靴だ。見て分からないのか
黒武者村正は空腹だった。彼はいつものように青井家に行き、昼ご飯を分けてもらおうと考えていたが、
「……そうか。あいつはいないんだな」
家主の青井が失踪したことを思い出す。黒武者は彼に助けられた。以前、黒武者はアタ教という宗教団体に妹の亡骸を人質に取られていたが、レンといなせを助けに来た青井が何もかもをぶち壊しにした。そのついでという形で救われた黒武者だが、借りは借りだと、律儀にもそう考えている。ただし、彼は青井に対して食事をたかるなどして小さな借りを作り、その度に返し、また御馳走してもらい……という悪循環に陥っている。
――――腹が減った。ああ、青井の同居人の作るメシが美味いせいだ。
尤も、本人はそういったことを気にせず、この街でのんびりと暮らしていた。金に困れば悪党を退治すればいい。腹が減れば青井のところに行けばいい。そして、
「む。お前は、アタ教の残党か?」
ごくまれに、古巣の刺客を返り討ちにすることもあった。
「黒武者村正、だな?」
今日は事情が違うらしい。黒武者は周囲の状況を確認する。近隣の工事現場からは音がしない。人の気配がしない。
「そうだ。僕だ。お前は、アタ教の刺客なのか?」
初めて見る顔であった。羽の生えたトカゲのようなスーツを着た男は、居丈高な口調で話す。気に入らないと、黒武者は敵愾心を燃やした。
「青井正義の関係者だな?」
「……なるほど、あいつ方面の話か」
黒武者は背負っていたリュックサックを下ろし、跳躍した。工事現場の周囲を覆っている仮囲いを飛び越えると、敷地内に倒れている者たちを認める。まだ息はあるらしいが、かなり痛めつけられていた。
「ほう、いい性能だ。スーツを着ていないようだが、何を履いている?」
「靴だ。見て分からないのか」
黒武者に続き、ドラゴンスーツの男が着地する。
「ここなら邪魔が入らないだろう? さあ、死んでもらおうか。構わないから、好きに抵抗しろ」
「お前、何者だ? 青井はどうした?」
「ん、知らんのか。まあいい。冥土の土産に教えてやろう。青井正義は死んだ。組織を裏切り、ペガサス・ブレイド様に逆らった罪を償ったんだ」
「……死んだ?」
たぶん、男が言っているのは嘘だろう。黒武者は青井のしぶとさを知っている。自分と同じように、スーツを着ないで修羅場を潜り抜けてきたのだ。それよりも、男は気になることを言っていた。
「いや、それはいい。青井が組織を裏切ったとはどういうことだ。あいつは、ヒーローのはずだ。お前らのような怪人とつるむはずがない」
「何を言っている。青井正義は我が組織の戦闘員だ。いや、だったと言うべきだな。やつは古参だ。数年前から下っ端として走り回っていたぞ」
「馬鹿な」
青井が何故ヒーロー派遣会社に勤めているのか分からなくなった。彼は以前、組織の内部に潜入していると言っていたが、それでは辻褄が合わなくなる。ヒーローよりも先に戦闘員として働いていた? ……否、辻褄は合う。黒武者は自嘲気味に笑った。
「なるほど、僕は騙されていたというわけだな」
「ふ、そのようだな」
「ああ、これで新しい借りを作ってしまった。また、あいつに会わなくては」
「何を言っている? まあ、いい。俺の名はラスタバン。あの世に行っても忘れるな」
黒武者は地を蹴った。靴の裏からは火花が放出されている。莫大な加速エネルギーを得た彼は、ラスタバンと名乗った男の目にも止まらぬ速度で移動している。黒衣が翻り、風を生む。漆黒色の疾風と化した黒武者の蹴りが、竜の鱗を剥ぎ取り、翼を捥ぎ取った。
「なっ……? み、見えなかっただと!?」
「安心したぞ」
「ぐおおおっ」
