ヒーローか? 戦闘員か? それとも、ただの一般市民か?
俺は思わず、それに目を奪われた。
「青井。お前の誠意とやらは受け取った。長い間、待たせたな。よく耐えた。だが、時間をかけた分、いいものは出来上がった。わしの長い人生の中で、一番の傑作と言ってもいい」
現れたのは、安っぽいハンガーに掛けられたスーツである。
青を基調とした、今までのような戦闘員スーツではなく、取り付けタイプのものだ。薄手だが鎧のような印象すら受ける。フルフェイスのマスクはコウモリのように耳が尖っていた。バイザーの部分を軽く叩くと、跳ね返ってくる音はやけに硬い。どうやら防弾仕様になっているらしい。
胸や腕を保護するアーマーも、手首足首を守るガントレット、グリーブも、一級だ。少しでも見て、触れただけで手がかかっていると分かる。そこらの怪人が使っているような素材じゃあない。
「スペックだけで言えば、あの御剣のスーツにも負けていないはずじゃ」
「……知ってたのか、爺さん」
「ああ。アレは、見たことがある。いいや、わしと同じ時代を生きた者なら知っているはずの、憎むべき逸品よ。救国の英雄が装着していたスーツだ。皆、アレの後を追いかけた。だが、結局、追いつける者はいなかった。正義も悪も、御剣には勝てやせん。……それも今日までの話じゃ。これこそ、わしの追い求めていたスーツ……!」
爺さんに昔何があったか、何をやっていたのか、俺は知らない。ただ、彼の熱のこもった口調は心に響いた。
「搭載した武装も、お前に渡していたおもちゃとは比較にならん。これは、お前のものだ。青井、お前だけのスーツだ」
「爺さん……」
俺が渡した誠意なんてのは、はした金だ。このスーツの材料費の百分の一にも満たないだろう。つり合っていない。
「なあ、どうして、俺にこんなもんをくれるんだ。どうしてここまでいいものを俺なんかにくれるんだよ」
「ん? いや、勘違いするな。別にお前でなくても構わんかった。ただ、創作意欲というのか。以前、お前には言ったな。わしには銀川と言う友人がおったのを。あいつはな、結果はどうであれ、自分の夢を確かに、形にした。それまでは、お前のスーツなんぞ鼻くそほじりながら片手間で作っておったわ。が、銀川に負けてられんと思った。都合よく、お前という実験台もおったしな。……ふん、いいだろう。くれてやる。お前にはわしの夢を押しつけてやる」
夢、か。酷く重いな。
「選べ、青井」
爺さんはリモコンを手に取り、そいつを操作した。すると、天井からモニターのようなものが下りてくる。画面には、見たこともないモノが映っていた。
それは、巨大な、銀色の城だった。空を浮遊している円盤だ。何故、こんなもんがテレビに映っているのか考えるより先、この化け物が、自分の上に飛んでいるのだと気づいた。
「俺たちの街じゃねえか」
「そうだ。どうやら生中継らしいな。ほれ、リポーターとやらが騒いでおるわ。今も、このいけすかない要塞はわしらの真上におる」
「まさか、この馬鹿でかい皿は……!」
爺さんは重々しく頷く。
「ああ。ペガサス・ブレイドの城じゃな」
桑染の野郎、ちょっと思ってたよりやばいことやらかしてんじゃねえか。あんなでかいの、いつの間に。つーか、どうすりゃいいんだ?
俺が焦っていると、テレビの画面が円盤から、地上の様子に移る。そこにいたやつらを見て、モニターに食い入ってしまった。……他のヒーローや一般人に紛れて、赤丸だ。あいつだけじゃない。黒武者や百鬼さん、センチネル警備保障の連中も、レンもいなせもいやがる! あいつら、何やってんだこんなところで!
「お前の知り合いが映っているらしいな。どうやら、お前の上司を助けに来たらしいぞ」
「……俺の?」
まさか。
そんな、まさか……!
