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ヒーローが泣いてはならないんだ!


 そうか。そうかよ。俺が憎いかよ。

 ああ、くそう。いてえ。体がいてえ。……桑染は俺の同期だった。下っ端時代、俺はあいつと一緒に走り回って逃げ回って、ヒーローに殴られまくった。ウマの合うやつだった。こんなところで働いているくせに、妙にへたれで、変なところでうるさいやつだった。

 だが、あの日、あの夜、あいつはバスに乗り遅れた。俺はその日、白鳥澪子と出会った。桑染はその時、ペガサスのスーツを着ていたのだろう。



 意識は失っちゃいなかった。俺は廊下の壁に手をつき、ゆっくりと歩を進める。何かが起きようとしていた。いや、とっくに事は起きていたんだ。とにかく、江戸さんたちと合流しなくちゃあならない。……だが、ペガサスこと桑染は、どっちから来ていた?



 控え室には誰もいなかったが、部屋の中はむちゃくちゃに荒らされていた。僅かだが、床には血の痕が見受けられる。ここで、戦っていたんだ。まずい。あの野郎、動きやがったんだ。しかも組織の中で! だが考えなしに動いているわけじゃない。あのペガサスのスーツに信頼を置いている。ここで暴れても、どうにかなると思った末での行動だろう。まず、桑染は一人じゃない。部下がいる。力がある。無理矢理に従えさせているのかもしれないが、あの力に心酔する者だっているだろう。分かりやすい力は人を集めさせる。……エスメラルド様が危ない。

「くそがっ」

 俺はロッカーを開けたが、数字付きのスーツは引き裂かれて使い物にならない。生身で、素手でどうにかする他ない。



 組織中を走り回る。廊下を駆ける。階段を下る。だけど、誰もいない。どうしてだ。こんなこと、今までになかっただろうが!

 駐車場へ向かう。車がある。そこからなら逃げられるだろうと思ったのだ。が、

「……っ!?」

 階段を下りきったところで、俺は物陰から刃物を突き付けられた。息が止まり、つうと冷や汗が流れる。

「君か、十三番」

「江戸さんっ!?」

 江戸さんだ。彼がいた。が、得物を引いた江戸さんの身体はぼろぼろだった。恐らく、控え室の血は彼のものだろう。この人がここまでやられるなんて、相手はもうやつしか考えられん。

「さっき、ペガサスにやられました。江戸さん、今、組織はどうなってるんです?」

「組織? 組織か。くく、別にどうもなっちゃいないさ」

 江戸さんは喉の奥で噛み殺すような笑みを漏らす。

「誰が頭になっても、組織には変わりのない事なんだ。……十三番。エスメラルド様が地下の駐車場にいる。数字付きは護衛として半数を傍に置いてきた。出入口にはペガサスの部下がいるだろう。なんとしても、あの方を脱出させなければならない。私が姿を見せて囮となろう。なに、腐っても血を流しても、私はエスメラルド様の右腕だ。その価値はあるはずだよ」

「何を言っているんですか。あなたも一緒に逃げるんですよ」

「だめだ。足手まといになる。それに、ペガサスたちを引きつける役目は必要になるんだ。いいか十三番、何が起きたのか教えておく。我々は奇襲を受けたわけではない。ペガサスを四天王にするかどうかの会議は行われていたんだよ。エスメラルド様、グロシュラ、クンツァイトの三人が集まっている部屋に、あの男はふらりと現れたのだ」

 俺は何も言えずにいた。その先の話は、予想がつく。

「正面からだ。その部屋の前には護衛として数人の怪人がいた。私もいた。だが、だがっ、一分と掛からず倒されてしまったっ。中にいたエスメラルド様は上手く逃げられたが、立ち向かったグロシュラとクンツァイトは壁に叩き付けられ、動かなかった。化け物。そういったレベルではない。あのペガサスのスーツは……確か、アレは……」

 四天王が三人いても、敵わないのか。どうすんだ。そんなもの。そんなやつ、どうしろってんだ。

「いや、今は考えても仕方のないことか。ペガサスの男はこの組織を乗っ取ろうとしているらしい。クーデターというやつだよ。やつに与しない他の戦闘員は隠れているか、既に倒されている。一方で大多数の怪人や戦闘員がペガサス側についた。そして残念だが、戦闘は終わっているんだ。十三番、逃げるんだ。もう私たちは、負けたんだよ」

