表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/137

ヒーローとは何ぞや?



 ヒーローとは何ぞや。

 そう思った幼い頃の俺は辞書を開いたり、親に尋ねたりした筈だ。そうして得た答えは単純且つ明快なものであった。ヒーローとは英雄であり、主人公である、と。ヒーローとは人知を超えた力を持ち、救世主的な行為を行う者の事らしい。仮面をつけたライダーだったり、三分間だけ大きくなれる人間だったり、五人揃って悪を打ち滅ぼしたり。

 じゃあ、どうすればヒーローになれるんだ?

 そう思った俺は、やっぱり辞書と親に答えを求めた。でも、そいつは得られなかった。今でもそうだ。俺は何も分からず、何も知らず、ただ、何かを求めている。しかし、しかしだ。思うに、ヒーローとはいわば正義。なら、その逆に位置するモノが必要になる。即ち、悪。悪い奴がいて初めて、正義ってもんが出てきて、ヒーローだと持てはやされるんじゃあないか?

 正義と悪。

 誰が、どう決めるものなのか、俺には良く分からない。何が正しくて、何が間違っているのか。誰が正しくて、誰が間違っているのか。俺には分からない。

 ヒーローって何だ?

 分からないまま、今日が来る。見ず知らずの誰かが守り、作ってくれた今を生きる。俺に許されたのは、それぐらいだった。



「おい、寝ぼけてんじゃねえぞ」

 何者かに揺さぶられて、俺は目を覚ました。どうやら、少しまどろんでいたらしい。いかんな、これから仕事だってのに。

「そろそろ着く。お仕事の始まりだよ……っと」

 何か、石の上にでも乗り上げてしまったのだろう。バスが大きく揺れた。そのせいで、満員の車内にはどよめきが起こる。俺と同じく、眠っていた者も目を覚ましたに違いない。ふと、窓の外に目を遣ると、外は暗く、何も見えなかった。

「今、何時だ?」

 尋ねると、隣の席に座った男が左腕の手首に目を落とす。しかし、そこには時計など巻かれていない。

「ああ、着替えていたんだった。悪いな、分からねえよ」

「そうか」と呟き、俺は目を瞑った。眠る為じゃない。今日の段取りを頭の中で整理する為だ。

「おい、二度寝かよ。だからお前はうだつが上がらねえんだ。いつまで経っても変わらない。いつまでこんな事やってりゃ良いんだっつーの」

 が、声を掛けられて思考は中断させられる。尤も、改めて確認するまでもない。俺たち下っ端は、いつだってやる事は一つしかない。

「今晩の相手、誰だっけ」

 前の席の奴が、身を乗り出して俺に尋ねてくる。きっと、そいつは馬鹿面下げてるに違いない。

「お前、何年目だよ?」

 俺よりも先に、隣の男が声を発した。声色から、苛立っているのが分かる。まあ、そりゃそうだろう。さあ今からやるぞって時に、どうしてそんな事を質問出来るのかが分からない。下っ端の身分とはいえ、ある程度相手を知っておくのに越した事はないんだ。そうすりゃ、次があるかもしれない。今回は、生きて帰れるかもしれないんだから。

「四年目。や、先週は風邪で休んでてさ、何にも情報入ってないんだよ」

「だったら同期の連中なり先輩なり、誰かに聞けば良いだろうが。てめえ、いつまでルーキー気分だよ。……あ? 四年?」

 隣の男が腕を組む。何か考えているらしかった。

「お察しの通り。俺の同期は前回、殆どが病院送りの面会謝絶。正直、風邪引いてて助かったとは思ってるよ」

 なるほど、羨ましい。出来る事なら、俺だって先週は休みたかったよ。何せ奴らときたら、新兵器なんか持ち出してきやがって、試し撃ちだか何だか知らないが、こっちは必要以上に負傷者が出ちまった。俺だって前線に上がっていたら危なかった。