「カラーズの社長。確か、今は白鳥澪子と言ったか」
「冗談だろ? なんで、うちのボンクラ社長があんなところにいるってんだよ」
「ペガサスが連れて来たんだろうよ。さて、青井。時間がない。わしも呼ばれていてな、行かなくてはならん。だから、はよう選べ」
「選べって、何をだよ!?」
爺さんは鬱陶しそうにスーツを指差した。
「お前は、何じゃ? ヒーローか? 戦闘員か? それとも、ただの一般市民か?」
正義か、悪か。それとも、全てを投げ出して、逃げ出すのか。
「だがな、このスーツを選ぶと言うのなら、お前の道は一本に決まる。今まで、逃げ道を作ってきたんだろう? ヒーローか戦闘員か。どちらかが駄目になっても、どちらかに逃げてしまえばいいと」
その通りだ。言い返せない。俺は、ずっとそうしてきた。爺さんはそいつを見越してコウモリの意匠をスーツに施したんだろう。確かに、こいつは俺専用だ。俺にしか許されない。俺にだけ着ることを許されているものだ。
「爺さん、俺は……!」
「……すまんな。青井、時間じゃ。わしはもう、行かねばならん。あとのことは、ハリマたちに任せてある。説明書も残しておるし、あとは調整程度じゃ。あやつらでもなんとかなるだろうて」
「行くって、こんな時にどこへ!」
すると、俺のスーツがかけられた場所の奥から、もう一つのスーツが姿を見せた。なんか、随分とくたびれている。タカか、ワシか。違いは分からねえけど、猛禽の類のスーツだ。誰のものだ、これ。
「古臭いやつだな、これ」
「黙っとれ」
何を思ったか、爺さんは白衣を脱いで、そのスーツを着始めた。ん? 何やってんだ? マジで、何を考えてんだジジイ。歳を考えろよ。
「まだ、着れるものじゃな」
「それ、爺さんのやつなのか?」
「正確に言えば、これはわしのものではない。今、わしの手元にあるだけで、受け継がれたものだ。このスーツはな、代々、『スピーネル』の名を冠する者だけが着るのを許されておる」
スピーネル。
……スピーネル?
「四天王じゃねえか! は? なんで? なんで爺さんが四天王のスーツなんか持ってんだよ」
「頭がどこまで悪ければ気が済むんじゃ。わしが、今代のスピーネルということにどうして気づかん。まあ、今となっては仕方がない。スピーネルの名も、四天王から追い出されてしまったからのう」
爺さんはすっかり猛禽のスーツを着こんでいた。存外、よく似合っていた。古臭くてくたびれているが、妙な威圧感がある。飛行ユニットも、型こそ古いが手入れはきちんとされていた。
「ではな、青井。お前がどんな道を行こうが、わしは何も言わん。達者でやれよ」
「え、お、おい、もうちょっと! もっと、こう、なんか説明とか話とかあんだろ!?」
「時間がないと言うたじゃろう」
爺さんは俺を無視して、出口の方に向かっていく。途中、ハリマ茜が何事かを喚いていた。
「で、どうすんのさ」
俺はハリマ一家に囲まれていた。どうすんのかって、俺が聞きてえよ。誰かに教えてもらいてえよ。
爺さんは俺のスーツを用意してくれていた。爺さんは四天王のスピーネルだった。レンたちは円盤の下にいるし社長は桑染に捕まったとか言うしこの街がどうなるかさっぱり全くどうなるか分からねえんだ。どうしろってんだ。正義か悪かヒーローか戦闘員か、そんなもん、知るかよボケ。
「ふうん。まあ、ボクたちはどうでもいいけど。……しっかし、これ、ようく出来てるよねー。見てみな兄ちゃん。こんな性能のいいもの、今まで見たことないよ」
「あー、よく分からんけどすげえなあ。こんないいものもらって、羨ましいぞ!」
また一郎に肩を叩かれる。痛い。
「……だが、これ一着でアレを落とせるとは思えんな」
二郎の言う通りだ。このスーツの性能が、本当にペガサスと同程度でも、俺は一人しかいない。俺一人で、あんなものをどうにかするなんて無理だ。
「俺には、荷が重すぎんだよ」
夢とか、そんなもの困る。俺に押し付けられたって、どうしようもねえだろう。耄碌しやがって、爺さんめ。
「ねえ」
「あ?」
顔を上げると、ハリマ茜が俺を覗き込んでいた。
「着ないの?」
着れねえんだよ。
だって、これはヒーローが着るものなんだ。俺みたいな、半端者が着ていいのかどうか、分からない。ここにきて迷っちまう。足踏みしちまう。俺は所詮、偽物の正義を振りかざす偽者のヒーローなんだ。
