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その1

 水底から藻掻き上がるように、意識がゆっくりと浮上していきます。

 目が覚めれば、木造りのあばら家の辛うじて屋根と言える、日光が差し込みまくりの隙間だらけの板材が目に入りました。

「・・・う・・」

 身動ぎすれば、床の上に転がされていたようで体の節々が痛いです。

 動きの悪いからくり人形のようにガクガクと手足を動かし、どうにか上体を起こすと、そのあばら家に非常に見目麗しい男性が扉を開いて入ってきました。

「気付いたか!」

 その男性は私を見ると、喜色を浮かべて近付いてきました。

 その男性のなんと美しい事。

 私は王族にも引けを取らないその男性の美貌に圧倒されて、上体を起こしたままでピシリと動きが止まってしまいました。

 私の周囲には家族を初めとして美男美女が溢れていましたけれど、総じて全員の性格が死ぬほど悪かったのです。その美男美女たちから絶えず与えられる言葉と物理による暴力は、私を無抵抗な奴隷へと変えるに十分な物でした。

 笑っても泣いても殴られましたので、物心ついた頃には無表情で過ごす様になりました。それでも日によっては殴られましたが、表情を消している方がまだマシでした。

 しかし今、寝起きの上に体調不良もあり、私は突如現れた美貌の男性の前に驚きと恐怖の表情を表してしまいました。

 父や兄は日頃のうっ憤を晴らす様に良く自分を殴りました。

 拳が飛んで来る事を覚悟して私はきつく目をつむりました。ですが予想したダメージは襲ってきませんでした。

「・・・すっかり綺麗になったな」

 その男性は穏やかな声音で私に語り掛けてきました。私の頬が暖かい熱に覆われます。

 何をされているのかと、目をぱちりと開ければ予想以上の近距離に美貌の男性の顔がありました。男性はしげしげと私の取り立てて美しくも無い顔を眺めていました。男性の大きな手は私の右頬を包んでいました。

「あ、あの・・・」

「ああ、すまない。断りも無く令嬢の頬に触れるなど。失礼した」

「いえ・・・」

 私は余りにも距離の近い麗しい男性から目線を反らし、手元を見下ろしました。

 この目の前の男性は私を醜いと殴りませんでした。

 私のドレスの袖から出ている骨と皮ばかりの両腕は、膿み爛れた皮膚炎がきれいサッパリなくなり、元の張りの無い乾いた皮膚に戻っています。血と膿で汚れ切っていた粗末なワンピースも、粗末なままではありますが血膿の汚れは消えて無くなっていました。私の体中に適当に巻きつけられていた包帯はいつの間にか解け、私の体の両脇に散らばっています。

「言っておくが、包帯は気付いたら解けていた。私が触った訳ではない」

「・・・そうでしたか」

 包帯は王宮で巻かれた物で、自分の粗末なワンピースの布地よりも上等な物でした。包帯を私に巻いた理由は手当の為ではなく、私の血膿で王城が汚れないようにする為です。包帯にべっとりと付いていたでしょうその血膿も、今は綺麗サッパリ消えていました。

「このようなあばら家で申し訳ない。これでもこの一帯では一番マシな家なのだ。私があなたをここまで運んだ」

「それはお手数をお掛けしました。助けていただき、ありがとうございます」

「・・・いや、私はあなたをここに運ぶ事しかできなかった。あとあなたに出来る事は、水とわずかな果実を分ける事位だ。もし動けるようなら早くここから立ち去りなさい」

 そう言って男性は私の掌に数粒の蛇イチゴを落としました。

「・・・・懐かしいですわ」

 ひもじい余りに、屋敷の裏庭でよく酸っぱいだけの蛇イチゴを口にしていました。小さな一粒を口入れると、不思議と記憶にある蛇イチゴよりも甘いです。でも酸味もやはり強く、強い酸味をやり過ごす様にギュッと口を噛み締めました。

