うちにはもう、ヒーローがいないの
このお話から視点が変わることを伝え忘れていました。
しばらくは三人称で進むと思います。視点が戻る時は、また前書きなりで報告するつもりです。
青井正義が姿を消してから三日が過ぎていた。ヒーロー派遣会社カラーズの社長、白鳥澪子は手を尽くしたが、彼の行方は杳として知れなかった。
澪子は車椅子を動かし、窓を開けて空を見上げる。天頂に差し掛かった太陽は、彼女の心を晴らしてはくれなかった。
「社長、依頼のお電話が」
顔を向けると、受話器を持ち、困り果てた表情でこちらに視線を遣る九重がいた。
「……うちにはもう、ヒーローがいないの」
「ええと、分かりました。断っておきます」
ヒーローがいないヒーロー派遣会社など、この世に存在する価値がない。否、存在出来ないのだ。しかし、澪子は新たな社員を募集する気にもなれなかった。彼でなくては意味がない。彼女はそう思っている。
青井正義の同居人であった黄前レンと銀川いなせはまだ子供であった。彼がいなくなった後、二人は同じアパートの隣室に住む赤丸夜明に面倒を――――
「お姉さん、また部屋が汚くなってるね」
「材料、買ってきたよ。なんだこの部屋。虫でも飼うつもりなのかい?」
「あああああ、ごめんな、ごめんなあ」
――――面倒を看ていた。何故なら、赤丸に生活能力は備わっていなかったからだ。彼女はレンより家事が出来ず、いなせよりも要領が悪い。そして何より、収入がなかった。三人は、青井の残していった金を頼りに生活している。
「なんて、情けない状況なんだろう……」
赤丸は自分のダメさ加減を痛感し、動き、働く意欲をなくしていた。なんせ何もせずとも当分は暮らせるのだ。おまけに小間使いのような隣人もいる。彼女は堕落する一方であった。
「あがあなやつに助けられとうなんて、うちは、うちは……」
そうして安酒を呷る。悲劇のヒロインじみていて、赤丸は少しだけ酔っていた。
「お姉さん、今日は何が食べたい?」
レンは青井がいなくなる前と同じように甲斐甲斐しく働いた。それは、体を動かすことで彼のことを考えるのを避けているかのようでもある。青井に強く依存していたレンは、実のところ、壊れかけていた。
いなせは二人をじっと見つめた後、日めくりのカレンダーに視線を移した。
「早く帰ってこい。マサヨシ」
「ペガサス・ブレイド様。このスーツの分析の大半が終了しました」
名を呼ばれた男はトレーニングマシンから降り、長い息を吐き出した。
「そうか」
桑染こと、ペガサス・ブレイドは部下から報告書を受け取った。彼は今、組織の長を務めている。逆らえる者は誰もいない。ペガサスは視線を忙しなく動かし、苛立たしげにそれを投げ捨てる。
「……一番大事なところが未だにわかってねえってのは、どういう了見だ?」
睨まれた男は身を竦ませた。ペガサスの力にかかれば、自分の命など石ころも同然であったからだ。
「あのスーツには、その……」
ペガサスは舌打ちする。これは八つ当たりだ。目の前の男を殺したところで何も変わらない。彼は自分でも分かっていたのだ。このスーツは御剣天馬が使っていたものだが、桑染自身が受け継いだものではない。彼はたまたま見つけ、奪ったに過ぎない。真の名前も、実際の性能も、未だ見ぬ武装も、隠れたままなのである。
「いい。調査を続けろ」
「はっ。それから、これはスーツの性能とは別の報告なのですが。……持ち主が分かったようです」
「何?」
「出所が不明だったのですが、御剣天馬のスーツは、どうやら、この街のヒーロー派遣会社に届けられる予定だったとのことです」
ヒーロー派遣会社? ペガサス・ブレイドはスーツの下で眉根を寄せた。曲がりなりにも一級品であり、かつての総理大臣が使っていたものを、一介の派遣会社が手に入れようとしていた。その事実に彼は驚愕する。
「いったい、どこだ? 誰がこれを」
「カラーズという派遣会社ですね。新興の派遣会社だったらしいですが、最近、よく名前を聞くところだと伺っています」
