後編
○登場人物
細井恵里加・ほそいえりか(妹、生真面目に慎重に生きていくタイプ)
細井那美子・ほそいなみこ(姉、自分を強く見せるために繕うタイプ)
どうして、世間はこうも弱い者に冷たいんだろうか。どうして、人間は弱い者を見て
見ぬフリをするんだろうか。答えは分からない。私はその「弱い者」の方にあたる人間
だから。
今日、母さんが死んだ。自殺。友達の用事が重なって、珍しく早めに家に帰ったら、
首を括って上から物みたいにぶら下がってた。マジでビビった。嘘だろって思いたかっ
たけど、現実があまりにもリアルに目の前にあったから無理。思考が止まっちゃって、
何も考えられない。取り合えず、自分の部屋に荷物置いてベッドに座る。これ、どうい
うことだ。正解の分かってる問題を自分に投げ掛ける。わざと間違えたい。でも、正解
は分かってる。何分か、呆然と訳の分かんない自問自答を繰り返す。そうだ、父さんと
妹に伝えないと。先に妹に電話を掛ける。妹は高校生になったばっかり。私は高校3年。
焦らないように冷静に事態を告げていく。「えっ」と妹も呆然としてた。そりゃそうな
るだろう。悪い冗談なんかじゃない。嘘は付けないタイプだし。付きそうだけど、心の
中は案外弱い。弱いから強く見せようと飾りを自分に付けてる。でも、強くなってはい
ない。妹から110を指摘される。あっ、そうだ。そっちが先じゃん。いや、もう死ん
でるからどっちが優先ってことはないか。でも、一応そっちが先なのが普通か。電話を
切る。
妹は最寄り駅の駅ビルにいるらしく、今から帰ってくるらしい。110に通信。初め
ての経験。まさか、こんな内容で体験することになるなんて思ってなかったけど。経緯
を説明すると、いくつか質問されて、今から警察が来るって言われた。電話を切ると、
ベッドに倒れ込んで息をつく。部屋の向こうには今も母さんがぶら下がってる。ものす
ごく変。極限に変。
10分ぐらいで救急車とパトカーが来た。玄関を開けると、見ず知らずの大人が数人
入ってくる。場所を言うと、2階へ全員で移動。警察の人は母さんを見て驚きはしたけ
ど、そこまでって印象じゃない。見慣れてるんだろう。死体を見慣れるってなんか嫌な
感じ。人間臭さが衰えてそう。警察と救急隊が母さんの体をロープから外して降ろして
いく。さすがに、我が母ながら死体には近寄りがたい。救急隊が母さんを運んでいく。
それを見てるうちに妹が帰って来てて声掛けられたけど、今はあんま話とかしたくない
気分。
その後、第一発見者なんで警察につかまる。逮捕じゃない。話を訊かれてる。帰って
きた時の詳細や母さんの最近の様子について。変わりはなかった、と答える。いたって
普通だったはず。その間に、妹は父さんに連絡を入れる。今日は大事な会議があるって
言ってたから電話は控えてた。会議中に母さんが死んだなんて知ったらどうなるだろう、
って思うし。警察と話すのは緊張した。道で擦れ違うだけでも背筋が伸びるし。
父さんが帰ってくると、3人で母さんの遺体を見に行く。父さんは悲しそうな表情を
してたけど、平生は保ってる。妹も私も泣かない。そういう空気ではなかった。どうい
う空気かを聞かれても答えられない。こんなの、そうそうあるもんじゃない。いろんな
感情が交わってるけど、これからどうするんだっていう現実的な思いにも息が詰まる。
その後に通夜もあったけど、なんか湿った雰囲気。通夜だから、それでいいんだろうけ
ど。どんどん気分が落ちていく。基本的に父さんとの会話は義務的なものしかない。息
は詰まるばかり。
「ねぇ、この先どうなんのかな」
通夜の後、妹の部屋に行って訊いた。そんなこと聞いたところで結論なんて出やしな