「同期が駄目なら先輩に聞けよ」

 隣の男がそう言うと、前の席の男は頭に手を遣る。

「いや、俺、先輩方には嫌われてるらしくって」

「だろうな」俺は苦笑した。

「と言うか、俺たちもお前の言う先輩に当たるんだがな」

「うええっ? マジっスか? ぜんっぜん分からなかったっス」

 窓を見る。そりゃそうだろう。顔や服装で見分けが付く訳がない。俺たちは皆同じ服を着ていて、同じマスクをしているんだからな。

「ま、気張る必要はねえよ。今日に限っちゃ、倉庫に置いてあるもんをちっとだけ持ってくだけだ」

 その通り。尤も、持ってくもんは俺たちのもんじゃない。中身だって知らない。箱を奪えってのが俺たち下っ端に下された命令だ。見ず知らずの誰かさんが後生大事に隠してたもんらしいが、こっちは仕事だ。関係ねえ。

「時間ピッタリに着きゃあ、船に運び込む瞬間を狙える。適当にボコって、適当にやりゃあ良い」

 俺は頷く。前の席の男はううんと唸った。

「でも、そう上手くいくんスかね? ほら、前ん時だって……」

「だああああ! やめろよそういう事言うのはよう!」

 誰かが立ち上がる。見ると、上背のある、結構ガタイの良い奴だった。

「変なフラグ立っちまうだろ!?」

「あ、え、えへ。すんません」

「お、着いたぞ」バスが止まり、俺たちは誰ともなしに立ち上がる。緊張感なんてかけらもない。楽しい楽しいお仕事の始まりだ。



 ぞろぞろと、雁首揃えてバスから降りる。仲間、同僚である黒ずくめの集団を見回してから、俺は一人の男に視線を移した。

「こっからは歩きな」

 チーフは俺たちを見回して、溜め息を吐く。彼はいつだってそうだ。憂鬱そうに仕事に臨む。俺よりも年上で、俺よりも高い位置にいるのに。

「作戦なんて大層なもんはナシ。襲って奪え。そんだけ」

「あーい」

 気のない返事がそこらから聞こえる。だが、チーフはそれを咎めない。

 チーフは、俺たち下っ端を指揮する立場にいる。真っ黒なタイツコスチュームってのは俺たちと変わらないが、組織からもらったと聞く、金色の悪趣味なバッジを胸につけていた。見分けを付ける為だ。が、六年目の俺はバッジなんかなくてもチーフだけは見分けられる。人一倍やる気なさそうにしているのが彼だからだ。戦闘中だと言うのに肩を落として、だらだらと歩く奴を、俺はチーフ以外に知らない。

「あ、詮索もナシね。んで、バスは三十分しか待たないから。遅れて戻ってきた奴は帰りも歩きね」

 情けない声がそこかしこから漏れる。チーフは小さく笑った。



 その日、ヒーローは現れなかった。



 早朝の駅前は混雑していた。学校に行く学生。会社に行く会社員。各々があるべき場所に向かう。誰だって他人の事は気にしていられない。この時間帯は一分一秒だって無駄にしたくない。

「お願いしまーす!」

 が、人の集まる場所にはそれを見越した者も来る。有り体に言えばビラ配りの連中だ。ここ最近は、そういった奴らが増えている。そんで、中身も一緒。俺は、この手のチラシは全てもらう事にしている。何の事はない。ただの、話の種になるかと思って、だ。

「……お願いします」

 その中で、むすっとした顔の少女を見掛けた。ここいらじゃあ初めて見る顔だ。小さな女の子が珍しいってのもあるが、彼女、車椅子だった。別に、同情を引こうとしている訳じゃないんだろう。だったら、もっと愛想良くしているだろうからな。

 とりあえず、俺はその子からチラシをもらった。折り畳んでジーンズのポケットにねじ込む。受け取ったにも関わらず、女の子からのお礼の言葉はなかった。少なくとも、俺には何も聞こえなかった。



 ホームで電車を待っている間、俺はポケットに突っ込んでいたチラシを取り出す。良く見ると、それはスーパーのチラシを再利用したものらしい。涙ぐましい。どこも金に困っているんだなあ。が、金に困っているのは俺もだ。と言うか、誰もが、今も、何かに困っている。

 ……俺が生まれるよりももっと前、この国の国会と呼ばれる場所は、文字通り崩壊した。詳しい事は未だに分かっていない。別段、知りたくもない。それよりも前は、今よりも随分と平和だったらしい。国民はのほほんと暮らしていたそうだ。いや、そいつは今も変わらないか。

