前編
○登場人物
細井恵里加・ほそいえりか(妹、生真面目に慎重に生きていくタイプ)
細井那美子・ほそいなみこ(姉、自分を強く見せるために繕うタイプ)
どうして、世間はこうも弱い者に冷たいのだろうか。どうして、人間は弱い者を見て
見ぬフリをするのだろうか。答えは分からない。私はその「弱い者」の方にあたる人間
だから。
今日、母が死んだ。自殺。姉が家に帰ったら、首を括って上から物みたいにぶら下が
ってたらしい。母は物ではなく人間。何分後かに姉が電話したのは何故だか私。私には
警察に直結するパイプなんかない。謎の裏機関にも精通していない。ただの高校生。今
月から成り立てホヤホヤの新米女子高生。姉は冷静そうに事態を話そうとしてる。無駄。
語調がボロボロ。動揺バレバレ。いざという時に嘘を付けないタイプ。付けないなら付
くな。焦る姿は痛々しい。事態を告げられ、私は呆然とする。「えっ」とだけ言った気
がする。多分、実際言った。今日の日付を考える。違う。性悪な嘘だろうか。違う。嘘
は付けないタイプ。付きそうに見えるけど、心は弱い。弱いから強く見せようと飾りを
自分に付ける。でも、強くなってはいない。だから、きっと真実。母の死は真実。今、
部活終わりの帰宅途中に最寄り駅の駅ビルの本屋に寄り道してる私には何の実感もない
けれど真実。立ち読みしてたのは自己啓発本。結構、参考にしてる。
とにかく、本はそこまでにして家に帰ることにする。元々、買うつもりもない。家に
置いてたら、何か迷いでもあるのかと疑われてしまう。そりゃ、人間なんだから迷いは
ある。駅から出ると、そこそこのスピードで自転車を走らせる。街中の全速力はなんか
格好悪い。駅南口発の大通りの信号を5つ通り過ぎたところで私はそこそこも止める。
ここで頑張ったところで、おそらく現状は何も変わりはしない。そこに気づいてしまう
あたり、我ながらドライだと思う。こんな娘に育てたのは母なのだから、怒らないでも
らいたい。
家の前には救急車とパトカーがいた。姉には110をするように言っておいたから。
言う前に気づいてくれるとありがたい。自転車を降りて中に入ろうとすると、隣の家の
おばさんが庭からこっちを見てる。一軒家だからどこの家族が緊急事態かは即に伝わる。
よく見ると、向かいの家の窓からもおばさんがこっちを見てる。なんか気色悪い。見る
なら堂々と見ればいいのに。隠れるから卑しく映る。家に入ると、「ただいま」って言
いそうになった。慣れって恐い。物音は聞こえるけど、人の姿が見えない。物音は二階
からしてる。二階で吊ったんだ。吊るところなんかあったっけ、と考える。今じゃない
だろ、と打ち消す。リビングに荷物を置いて、階段を上っていく。ドキドキしてくる。
結果は分かってる。なのに、緊張する。姉が取り乱すのも納得だ。私の方が先に帰って
たら、私がああなってたんだろう。寄り道してよかった。二階では、警察っぽい人と救
急隊っぽい人が母の体を囲んでた。っぽい、っていうかそうだ。ちょうど、ロープから
首を外して床に体を降ろしたところ。吊ってるところを見なくて済んでホッとする。表
面には出さないけど。姉は少し離れたところで立ち尽くしている。あんな阿呆顔、久し
ぶりに見る。救急隊が母を運んでいく。擦れ違いざまに母の顔が見えたが、無様な感じ
だった。ああはなりたくない。姉に声を掛ける。限りないローテンション。梅雨時の太
陽か今の姉か、ってぐらい。
「お父さんに電話したの」
「まだしてない」
「なんで」
「なんか、大事な会議とか昨日言ってたし」
バカだな、こいつ。二流会社の会議と母親の命を天秤にかけるな。それで会議が勝っ
たんだからつくづくな姉だ。冗談は格好だけにしてほしい。姉の格好は今どきのケバい
ギャル。私はいたって普通。いつからか、姉だけ道を逸れてった。そこに関して、別に
興味はない。勝手にやってくれ、って感じ。私も勝手にするから。勝手にするような事
は特にない。第一発見者の姉は警察につかまる。逮捕じゃない。話を訊かれてる。その
間に、父に電話を入れておく。会議中じゃなかった。父は最初は話を受け入れなかった。