 馬鹿な、とは言わなかった。そんなものなのだ。一組織の瓦解など、蟻の巣穴のような小さなところから崩壊する。それも一息に、短い間に。きっと桑染は、あのスーツを手に入れてから徐々に策を巡らせていたのだろう。気づけなかった俺たちが悪い。俺たちの負けだった。不思議と、絶望感はなかった。先刻、あいつにぶちのめされた時に何もかもを覚悟していたからかもしれない。

「逃げられるんですか。そんな状況で」

 出入口は固められている。地下を抑えられるのも時間の問題だろう。

「出来るさ。君になら。……私が先に飛び出す。君は、私の車の横に停めてあるワゴンへ向かってくれ。そこにエスメラルド様がおられる。頼むぞ」

「江戸さんっ」

「頼んだぞ青井正義、あの方を任せた!」

 俺になら? そんなの買い被りだ。俺は反論しようとしたが、江戸さんはもう走り出していた。何故か、彼の後姿が透けて見えたような気がした。



 駐車場に足音が響く。怒号もだ。

「いたぞっ、江戸だ! エスメラルドの右腕だ!」

「あいつを仕留めろっ、絶対に逃がすな!」

 たぶん、考えなくちゃならないことは山ほどあったんだろう。けど、もう遅い。俺は車の陰から陰へ移動しつつ、江戸さんのスポーツカーを発見した。滑り込むようにして身を潜ませると、右隣のワゴンを見遣った。

「青井かっ」

 ワゴンから数字付きが顔を出す。……車内には三人しか乗っていない。

「他の連中はどうしたっ」

「江戸さんと動きを合わせたっ」

「早く乗れって!」

 運転席には誰も座っていない。エスメラルド様は助手席でシートベルトを締めているが、疲れ切ったように目を瞑っていた。眠ってはいない。目立った外傷もなかったので安心した。速く、速くここから逃げなければ。

「ぼさっとしてんな、車出せって!」

「青井。お前、免許持ってたっけ?」

「ああ? 何言ってんだこんな時に。持ってねえよ前にも言ったじゃねえか。結構前に教習所通ってたけど学科には全然通らなかったってよ」

 せっぱつまってんだぞ。嫌なこと思い出させんじゃねえよ。

「じゃあ、実技はそこそこいけるんだよな? オートマだからなんとかなるだろ。お前ら、出んぞ」

「……おう。じゃあな、青井。今まで楽しかったぜ」

「エスメラルド様を頼んだ。ちゃんと逃げろよ? アクセルとブレーキのペダル間違えたらぶっ飛ばすからな」

 な、何を言っているんだこいつら。

「おい。おいっ、やめろっ、待てって!」

 三人は車から降りた。俺も追いかけようとした。

「さっさと行けよ! スーツも着てねえ役立たずがよう! お前なんざ数字付きで一番の下っ端なんだっ。俺ら先輩の言うことをたまには聞きやがれ!」

「ああっ、その通りだ。失せろボケが!」

 大声を出したのは、俺の退路を断つ為なのだろう。ぼやぼやしていたら、追っ手がここまで来る。……馬鹿野郎どもが。

 俺は運転席に座り、キーを捻った。教習所で聞き流していたはずのことを死に物狂いで思い出す。

「よっしゃ、ゆっくりでいいから車動かせ」

 数字付きは車の横に立ち、俺に指示を出し始めた。彼らに守られる形で、俺はアクセルペダルを少しだけ踏む。少しずつ動いていく。

「いいぞ。そう、そうだ。まだ焦んじゃねえぞ。……出口の場所は分かるよな? とにかくスピード出しまくれ。外に出られさえすればなんとかなる。車ぶっ壊してもいいから、人通りの多いところへ逃げろ」