ラスタバンの身体が宙に浮く。黒武者は蹴り上げた体勢から跳び上がり、中空で彼の背に踵落としを見舞った。地面にバウンドしたドラゴンが口を開けた。火を吐く為ではない。苦痛から逃れる為に喘いだのである。
「やはり青井は生きている。お前のような格下を寄越す組織に、あいつが殺されるはずがない」
「こんな、ガキに、俺があああ……せっかく、四天王になったってのにいいいぃ」
「せっかくだ。もう少し、話を聞かせてもらおうか」
黒武者はその場にしゃがみ込み、ラスタバンの顔を殴りつける。彼は喚き、何でも話すと、何度も叫んだ。
スーパーマーケット前の駐車場で、一人の男が飛び回っていた。旋回を繰り返し、地上からの砲撃を回避するのはフェニックス型のスーツを着た四天王、アンカである。
「昨今の主婦は恐ろしいな。鬼より怖い」
アンカは地上を見下ろした。そこには、逃げ惑う一般市民と、燃え上る車。そして、一人の主婦がいた。
彼女の名は百鬼牡丹。かつて、夫である百鬼草助に娘を魔法少女にされ、殺された女である。牡丹は娘の仇を取る為に、一見してただのネギに見える、人工知能が搭載された『魔法の杖』シャクヤクと、スーツ並の性能をしたエプロンを着て、青井と出会った。彼の手により、百鬼草助は警察に捕まり、彼が手を施した魔法少女はただの少女に戻った。
『敵性存在からの攻撃を確認』
牡丹は降りかかる炎を回避し、車の陰に身を潜める。……突如として現れたアンカにより、彼女は交戦を余儀なくされた。青井の関係者に間違いはないのだが、襲われる謂れはない。ただ、黙って殺されるほど容易い女でもなかった。
「それにしても、青井くんが死んだだなんて……」
青井の死を告げられた時、牡丹は動揺しなかった。ヒーローと言う職業柄、命を落とすことは珍しくない。実際、彼女の娘は怪人によって殺されたのだ。青井の死は悲しいが、充分に真実味がある。
「はははっ、どうした、もう終わりか!」
アンカの挑発を無視し、牡丹は状況を再度、確認した。ここから逃げるのは困難だ。相手は飛行し、自分よりも機動力がある。スーパーマーケットの中に逃げ込んでも、フェニックススーツの能力によって建物ごと丸焼きにされてしまうだろう。ならば戦うしかない。アレを引きずりおろし、仕留めるしかない。
『状況は庚、フォルティシモマインの使用を提案』
「却下よ。それは技名が長いもの」
対空として砲火を放っても、届くより先に躱されてしまう。距離を詰めるにも空へと届く足場がない。近づくのを待っていても、射程の長い火炎放射器で炙られてしまう。
「ふう、仕方ないわね」
ゆっくりと立ち上がり、牡丹は中空にいるアンカを見遣った。彼はすぐさま降下し、彼女の射程外から火炎を放射する。牡丹は地面を転がり、シャクヤクを掲げた。
『状況は』
「フェニックスアローを使うわ」
『……了解。状況、癸。音声認識四十八パーセント。フェニックスアロー、発動』
アンカは輝きを放つネギこと、シャクヤクを認めた。先刻から、牡丹は数度の攻撃を放っている。そのどれもが飛び道具であった。杖の先端から穴が開き、小型の爆弾や針、閃光弾や矢が発射される仕組みである。
「ワンパターンだな」
火炎放射器だけで戦っているアンカも他人のことを言えないのだが、彼自身はそういった意見を黙殺していた。……高出力の火炎なら、大概のものであれば焼き払える。また、そもそも飛び道具は当たらない。並のスーツとは違い、フェニックス型の飛行ユニットは高性能である。空中を自由自在に、かつ、高速で移動出来るのだ。
「ふはは、私が負けるはずがない。……何?」