まぁ、その反応もあるだろう。ただ、私は嘘を付くタイプじゃない。付けないわけじゃ
なく、付かない。15歳はしがらみも少ない分、純粋さはそれなりに残ってる。付きた
くなれば付くのかもしれないけど。最後は父も分かったようで、「今から帰る」と急ぎ
早に電話を切った。その後、私も警察に話を訊かれた。母の最近の様子について。変わ
りはなかった、とだけ答える。サインはなかったはず。あったら、止めてたはずだし。
警察と話してると、丁寧な言葉になる。年齢が上だからっていうのとは別に、不思議な
魔力がそこにはある。警察は魔法使いの溜まり場じゃない。
父が帰ってくると、3人で母の遺体を見に行く。父は悲しそうな表情をしていたが、
泣くまではしない。姉も私も泣かない。そういう空気ではなかった。どういう空気かを
聞かれても答えられない。こんなの、そうそうあるもんじゃない。なんか、心臓を軽く
引っ張られる感じ。分かりにくいけど、これがベスト。感情に浸ったりするけど、これ
からどうするんだっていう現実的な思いもあって息が詰まる。その後に通夜もあったけ
ど、基本的に父との会話は義務的なものしかない。息は詰まるばかり。本気で詰まって
やろうか、と2回思った。今やったら、母の後追いって言われるのかな。それは勘弁。
そんなにこの家族に愛情は抱いてない。私の命を引き合いにして母を元に戻してほしい、
なんて思わない。
「ねぇ、この先どうなんのかな」
通夜の後、珍しく真剣な顔で部屋に入ってきた姉の言葉。どうなるもなにも、流れに
身を任せるしかない。自分の力で生きてくほど、私と姉は自立していない。家や学校の
あれこれは母頼み、お金は父頼み。私たちが自分だけの力で出来るなんて、何があるだ
ろう。もしかして、何もないかもしれない。非力さの痛感。15年、私は何をしてきた
んだろう。食うもん食って、出すもん出して、呼吸するだけとか。姉は適当に宥めたけ
ど、お先は真っ暗。
次の日は葬式をして、母は骨になった。随分、あっさりとしたもんだ。自分もいつか
こうなるのかと思うと空しくなる。どうせ誰もが通る道なんだ、と諦めておく。妥協は
便利な逃げ道。そうそう前に進めるほど人間は強くない。理想通りの人生なんてない。
大体、妥協。
朝食は私が食パンを焼いてジャムを塗った。適当。サラダと目玉焼きを出すほど気は
利かせない。あえて利かせない。恋人に作るんじゃあるまいし、張り切る必要はない。
飲み物が欲しくなってコーンスープを足した。一応、人数分。昼食は3人でファミレス。
骨になった母を目の当たりにした後でも、ご飯はきっちり食べられる。人間、そんなも
んだ。夕食はハンバーグを作る。なんだか無性に食べたくなって。ハンバーグは母の得
意料理。作ったことはあったから、レシピを見ながらなら時間も掛からない。気分いい
からサラダもプラス。自分そこそこイケんじゃないの、とか思ったり。錯覚。味、下の
中。2人とも何も言わなかったけど、姉が一度しかめっ面をしたのは確認。文句あるな
らファッキンでも行ってこい。
お風呂は姉が入れた。風呂掃除も姉。音しか聞こえなかったけど、きっと大雑把炸裂
させてるのは間違いない。掃除は父にしたけど、見た目そんな汚れてないから結局しな
かった。洗濯はそれぞれ時間差。母以外に洗濯物見られるのは気が引ける。父になんか
絶対嫌だし、姉にはもっと派手なのにしろとか言われそう。シンプルで何が悪い。私は
いたって普通。
次の日からは通常の日常。母の事なんかあったのかどうかってくらい、今まで通りの
スケジュール。母は確かにいない。朝食は白飯を炊いておにぎりを7個作った。父3、
姉と私2。お新香付き。っていうか、何で私がご飯係みたいになってんの。一番面倒な
ところ、自然に擦り付けられようとしてない。
学校に行くと、仲の良い友達が心配してくれた。大丈夫、悲しむ暇ないぐらい窮屈な
時間が続いてる。高校に入って、友達が2人できた。上出来。顔は私が1番、背は2番、
勉強は2番。これぐらいが妥当。良すぎると反感買いそうだし、悪すぎると劣等感に萎
えそうだし。