 ともかく、日本は無法状態となった。そりゃそうだろう。国民の代表機関、国権の最高機関、国の唯一の立法機関なんて呼ばれるところから壊れちゃったんだから。両親や爺ちゃんから聞かされた限り、それはもう酷い事になっていたらしい。人は死に、殺され、街は壊れて滅んでいった。国としての機能は既になく、他国だって見て見ぬ振りを通したそうだ。

 でも、ちゃんとある。人はまだ生きてるし、街だってある。日本って国は、きちんと世界地図に載っている。この国を救ったのは、ヒーローと呼んで差し支えない傑物だった。当時の内閣総理大臣である、御剣天馬(みつるぎ てんま)だ。尤も、形だけ。肩書きはあるが、ないに等しい。空っぽの総理大臣だ。けど、彼はやり遂げた。成し遂げた。日本という国を、見事再生したのだ。ヒーロースーツで。

 ヒーロースーツ、だ。

 何もふざけている訳じゃない。少なくとも、当時の総理大臣は真面目そのものだったに違いない。ヒーロースーツってのは、長ったらしいからとマスコミが縮めて広めた通称である。元の名前は身体強化なんちゃら甲殻だの。名前はどうであれ、性能は凄まじかった。何せ着るだけで良い。誇張ではなく、パンチは岩を砕き、キックは鉄ですら粉砕する。どこの科学者に作らせたのか、当時の人間にとっては全く夢の世界、お伽話にも思えただったろう。テレビで見ていたような奴が、そっから抜け出して野党議員やら暴力団をボッコボコにしていくのだから。力には力だ。御剣は恐ろしい力を持ったヒーロー部隊を組織し、一年ほどで国を治めて纏め上げたのである。無論、反発する者も多く出た。無理矢理だもんな。思いつくだけならともかく、正直、内閣総理大臣なんて肩書き持った人間のやるこったない。変態の領域である。が、誰も、何も言えなかっただろう。言えば、でこぴんで軽く数メートルは吹っ飛ばされるのだから。

 しかし、その後がよろしくなかった。凄まじい性能を秘めたスーツを、御剣以外の人間が欲しがらない筈がない。勿論、御剣も自分だけのものにしたかったのだろうが、金の魔力には誰だって逆らえない。ヒーロースーツの技術は民間にも流出してしまったのだ。力には力だ。力でもぎ取った平和なら、力で奪われる、失くされるのも仕方のない事かもしれない。スーツの使用に関して、規制、法案が可決されたが時既に遅し。好き勝手にやる者は後を絶たなかった。

 再び、ヒーローは現れる。

 だけど、彼らを応援する者は誰もいなかった。もはや、スーツがあるのが当たり前になっていたからだろう。貴重であれば有り難がる。だけど、スーツを着た者が犯罪を起こすのだからとんでもない。犯罪者を取り締まる為に、別のスーツを着た者が現れる。一般人からすりゃ、ある意味マッチポンプ。かくて、日本はヒーローとヒールが当たり前のように闊歩する国になってしまった。

『ヒーロー派遣会社、社員募集中』

 俺はさっきもらったチラシを捨てた。

 そう、当たり前なんだ。俺が生まれた時にはもう、悪の組織と呼ばれるような存在も、正義の使者と呼ばれる奴らも、普通にそこにいた。毎日のように、どこかで誰かがスーツを着込む。スーツを着込めば犯罪が起きる。犯罪が起きればヒーローが飛び出す。

 子供たちは蔓延るヒーローを見限ってしまった。今でも、大人になったらなりたい職業はプロ野球選手辺りが強い。ヒーローになりたいなんて言うガキは滅多にいない。もはや、ヒーローとは職業なのだ。さっきのチラシみたく、ヒーローを雇い、有事の際に派遣する会社も今じゃ珍しくなくなった。時給が幾らかを計算する、安い英雄はこの街にもいる。きっと、どこにだっているんだろう。スーツは、一応は流通しているが、表立って売っている訳じゃない。それなりに高いし、許可なしに扱うのはやばい。七面倒な手続きを済ませて、そこで初めてヒーローを名乗れる。だけど、すぐに活躍出来る訳でもない。石を投げればヒーローに当たるような世の中だ。報奨金や依頼金目当てで、ヒーローからすりゃ犯罪者は獲物に近い。砂糖に群がる蟻のように、いくらでも湧いて、集ってくる。海千山千、鷹の目を掻い潜るのは至難の業だ。時には、ヒーロー同士での小競り合いも起こる。もはや、奴らをヒーローとは呼べないのかもしれない。