 数粒の蛇イチゴを口にすると、何故か体の節々の痛みが和らいでいくような心地がします。

「不思議ですわ。体の痛みが嘘のように消えました」

 ホッと息を吐きだして男性を見れば、美貌の男性は驚いた様子で私を凝視しています。

「君は・・・」

 私が男性と見つめ合っていると、あばら家のドアが再び開けられました。

「お嬢さん、気が付いて良かった」

 小屋に入ってきたのは粗末なボロボロの服に身を包んだ、薄汚れた年配の男性でした。片足を引きずっていて、一歩歩くごとに手に持った木の器から水が零れてしまいます。

「枯れていた水場に昨日から突然水が湧き始めたのだ。お嬢さん、水は飲めるかな」

「ハリー様、ありがとうございます」

 美貌の男性が年配の男性にお礼を言いました。年配の男性の方が、身分が上なのでしょうか。

「恐れ入ります。丁度喉が渇いておりましたの」

 私は有難く年配の男性から木の器を受け取ろうとしました。

 年配の男性の手と私の手が触れ合った瞬間でした。

「ぎゃああああああ!」

 私の左足に激痛が走り、更に私は呼吸困難に陥りました。息が出来ずに視界が暗くなっていきます。男性二人が驚きに顔を強張らせた様子を尻目に、再び私は意識を手放しました。




 目覚めた時、私はまたも硬い床に横たわっておりました。その私を、美貌の男性と見慣れない年配の男性が心配そうに見下ろしています。

「ああ、良かった。お嬢さん、心配したよ」

 誰でしょうか。

 年配の男性は私が目覚めた事に喜んでいます。美貌の男性もホッとした様子です。

「お嬢さん、あなたは丸一日目覚めなかった。意識が戻って本当に良かった」

「さあ、ここに来てから君はほぼ飲まず食わずだ。水だけでも飲みなさい」

 美貌の男性が、私が体を起こすのを手伝ってくれます。

 年配の男性が、そっと水が入った器を私に差し出してくれます。

 そこで私の記憶の中の薄汚れた年配男性と、目の前の小奇麗な身なりになった男性が一致しました。

 私はありがたく年配の男性から水の入った器を受け取りました。古ぼけた木の器に入った水をコクリコクリと飲みます。冷たくて甘くて、水は私の全身を瞬く間に潤してくれました。

 水を飲み干して私は満足のため息をつきます。

「とても美味しいお水でしたわ。ありがとうございます」

 感謝の想いを込めて微笑めば、美貌の男性と年配の男性は呆けたように私の顔を見ています。それはまあ、この国では珍しい地味顔ですが、そんなにジロジロと見つめられると居心地が悪いです。

 年配男性は身だしなみが整いましたら、驚くほどの美中年に変身していました。

 お2人は何が面白いのか、まだ私の顔を見つめてきます。

 顔の良い男性達にそんなに見つめられては、落ち着きませんね。

 私が気まずくなり俯くと、男性陣はハッとして私の地味顔をジロジロ見た事を謝ってくれました。

「若い女性の顔を凝視するなど、無作法な事をして申し訳ない」

「私は名乗りもしていなかった。無礼を重ねて詫びよう」

「いえ、いいのです」

 地味顔をあげつらわれて笑われる事はしょっちゅうでしたし。私の顔を笑いもせず、更に気遣いまでしてくれるなんて、目の前のお2人は随分私に優しいです。

「私はマクシミリアン・ロクサーヌ。王城で近衛兵をしていた」

 そうでしょうねと、私は美貌の男性もといマクシミリアン様に頷きました。

 マクシミリアン様は優雅な曲線を描く金髪に青い瞳の煌びやかな美貌を持ち、均整の取れたその肢体は金糸の刺繍と金色の飾緒で飾られた鮮やかな緋色のジャケットと純白の細身のズボンに包まれ、両足には膝丈の磨き上げられた黒いブーツを履いていらっしゃいます。