友達は増えるのと同時に減っていく。高校で新しく仲良くなる子がいれば、連絡が疎
遠になる小学校と中学校の子もいる。あんなに遊んでたのに、今ではぱったり。友達を
作れるキャパシティって決まってるんだろうか。私なら数人。両手で数えられるだけ。
それ以上の親交は無理。それ以外の人がどうなったっていい。明日、性転換してようが
構わない。ご自由に。
よく友達のためなら夜中でも飛んでいく、って聞く。残念ながら、私の辞書にはない
文章。夜中は寝ます。考え方が乾いてるかもしれないけど、その友達もこっちをそんな
深くは思ってない。多分、優先順位の5番手ぐらい。15年間でそれなら、人生終わる
頃にはおそらくランク外。私がいなくなろうが、生きてくうえで支障はないはず。また
新しい友達作ればいいんだし。
昼食は購買でパンとコーヒー牛乳。屋上で食べたいって言ったら、2人とも着いてき
た。正直、来なくていい。ゆっくりしたかったから。なんで、学生時代の友達ってこう
も馴れ合うんだろう。教室の移動も一緒、果てにはトイレまで一緒。絶対に出ないやつ
もいるはず。それが正解なんだろうか。不明。本気の関係なら、そこまで相手に干渉し
ない気もする。それが優しさじゃないの。
放課後、帰りがけにスーパーで買物。何度も来た事はあるけど、いつもとは違う物を
買わないとならないから自由がきかない。いつもは飲み物しか買わないけど、今日は食
べ物や日用品まで。っていうか、何で私が買物しなきゃなんないの。うまいこと、押し
付けられてない。帰ったら、言ってやろう。
「あら、恵里加ちゃん」
「あっ、こんにちは」
隣の家のおばさん。あんまり長話に付き合わされたくないな。でも、通夜に来てくれ
てるから蔑ろにできないし。
「お買物かしら。偉いわねぇ」
「いえ、そんなことないです」
「ご飯、あなたが作るの」
「はい、一応」
偉いわねぇ、とおばさんはいやに感心してる。でも、今のところ私が作ったのって、
食パンとお湯入れるだけのコーンスープと下の中のハンバーグと物乗っけるだけのサラ
ダとおにぎり。褒められたもんじゃない。恥ずかしいから言わないけど。それより、こ
こを切り抜けたい。井戸端会議に足を踏み入れるほど、肌は痛んでない。愚痴ならある
けど。
「一昨日、通夜に来てもらってすいませんでした」
「いいのよ、そんなの。それよりも家の事は大丈夫なの」
これ、長くなりそう。適度な返答で撒いておく。今だけならまだしも、この先も続き
そうだし。パパッと買物して、顔見知りの大人に会わないように目を見張らせながら帰
宅。学校の荷物と買物袋のダブル、きつい。
独りきりの自宅はとてつもなく静か。足音もない。テレビの音もない。洗濯機の音も
ない。掃除機の音もない。何もない。孤独。今までは家に帰ったら母がいたから気づか
なかった。「おかえり」と言ってくれる人もいない。母は本当にいなくなってしまった
んだ。実感。
なんとなしに家の中を歩いてみる。誰もいない。誰かいたら泥棒。父の部屋、ベッド
がぐしゃぐしゃ。私の部屋、雑誌がぐしゃぐしゃ。姉の部屋、全部ぐしゃぐしゃ。見て
いて見苦しい。あぁ、母はこれをいつも綺麗にしてくれてたんだな。片付けなさいとか
言われてうるさかったけど、感謝しないといけなかったんだ。
息をつき、心を決め、私は掃除を始める。汚れを取り、掃除機をかけ、雑巾で拭く。
目に見えて綺麗になる様はやりがいがある。ついでに、父と姉の部屋に放られてた洗濯
物もやってあげる。父と姉に私の洗濯物をやられるより何倍もマシだから。父の洋服は
年齢よりは若く繕ってる。父は45歳。まぁ、見せる相手がいるんだから気も遣うだろ
う。それでも、娘からしたら良い物ではない。どっちかっていうと、ばっちい気がする。
姉の洋服は年齢どうこうじゃなく、基本的な道から外れてる。何を目指してるのかさっ
ぱり。他の人のやらないファッション。オンリーワン、ってやつ。決して、非難はして
ない。どっちかっていうと、格好いいと思う。私は一度も着ることなく死んでくけど。
だって、下着なんか小さくて多少お尻の割れ目見えてるし。サービスも過ぎると罪なん
じゃないの。