いけど。自分の力で生きてくほど、私と妹は自立していない。家や学校のあれこれは母
さん頼み、お金は父さん頼み。私たちが自分だけの力で出来るなんて、何があるだろう。
もしかして、何もないかもしれない。非力さの痛感。18年、私は何をしてきたんだろ
う。お先、真っ暗。
次の日は葬式をして、母さんは骨になった。意外にあっさり。ってか、暇。何もしな
くていいけどそこにいないといけない時間が多くて退屈。こういうの苦手。始業式やら
終業式なんか特に。どうやったらサボれんのか、いつも考えるし。結局サボらないのが
小心者なんだけど。
朝食は妹が食パンを焼いてジャムを塗った。適当だろ。サラダと目玉焼きを出すだけ
の気は利かないのかよ。一応、後からコーンスープは出てきたけど。昼食は3人でファ
ミレス。骨になった母さんの画はちらつくけど、お構いなしにご飯は食べられる。それ
はそれ、これはこれ。夕食は妹がハンバーグを作った。私もなんだか無性に食べたくな
ってたからありがたい。ハンバーグは母さんの得意料理。ただ、完成品はそれと比べら
れるもんじゃない。味、下の中。その場では何も言わなかったけど。
お風呂は私が入れる。風呂掃除も私。まぁ、なんとなくでやってみただけだけど。第
一、風呂なんだから毎日掃除されてるようなもんじゃん。だから、大体でいいでしょ。
掃除は父さんにしたけど、見た目そんな汚れてないから結局しなかった。同意。洗濯は
それぞれ時間差。かったるい。母さん、こんなの毎日やってたんだな。
次の日からは通常の日常。母さんの事なんかあったのかどうかってくらい、今まで通
りのスケジュール。母さんは確かにいない。朝食は妹が白飯を炊いておにぎりを作った。
なんか料理面倒くさいなって思ってたから、やってくれて助かる。質はまぁ褒めたもん
じゃないけど。
学校に行くと、仲の良い友達が心配してくれた。大丈夫なんとかやってるから、って
笑顔を振り撒く。自殺ってのは伝わってないみたいだから病気ってことにしとく。そう
すりゃ、難しい事は分からないからって深い話まで潜り込まずに逃げれるし。自殺した
家族、ってイメージ悪いでしょ。友達に陰でコソコソ叩かれんの嫌だから、これでいい。
高校には友達が3人いる。いつも側にいるし、気持ちも通ってるはず。化粧も髪型も制
服もそれぞれオリジナルで勝負。私の服装は今どきのギャル。前からそっち路線に踏み
込んでたけど、今の友達といるようになってから本格的に浸かった。顔は私が2番、背
は2番、勉強は4番。これが妥当。ちなみに、4人ともバカ。バカ集団の中で1番バカ
やっとけば、周りは楽観的な印象を持っといてくれる。それが狙い。うまく溶け込んで
くのが仲間内では重要。
よく友達のためなら夜中でも飛んでいく、って聞く。そんなの楽勝。私を必要として
くれるんなら、どこまでも行く。それが仲間ってもんでしょ。誰かが凹んでる時には他
の誰かが元気あげる。与えて、与えられる関係。これ最高。
昼食は購買でパンとコーヒー牛乳。もっぱら、食べるのは屋上。風が気持ちいいから。
そこで皆で駄弁るのがまた気持ちいいし。何でも話し合って、何でも助け合って、何で
も分かち合える。どこに行くのも一緒、何をするのも一緒。自分を犠牲にしてでも仲間
のために動く。それが優しさでしょ。
放課後も友達とマックで集会。基本、ファーストフード店で駄弁る。その日の気分で
店選びすんのからスタート。ワンドリンクで数時間居座るのも慣れたもの。気遣う理由
いらないし。客だから。複数でいれば、店員の目も恐くない。元々の目つきが恐い店員
ならいる。