牡丹は輝くシャクヤクを投擲していた。存外、彼女は肩がいいらしく、なかなかの速度でシャクヤクは宙を進む。アンカは避けるのではなく、燃やし尽くすのを選んだ。火炎放射器を構え、スイッチを押す。スーツは耐熱性に優れていたが、流石に熱い。帰ったら冷房の効いた部屋で涼みたいところだ。などと考えていると、炎の中から黒い影が浮かび上がってきた。シャクヤクである。彼は目を見開いた。如何な素材であれば、この炎に耐えられるというのか。
「くっ、だがっ」
避けてしまえば終わりである。アンカが身を捩らせると、シャクヤクは彼の頭上を越えていく。
「ケェェェーッ! 終わりだァ!」
『フェニックスアロー、発動』
頭上から聞こえてきた人工音声に振り向くと、アンカは再び瞠目した。シャクヤクの開いた穴から、新たなネギが現れたのだ。それは小型になったシャクヤクである。オリジナルと同じく、先端がぱかっと開いた瞬間、大量の鉄球が降り注いだ。まるで小型のクレイモア地雷である。さしものフェニックスと言えど、ひとたまりもない。
「ぐおおおあああああっ!? いだっ、いだだだだ!?」
アンカは振り向いていたせいで顔面と、背中に衝撃を食らう。のみならず、背に装着した飛行ユニットが破壊された。彼は悲鳴を上げながら落下する。すわ地面に直撃かと思われたが、咄嗟に受け身を取り、ダメージを最小限に抑える。とはいえ、すぐに動けるほどでもない。アンカは唸りながら、牡丹の姿を探した。
「くそ、あのババアどこに消えやがった」
「さっきはご高説をどうもありがとう」
「ぎっ……!?」
背を踏みつけられ、アンカを首を巡らせる。彼は、冷たい目で見下ろしている牡丹から目を逸らし、悔しそうに唇を噛んだ。
「青井くんが死んだって言ってたけど、あなた、嘘吐きね。信じられるかどうか分からなくなってきたわ」
「ああ?」
「だって、フェニックスって死んだって蘇るんでしょう? でも、あなたは死ぬのを怖がっている。ね、試してみてもいいかしら?」
ぐぐぐと、力が籠められる。背骨を折られてしまいそうで、アンカはやめてくれと声を荒らげた。
「嘘です嘘です! フェニックスって言いましたけど回復とかそんなんしません! 飛んで火を出すだけの無能です! 私めは!」
「あら、そう。じゃあ、悪い子にはお仕置きね」
「ひっ、ひいいああああああああああっ!?」
動かなくなったアンカから足を下ろし、牡丹は駐車場を見回した。
「酷いものね。さて、どうしましょうか」
家に帰り、夕食の準備をするのもいいが、青井の安否が気になった。先の男は嘘吐きだが、最近になって青井を見かけていないのは確かである。事実を確かめるついでに、白鳥社長とお茶をするのも悪くはないだろう。そう考えた牡丹の足はカラーズへと向かっていた。
『牡丹。回収を要求します。牡丹。回収を要求します』
シャクヤクの声を背に、牡丹は溜め息を吐いた。
センチネル警備保障に向かっていたクジラ型のスーツを着た四天王、バテン・カイトスは道すがら、とある集団と遭遇した。軍服風のスーツを着た者たちである。彼らは珍妙な歌を歌いながら、時には上司らしき女に鞭で叩かれながら、街中をジョギングしていた。
「……アレか」
バテン・カイトスはターゲットである灰空愛里の姿を確認した。彼女は、集団から遅れている部下を耳元で叱責し、尻を蹴飛ばし、鞭で叩いていた。凄まじく目立つ連中だなと思ったが、怪人のスーツを着て、巨躯の彼もまた衆目の注意を引いていた。どのように仕掛けるか思考している内、ターゲットの方から近寄ってくるのに気付く。
「ん? まあ、いい。おい、お前、灰空愛里だな」
「黙れ微笑みデブ。私がこの世で一等嫌いなのは、貴様のような肉達磨だ」
「な、な……お、まえええ」
開口一番、暴言を吐かれたバテン・カイトスは激高し、灰空へと突進した。