姉が帰ってきたのは20時過ぎ。私は17時前。良い身分だこと。どうせ、マックで
駄弁ったりしてたんでしょ。同じような化粧して、同じような喋り方して、同じような
制服のアレンジしてる女子たちと。
「あぁ、腹減った。夜ご飯は」
「あと15分ぐらいで出来るけど」
姉はリビングのソファに寝そべる。やる気ゼロ。完全に私が料理担当と決め込んでる
し。仕方なく、キッチンで料理を続ける。リビングから、テレビの音と姉の笑い声が聞
こえてくる。イラつく。
夕食は麻婆豆腐。素を買ったから、調理はだいぶ楽。とにかく白飯に合うものを作っ
とけば、腹が膨れて品数いらないだろう。味噌汁はわかめとネギ。朝、おにぎりの時に
味噌汁が欲しいって姉に言われたから初挑戦。生意気言いやがって、ってムカついたの
が本音。結果、失敗。味が薄い。昨日のハンバーグの「やりすぎ注意」の教訓が見事に
裏目。
「これ、味薄くねぇ」
「初めて作ったんだからしょうがないでしょ」
文句あるなら自分で作れ。全部作れ。
「お姉ちゃん、今日私が掃除と洗濯やったんだけど」
「うん、ありがとう」
それだけかよ。ごめんねとか謝ったり、明日はやるからとか付け加えたり出来ないの。
理由は分かってるよ。ごめんねなんて思ってないし、明日もやらないから。
父が帰ってきたのは22時過ぎ。食器片付けて、お風呂に入って、やっと一息つけた
ところだったのに。すぐに父の分の夕食を用意する。味噌汁の薄さには、何も言ってこ
ない。
「すまんな。家事やらせちゃって」
「うぅん、いいよ」
そう言うしかなかった。朝早くに出かけて、夜遅くに帰ってくる父に家事まで分担で
やってくれとは言えない。私たちが生活していくお金を稼いできてもらってるんだから、
強くは当たれない。
姉は風呂掃除はやってくれた。キッチンで食器を洗っていたけど、また大雑把炸裂な
音が聞こえてくる。父には何もやらせずに仕事に専念してほしいと伝えた。私は何かを
諦める必要があった。
それから、私には怒涛の日々が始まる。カーンってゴングが鳴るわけでもなく、ただ
始まる。
朝は6時前に起きて、朝食の支度。出来たら父を起こし、朝食を食べてもらってる間
に昨日洗濯した洋服にアイロンをかける。父を仕事に送ったら姉を起こし、2人で朝食
を食べる。姉は起きないし、寝起きも最悪。自動的にこっちの気分も悪くなる。食器を
片付け、学校に行く支度をする。大体、姉と一緒に家を出る。姉は食器を片付けないけ
ど、支度に時間がかかるから同じ時間になる。一緒に家は出るけど、駅までは自転車だ
から会話はない。駅で別れると、学校までは1人になれる。満員電車だから気は落ち着
かない。高校に入学して1ヶ月、今のところ痴漢には遭ってない。知らない中年に触ら
れるなんて、真っ平ごめん。もし遭ったら、警察に突き出してやる。
電車を降りてから学校までの徒歩10分はようやくの有意義。なるべく、知ってる女
子には会いたくない。学校に着くと、友達2人が自然に集まる。昨日のテレビの話が主
になってしまうけど、今の私にはテレビを見る時間なんてあんまりない。2人が私に教
えてくれる感じだけど、どうしてもテンションの差は埋まらない。授業はきちんと受け
る。変に生真面目なところがあって、授業中に携帯いじったり、本読んだり、絵描いた
り、寝たりすることはしない。聞き落として取り残されるのが嫌、っていうのが本音。
小心者。昼休みには購買でパンと飲み物を買って、教室で食べる。屋上で食べたいけど、
風吹いたり、埃来たり、雨降ったり、不自由もあるから教室が無難。午後の授業が終わ
ったら、そのまま帰る。
学校から最寄り駅までの徒歩10分はようやくの有意義。帰りは人通りも多くない。
電車を降りると、駅近くのスーパーで買物。買物には慣れてきたが、近所の顔見知りに
会わないように気を張るのは落ち着かない。もし会ったら、挨拶程度の会話をして早め
に逃げる。学校に行ってる間の8時間、私はあんたたちより余裕がないんだよ。学校鞄
と買物袋のダブルで自転車漕ぐコツは掴めてきた。普通の15歳はそんなコツがあるこ
とも知らない。