「青井、青井」

 名前を呼ばれて、俺は振り向いた。

「昨日は良かったよなあ、楽な仕事で。結局、誰も来なかったもんなあ」

「下調べが完璧だったんだろ。あん時、大概のヒーローさんは出払ってたらしいぜ」

「へえ」俺の対面のパイプ椅子を引き、人の良さそうな笑みを浮かべる男。彼の名は桑染(くわぞめ)。俺の同期だ。だけど油断してはならない。何故なら、俺たちは悪い連中だからだ。

 桑染は紙コップに注いだばかりのコーヒーを口にする。不味いのに、良く飲めるな。下っ端に割り当てられた控え室にはろくなものがない。ロッカーだって数人と共用しなきゃならない。そこに戦闘用のスーツ押し込めてるから、洗濯を欠かすとえげつない臭いが鼻を突き刺す。

 埃っぽく、照明の切れ掛けた部屋。ロッカーと机、パイプ椅子。それ以外にゃ目ぼしいもんは見当たらない。ここが、俺の仕事場だ。つっても、ここでするべき事は殆どない。実際、下っ端は現場でひいこら言いながら動き回るのが仕事だ。

「ま、金さえもらえりゃ何だって良いさ。それより青井、ボード見たよな?」

「名前で呼ぶのやめろって言ってんだろ。……ボードなら見たよ。けど、俺らにゃ関係ねえだろ」

 ボードと言うのは、入り口近くに置いてあるホワイトボードの事だ。連絡事項やら、くだらない落書きなんかが残されている。桑染が言っているのは、今回の人事異動について、だろう。

「あの野郎、俺たちを差し置いて怪人に出世だぜ。あーあー、今度あいつん下ついたらさ、えっらそうにアゴで扱き使われるんだろうな。後輩に追い抜かれてさー、もう涙も出ない。つーかどうでもいい。どーでもいーわきゃーねーよなー、もっと良いスーツもらってさー、給料上げてもらってさー、もうさ、家業継ごうかな。いや、商店街の酒屋なんだけどさ。最近、ショッピングセンターが建って客足が遠のいてるんだけどさ」

「やめろよ、欝になる」

 俺の勤め先は、噛み砕いて言えば悪の組織、である。詳しい実体は良く知らない。高校を卒業してふらふらしていた頃、組織の最下層、ピラミッドの一番下の戦闘員としてスカウトされて六年、特に何かをやった訳でもなく、今に至る。ちいせえ仕事を割り当てられて、二十歳を過ぎて走り回るのが俺の仕事だ。

 六年経っても実体を掴めていないのは、俺がド下っ端であるのに加えて、そもそも、ここには実体なんて確かなものがないから、だろう。悪の組織なんて言っちまったが、大それた目的なんかも聞いた事がない。世界征服なんて大層なもん掲げてたらとっくに辞めてたろうが。

 そんな組織にも、一応は序列が存在する。縦割り社会はどこにだって存在するのだ。俺たち戦闘員、俺らを指揮、監督するチーフ戦闘員、その上には怪人と呼ばれる奴らがいる。怪人ってのは特注のスーツをあつらえてもらった、優秀な戦闘員として俺は認識している。更に、その上には四天王と呼ばれる怪人がいやがる。まだ、見た事はないが。まあ、いるんだろう。んでもって、組織を束ねる親玉だ。勿論、会った事も見た事もない。

「いつまで『ごっこ』やってるのかね、俺たち」

 桑染はコーヒーを啜った。俺は答えられなかった。答えるまでもなかったからだ。そんなもん決まってる。死ぬまで、だ。俺たちみたいなクズやらグズは、ヒーローに刈られる悪役になるべくしてなったんだから。ヒーローや悪者がどれだけ身近なものになったって、まともな神経してれば、こうはならない。俺の父親は平凡な会社ながら、定年まで無事に勤め上げ、退職金を元に母親と一緒に田舎に引っ込んだ。今頃は農作物の育ち具合に一喜一憂しているだろう。俺は人様に迷惑を掛けてばかりだ。勘違いしているつもりはない。ヒールが当たり前になった世界だって、悪い事は悪い。法律だって存在している。俺は今や、立派な犯罪者だ。どこへ出しても恥ずかしくない悪の組織の戦闘員だ。