友達と別れた後、帰りがけにスーパーで買物。といっても、買うのはコーラのペット
ボトル。ちゃんとした食材や日用品の買物なら妹がやってくれてるはずだから、私はこ
れだけ。
「あら、那美子ちゃん」
「あっ、こんにちは」
向かいの家のおばさん。妹から聞いたけど、一昨日の時に窓からウチの方を覗いてた
らしい。気色悪い。あんまり長話に付き合わされたくないな。でも、通夜に来てくれて
るから蔑ろにできないし。
「お買物かしら」
「いえ、飲み物を買いに」
「へぇ、ご飯とかはどうしてるの」
「ご飯は妹が作ってます」
「那美子ちゃんも何かやってるの」
「まぁ、一応」
偉いわねぇ、とおばさんはいやに感心してる。でも、今のところ私がやったのは風呂
だけ。褒められたもんじゃない。恥ずかしいから言わないけど。適度な返答で撒いて、
パパッと買物。
帰宅したのは20時過ぎ。自分でいうのもなんだけど、良い身分。仕方ないんだよ。
高校生ったって、やる事はたくさんあるんだから。今しか出来ない青春を謳歌しなきゃ
なんないのさ。
「あぁ、腹減った。夜ご飯は」
「あと15分ぐらいで出来るけど」
じゃあ、出来上がりまで待とう。リビングのソファに寝そべる。自分でいうのもなん
だけど、やる気ゼロ。完全に妹に料理担当を任せてるし。まぁ、これも仕方ない。姉は
いろいろと疲れてるんだよ。そう納得して、テレビを見る。
夕食は麻婆豆腐。味噌汁はわかめとネギ。朝、おにぎりの時に味噌汁が欲しいって言
っておいたから作ってくれたようだ。でも、味が薄い。昨日のハンバーグの失敗が教訓
になってないんだろうか。
「これ、味薄くねぇ」
「初めて作ったんだからしょうがないでしょ」
なんだよ。一丁前に反論しやがって。作ってもらってる身だから、多少は許してやっ
けど。
「お姉ちゃん、今日私が掃除と洗濯やったんだけど」
「うん、ありがとう」
やってくれたんだ、ラッキー。正直、やるのかったるいなぁって思ってたから。料理
は逃げれたけど、掃除や洗濯は私がやらされるか各自分担になるかなって考えてたら、
そこまで妹がやってくれるとはね。まったく、出来た妹で助かるよ。まぁ、嫌々でやっ
てるんだろうけど。ごめんよ、出来の悪い姉で。
父さんが帰ってきたのは22時過ぎ。妹は父さんにも家事を強制する気はないらしい。
朝早くに出かけて、夜遅くに帰ってくるのに家事まで分担でやってくれとは言えないっ
てことで。私たちが生活していくお金を稼いできてもらってるんだから、父さんには仕
事に専念してもらう方がいいし。
お風呂は今日も私が入れる。風呂掃除も私。まぁ、昨日に同じくなんとなくでやって
みたけど。それですら、ちょっと辛いかも。手抜きでやっちゃおう。バレないし、大体
でいいでしょ。
だんだん、私には通常の日々が戻ってくる。簡単に言っちゃえば、家族が1人減って、
母さんのやる事が妹に移っただけ。朝に私を起こすのは妹。基本、アラームじゃ起きれ
ない。寝起きも最悪。朝食は妹と食べる。父さんは既に家を出てる。会話はほぼ無い。
私は頭が起きてないし、妹は時間との勝負してるし。家を出るのも妹と一緒。妹は食器
の片付けしてるけど、私はなにかと支度に時間がかかるから同じ時間になる。一緒に家
は出るけど、駅までは自転車だから会話はない。駅で別れると、学校までは1人タイム。
ただ、満員電車だから気は落ち着かない。高校に入学して2年ちょい、今のところ痴漢
経験は5回。知らない中年に触られるなんて真っ平ごめんだけど、警察に突き出すだけ
の勇気はない。
電車を降りてから学校までの徒歩10分はなんかソワソワ。なるべく、知ってる女子
