*はじめに
そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。
――『マタイによる福音書』第二五章四六節
桜野と僕が、土砂崩れによって地中に埋まってしまった天地邸に閉じ込められ、その状況下における連続殺人事件に巻き込まれたのは、本書の出版から半年ほど前のことだ。
もちろん三日目に桜野と僕は生きて救出されたし、事件の犯人や犯行方法、動機はすべて桜野によって暴かれ、事件は解決した。
本書はその顛末を綴った探偵小説である。
名探偵・桜野美海子が主人公であり、僕――塚場壮太はその語り部だ。
さて、どうして『はじめに』と銘打って冒頭にこんな文章を付けるのかと云えば、それは古き良き探偵小説の礼節に従って、フェアプレーを尽くすために他ならない。
今や探偵小説には実に様々なタイプがある。
必ずしもすべての手掛かりを提示し、読者にも真相を看破することが可能な条件のもと、謎解きを展開するものばかりではなくなっている。驚きや真新しさのために、執拗なドンデン返しであったり、何か超常的な要素や舞台設定であったりを用いている作品、あるいは謎解きの要素を含みつつも、むしろ人物やドラマ、社会問題を描くことに重点が置かれている作品も珍しくない。
しかし本書は、様々な広がりを見せる探偵小説の中で、その王道を征くものであることを宣言する。
主軸に据えられ、前面に押し出されるのはフェアな謎解きだ。それでこそ、人物やドラマ、社会問題をも効果的に描ける。そして探偵小説が持つ普遍的な面白みに加えて、驚きや真新しさまで充分に実現できると証明することこそが、ひとつの目的なのだ。
もっとも、これは僕の野心と云うより、桜野が、彼女の活躍を小説にして生計を立てている僕に対して、常日頃から要求している条件である。彼女は自らがその手の探偵小説をこよなく愛するため、僕の小説がその条件を満たしていない場合には、発表を許してくれない。
本書も、探偵小説に対するこだわりの強さにおいて他の追随を許さない、オタクの中のオタクである彼女から何度もコテンパンにされながら改稿を重ね、ようやくお許しが出た内容だ。だからこの小説のフェアプレー性や完成度について、僕のことはともかく、彼女のことは信じてもらって良いと思う。著者としては情けない保証の仕方だけれど……。
話を戻そう。本編を開始する前に、構成を説明しておきたい。
本編は基本的に僕の一人称視点だ。時系列に沿い、当時の僕の知識や認識の範囲を逸脱することなく記述していく。ただし、その合間合間に、事件の関係者のひとりである、天地総一郎の手記から抜粋した文章を五回に分けて掲載する。
この手記は、事件が解決した後に、天地邸から発見されたものだ。
つまり桜野はこの手記なくして真相に辿り着いたわけだが、それは事件の当事者でもあった彼女の変態的な観察眼も手伝ってのことである。よって、読者に対してはこの手記を挿入しながら進めることで、そんな条件の差を補いたいと思う。そうした方が事件を重層的に理解できるだろうし、印象がより強烈になるだろうとも期待している。
これは大きな手掛かりだ。もしも桜野が事件の最中にこれを読むことが叶っていたなら、もっと早く真相に辿り着いていたのではないだろうか。
さらに云えば、手記は天地総一郎が自らの手によって書いたもので間違いない。すべてが正直に記述されており、虚偽は一切含まれていない。したがって、この記述者は犯人ではないし、その犯行に協力もしていない。なお、黒四角(■)で表現されている部分は、手記が発見された時点で既に文字が黒く塗り潰されていたものである。本書に掲載するにあたって伏字としたものではない。
それから、もうひとつ手の内を明かしておく。先ほど本書が〈ドンデン返し〉を用いないと捉えられるようなことを書いてしまったが、事件の性質上、桜野による解決編は二回に分けて展開される。そして、それぞれの前には『読者への挑戦』を挿入する。
読者はこれを目印に、その先の解決編で明かされる真相を推理できるだけの条件が揃ったものと判断できる。どうか不意打ちの解決編を警戒することなく、読み進めてほしい。
それでは始めよう。
読者諸君を待っているのは、本格ミステリに徹した先の新天地だ。




