫌がってバックステップしたペガサスだが、背中に強かな衝撃が走る。振り向くと、黒い外套の少年がいた。彼はこの戦場においてスーツを着ておらず、左足に履いた靴だけで戦っている。
「生身だと!?」
「それが僕だ」
黒武者の動きは一瞬間だけならイダテン丸をも凌駕する。ペガサスは反撃出来ず、彼の蹴りを防ぐだけに留まった。そこを衝かれ、後頭部を打たれた。次はイダテン丸が仕掛けたのである。
「蠅どもが」
羽虫よりも厄介な速度であったが、ペガサスは既にイダテン丸のそれを経験していた。まず彼はスピードの落ちた黒武者の足を掴み、その場に叩き付ける。次いで、接近してきていたイダテン丸の連撃をあえて受け、腰を落とし、カウンターの肘を命中させた。ぐらりと、彼女の矮躯が揺れる。
二人が意識を失うよりも早く、江戸京太郎とエスメラルドが姿を見せる。ペガサスは舌なめずりで彼らを迎え撃った。
江戸は、まるで踊るかのような足捌きで剣を繰り出す。回転する独楽の如き連斬を、ペガサスは一合も打ち合わずに見切った。彼は剣の腹を殴りつけて叩き壊す。さらさらと破片が散り、落ちる。
その破片の中にエスメラルドの姿が映り込んだ。彼女は真正面からペガサスに飛び掛かり、中空で何度も回りながら踵落としを放つ。
「それはもう見てんだ、こっちはよ!」
「貴様ァ! エスメラルド様の何を見たか!」
江戸は新たな剣を取り出し、大振りな動作で斬り払う。ペガサスは、彼から立ち上る異様な熱気に圧されそうになった。
「てめえらくたばり損ないが、雁首揃えてよォ! しつけえんだ!」
「私はっ」
反応が良過ぎる。ペガサスは痛感した。スーツの性能と自身の身体能力に齟齬があり過ぎる。エスメラルドの簡単なフェイントに、まず体が反応した。そしてスーツが対応を可能とした。並のスーツなら玉響のような隙には割り込めない。御剣天馬のスーツだからこそ反応が可能であり、
「ちいッ」
攻撃を許してしまう。反応は可能だが、ペガサス・ブレイド自身は反撃を躊躇っていた。スーツの性能に慣れていない、わけではない。ただ、彼は、限界近くまで性能を引き出すような相手には恵まれていなかったのだ。だから迷う。いってもいいものなのか、と。そして隙が生じてしまう。
エスメラルドは、カラーズの室内で戦った時よりも動きが良かった。まるで戦いを楽しむかのように拳を繰り出す。相手が何をしてくるのか待ち、それに反応してより速く動く。
「よかった!」
「あぁ!?」
「よかったっ、皆が無事で!」
前方から剣が、後方から拳が迫った。ペガサスは姿勢を低くし、攻撃を回避する。
「エドもみんなも無事だった! だからきっと、アオイも無事なんだ!」
「ふざけたこと言ってんじゃねえ!」
ペガサスは江戸の剣を折り、握り締めた刀身を投擲した。自分の武器を新たに抜いた武器で防ぐ江戸だが、それがいけなかった。防ぐのではなく避けるべきであった。彼は攻防についていけず、ペガサスの一撃を腹部にもらい、血を吐きながら崩れ落ちる。江戸は意識を失う寸前、エスメラルドの背を網膜に焼き付けた。
「……お前を四天王に推したのは間違いだったのかもしれないな」
「は、てめえが何もしなくても、俺は必ずこうなってた。間違いなくな」
「もっと、いいやつだと思ってた」
「悪の組織の人間に、いいも悪いもねえだろうがよ」
エスメラルドは首を振り、笑った。
「お前は、少しだけアオイに似てたからな」
その言葉を聞いた瞬間、ペガサス・ブレイドが激高し、叫ぶ。エスメラルドは彼の攻撃を一度は避けられたものの、二度目はなかった。彼女は首に腕を巻きつけられ、逃げる間もなく地面に叩き付けられる。身体がバウンドし、エスメラルドは小さく呻いて気絶した。
ペガサスは肩で息をし、天を仰ぎ、長い間叫び続ける。
「じゃかあしいの、われ」
高く、乾いた音が響いた。赤丸の振り下ろしたしゃもじは、ペガサスの突き上げた拳によって木端微塵と化したのだ。彼は、赤丸を見もしないまま、彼女の胴体を腕で薙ぎ払う。
ペガサスの視界から消える赤丸。彼女と入れ違いになる形で、スピーネルが真横から突進してくる。ペガサスは辛うじて彼を躱すも、凄まじい風圧によってよろけてしまう。彼は地面に手を付くことでバランスを保った。