を早く見つけたい。私みたいなギャルが道を普通に歩いてるのって違和感。それに、根
が小心者だから体裁はすごく気になる。ギャルってさ、もっとワーキャー騒がしいもん
でしょ。1人でポツン、って変じゃん。だから、なるべく側に誰かいてほしい。結構、
淋しがり。
学校に着くと、友達3人が自然に集まる。昨日のテレビの話が主になってくるから、
テレビを見る時間は何気に情報収集。今の流行りは見過ごさず、誰が最先端を仲間へと
発信していくかの見えない勝負。授業は受けてるだけ。生真面目な性格ではあるけど、
授業中は携帯いじったり、本読んだり、絵描いたり、寝たり。だって、真面目なギャル
ってイメージダウンだから。だから、周りに合わせてお気楽に過ごすし、バカでナンボ。
聞き落として取り残されてくのは嫌、っていうのが本音ではあるけど。午後の授業が終
わったら、友達と街に繰り出す。数日も経てば忘れてるような話で盛り上がって、時間
を過ごす。それが幸せ。
帰りがけに電車を降りると、駅ビルに寄り道。雑誌の立ち読みしたり、友達との話に
出たアイテムを探したり、情報収集に余念なし。ただ、近所の顔見知りに会わないよう
に気を張るのはどうにも落ち着かない。もし会ったら、挨拶程度の会話をして早めに逃
げる。大抵、家事は出来てるかって話だから。妹に全部やらせてます、なんて言えっこ
ないし。
帰宅すると、妹がいて父さんがいないのが常。妹は毎日家事を怠らず、学校が終わる
とそのまま家に帰ってくる。家族分の洗濯をして一軒家の掃除、洗濯物を干したら夕食
の準備。食事はほとんど初心者にしては上出来。毎回、メニューも変えてくるし。申し
訳ないけど、私にはできない類。食事は2人で食べる。会話は付けてるテレビの内容が
大体。妹は流行に疎いから、私が情報提供してあげる。その情報を役に立たせてるのを
見たことはない。食べ終わったら、お風呂で一息。風呂掃除はいつの間にか妹の仕事に
なっている。私が外泊した日に代わりにやってくれて、その日から妹がやることになっ
てる。悪い気はするけど、私がやるより妹がやる方がいいから、あながち元に戻すのも
気が引ける。それが終わったら、部屋でメールタイム。友達と電話すりゃいいじゃんっ
てぐらいの交線。宿題はやらない。明日、やってきてる子に見せてもらえばいい。24
時過ぎ、就寝。
ゴールデンウィーク中、友達と遊びほうける毎日。別に毎日会うほどの予定はないし、
結果同じことをしてるだけだけどそれでいい。一緒にそこにいるだけで。それが私の中
の正解。
妹は家に缶詰め。出掛けるのは駅近くに食材や日用品の買物に行く時ぐらい。友達が
家族旅行で誘いも来ないし、家事もやんなきゃなんないから遠出もしない。一日くらい、
どっか気晴らしに連れてってあげた方がいいんだろうな。だけど、それは私の正解じゃ
ない。まぁ家族なんだし、そんなのしなくても心通じ合ってるでしょ。
父さんは出張で数日家を空けてる。絶対、嘘。今、父さんが何してるか私には分かる。
だって、私知ってるし。あんたが浮気してんの。2ヶ月前ぐらいに私が帰りが遅くなっ
た時、家に着いたら父さんがベランダで電話してたの。気にせずに家に入ろうとしたん
だけど、明らかに会話の内容がおかしい。好きだの、愛してるだの、お前だけだの、気
持ち悪い文章ばっか。その文章が気持ち悪いんじゃなく、それを言ってる父さんが気持
ち悪いだけ。向こうは私に気づいてなかったからそのまま盗み聞きしてたら、どうしよ
うにも浮気なのが確実。完璧に血の気が引いた。浮気、発覚、喧嘩、離婚、転校、貧乏、
とかいろんな単語がぐるぐる頭ん中を回ってパニック。父さんが電話切って家に入って