 戦闘員は体力が命だ。むしろ健康であればそれだけでも良い。若ければ若いほど、良い。俺はまだ二十代で、体だって鈍らないように鍛えている。でも、来年は? 再来年は? 五年経てば、もう三十も見えてくる。その時、まだ、走れるのか? まだ戦えるのか? 答えは、きっとノーだろう。そうに違いない。

「六年、粘った方じゃねえの?」

 桑染は俺を見ずに言う。こいつだって、辛いんだろう。六年経っても、いつまでやってもうだつが上がらない。このまま安い固定給と、雀の涙ほどのボーナスで、死ぬまで働かされる。何も残らない。何も遺せない。明日どころか、今日を生きるのに精一杯だ。潮時、なのだろう。



 この日の仕事はいつも通りに最悪だった。二匹目のどじょうなんか、どこにだっていやしない。誰だってそんな事は分かってる。だけど、上から『行け』と言われりゃ行くしかない。昨日と同じ倉庫を襲ったが、案の定ヒーローどもが待ち伏せてた。怪人に出世したばかりの後輩は、カラスみてえなスーツを着て張り切っていたが、呆気なくボコられた。四対一でしばかれた。俺たち下っ端は逃げ出した。逃亡は禁止されていないし、何よりも命あっての物種である。三十人の戦闘員は怪人を見捨てて、必死に走った。俺がバスまで辿り着いた時、一緒に逃げてきた戦闘員の内、三分の一は消えていた。多分、逃げている途中で他のヒーローに捕まってしまったんだろう。運転手はこれ以上待てないと、残った者を置いてバスを発車させた。席についてほっと一息吐いた時、桑染がどこにもいなかった事に気付いた。



 保険なんかない。

 福利厚生なんかない。

 謝罪の言葉だって聞かされない。

 俺たち下っ端には何もない。使い捨ての盾。次から次に補充される消耗品でしかない。何も……いや、俺には、少なくとも、俺には何もないんだ。残ったもんも、辛うじて握り締めてるもんも、いつかはなくなっちまうだろう。分かってるけど、どうする事も出来ないんだ。しようがないだろう。金がない。力がない。友達だっていつの間にかいなくなる。

 そんな事を、電車に揺られながら考えていた。終わりにしようと考えていた。俺も、引っ込むかな。両親に事情を話して、俺も、畑を……。

「あ……」

 そこまで思い至った時、涙が出てきた。情けなかったからか、悲しかったからか、分からなかった。俺、六年も何をしてたんだろう。うん、辞めちまおうか。悪の組織なんて、どうしてやってこられたんだ俺は。あ、馬鹿だからか。グズだからか。クズだからか。

 ホームに下りると、今朝捨てたのと同じチラシが落ちていた。多分、俺のじゃあない。あの、車椅子の女の子が手ずから配ったものを、誰かが何の気なしに受け取り、何も考えずに放ったんだろう。俺は少女に対して、申し訳ないような、そんな気分に陥ってしまう。めらんこりー。駄目だ。俺は馬鹿だから、考えれば考えるほど深みにはまる。もう、とりあえず今日はよそう。考えるのは寝て、起きてからだ。幸い、明日は土曜日で休みだし。



 改札を通って駅前に出ると、流石に今朝とは違い、閑散としていた。だけど、俺は見つける。今朝と変わらない、その一点を。

 車椅子の子だ。彼女はまだ、チラシを配っている。たった一人で、誰の手も借りずに、自らの力だけで。

 ただ、チラシを配っているだけだ。それなのに、彼女のそれは、何故か、とてつもなく崇高な行為に思えた。曲がりなりにも悪の組織の戦闘員であるこの俺が、そう思わされたのだ。気付けば、足は少女の方に向いている。この先について、俺は何一つ考えていなかった。ただ、彼女がチラシを配っている姿を認めた瞬間、憑き物が落ちたような、そんな気にさせられたのは確かだ。だから、だろうか。

「なあ」

 馬鹿だ。

 俺は馬鹿だ。

 何を考えてやがる。

 俺は、どこで、何をしてきたクソ野郎だ?

「これさ、電話番号とか書いてねえぞ」



 ヒーローとは何ぞや?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