 答えられず、俺は小さく頷くだけだ。

 エスメラルド様が隣にいる。あんなに強かった彼女は、まるで普通の女の子のように見えた。

「ここで停まれ。あとは、お前だけだ。隙を見つけて一気に突っ込んでくれや」

「……ああ、分かった」

「じゃあな。ちょっくら行ってくらあ」

「おっしゃあっ、あの馬ぶん殴ってきてやんぜ」

 数字付きはもう、俺たちの方を振り返らなかった。



「どうして。どうして、俺なんだ」

 この運転席に座るのは俺じゃなくてもよかったはずだ。江戸さんや、数字付きの一番の方が向いている。なのに、なんでだよ。

「……なあ、アオイ」

「は、はい」名前を呼ばれて、俺はハンドルを強く握りしめていたことに気づいた。慌てて手を離す。

 エスメラルド様は窓を開けて、駐車場の暗闇に目を向けた。

「お前は、ここが好きだったか?」

 この組織には長いこと世話になった。だが、好きか嫌いかでは答えられない。好きだし、嫌いなんだ。考え出すとごちゃごちゃになっちまう。

「分かりません。けど、俺はここにいる人たちのことが好きなんだと思います」

「そっか。ごめんな。……ごめん。私は、お前らの好きな場所も、好きなやつらも守れなかった。なあ、私が嫌いか? 嫌いになっちゃったか?」

「いいえ。俺はあなたの数字付きです。嫌いになんかなりませんよ」

 エスメラルド様が桑染を四天王に推さなくても、あいつならいつか必ず行動を起こしていただろうな。恨まないさ。恨めるはずがない。

「うん。うん、ありがとうな」

 素直だった。たぶん、エスメラルド様も弱っているのだろう。江戸さんが、数字付きが、グロシュラやクンツァイトが倒される様を見ていたのだ。いつもの彼女なら、皆を見捨てるような真似はしないはずだ。一人だけ逃げるなんてしないはずだ。……ああ、そうか。そういうことか。俺がいるからか。役立たずで力もない俺がいるからか。君にならって、そういう意味か。俺がエスメラルド様を命を捨ててでも守らなきゃいけないのと同じように、彼女もまた、俺みたいなよわっちいやつを守らなきゃいけないんだ。だから、わがままを言えないんだ。

 俺が、弱いからか。

 もっと強けりゃあよかったのかな。そうすりゃあ、あの時桑染を止めることが出来たんだ。……あの日の夜、桑染や他のやつらを見捨てずに済んだんだ。

「アオイ? アオイ、泣いてるのか?」

「いいえ。いいえ、泣いてなんかいませんよ」

 涙が止まらなかった。馬鹿か俺は。こんな時に。こんな時に泣いてるだけで、何も!



 車を発進させる。心臓が痛いくらいに鳴っている。手汗が止まらない。戦いの音はまだ止んでいない。

「行きます」

 ペダルを踏み込む。こっちに気づいた戦闘員がいた。もしかしたら、同じ任務についていた仲間だったのかもしれない。もう、敵だ。

「退けっ」スピードを上げろ。

 前だけを見ろ。後ろを見るな。数字付きがぶっ飛ばされたのも、江戸さんが得物を振るうのも、怪人どもが追っかけてきているのも何もかも振り切ってしまえ。

「いけっ、青井!」

「絶対戻ってくるんじゃねえぞ!」

 声が聞こえてくる。

「その車に手ぇ出すやつは皆殺しにしてやるからよう、こっちにかかってこいやあ!」

 エスメラルド様は窓ガラスを叩き割って、吼えた。彼女は泣いている。だが、月夜に吼える狼のように気高かった。

「退けよ!? 退いてくれえええええええええっ!」

 戦闘員どもが横っ飛びで逃げていく。だが、前方に、純白の天馬が舞い降りた。天井に穴が開いている。くそがっ、床ぶち抜いて来やがったかよ。

「アオイっ、私を降ろせ! お前だけでもっ」

 エスメラルド様がシートベルトを外そうとした瞬間、


「おおおおおぉぉおああああああああああ――――っ!」


「グロシュラ!?」

 桑染を追いかけるようにして、天井に開いた穴からグロシュラとクンツァイトが飛び降りる。不意を打たれた桑染は彼らの攻撃を受けて後退した。俺は車の速度を少しだけ落として、突撃のタイミングを見計らう。

「行きたまえ十三番!」

 グロシュラが、クンツァイトが次々と倒れていく。江戸さんが二刀を振るい、桑染を壁際に追い詰めた。

「車を出せっ、アオイ!」

 くそっ、くそ! くそっ、もうここには戻れねえ! もう皆とは!

「泣いてはならないぞ!」

 声が。

「涙を見せるなっ!」

 声が遠ざかっていく。

「君は! ヒーローが泣いてはならないんだ!」

 出口を突っ切る。地下を抜けると月明かりが俺たちを出迎えた。外は嘘のように静かだった。

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