からも玄関の前でパニック続行。これって、もしかして超ヤバいんじゃねぇの。私は誰
にも言えずにそれを抱え込む。私じゃ解決しようのない問題なのに。そんで、その次の
月に母さんが自分で死んだ。私は父さんの浮気が理由なんだと思った。信じてる人から
裏切られて、そのショックで母さんは決めたに違いない。私や妹を残してくんだから、
それなりの理由がないとおかしいし。正直、悔しい。父さんが憎い。浮気相手はもっと
憎い。なのに、私は何も言えずに普通に父さんと暮らしてる。問い質して、家族が離れ
離れになるのが恐いから。私が黙ってさえおけば、それで丸く収まる事だから。
中間試験まであと5日。高校3年の最初の試験、結果を出したい。先生から、今回も
し赤点でも取ろうもんなら進路の保障はないって言われたから。別に大学なんか行かな
くてもいいんだけど、就職は出来そうにないし、専門学校に行くほどの夢もない。ここ
は1回、本気出しておく必要がありそう。ただ、自信は湧いてこない。授業は全然聞い
てないし、今までの借金を背負ってるし。中学の時から試験勉強なんて仲間内で山張る
ぐらいで、実際全然出来てない。その分、不安が大きくなって襲いかかってくる。この
ままじゃ、きっと思うような点が取れない。その思いにやられそうになるのを払拭する
ために、珍しく机に向かって勉強に励む。あんまり頭に入ってこないけど、取り合えず
それが不安を落ち着けてくれるものと信じるしかない。そうしてるうち、妹が部屋に入
ってくる。
「お姉ちゃん、お願いがあるんだけど」
「うん、何」
「ちょっとさ、家事を分担したいんだけど」
一回妹の方を向いて、また机に向き直す。何それ。無理に決まってんじゃん。
「何で。今のままでいいじゃん」
「試験あるでしょ。勉強したいから」
「うん。でも、私も勉強したいし」
適当にあしらおう。妹は勉強できるタイプ。私が気遣うことはない。
「私さぁ、今回赤点とか取るとヤバいんだよね。そっちはまだ入学したばっかだから
いいじゃん」
こっちは進路が関わってるんだから。優先順位で譲りなさい。
「私もちゃんと勉強して試験に臨みたいの。家事、半分こにしようよ」
「悪い。私、今回ホントに点取んないとマズいの」
「そんなこと言わないでさぁ。やってよ、お願い」
「大丈夫だって。あんたならうまくやれるから」
なんだかんだ、家事もうまくやってるじゃん。あんた、器用にこなせるタイプなんだ
って。
「お姉ちゃん、私に全部家事やらせてんじゃん。少しくらい手伝ってくれてもいいん
じゃないの」
「あんたがやった方がいいでしょ、性格上。部活も入ってないんでしょ」
テニス部の幽霊部員の私の言うセリフじゃないけど。でも、この際、言えるもん言っ
とけ。
「分かったよ。やればいいんでしょ、私が」
「うん。頑張ってよ」
「はいはい。その代わり、どうなってもしんないからね」
半ば、やけくそに言い捨てられる。部屋のドアを強めに閉められて、少しイラつく。
一応、悪いのはこっちだから何も言わない。甘えすぎてるとは思う。姉なのに、重荷を
全部妹に押し付けてるのも分かってる。もっと気遣えばいいのに、何でもやってくれる
妹をいいように扱ってる。それでも、私は自分を選んでる。私は戦わないといけない。
学校ではいろんなものと戦う必要がある。ふと顔を上げると、机の上の家族写真が目に
入る。放棄した父、いない母、出来る妹。そうだよ、恵里加。私にはあんたしか本気で
頼れる人がいないんだよ。だから、こんなに甘えてるんだよ。口では言えないけどさ、
感謝してるよ。分からずやの姉でごめんね、と心の中で言う。
中間試験の本番。調子が全く上がらない。上がらないことで、気分は下がっていく。
