誰か、あいつに勝てんのか?
最初に浮遊要塞の異変に気付いたのは、その周囲を旋回していたジェイというヒーローであった。戦いの音が聞こえた。そう認識するうち、
「……降下している? いや、これは」
要塞が少しずつ高度を落とし始めたのである。ジェイは、先刻に突入した猛禽型の怪人の手によるものだろうと考えた。
戦闘員が倒れている。ヒーローが傷ついて動かなくなっている。怪人たちに組み付かれ、嬲られる者がいる。
「流石に疲れてくるな」
「なんだ黒いの。お前、もうへばったのか?」
黒武者は、一向に体のキレが鈍らないエスメラルドを見遣り、溜め息を吐いた。
「まるで獣だ」
「分かりやすいから、私は獣の方が好きだけどな」
「なるほど、僕とは違う」
話しながら、二人は近寄ってくる戦闘員を殴り倒し、蹴り飛ばし続ける。だが、長時間の戦闘は疲労を蓄積させる。浮遊要塞からは今も怪人や戦闘員が降下していた。終わりが見えず、黒武者は苛立たしげに怪人の背を打ち、失神させる。息を吐き、弛緩した瞬間、エスメラルドも黒武者も気づかなかった。背後からサル型のスーツを着た怪人が迫っていることを。
「おお、やっぱりな」
振り向いたエスメラルドが笑顔を見せる。サル型怪人が叩かれ、瓦礫だらけの地面を転がっていく。
「……四天王の名が泣くぞ」
「気にしないぞ。私は四天王にこだわってないからな」
両の手に戦闘員の頭を握り、壁のように立つのは獅子のスーツを着た巨躯の男、グロシュラであった。彼は握っていた戦闘員たちを放り投げると、腰を低く落とし、別の敵に対して構える。
「元気でよかった。また会えて嬉しいぞ」
「天馬の遣いもここまでだ。じきに、貴様の右腕がアレを引き摺り下ろす」
言って、グロシュラは浮遊要塞を指差した。エスメラルドは彼の言葉を理解し、涙を浮かべる。
「クンツァイトも無事だ。部下を引き連れ、違う場所で戦っている」
「話が見えないが、君たちは僕たちの味方ってことなのか?」
「味方、か」
黒武者とグロシュラが視線を交錯させた。
「ふ、我はあくまで悪の手先よ。だが、正義でも悪でもない邪魔者がいるならば……」
「了解した。今は僕も、君たちに背中を預けよう」
風が吹き抜ける。刃が閃き、戦闘員たちが悲鳴を上げた。赤丸は得物を振り抜き、マフラーを翻す女を見た。
「縹野かっ」
「イダテン丸です」
クンツァイトと共に、ヒーロー側の援軍としてやってきたイダテン丸は、赤丸の周囲を囲んでいた者たちを切り倒し、彼女の隣に並んだ。
「よっしゃ、ほんじゃ、こいつらみんなぶち倒して……!」
「ああ、いえ。ここから離れた方がよろしいかと」
「あ? なんでじゃ?」
「アレ、そろそろ落ちますから」
浮遊要塞を指し示し、イダテン丸はそれではと頭を下げ、後方へと避難を始める。何が何だか分からないまま、赤丸も彼女を追いかけ、通りすがる者たちに声を掛けながら空を見上げた。
強い振動が足元から伝わる。身体が左右に揺れ、縛られていた澪子は顔をしかめた。モニターの電源は先ほどから落ちている。その為、何が起きているか分からないが、目の前の男、ペガサス・ブレイドの狼狽え方から見て、彼にとっても不測の事態なのだと知る。
ペガサスはぎりりと歯軋りし、床を蹴飛ばした。相当に苛立っているらしく、澪子がいるということも忘れ、悪しざまに部下たちを罵る言葉を口にしていた。
「クソがっ! クソが糞が適当なことしやがってあいつらよォ!」
「……ああ、これ、落ちてるのね」
ぽつりと漏らし、澪子は鼻で笑う。耳をすませば、そこかしこから戦いの音が聞こえていた。誰かが叫び、壁をぶち抜き、金属と金属とがぶつかり合っている。
「私が言うのもどうなのかと思うけれど、部下をまとめられていなかったみたいね」
「黙ってろクソガキが」
澪子は浮遊要塞の外観を思い出す。恐らく、この巨大な円盤は多数の飛行ユニットによって成り立っているのだ。そして、ペガサスをよく思わない者たちがユニットを破壊して回っているのだろうと推測する。この要塞の強度、性能までは分からないが、大量の戦闘員、怪人を運ぶことが可能であり、空から投下する。それだけで十分な脅威であった。まずは一つ、肩の荷が下りたと感じ、澪子は安堵の息を漏らす。
「何笑ってやが……!?」
室内が先よりも強く揺れた。ペガサスが体勢を崩し、床に手を付く。
「逃げた方がいいんじゃないのかしら」
「俺が、逃げる……?」
ペガサスには信じられなかった。何せここは、自身が城と見定め、認識した要塞である。恐れ、背を向ける必要などどこにもないはずだった。彼はしばらくの間動かず、口を利かなかったが、幽鬼のように立ち上がり、口中で何事かを呟き始める。澪子はペガサスの様子によくない何かを感じたが、出来ることはなかった。
