なんて恐ろしいお子様たちだっ
油断はしていなかった。警戒は怠っていなかった。
「ば、馬鹿なっ」
「いきなり出てきやがったぞ、こいつ!」
「……この建物に如何なる用か」
だが、そのヒーローは彼らの上をいっていた。ヒーローはカラーズの階段の前に立ちふさがり、怪人たちを見下ろした。青い忍装束を着た、小柄な女である。首に巻いた赤いマフラーは風もないのにたなびいていた。
「ここはヒーローを派遣する会社です。あなた方のように、血気盛んな怪人が詰め寄るようなところではない」
「黙ってろ、たった一人で何が出来るってんだ!」
カラーズに庇を借りているイダテン丸は、短刀を懐から取り出し、構える。この建物にも、ここに住む者たちにも借りがあり、手を貸す義理がある。
「……イダテン丸。参る」
青色の風が吹き抜けた。それから少し遅れて、階段前に詰めかけていた怪人たちが声を上げ、苦痛に呻いた。彼らは一人として、イダテン丸のスピードについていけなかったのである。無理もなかった。彼女は軒猿という組織に属していたことがある。軒猿には優秀なシノビが揃っていたが、イダテン丸はその中でも上から数えた方が早い戦闘能力を有していた。速度に特化したスーツか、視力を強化するスーツを着ない限り、彼女の影を踏むことすら困難である。
「では、お覚悟を」
イダテン丸は無表情に、ある意味、無情に告げた。
「くっ、かかれ! てめえら、ぼさっとしてんじゃねえ!」
怪人の言葉に、茫然としていた戦闘員たちが我に返る。彼らは次々とイダテン丸に攻撃を仕掛けるが、全て避けられ、反撃を入れられてしまう。
「クソがっ、もっと数を連れてくりゃあよかったぜ」
イダテン丸は短刀で戦闘員の足首を裂き、身を低くして背後から近付いてきた者の顎を蹴り上げた。その男を台替わりにして駆け上り、懐から苦無を放る。ぎゃあ、と地上にいた戦闘員たちが悲鳴を上げた。
イノシシ型怪人が地に伏した。彼を足蹴にしたイダテン丸は、自分に近づいてくる者を認める。
「……まさか」
「君は、美しいね」
大きな翅が、光を帯びて輝いていた。蝶の翅である。イダテン丸はその美しさに生唾を飲み込んでいた。
蝶型のスーツを着ているのはブロンドヘアをかき上げる青年であった。容貌は整っており、この場には似つかわしくない存在である。しかしイダテン丸は知っていた。彼の正体が、とある組織の、四天王と呼ばれるものだということに。
「素早く、気高い。何者にも自らを触れさせない。その心意気が、実にビューティフルだ。しかし君の美は脆くもある。一度でも触れられれば、硝子細工のように砕けてしまう。そんな危うさを秘めている」
「あなたは」
「僕の名はクンツァイト。さあ、美しき人よ。美しい戦いを始めよう」
妙なポーズをとると、クンツァイトは舞うように歩を進めた。イダテン丸は彼の背後を取ろうとしたが、妙な息苦しさを覚える。クンツァイトの口の端が、僅かにつり上がった。
戦闘員の男は首を傾げて立ち止まった。先まで、共に赤丸に飛び掛かろうとしていた二人の男が、いなくなってしまったのである。
「あ、れ?」
男の目は現実を捉えていた。ただ、脳が認識に追いついていなかった。彼の記憶が自動的に巻戻る。骨がみしみしと砕ける音。轟音と共に、塀をぶち抜いて彼方へと吹き飛ばされた同僚。そして、すぐ傍の地面に頭から倒された同僚。
「お姉さん、大丈夫? お水持ってこようか?」
「構わなくていいよ。だから大人は嫌いなんだ。そうやって酒に溺れて、痛い目を見ればいいのさ」
少年と少女が目の前にいた。彼らは最後に残った男を見遣り、互いの顔を見合わせた。
「あ、あのう……」
「ねえ、どっちがやる?」
「あんたがやりな。あたしはこうやって戦うのは苦手だからね」
分かったと、少年が一歩進み出てにっこりと笑う。
「お兄さんと僕のお家を壊そうとしてたよね? ね?」
「え、ええと、それはだね」