悪循環。友達も同調。放課後に4人で勉強してきたけど、類は友を呼ぶっていうんだろ
うか。同じレベルの人間が集まっても、そのレベルは抜けられない。そんなこと、口が
腐っても言わないけど。
試験終了。手応えなし。そこそこはやれてるんだろうけど、納得いくようなものじゃ
ない。しっかり準備しても、この始末。やっぱり、これまで蓄積してきた借金はそんな
簡単に跳ね返せるものじゃない。この先もこれが卒業まで続いてくのかと思うと、なん
だか憔悴。
妹は家事をしない私に何も言ってこない。もはや、それが当たり前と思ってる。この
前のやり取りでもう諦めたんだろう。私はただただそのぬるま湯に浸かる。家に帰って
からはくつろぎたい。外で疲れてきた分、家ではそれを取り戻す。父さんはたまに妹に
手伝いを願い出てるけど、それは柔に断ってるみたい。私としても、そんなに父さんに
良い父親ぶってもらいたくないからその方がいい。特に、何も知らない妹には優しくし
てやらないでほしい。優しくするだけ、あんたは妹を傷つけてるのと同じなんだから。
心配しないでも、妹は私が守る。
「どうかしたの」
夕食の準備中、妹が包丁を空に浮かせたまま止まってた。それを不思議に思った私の
一言。
「別に」
「ふぅん」
納得して、冷蔵庫からオレンジジュースを出し、ガブ飲みして去っていく。何か考え
事でもしてたのかなと思ったけど。
中間試験の結果発表。次々と返ってくる答案、次々と降ってくる憂鬱。全教科平均が
38点、学年平均が66点。学年順位が229人中の214位。赤点なし。久しぶりに
心からホッとできた。
友達3人が集まってくる。点数いくつだった、っていう興味本位の集会。194位と
203位と220位、友達の順位。ビリだった成績は3位に昇格。頭よくなったじゃん、
って地位の低い褒められ方に笑顔。
授業が終わると、いつものように友達と群れる。今日はロッテリア。どこに行ったに
しても、ワンドリンクに変わりはないけれど。多少迷惑ぐらいの盛り上がり方は常識。
私たちはありきたりなギャル像を崩すことなくやってる。これを今日も3時間ばかしは
続けてく・・・・・・はずだった。
話し出して15分くらいで携帯が鳴る。確認。メールの受信。妹からだ。開封。私は
固まった。
『ごめんね。今から死ぬ』
何言ってんのか、全く分かんない。意味は分かってるけど、頭が理解してくんない。
どうせ、ただの冗談でしょ。妹は嘘を付かないタイプ。生真面目な性格。だから、多分
真実。これは真実。妹は私に謝って、これから死のうとしてる。
「那美子、どうしたの」
友達が私の様子を察知して声を掛けてる。そんな声、聞こえてるだけ。耳に入ってる
だけ。私の頭ん中、それどころじゃない。そうだ。何してんの。行かなきゃ。今すぐ、
止めに行かなきゃ。
「帰る」
立ち上がり、それだけ呟いて飛び出す。那美子、って言われた気がする。そんなもん
関係ない。何言われたって関係ない。
『今すぐ帰るから、お願いだから待ってて』
心の声をそのまま文章にして送信。絵文字のないメールなんて初めて。頭は白いまま、
とにかく走って、電車に乗り、自転車に乗り、家まで急速で走り続ける。なんで、こう
なるまで気づかなかったんだろう。そんな追い込まれてるなんて知らなかった。ごめん、
謝る。何度だって謝るから。その一心で家まで駆け抜けた。帰宅すると、妹の部屋まで
駆け上る。ドアを手に掛け、開くと妹が包丁を自分に向けたままでベッドに座ってる。
衝撃。
「何やってんだ、お前」
「来ないで」
怒鳴りつけると、それ以上の大声で怒鳴られる。あまりの場面と豹変した妹の姿に萎
