2.魔物狩人バシル
気配はある。
姿が見えない。
――シェイナーが自分のまわりの空間をいじくってやがるな。
空間が立体的なパズルボックスのように細かく切り整えられ、ずらされている。見えないのは光が反射する角度までバラバラにずらされているからだ。
そもそも気配くらい完全に消せるくせに、それをしないのは、晶斗が知った相手ゆえか。
この場所でシェインを行使できるシェイナーとなると、晶斗が知るのはただひとり。
――俺は日頃からアンタを敵にはしたくないと心がけている良い子なんだが……
晶斗はあえて軽く流すことにした。
「よお! ご活躍だったな。魔物狩人のバシルさんよ」
返答を、待つ。
胸の奥がジリジリと焼け付くような焦りを抱きながら。
足音がした。
――来た!
いきなり、眼前で白いコートがひるがえった。
巨大な白い蝶の羽のごとく、軽やかに。
「今夜は意外な人間と遭遇する日とみえる」
若々しくもいぶし銀を思わせる声の主は、気配と姿を一致させた。
肩に掛かる髪は夜のごとき漆黒、その顔面は鼻から上半分が大きなバイザーの黒いレンズで隠されている。唯一見えるのは端正な口元のみ。
「よ、ひさしぶり! 今夜は街で魔物狩りか?」
さりげなく相手の全身に目を走らせる。
左腰に銀の太刀を佩き、肩と胸を護るプロテクター付き白いコート。膝上までカバーする白い砂漠用ブーツ。砂漠の多いシャールーン帝国の遺跡地帯ならば、ありふれた剣士の格好。
彼の正体はシャールーン帝国で絶大な人気を誇る美貌のアイドル『皇子さま(プリンス)』ことアルファルド・コル・レオニス大公殿下だ。新聞や雑誌で報道される銀の髪した微笑み麗しき皇子様である。
――もっとも、この魔物狩人の格好じゃ、さすがに皇子には見えないが。
おまけに今夜はやけに剣呑な雰囲気だ。いまバイザーを外して素顔をさらけだしても、これほど雰囲気が異なれば、かの皇子と気づく国民はいるまい。
「きみこそ、ここで何をしている?」
おおっと、機嫌も悪い!
付き合いは短いが、バイザーの下の表情くらいは読めるスキルが身についた。だてに相棒とこき使われているだけではない。
「あんたこそ、なんでこんな街中でおかしな連中とやりあってんだよ?」
プリンスはわずかに顔の角度を変えた。
晶斗は戦慄した。その視線が向けられた先は、正確に、トリギオンナイツが去った方角だったからだ。
「遺跡管理協定機構を通して〈魔物狩人バシル〉への依頼がきたので参上したが……」
プリンスの言葉と共に晶斗は一瞬、冷気の棘が全身に突き刺さるがごとき痛みを感じた。
――なんだ、いまのは。……殺気?
いやちがう。
おそらくはシェインの発現。ケタ違いの能力者が無意識に放った感情のほとばしり。
――そうか、怒りだ!