浮遊要塞は落下を始めていた。緩やかだが、確実に墜落するだろう。持ち直し、立て直すことは出来ないはずだ。
飛行ユニットの半分以上の破壊に成功した江戸たちは、貨物室のカーゴドアを開け放ち、地上の様子を見下ろしていた。
「ヒーローたちが優勢のようだな」
「江戸さん、どうするんですか。このままじゃ俺たちまでこいつと道連れですよ」
「無論、飛び降りる」
げえーっと、周囲から悲鳴のような声が上がる。
「ギャグ漫画じゃあないんすよ!?」
「諸君らのスーツ性能やここからの高度、私のような素人が考えても『まあ平気だろう』という結論に達することが出来た。スピーネル様、貴方はどうお考えか」
スピーネルには戦闘員たちのスーツの性能が頭に入っている。何せ、彼が殆どのスーツの設計、開発を担当したのだ。
「まあ、平気だろうな。さて選べ。ここから飛び降りるか。それともこの要塞が落下し、爆発に巻き込まれるか。ここでぐずぐずして後ろからペガサスどもに襲われるか」
「そんな三択聞いたことねえよおおおおお!」
喚き散らす数字付きや、他の怪人たちを見遣り、江戸は肩を竦めた。
「では、私から行こう。手本だ。よく見ていたまえ」
「えっ!?」
「ちょ、待ってくださいよ! 江戸さん、スーツ着てましたっけ!?」
江戸は手を上げ、その身を中空に躍らせる。ごうとした音が耳をつんざいた。上方から、仲間が何かを叫んでいるが殆ど聞こえない。外套が風圧によって上方向になびく。彼は浮遊要塞から地面までの高さを目算する。
――――住んでいるマンションとさして変わらないか。
三十メートル、あるかないか。十階建ての建物程度の高さだろう。江戸は剣を抜き、両手に構える。地面が近づく。ヒーローが、戦闘員が、
「呆けるな」
敵が。
江戸はくるりと回転し、顔を上げていた怪人を二人切り捨てる。受け身を取りつつ着地し、地面を転がりながら戦闘員の足元を払う。立ち上がり、自らの無事を見せつけるかのように戦闘を開始した。
飛び降り、しかも着地した瞬間から怪人たちと切り結ぶ江戸を認め、貨物室にいる数字付きは憂鬱そうに溜め息を吐き出した。
「やりやがった」
「えー、俺たちも行かなきゃ駄目なのかよ……」
スピーネルは苦笑し、地上を指差す。
「自信のない者はもう少しここで待機しておくといい。少しずつ高度は下がってきている。粘ってもいいが、降りてから退避するまでの時間だけは考えておけ。ああ、それから、パラシュートを使ってもいいだろうな」
「先に言っておいてくださいよ!」
「連れてってくれるとは思っていなかったわ」
「頼むから、黙ってくれよ」
空が燃える。焼けて堕ちる。浮遊要塞が爆発を繰り返しながら落ちていく。もうすぐ地面と激突し、何もかもをまき散らすのだろう。あれに賭けた夢も乗せた希望もなくなった。望みが少しずつ消えていくのを間近にし、ペガサスは目を見開く。決して、目を逸らしてはならないのだと思った。
これがしたかったことなのかと自問する。自分はただ、強くありたかっただけなのかもしれない。証明したかったのかもしれない。形は証だ。過程はどうあれ、手にしたものが強さを、自身の器を示す。この世で最も強く、大きな存在に。身に纏うスーツはそれを可能とするはずだった。
――――世界なんざ、本当は。
だが、止まろうとは思えなかった。知っていたが、欲しかった。その気持ちは押し留められなかったのである。本当に手にしたかったのは、もっと別の何かだった。
「く、き……くくくくくく」
何が面白いのか分からず笑う。
誰に対して腹を立てているのか分からず声を荒らげる。
憎いのか。苦しいのか。辛いのか。感情を制御出来ない。
「きっ、ははははははははっ!」
裏切られたとは思わない。仲間は必要なかったからだ。裏切ったのはきっと、自分自身だ。
ヒーローも、戦闘員も、怪人も。何もかもが敵だった。正義も悪も関係なかった。正義でも悪でもないのだから構わなかった。
ペガサス・ブレイドは自分という一個の身体、それ以外をすべて失った。しかし、彼は決して頭を下げようとは思わない。降ることも負けることも考えられない。正義と言う名の信念も、悪と言う名の美学も彼にはなかった。ただ、彼には彼の信念があり美学があった。理解するのはたった一人でいい。
一際大きな爆発音が辺りに響く。哄笑は轟音にかき消された。浮遊要塞はひしゃげて崩れ、破片を撒きながら粉々に――――。
ペガサス・ブレイドは炎上する要塞を背に、瓦礫の街に空いた大穴の底へと降り立った。ヒーローや、落下する建造物に怯えて退避した戦闘員たちは、彼に視線を向ける。
「来るぞ」
「……あいつ」
澪子を地面に下ろすと、ペガサス・ブレイドは首の骨を鳴らした。彼は何も言わず、ゆっくりとしたペースで歩を進める。
「なあ。誰か、あいつに勝てんのか?」
誰かが言った。誰もが答えられなかった。