「勿体ないの。師匠が作ってくれたんだろ。お前みたいな、ヘタレで、ヘボで、どうしようもないアホヒーローに」
「……ヒーロー? 俺が、か?」
「そうじゃないの?」
きょとんとした顔で見つめられる。
「だって、ヒーローだって言ってたじゃん。つーかヒーローだろ。スーツがなくったって、お前は戦ってきたんじゃないのかよ」
そうか。
そうだった。
「で、どうすんの?」
「……やってやろうじゃねえか」
俺には、最初から、こんなにいいものはなかったんだ。思い出せ。俺は最初、馬のマスクなんてパーティグッズだけを持たされて戦ってたんだ。つーか、ろくなもんしか持たされてなかった。それがなんだ。今更スーツくらいで尻込みしてんのかよ。
俺は俺だ。青井正義だ。
「あんな、馬鹿みてえなもんに好き勝手させるわけにはいかねえよな」
桑染、お前の好きにはさせねえぞ。俺だけじゃなく、俺の周りにも迷惑かけやがって。許さねえ。
「着る。俺はこれを着るぞ」
立ち上がり、スーツを叩く。ハリマ一家は顔を見合わせて、何故だか、嬉しそうに頷いた。
「取り付け方も、調整ってのも俺には分からねえ。お前ら、頼んでいいか?」
「がはは、任せろ!」
「よし。茜、青井の取りつけ手伝ってやれ。こっちはソフト起動させる」
「あいよ! 師匠の最高傑作だ、大事にしろよ!」
ハリマ茜は俺の後ろに回り、脚部パーツを手に取った。彼女は説明書を探し出し、そいつと睨めっこしながらスーツの取り付けにかかる。
「……師匠がさ、お前が寝てる時に言ってたんだ」
「何を」
「このスーツを作ってるところで、師匠が言ってた。これは本当にすごいものだって。命をかけて作ってやったんだって。だから、誰にも負けない。どんなスーツにだって負けたりしないって。だから、負けたら全部お前のせいだからな」
俺は頷いた。何度も頷いた。
俺は爺さんを信じる。スーツの性能は互角。なら、あとは中身の俺次第だ。俺か、桑染。どっちが多く修羅場を潜ってきたかだ。思い出せ。何年も戦闘員として走り回ってきたことを。ヒーローとしてスーツもなしに、右腕一本でやってきたことを。今までやってきたこと全部を。
「おうよ。任せとけ。お前の師匠を世界一のスーツ職人にしてやらあ。そんでもって、お前も世界一の弟子にしてやる。嬉しいだろ?」
「ふ、ふん。馬鹿じゃないの? でも、まあ、期待しないで待っとく」
それから。そう言って、茜はボロボロになったグローブを持ち出してきた。
「……それ、俺のか?」
「うん。お前がずっと付けてたやつ。これ、どうせスーツ着たら使わないんだろうけど、返す」
「なくしたかと思ってたぜ。ありがとよ、お守り代わりに持っとくわ」
グローブを、ズボンの後ろのポケットに入れてもらう。
「ま、頑張りなよ」
「なんだよ。付いてきてくんないのか?」
「ボクらは逃げる。この街がどうなるか、まだ分かんないし。地下を辿って、次の街へ向かうよ」
まあ、それも一つの道なんだろう。
「そっか。今まで世話になったな。マジでありがとうよ。一郎、二郎、ありがとう。逃げるにしても、気をつけてな。ヒーローに捕まるんじゃねえぞ」
「なんだよそれ。お前が言うなよな。普通、逆だろ」
「お前らだって、ヒーローの俺を助けたじゃねえか」
「かもね。けど、それはお前がスーツを着ないヒーローだからさ。ボクたちがスーツを着ないようにね。だから、こっから先は本当に敵同士だ。忘れちゃいやだからね」
忘れるものか。本当に、感謝している。
「……ああ、あと、最後に一つだけ頼みがある」
「何さ?」
「スーツの、ここの背中のところな。書いて欲しいもんがあるんだ」
茜は嫌そうに顔をしかめた。
「この傑作に落書きしろって?」
「頼むよ。なんたって、こいつぁ俺のもんだからな。俺のもんを俺がどう使おうが俺の勝手だろ?」
ぶっすーとした顔をしていたが、茜は観念して、白いマジックペンを手に取った。
「もう! 知らないからな!」
「サンキュー。そんじゃまあ、調整よろしく」
「ホント馬鹿だよなお前、はいっ。これでいい!?」
俺は馬鹿で半端だ。だから、自分でそうだと分かるように印をつけたかった。スーツの背にぶっとい字で記された、正義の二文字を目に焼き付けた。