自分を狙った暗殺者への、苛烈にして純粋な怒気。シェインの才などまったく持ち合わせない晶斗にも感じられたほどの。
――ちくしょう、足が竦みやがった……。
足が微動しただけで済んだのは、護衛戦闘士として培ったプライドゆえ。
「で、代わりに暗殺者が来たと」
「彼らが攻撃してきたので応戦したまでだ」
この男の裏の顔。晶斗はたまたま見る機会があったから知っているが、垣間見るそれはとてつもなくえげつない。
やれシャールーン帝国のアイドルだ、皇子様だのともてはやされる白い美貌が真昼の太陽の面ならば、遺跡を闊歩する魔物狩人バシルは暗黒星の化身。遺跡から現れる魔物を切り裂き、歪む空間をなんなく踏破する。
――こいつ、シャールーン帝国人のシェイナーという以上に人外だからな。
その命を狙うならば、瞬きのうちに闇から闇へ葬られるか、よくて遺跡の闇での死闘くらいは覚悟すべきだろう。
「しかたねえな。アンタは魔物狩人なんだろ。遺跡の仕事絡みで、恨みのひとつやふたつ買うくらい、あるだろうさ」
実際、遺跡でのもめごとは日常茶飯事。遺跡踏破の先行争い、発見物をめぐってのケンカ、稀少なお宝を獲ったやつらがこれまた盗られたと騒ぎ出し、疑心暗鬼の殴り合いから複数グループを巻き込んだ抗争へと発展するなどありふれている。
プリンスは左の口角をやや持ち上げた。上唇がやや薄く下唇は少し厚めの形良い口唇が鋭い笑みをつくる。
「一介の魔物狩人相手に一個小隊が必要とは思えん。きみはなぜわたしに加勢した?」
真正面から眺めればバイザー越しにもわかる、恐ろしくも美しい完璧なその顔貌。
シャールーン帝国の皇帝とその一族はシャールーン帝国の始祖神の直系子孫という伝説がある。この男の完璧すぎる容貌を見ていると、外国人の晶斗でさえ、ひょっとして伝説は本当かも知れないと思いそうになるから怖い。
「なぜと言われてもな。アンタは俺の身元保証人だろう。この国じゃ数少ない知り合いだしな」
「東邦郡、陸軍所属、〈緑銀騎士団〉」
発音はなめらかで耳に快くさえあった。
――なんで知ってる?!
晶斗は戦慄した。
トリギオンナイツは東邦郡の秘密部隊。その存在は国家の重要機密だ。
――シャールーン帝国諜報部はどれだけ優秀なんだか。
プリンスがどこまで東邦郡政府の機密を掴んでいるかはわからない。……が、この男が晶斗の過去を徹底的に調査したのは知っている。
「きみが元所属していた陸軍特殊部隊だ。――さっきの指揮官はきみの知己か?」
晶斗は腹をくくった。
「ああ。誰も殺さないでくれてうれしいぜ」
だったら今は時間を稼いでやる。せめてあと一分の足止めを……。
「やはりそうか。私への刺客に〈シリウス〉までよこすとは」
プリンスの左手は、じつにさりげなく太刀の柄に掛けられていた。
「へ?」
晶斗は目を剥いて後ずさった。
「末端を切り捨てても意味はないが、東邦郡も良い度胸だ」
プリンスがシャールーン帝国有数のシェイナーで剣の使い手であることは、表の世界で有名だ。まともにやり合って勝てる相手ではない。
「待て、ちがう! 俺は真実ただの通りすがりだ。よせ、抜くなッ!?」
「冗談だ」
プリンスは太刀の柄から手を離した。
「きみは殺さん。あの子に恨まれたくはないのでね」
「やめてくれ。アンタがやるとなんでも冗談には聞こえない」
晶斗は全身から冷や汗が吹き出した。
額に巻いたバンダナが汗を吸い込んでくれるのに感謝だ。
「褒め言葉と受け取っておこう」
その顔が意地悪い微笑みのように見えたのは晶斗の気のせいじゃない。
「職業柄、命を狙われるのには慣れている。きみが来たのは偶然か?」
「よせやい。俺が退役済みなのはアンタが確認したはずだ」
遺跡で遭難し、異次元をさ迷った晶斗が遺跡から吐き出されてこの国に落ちたとき、晶斗のことを徹底的に調査させたのは、ほかならぬこのプリンスだ。
若いくせにシャールーン帝国宰相閣下をつとめ、表の顔は有能な政治家として多忙な日々を送っている。なのに真夜中に市街戦に出向ける理由は『有能な影武者が複数いる』というもっぱらの噂であった。