帰宅すると、静かな家がお出迎え。一応の「ただいま」。何に対して言ってるのか、
自分にも分からない。家族分の洗濯をして一軒家の掃除、洗濯物を干したら夕食の準備。
毎日おにぎりやらパンやら簡単なのばっかり出してもいいけど、それは作る側にもやり
がいが無い。より気が滅入る。だから、時間かかっても新しいメニューを作ってみる。
作ってる間に姉が帰ってきて、2人で食べる。お風呂に入って久々に一息、出る頃には
父が帰ってきて夕食を出す。食器を片付け、風呂掃除。姉が外泊した日に代わりにやっ
たら、その日から私がやることになってた。姉がやるより私がやる方がいいから、あな
がち押し付けるのも気が引ける。家事が終わったら、部屋で学校の宿題。その合間に友
達とメールのやり取り。どうしてもメール不精になってしまうのは許してもらってる。
宿題が終わると、ベッドにノックダウン。24時過ぎ、就寝。
慣れない家事に奔走して疲労も溜まるし、自分の時間もなくて息が詰まる。毎日が押
し寄せてきて、心が圧迫されていく。
だんだん崩落していく何かを察知していた。でも、それを止めることが私には出来な
い。それだけの心のゆとりがない。流れてく毎日の中、自分のやる事をやるだけで精一
杯。危険信号、黄色の点滅中。限界はじまりました。
5月中旬、体も心も悲鳴をあげてきてる。体や心は喋らない。その前の上旬、世間で
はゴールデンウィークの期間。何が輝いてるのか、私には分からない。姉は友達と遊び
ほうけ、父は出張で数日家を空ける。独りぼっち、完全に家は私任せ。友達も家族旅行
で誘いも来ない。独りぼっち、私は青春期に何やってるんだろう。淋しくて最終日に泣
いた。
中間試験まであと5日。高校での初めての試験。結果は出したい。ただ、自信は湧い
てこない。授業はちゃんと受けてるけど、それだけ。中学の時は万全の状態で試験勉強
をしてたのに、今回は全然出来てない。その分、不安が大きくなって襲いかかってくる。
このままじゃ、きっと思うような点が取れない。その思いにやられそうになって、姉の
部屋に行く。珍しく机に向かって勉強している。
「お姉ちゃん、お願いがあるんだけど」
「うん、何」
「ちょっとさ、家事を分担したいんだけど」
姉は一回こっちを向いて、また机に向き直す。
「何で。今のままでいいじゃん」
「試験あるでしょ。勉強したいから」
「うん。でも、私も勉強したいし」
あんたの意見なんかいい。っていうか、この期に及んでやらない気か。これまで全部
私に押し付けといて。
「私さぁ、今回赤点とか取るとヤバいんだよね。そっちはまだ入学したばっかだから
いいじゃん」
いいじゃん、って私の人生を何だと思ってんの。あんたの赤点の方がどうでもいいし。
赤点取るとヤバい状況になってる事が問題なんだよ。
「私もちゃんと勉強して試験に臨みたいの。家事、半分こにしようよ」
「悪い。私、今回ホントに点取んないとマズいの」
「そんなこと言わないでさぁ。やってよ、お願い」
「大丈夫だって。あんたならうまくやれるから」
何だよ、その根拠のない言葉。そんなんで、逃げようとしてんの。
「お姉ちゃん、私に全部家事やらせてんじゃん。少しくらい手伝ってくれてもいいん
じゃないの」
「あんたがやった方がいいでしょ、性格上。部活も入ってないんでしょ」
それは部活探してる間にこんなことになったから。そっちこそ、テニス部の幽霊部員
なんでしょ。っていうか、絶対やる気ないんだな。
「分かったよ。やればいいんでしょ、私が」
「うん。頑張ってよ」
「はいはい。その代わり、どうなってもしんないからね」
半ば、やけくそで言い捨てる。こんな分からずやの姉だったのかと再認識。昔っから
そうだ。面倒くさいこと、全部私に押し付けて。こっちの身にもなってみろ。姉は私の
身にはなれない。
姉の部屋のドアを強めに閉めて、自分の部屋になだれ込む。ベッドに体ごと預けると、
涙目になりながら唇を噛む。悔しいから涙は流さない。あんな姉に、涙なんか使いたく
ない。ふと顔を上げると、机の上の家族写真が目に入る。放棄した父、いない母、勝手
な姉。こんな家にいたらダメになる。思いやりのない家庭のせいで、全て重圧は自分に