縮してしまう。
「もう決めたんだから。止めないでよ」
妹は両目を真っ赤にして、それでも泣き続けてる。睨むような瞳をして、息遣いも荒
くなっている。
「バカなことすんなよ。こんなことして何になんだよ」
「私、楽になりたいの。もう疲れたんだよ」
「止めろよ。死んだってどうにもなんないだろ」
「いいでしょ、私がどうなろうと。どうせ、私がいなくたって構わないんでしょ」
「そんなことない。恵里加がいないと困るんだよ」
「そんなの、家事がどうとかでしょ。私はお姉ちゃんの親じゃない」
違う。そんなんじゃない。そんなんじゃなくて、私にはあんたが必要なんだよ。
「そこで見といてよ」
妹は包丁を首元に持っていく。息遣いの感覚が不定になって、目が開いてく。ダメ。
もう、これ以上に大事な人を失いたくない。
「止めてってば。お願いだからぁ・・・・・・」
涙。涙。気づいたら、涙が止まんなくなって膝から崩れてった。
「あんたしかいないんだってば・・・・・・あんたがいなくなったら、私独りぼっち
になっちゃうんだよ・・・・・・だから、頼むから死なないでよぉ」
あんたがいないと、私が私でいられる場所がなくなっちゃう。これから、どこにも落
ち着ける場所がなくなっちゃう。縋る一心で本心を投げた。母さんが死んだ時でも流れ
なかった涙がいくらでも流れてった。もう、妹の姿も見えてない。顔を伏せたまま、泣
きまくる。
そのうち、左肩に手の感触が伝わる。顔を上げると、妹の顔がすぐ側にあった。
「一つ、お願いしてもいい」
「何だよ」
「私の言うこと、何でも聞いてくれる」
「聞くよ、そんなもん」
「もっと家事やって、もっと化粧薄くして、もっと言葉遣い改めて、もっと早く帰っ
てきて、もっと優しくして、もっとちゃんとして、もっと姉らしくいて」
一気に捲くし立てられる。何言ってんのか分かんないけど、取り合えず「分かった」
って言っておく。
「最後にもう一つ」
「何だよ」
「お姉ちゃんにとって、私って何」
「はぁっ」
「いいから、答えて」
私にとっての恵里加って・・・・・・そんなの、あれだよ。
「一番大切な存在」
「・・・・・・・その言葉を待ってた」
妹は手にあった包丁を捨て、表情を崩して笑った。その手で頭を撫でられて、不器用
に私も笑った。2人で思いっきり抱き合って、全てのわだかまりは解けた。
泣き腫らした顔のままで「さっ、やろう」と妹は洗濯を始め、早速私は夕食の買物を
頼まれてしまった。
翌日には、昨日の事は嘘みたいに妹はケロッとしている。妹は嘘は付かないタイプ。
私は嘘は付けないタイプ。ただ、昨日と変わったのは妹は楽しそうに家事をしている。
もちろん、私はいっぱいいっぱい。
「お姉ちゃん、料理ホントに下手くそ」
「うっせぇな」
「ほら、言葉遣い直してって言ったでしょ」
「そんなもん、そう簡単に直らねぇっつうの」
せめてもの抵抗で言ってやったら、失敗して形が崩れた方のオムレツを私の皿に盛り
つけやがった。しかも、その上にご丁寧にケチャップで「なみこ」って。
片付けも2人でやって、家も同時に出る。支度に時間かけてたら、後ろから妹が野次
ぶっこきやがった。化粧は気持ち薄く。
「お姉ちゃん、今度一緒に洋服買いに行ってよ」
「いいよ、そんぐらいいくらでも」
「やった。ありがとう」
「どんな服がいいの」
「お姉ちゃんみたいなの以外」
「お前なぁ」
妹は笑ったまま、自転車の速度を上げていく。私も速くさせて、後ろを着いていく。
真正面から強めに浴びる風が気持ちいい。妹の背中に昨日までにはなかった感情が湧い
ていく。そう、心の底から信じられれば人間生きていける。