男の意識は掻き消えた。
黄前レンは改造人間である。彼は心臓が弱く、病を克服する為に改造手術を受けさせられた。だが、強くなり過ぎた。他者を見下すのではなく、物と見做すほどまでに。
ただ、今のレンは青井の影響によって変わりつつあった。無差別に力を振るうことがなくなり、理由なく暴れることも皆無となりつつある。彼の言いつけによるものだ。『弱い者いじめはよくない』と言い聞かされていて、レンもその言葉を守っている。尤も、降りかかる火の粉を払うくらいは構わないとも言われていたが。
「…………何、これ?」
ハヤブサ型怪人が後ずさりした。レンは彼に顔を向けて、じいっと見つめる。
「ねえ。どうする?」
問われるも、怪人には逃げることしか思いつかなかった。相手は女子供だが、勝てるとは思えなかったのである。
「逃がさない方がいい。こいつ、何か知ってるよ。マサヨシのことを知っててここに来たんだ」
「じゃあ、壊さないくらいにすればいいのかな」
「いや、口が利けるくらいまでにしておくんだ」
「なんて恐ろしいお子様たちだっ」
ハヤブサ型怪人が背を向ける。レンが彼を追いかけようとしたが、足を止めてしまった。レンの目は、後方にいる影に注がれ、釘づけになっている。
「あ、あああああ……」
レンはその場に蹲り、がたがたと震えだした。赤丸が心配そうに声を掛けるが、彼の耳には届いていない。
「ここにいたか。レン」
低く、野太い声がアパート前に響いた。ずしりとした、重みのある足音が近づいてくる。ハヤブサの怪人はその人物に気が付くと、逃げることを忘れて跪いた。
「……探したぞ」
現れたのは、獅子の頭をした大男である。先の、ゾウ型の怪人よりも一回りほど大きかった。赤丸は顔をしかめる。男の正体はある組織の四天王の一人であった。
グロシュラ。ライオン型のスーツを着込んだ男は、かつてレンを拾い、育てようとしていた人物である。だが、レンは何者かに唆され、グロシュラの数字付き部隊を壊滅に追いやり、組織を裏切り逃げ出した。黄前レンには咎がある。グロシュラはペガサス・ブレイドの命令によってここへ来たが、新たな目的を見つけて歓喜に打ち震えた。
「まさか、よりにもよってここへ匿われていたとはな」
グロシュラはクンツァイトと共に、殺されずに済んでいた。その場にいたエスメラルドの部下たちがどうなったかは知らないが、ペガサス・ブレイドに逆らえるほどの余力は残っていなかった。そも、アレには勝てない。グロシュラとてプライドはあったが、一度拾った命を捨てるほど愚かでもなかった。
「……あっ、あああ、やめてっ。や、いやあっ、来ないで! 来ないでよ!」
レンが頭を振り、泣き叫ぶ。彼の前に赤丸が立ったが、既に満身創痍と言うありさまであった。
「どけい、女。貴様とは以前にも戦ったが、そのような状態で我と戦えるはずもあるまい」
「誰がどくか、ボケが!」
しゃもじを握る手にも力がこもっていない。グロシュラは赤丸の状態を見遣ると、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「我は、そこにいる子を殺さなければならない。否、我だけが殺せる。資格を有している。邪魔をするというのなら、貴様にも死んでもらう」
「……資格?」
ゆらりと、赤丸が前に出た。
「こがあな子供殺す資格なんか、どこにも、ない! なめたこと抜かしとうと……っ!?」
「どけと言ったぞ!」
グロシュラが一足飛びで距離を詰め、赤丸を殴りつける。彼女はしゃもじでガードするも、拳の威力を殺し切れずに後方へと転がった。なおも赤丸は立ち上がり、戦おうとしたが、体が言うことを聞かなかった。
「さらばだレン!」
拳を振り下ろす。レンは動かず、自らに向けられる殺意をじっと見つめていた。グロシュラは一瞬間躊躇するも、死んでいった部下たちの顔を思い出し、
「があああああああああああああぅっ!」