掛かってくる。いつか、押し潰される。
中間試験の本番。調子が全く上がらない。上がらないことで、気分は下がっていく。
悪循環。友達は順調らしい。放課後、2人で勉強してるみたいだし。私には声も掛かっ
てないけど。こっちの立場を配慮してるんだろうけど、だんだん2人との間に溝が出来
てきてる気もする。そのうち、越えられなくなりそう。
試験終了。手応えなし。そこそこはやれてるんだろうけど、納得いくようなものじゃ
ない。しっかり準備してれば、もっとやれたはず。悪いのは周り。私は被害者。たった
1人の被害者。この先もこれが続いてくのかと思うと、なんか憔悴。
姉は私の家事に何も言ってこない。もはや、それが当たり前と思ってる。私は姉の母
親じゃないし、使用人でもない。父はたまに手伝いを願い出てくれるけど、それは柔に
断ってる。ここまできて変に気遣いされたくないし、ちょっと手伝ったぐらいで家事を
分担したような感覚を持たれたらたまらない。友達はよく労わりの言葉を言ってくれる
けど、快くないものもある。「花嫁修業になるじゃん」って言われた時はカチンときた。
花嫁になる気なんかないし、修行なんて気もない。そんな体のいいもんじゃない。拷問
に近い。隣の家のおばさんと向かいの家のおばさんは顔を合わせると声を掛けてくる。
料理のレシピ、教えてあげようかって。いらない。今はネット社会、いくらでもレシピ
は手に入る。気を遣ってくれるんなら放っておいてほしい。
「どうかしたの」
姉に声を掛けられて現実に戻る。私は元々現実にいる。夕食の準備中、私は包丁を空
に浮かせたまま止まってた。それを不思議に思った姉の一言。
「別に」
「ふぅん」
姉は冷蔵庫からオレンジジュースを出し、ガブ飲みして去っていく。本当は包丁を手
にしたまま考え事をしてた。これで自分を刺したら何かが変わるだろうか、って。皆が
私を心配してくれて現状を打破できるんじゃないか、って。いけない考え方だと思うけ
ど、それぐらい追い詰められてる。
その時、ハッとなった。母が死んだ理由って、これなんだろうか。今まで深く考える
余裕がなかったけど、今ならなんとなく分かる。追い込まれてたんだね、お母さん。私
たち、知らない間にお母さんのこと追い込んでたんだね。ごめんね、気づいてあげられ
なくて。知らないのも罪なんだよね。
私・・・・・・お母さんに謝りに行こうかな。
中間試験の結果発表。次々と返ってくる答案、次々と降ってくる憂鬱。全教科平均が
71点、学年平均が68点。学年順位が235人中の117位。愕然。中学3年の時の
学年末試験を思い起こす。全教科平均が88点、学年平均が73点。学年順位が252
人中の37位。差は歴然。この3ヶ月の間で私の成績はガタ落ち。まるで、私自身の人
間性が評価されたみたいだった。
友達2人が集まってくる。点数いくつだった、っていう興味本位の集会。友達は27
位と66位。2番だった成績はダントツのビリに降格。こんなはずじゃないのに。私、
こんなもんじゃないのに。
「恵里加はしょうがないよ。家の事やってるんだし」
「そうだよ。また次に頑張ればいいし」
友達が慰めの言葉を掛けてくる。憐れみみたいでムカつく。しょうがなくなんかない。
この点数を見た人はこれで私の価値を決める。次に頑張れやしない、これからも状況は
変わらないんだから。私、もう無理。
「ちょっと黙っててよ」
机を全力で叩いて、大声を張り上げる。息が荒ぐ。顔を上げると、友達は動きが停止
したまま目が点、クラスメイト全員からの視線。そんなの関係ない。私の視線は友達を
睨みつけ、涙が零れてく。限界の来訪。鞄と答案用紙を掴み、教室を飛び出す。
目を赤くさせたまま、電車に乗り、自転車に乗り、家まで急速で走り続ける。早く楽
になりたい。こんな窮屈な環境から抜け出したい。自由になりたい。その一心で家まで
駆け抜けた。帰宅すると、キッチンへ一直線。キッチンまでは一回曲がる。包丁を手に
して、自分の部屋へ入る。ベッドに座り、姉にだけメールを送る。泣きながら静かに包
丁を自分へ向けた。