「……そうか。くくっ、そういうことか」
ペガサス・ブレイドが高笑いする。熱気の籠ったトレーニングルームに、彼の声はよく響いた。
「ひっ、ははははは。くく、ようく、分かった。よし、カラーズに仕掛けろ。何か分かるかもしれん。ああ、それから、青井正義の関係者にもな。あいつの住んでいた場所も襲え。潰してしまえ」
「は、はっ? 青井、正義?」
「理由が必要か? ……あの二人を使え。ちょうどいい、どちらの立場が上なのか思い知らせてやる必要があるからな」
「了解しましたぁ! すぐに仕掛けます! 失礼します!」
爛々と輝く瞳は、男からでは分からなかった。ペガサス・ブレイドの胸の内には、青井に対する行き場のない憎しみがごうごうと燃えている。
――――青井。てめえの何もかもをぶっ壊してやる。
数日が経過しても尚、カラーズは活動しなかった。青井の行方、その手がかりさえも掴めず、澪子は一日の殆どをぼんやりとして過ごしていた。彼女を心配に思った九重すらも、何も出来ず、何かしようとは思わなくなっていた。
「ねえ、九重。青井は、私に愛想を尽かしたのかしら」
「……そんなことないです。青井さんは、そんな人じゃないです」
澪子は、ある考えに囚われていた。それは、己の出自についてである。彼女には誰にも言っていないことがあった。出来ることなら、決して口にせず、曝されたくない事柄でもあった。
「あるいは、戻ったのかもしれないわね」
「社長? 何か、言いましたか」
「いいえ、何も」
沈黙の帳が降りる。だが、幕はすぐに上がり始めた。澪子は車椅子を動かし、外に目を遣った。十を超えるワゴン車が近づき、次々とカラーズの前に停まり始めたのである。
「……社長、これは」
「ヒーローって、因果な商売ね」
ペガサス・ブレイドの指示によって集まった戦闘員や幹部は薄汚い雑居ビルを見上げた。
「こんなところに、こんな人数で押しかける必要なんか、あんのかね」
イノシシ型のスーツを着た怪人がぽつりと呟く。彼の部下は同調しかけたが、ペガサス子飼いの部下がいることに気づき、何も言えなくなった。
百を超える戦闘員たちの前に一人の男が立った。シャチ型のスーツを着た男である。彼は杖を突き、今にも倒れてしまいそうな風体だ。だが、シャチ男はペガサス・ブレイド直属の部下である。彼に楯突くことは、あの恐ろしい性能を持つスーツを敵に回すことになるのだ。
「……シャシャシャ……てめえら、目的は分かってるよなあ? こん中で息潜めて隠れてる車椅子のアマを生かして、連れていくことだ。シャシャ、勢い余って殺すんじゃねえぞ? そうなりゃ、俺たちみんなあの人にぶっ殺されちまうからな」
「は、分かってますよ。そんじゃ、戦闘員は周りを囲め。俺たち怪人が中へ行く。気ぃつけろよてめえら、オンボロだがここだってヒーロー派遣会社だ。何が出てくるかわからねえからな!」
イノシシ型の怪人に続き、ダンゴムシ型の怪人が続く。カラーズにヒーローはいないことを予想しつつも、彼らは警戒を怠らなかった。
カラーズに組織の戦闘員たちが襲撃したのと同時刻、青井正義の住んでいたアパートにも組織の手は伸びていた。カラーズへ行った部隊よりも人数は少ないが、怪人も混じっており、アパート一つを落とすのには充分過ぎるほどの戦力である。
下っ端の戦闘員が青井の部屋の前に立ち、中の様子を確かめるべく聞き耳を立てた。
「……音、しませんよ」
「気配は感じられんのか?」
ハヤブサ型の怪人が尋ねるも、下っ端は首を振る。
「おかしいっすね。確か、青井正義はガキ二人と暮らしてるって話なんですが」
「引っ越したか?」
「隣の人に聞いてみます?」
「……俺たちみたいなんが押しかけて、まともに答えてくれると思うか?」
怪人の問いに、下っ端は答えられなかった。夏が過ぎ、季節は秋に近づいていたが、真昼の太陽は未だ容赦ない。スーツをじりじりと照らされ、アパートに押し寄せた者たちは苛々し始めている。