 王城に上がった時に至る所で見かけた近衛兵の制服ですね。

「私はチャーリー・ルクセイアだ。以前はグレース王国の宰相を務めていた」

 これには少し驚きながらもチャーリー様にも頷きました。

 チャーリー様は金糸銀糸が繊細に刺繍された濃紺のジュストコールを着用しておられます。見栄っ張りの私の父よりずいぶんセンス良く、一目で値が張るだろうと分かる素敵なお召し物です。艶やかな黒髪は後ろに撫でつけられていて、マクシミリアン様よりも随分お年は上でしょうが、どきりとするほど端正なお顔立ちをしておられます。

 近衛兵の方々も宰相様も王族の方々のお側でのお役目となります。お2人は当然高貴なご身分でしょうし、これほどに見目麗しい事にも納得です。

「私はナタリー・グロスターと申します。グロスター伯爵家の長女でございます」

 襤褸をまとった棒きれのような手足の地味顔の娘ですが、私は紛れもなくグロスター伯爵家の娘です。本日も安定の体調不良中ですが、高貴な方々に淑女の礼をしようと立ち上がろうとした私を、お2人は止めました。

「まだ目覚めたばかりだ。無理をしないでくれ」

 マクシミリアン様は顔が良いばかりでなく、なんともお優しい。この世に天から二物を与えられた方がいらっしゃったとは驚きです。

「そうだぞ、ナタリー嬢。我々に気遣いは無用だ」

 天が二物を与えたもうた方がもう一人いらっしゃいました。

 お2人の言葉に甘えまして、私は床に座り込んだままで軽く会釈をするだけに留めました。

 空腹でしたが、美味しい水を頂きましたら少し気分も良くなりました。水だけでも4、5日は生きられますものね。

 私はホッと一息ついたところで目の前のお2人に質問をしました。

「お2人はなぜこのような場所に?」

「「ナタリー嬢は何故このような所に?」」

 質問が被りました。

 それから3人それぞれの、この場所に辿り着くまでの身の上話が披露される事となったのです。


 マクシミリアン様は現王がメイドに手を付けて生まれた庶子なのだそうです。

 このイカれた見た目至上主義の我が国で、王城に勤める者は下男下女に至るまで全員がもれなく見目麗しいのです。マクシミリアン様のお母様は抵抗も出来ずに王に手折られ、やがてマクシミリアン様をお産みになりました。

マクシミリアン様は王族としては認められませんでしたが、幼少期より際立っていた美貌に目を付けられ、王族に仕える近衛兵となるべく育てられました。

 しかしマクシミリアン様はその美しすぎる容貌を妬まれて、同僚に嵌められ仕事中に顔に大怪我を負いました。美しさを失ったマクシミリアン様は、近衛兵の資格を剥奪され国境の崖下に突き落とされたのだそうです。

 それは血も涙も無いお話なのですが。

「とてもお綺麗なお顔ですが・・・?」

 マクシミリアン様のお顔には大怪我の跡どころか、染みもホクロもありません。輝かんばかりの陶磁器のような美しい白い肌です。

 私が首を傾げると、マクシミリアン様がニコリと私に微笑みました。その麗しさに危うく目が潰れそうになりました。


 片やチャーリー様から聞く話も、この国はどうしようもないな、という酷いお話でした。

 美中年宰相を務めていらっしゃったチャーリー様は、ある日病に倒れてしまいました。そして一命は取り留めたのですが、左半身に麻痺が残ってしまったのです。前世の知識からすると脳梗塞だったのかなと推測されます。

 歩行が困難になり、足を引きずるようになったチャーリー様は、その姿が美しくないと職を追われたのだそうです。これまたとんでもないお話です。

 侯爵家ご当主だったチャーリー様ですが、その醜い姿が家名を貶めるとして、すぐにチャーリー様の弟君に侯爵家当主の座は挿げ替えられてしまいました。

 そして、チャーリー様は療養むなしく亡くなった事とされ、国境の崖から生きたまま突き落とされました。


 聞けば聞くほどこの国は頭がおかしいな、と言うお話でした。

 チャーリー様の話はかれこれ2年も前の事になるそうです。マクシミリアン様は2ヶ月ほど前に崖下に突き落とされたということ。

 よくもまあお2人とも、これまで生きて伸びていらっしゃいました。

 かくいう私もよくもまあ命が助かったと思います。

 あまり思い出さないようにしていたのですが、私は崖下で何かの上に最初落ちたのです。ずるりとぬめるあの感触と腐敗臭は、ご遺体の山だったのではないかと・・・。

 私達に先んじて崖下に捨てられて、お亡くなりになった方々がクッションとなったお陰で、私達は生き延びる事が出来たのです。非業の死を遂げたであろう方々に、心より哀悼の意を表します。