「……助太刀には感謝する。信じるには少々難があるが……用があるなら行きたまえ」
プリンスは晶斗に背を向け、歩き出した。
「おい、どこへ行くんだ?」
晶斗は急いで追った。こんな危険物を野放しにするわけにはいかない。せめてトリギオンナイツに警告を届けるまでは。
「彼らを追う。売られた暗殺は全力で返す主義でね」
「あんたなら嬉々として地獄の果てまで追跡しそうだな。すまんが今回は見逃してくれ」
プリンスが歩みを止めた。
ふり向いた。
「退役したきみが言うか。なぜだ?」
よし、これでまた三十秒。
あれから三分は経過した。充分だ。これで旧友かも知れない東邦郡の部隊は命拾いした。――少なくとも今夜は。
「きっとなにかの間違いさ。東邦郡とシャールーン帝国は友好国じゃないか」
「ほう? きみは彼らの正体を知ってなお、私に追跡するなというのか?」
プリンスの口元が皮肉げにゆがめられた。
晶斗は背筋が凍るかと思った。
――おおっと、激怒してやがる。
もっとも、暗殺しにきた相手が相手だから無理ないか……。
「彼らは〈銀緑の騎士団〉。所属は東邦郡陸軍だが、公式には存在しない東邦郡最高の特殊工作部隊だ」
「……よくご存じで」
晶斗は歯をむき出して苦笑を返した。
トリギオンナイツは、公式には存在しない部隊だ。それをなぜ知っている?……という野暮なツッコミは控えておく。こいつなら東邦郡の将軍閣下の夕食のメニューまで把握していても不思議とは思えない。
シャールーン帝国軍の最高指揮官はたしかプリンスだったはず。帝国の諜報組織は秘密に包まれているが、その長もプリンスだろう。
「だったら話が早いや。東邦郡の作戦司令部に直接訊くから待っててくれ」
「それで? 私への暗殺指令を即座に取り消されるとでも?」
「それは、俺にもわからん。だがな、うちのトップはあんたに暗殺部隊を送り込むほど阿呆じゃない。――はずなんだ。俺のいなかったこの十年で変わっていなければな。それを確認したい」
「期限は明日だ」
「おい、せめて二日くれ」
「トリギオンナイツは任務に失敗した。即時撤退しないなら彼らこそ時間があるまい」
晶斗はゴクリと唾を呑み込んだ。
プリンスはシェイナーだ。なんらかの方法ですでに守護聖都の治安部隊にでも連絡をつけたなら、捕り手は市中に放たれている。
だが、その目標たるトリギオンナイツはすでに雲隠れした。
守護聖都の某所にある東邦郡政府機関の秘密基地とてそう簡単には見つかるまい。
いや、プリンスのことだ。わかっていて泳がせている可能性もある。
「よし、了解だ。で、報告はどこへ?」
「貴族街のトリエスター教授邸で待機したまえ。連絡がくれば私も二分で到着する」
プリンスは去った。
「――とはいったものの、もしも暗殺指令がホンモノだったらまずいんだよなあ……」
それも含めて、現在の晶斗はいろいろとしがらみが多い生活状況だ。自由には東邦郡へ帰れない。
「二分って……あいつ、宮殿から飛んでくる気かよ。どんなシェインを行使することやら」
晶斗はしばらくプリンスの去った方を眺めていた。
シvェイナーであれ剣士であれ、敵なら排除するまで。
――とはいえ、あいつには勝てる気がまるでしないんだよなあ。
シェイナー相手の対人戦なら経験がある。しかし、シャールーン帝国のシェイナーでも五指に入る能力者にして剣士と真っ向から勝負するとなれば話は別だ。
――さすがシャールーン帝国の特級怪物だぜ。
故郷の東邦郡では、プリンスはこう呼ばれていた。改めて思い出すとなんだかなつかしいフレーズだ。
ここ最近はこのシャールーン帝国の地で、いろいろと化け物級のシェイナーに囲まれていたから、自分が育った国のことをすっかり忘れていた。
――俺だって、東邦郡では〈シリウス〉と呼ばれていた。その俺様が勝てる気がしないんだからな……。
晶斗は右手を頭にやり、かゆくもない頭皮をバリバリ掻いた。
さて、どうしたものか。
「……念のため〈保険〉をかけとくか」
晶斗は守護聖都フェルゴモールにある繁華街へ向かって歩いていった。