スピーネルは中空からペガサスを、御剣天馬の遺したスーツを見据える。
「恐ろしい性能を持っておる。わしらでは太刀打ち出来んだろうなあ」
「なら、なんで歯向かってきやがるんだ」
数も、力も、速度も、技術も、いかな武装でさえペガサス・ブレイドには届かない。彼にはまともな武器が使えないが、ただ、その力だけで何もかもを打ち砕く。スピーネルにはペガサスよりも豊富な経験があったが、それでさえ意味を為さないのだろう。
「期待しているからかもしれんな」
「……期待だと」
「おうとも。ここに集ったやつらは皆、待っているんだろうよ」
何を、とは聞かなかった。ペガサスはスピーネルの攻撃を待ち、拳を上げて構えた。
テレビカメラがペガサス・ブレイドの姿を収め、映している。彼はひたすらに笑っていた。まるで、獣が同胞に呼びかけるようにして、いつまでも。
若い女のリポーターは蒼褪めた顔で住民に避難を呼びかけている。この放送を見ている者も、現場にいる者の誰もが、この街の終わりを予感していた。
悲痛な声が、誰もいないカラーズにいつまでもいつまでも響いていた。
大穴の中にペガサス・ブレイドの声が響いていた。彼の笑い声は勝鬨のようにも聞こえている。澪子は、倒れたヒーローたちを見つめた。彼らだけではない。戦闘員や怪人も皆、天馬のスーツと戦い、敗れた。動ける者は殆どおらず、戦える者は皆無である。
――――何が御剣よ。
スーツさえなければよかった。この世に生まれてはならなかった。戦いを終わらせる為に作ったものが、新たな戦いを生み出す。なんという皮肉で、この世はどこまでも因果と混沌が螺旋する。正義と悪は捻じ曲がり続ける。
白鳥澪子は覚悟した。そして、父親の言葉を思い出す。彼女の父親は御剣天馬を憎み、自らに流れる血を恨み、正義を呪った。だが、一度だけ、穏やかな目で『御剣』について語っていたことを思い出したのである。
『澪子。このスーツは……』
その言葉を思い出した時、澪子は大穴の上を見上げた。一台のタクシーが停まったのである。ぼろぼろで、今にも壊れてしまいそうなそれは、見覚えのある車だった。
大穴の周囲にいたマスコミが騒ぎ出す。背の高い運転手が後部座席のドアを恭しい動作で開く。タクシーの中から現れた者をテレビカメラが捉えた。ペガサス・ブレイドはその音を聞き、ゆっくりとした動作で顔を上げる。
「野郎、何者だ?」
蒼い蝙蝠だった。木端の戦闘員が着るようなものではなく、特定の人物にのみ着ることを許された特注のスーツである。アーマー、ガントレット、グリーブ。西洋の鎧のような各部は薄手だが、決して脆いわけではない。事実、それは鎧と変わらないほどの耐久力を有している。がっしりとした体格は歴戦の勇士を想像させた。
「あ、あの、あなたは……」
リポーターは思わず、蝙蝠に対してマイクを向けていた。皆、困惑していた。この状況下で、今までに見たことのないスーツを着た者が現れたのである。戸惑い、期待した。
渦中のヒーローは躊躇いがちにマイクを受け取り、空を見上げる。
「あー、えーと」
声は少しこもっていたが、若い男のものだった。彼はマイクを握ったまま大穴の中を覗き込む。……倒れた者がいる。ヒーローも、戦闘員も、怪物も、少女も。皆、戦ったのだ。そして敗れた。
「……なるほどな」と、男は納得した様子で、小さく頷いた。
青色のヒーローはタクシーの運転手を見遣り、頭を掻く。緊張しているのか、二度深呼吸し、腰に手を当てながらマイクを口元に持っていった。
「違いねえ。間違いねえ。誰が悪くて誰が正しいか、俺には分かる。だからよう、そこの馬面、てめえは俺がぶちのめす」
男は、穴の中で一人だけ立っている、ペガサス・ブレイドを指差した。
「……俺が悪だってのか? あ? てめえに何が分かるってんだよ!」
「分かる。俺がそうだと決めたからだ。俺が、お前をぶちのめす。それが俺の正義だ」
マイクをリポーターに返すと、男は体を伸ばし始める。
「あ、あのっ、あなたのお名前は!?」
「俺の……いや、俺は」
男は少しの間だけ考えるそぶりを見せ、まるで、小さな子供が買ってもらったばかりの玩具を見せびらかすように、自分の背中を叩いて示した。そこには書き殴った字で正義と記されている。
彼は自分の名前を告げ、大穴へと飛び込んだ。