「しゃあない。とりあえず、何かあるかもしれねえし、ドアは無理矢理破っちまうか。おい、俺じゃ無理だ。やってくれ」
「仕方ねえなあ」
ハヤブサ怪人に促され、ゾウ型のスーツを着た大男が前に出る。彼は青井の部屋の前に立つと、首の骨をごきごきと鳴らし、拳を大きく振り上げた。
「パオーン!」
けたたましい音と共にドアが開かれた。青井の部屋のそれが破られたのではない。隣室のドアが開かれたのだ。中から現れたのは、ヒーロースーツに身を包んだ女である。
「ひっ……で、出たっ。あいつは!?」
女の名は赤丸夜明。かつてはヒーロー派遣会社ミストルティンに所属していた、腕利きのヒーローである。しかし、彼女にはヒーローとしての名がなかった。ただ、彼女の持つ巨大な得物の名だけが通っていた。
「な、なんでこんなところに」
「出た、出やがったあ!」
「しゃもじだーーーー!?」
赤丸は広島名物の巨大なしゃもじを武器にしたヒーローである。一時は街に蔓延る戦闘員、怪人たちが酷く恐れた都市伝説のような女であった。その女が何故、青井正義と同じアパートに住んでおり、このタイミングで登場したのか、この場にいる者たちには推し量る暇すら与えられなかった。
「……わりゃあ、覚悟出来とんな?」
「ぱ、ぱお……?」
しゃもじが空を突き進む。赤丸は巨大な得物を軽々と扱っていた。ゾウ男はそこに刻まれた文字、『フラワーフェスティバル』を見つめながら、しかし攻撃を防ぐことは出来ず、中空に浮かされる。激しい痛みに嘔吐し、スーツの中をびちゃびちゃにしながら何事かを喚いた。やがて巨体は宙を舞い、アパートの前の道路に落下する。
赤丸はしゃもじを振るい、戦闘員どもに突き付けた。
「次は誰がぶっ飛びたい? ん?」
にっこりと微笑んだ赤丸を見て、一人の戦闘員が逃げ出した。彼に続こうとした男を見遣り、ハヤブサ型の怪人が翼を広げる。
「ええい、俺がこいつを相手にする! お前ら、このアパートをめちゃくちゃにしてやれ!」
「……いらうな」
「あ?」
「もう、ええけぇ。われ、こんアパートになんかしたら……」
ごくりと、怪人は唾を呑む。楽な任務の筈だった。彼は組織を恨んだ。
戦闘員たちは赤丸とハヤブサ男の戦闘を見守っていた。というか手を出したら簡単にふっ飛ばされて痛い目に遭うのが見えていたのである。
「が、頑張れー」
「負けないでくださーい!」
「てめえらああああ!」
ハヤブサ男は激怒した。彼は翼を広げて、低空を疾駆した。男のスーツの性能は低くはないが、飛び抜けていいものでもない。飛行ユニットはついているが、高速移動を可能にする程度で、空を自在に飛べるようなものではなかった。
赤丸は腰を落とし、しゃもじを振り抜く。ハヤブサは寸前で動きを止めて攻撃を回避した。が、彼女の攻撃は空を切っただけで凄まじい風圧である。男の額に汗が伝う。音と衝撃が、ハヤブサ男の覚悟を鈍らせた。
「かかってきいや」
「畜生!」
もはや特攻である。男は涙を流しながら突っ込んだ。しかし、赤丸はまだ何もされていないのにふらついてしまう。ハヤブサ怪人はぴたりと動きを止めた。
「……なんだ。お前?」
「う、ううう……」
赤丸は膝をつき、口元を手で押さえる。よく見れば彼女の顔色は悪かった。ハヤブサはじっと赤丸の様子を見つめる。
「ああああああぁぁぁぁ頭いたぁぁぁぁぁ」
「まさか、お前。ヒーローだろ? なあ? 自覚とかねえの?」
二日酔いであった。赤丸はここ数日の間、飲んだくれていたせいで、安酒の酒気が全身に回り抜け切らないでいたのである。彼女は思った。レンのつまみが美味いのがいけないのだと。
「あがん。吐ぎぞう」
「え、ええーい! やれっ、お前らこの女をボコれーっ」
戦闘員たちは顔を見合わせる。
「了解!」
「弱ってるんなら俺らにだってやれるぜ!」
「ヒャハー!」
三人の男が飛び掛かった。赤丸は立ち上がって応戦しようとするも、足がふらついてよろめいて、アパートの壁に頭をぶつける。その衝撃で盛大に胃の内容物をぶちまけた。