何もかもを忘れようとして、吼え声を迸らせた。
巨大な男だった。こんなものを相手にしていては、幾つ命があっても足りない。だが、体が勝手に動いていた。彼女はグロシュラの拳を小さな掌で受け、流す。彼の体重を乗せて返すと、グロシュラの体躯が一回転して地面と激突した。
「……貴様っ」
グロシュラは小柄な少女に弄ばれたことを驚いていたが、実際に驚いているのは彼女も同じであった。
少女――――銀川いなせはヒーローではない。レンのように改造を受けているわけでもない。ただ、祖父から有事の際にと護身術を教わっていただけだ。いなせの祖父は言っていた。
『お前には力がない分、相手の攻撃を利用する合気道……のようなものを修めるといい。どれ、わしが手ほどきをしてやろう。何、心配することはない。子供でも、わしのような老人にも扱えるものだ』
「貴様、今っ、何を使った!?」
いなせは、声を荒らげるグロシュラをじっと見つめていた。答えようとしたが、自分の使う技には名がないことに思い至った。祖父からはとある名前を聞かされていたが、当時、推理小説に傾倒していた彼女には、祖父の発言が嘘か、適当なものだと気づいていたのである。
「聞きたいかい?」
「おおオオっ、我を舐めるな!」
「バリツって言うらしいよ、これは」
グロシュラが突進する。いなせはレンの情けない姿を見遣ってから恐怖を押し殺し、目を凝らした。彼を、自分たちの家を守れるのは自分しかいないのだ。いなせはグロシュラの胴体に手を当て、僅かに力を込める。
「ぐっ、おおおおおお!?」
抵抗を試みるも、グロシュラにはなすすべがない。彼は再び頭から地面に突っ込み、ごろごろと転がっていく。いなせは自分の手を見つめて、どうしてこうも上手くいくのかを考察した。
「……ああ。なんだ。そういうことだったんだね」
グロシュラの先の見える行動、まっすぐな戦法は、レンと良く似ていた。常から彼をあしらい続けてきたいなせには、四天王のグロシュラでさえ扱い易い相手であった。
「あんたたち、よく似てる。まるで親子だ」
「な、にぃ……」
レンが肩を震わせる。グロシュラは立ち上がり、いなせをねめつけた。二度も彼女の技を受けていたが、ダメージが残るほどのものではない。
「親子だって言ったのさ」
「そうだと言ったら、貴様はどうする?」
「……そうなのかい?」
「ああ、そうだ! レンは我が拾い、育てた! こいつの不始末は我が取る! 我が責任を負う! その必要があるっ」
得心した。いなせは、何故青井がレンを匿っていたのか理解する。目の前の男から隠していたのだ。彼女はグロシュラを睨み据える。強い敵意の籠った視線に、彼は僅かに怯んだ。
「さっき言ったことは取り消すよ。あんたはこいつの親じゃない。家族でもない。不始末だの責任だの、耳心地のいい言葉を並べてるけどね。本当の家族だったら、もっと別にやることがある。マサヨシだったら、きっとそう言うはずだよ」
「……マサヨシ。そうか、そうか。そうかもしれぬ。だが、我には出来なかったことだ。もう、戻らないものだ。取り戻せぬのなら、殺すしかない」
グロシュラは喉の奥でくつくつと笑った。
「何がおかしいんだい」
「我が親ではないのなら、レンにも、貴様にも親はいないということになる。何故なら、貴様らが家族と慕う青井正義は――――死んだのだ。もう、この世にはいないはずだ」
いなせは目を見開き、レンは更に泣き叫んだ。
「う、そだ。そんなのっ、嘘だ! マサヨシが死ぬはずない! あいつはヒーローなんだぞ!?」
「我は、青井正義と関わった者を殺せと! 殺せと命を受けたぞ! ならばどうする、貴様らは如何にする!?」
嘘だ。そう思い、信じても、いなせは心のどこかでは覚悟していた。青井は、何故、戻らないのかを。眼前に迫ったグロシュラに気づき、彼女はレンを庇うようにして両腕でかき抱く。助けてと、いなせは叫んだ。