 そして最後に私の身の上話の段となりました。

 マクシミリアン様は怒りに拳を震わせておられます。マクシミリアン様は見た目至上主義の人々に翻弄されたお方です。美しい人々に虐げられ、振り回されて捨てられた私に共感して下さったのですね。

 チャーリー様は何やら内省が始まったようです。この国の異常さに気付きながらも、如何する事も出来ずにご自分もお城を追われたと、忸怩たる思いを抱えていらっしゃるとの事。

 王を筆頭に高位貴族から末端の国民までが見た目至上主義ですから、一人が声を挙げた所で国の体質を変えるのは難しかったと思います。私の身の上に関して、チャーリー様の責任はございませんのでお気になさらず。


 しかしこの国、こんな調子でよく国の体裁を保ち続けられるものですね。

 顔の良さと能力はイコールではないでしょうに。容色が衰えた人間、老いた人間はどんどん王城から追い出されるのでしょうか。病気や怪我をした人間を美しくないと廃棄する事が、それほど隠されることも無く堂々とまかり通っているのがグレース王国の現状です。

 一言で言って、この国は異常です。

 そして3人の話をまとめると、私達はとても元の場所には帰れないという事で意見は一致しました。

「マクシミリアン様、チャーリー様、どうか私もここにおいてくださいませ。私は親からも王族からも不要とされた身。戻ればきっと殺されてしまいます」

 私は2人に必死に頼み込みました。

「しかし、ナタリー嬢、君のその容姿であれば・・・」

「私のこの生まれつき醜い姿については、お詫びのしようもございません。ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんが、どうかこの地の片隅にでもひっそりと暮らす事をお許しくださいませ」

「醜い?」

 お2人とも、なかなか私の願いに了承してくださいません。

「何でもいたします。朝から晩まで働きます。どうか私をこちらに置いてくださいませ」

 感極まって涙と鼻水も出てきてしまいました。

 お見苦しいでしょうが、私も生きるか死ぬかの瀬戸際です。碌に周囲に抵抗しなかった私ですが、進んで死にたいわけではないのです。

 ぐすんぐすんと鼻を啜っていると、見かねたのかチャーリー様がやっと許可をくださいました。

「そこまで言うならば、ナタリー嬢の好きにすればよかろう。しかし、この地は見捨てられた者達の地。このあばら家がこの辺りでは一番上等な家だ。伯爵家と同等の暮らしなどとても望めないぞ」

「もちろんわかっております。ありがとうございます、チャーリー様!マクシミリアン様!」

 やりました!

 まずはこの地で生きていく事のお許しを頂けました。

 マクシミリアン様はまだ納得がいかないのか、片手で顔を押さえて俯いていらっしゃいますね。ですが、チャーリー様の言質は取りました。私は晴れて廃棄村の住人です。

「それでは私の今夜の寝床を探してまいりますわ」

「ま、待ってくれナタリー嬢。君には当然この家を使ってもらう。本当にこの辺りはこの一軒しか、屋根と壁のある家は無いのだ」

「でしたら尚更、新参者の私はこの家に寝起きするわけには参りませんわ。無理を言って置いて頂くのです。ご迷惑はお掛けしません」

「マクシミリアン、この一帯を見てもらった方が話は早い。ナタリー嬢、聞いた事はあるだろうか。グレース王国の暗部、廃棄村をご案内しよう」

 それからチャーリー様のエスコートで、私は廃棄村をご案内いただくことになりました。


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