5 首吊り“殺人”事件⑤
「あれは……蜘蛛です。そう、人型の、蜘蛛でした」
それは、紗理奈の背後にずっといたという。
ずっと。彼女……小雪が紗理奈と出逢った高校の入学式から、ずっと。
霊感のある人間は、『骸』と遭遇した時の対処法をよく知っている。小雪もまたそうだった。
触らぬ神に祟りなし。
何も手を出さず、危害を加えてこないというのなら、まず見なかったことにする。
その骸が無害な存在であった場合、下手に手を出せば逆に暴走させてしまう……そういうこともあるのだという。
「いわゆる守護霊と呼ばれるタイプの『骸』ですね」
「えっ、しゅ、守護霊さんも……妖怪の一種、みたいな、扱いなんですか?」
「はい。言い方や扱いは変わっても、原理は同じですからね」
紗理奈の背後にずっといた、蜘蛛の守護霊。
それが異常性を見せたのは、一年生の夏休みのはじめ……今年のことだ。
「みんなで、その、カラオケに行くことにしたんです」
「楽しそうですねぇ」
「は、はい。楽しくって、終業式の勢いでいって、楽しくって……時間もわすれて、楽しみました」
そう語る小雪の頬が、少しだけ和らぐ。
悪霊に見られながらの会話でも、その日々について語ることは、彼女にとっては苦でないのだろう。
だが、その表情は、すぐに強張った。
「六時になった時です。
蜘蛛が……急に、紗理奈ちゃんを握りつぶそうと、しました」
強張る小雪の白い指が、震えながら、ハンバーガーを握る。
ぎゅっ、と。押しつぶしてしまいそうな勢いで。
「そしたら、です。スっと紗理奈ちゃんは席を立って……『門限だから、帰らなくっちゃ』って。
それで、帰っちゃって」
「門限?」
「紗理奈ちゃんの家、お金持ちなだけあって、その、色々厳しいみたいで」
俺は紗理奈の家、依頼人である宇志峰の家を思い出す。
都内の一戸建て。駅へのアクセスも近く、言われてみれば一等地そのものだ。
ファンシーな仕立ての紗理奈の部屋も、細工された寝台やぬいぐるみの数々からして、ある程度裕福な家庭のものに思えた。
都内の良い場所に、子供部屋つきの家を建てられる程度の、家族。
「それから、毎回です」
「毎回? というと……」
「夏休みの間遊びに誘って、遊びには、いくんですけど……六時になれば蜘蛛が動いて、紗理奈ちゃんを潰そうとして、それで、紗理奈ちゃんは帰るんです。
どれだけ楽しんでいても。
どれだけ時間を忘れても。
カラオケのサビの真ん中でも、海の中でも、お構いなしに」
門限を律儀に守る女子高生……だけで切り捨てるには、異常な一貫性だった。
探偵は巨大なコーラを飲み、話の続きを顎で催促した。
「あの日、ぼくは紗理奈ちゃんを、引き留めたんです。そしたら……」
ここからが本題らしい。
小雪は震える手で、自らの色素の薄い髪に触れた。
「蜘蛛は、ぼくを襲いました」
掻きむしられる、小雪の髪。
その様子を見て気付く。いくら搔かれても、むしられても、その毛根の色に変わりがない。
白いのだ。
染めていたり、脱色していたり、それだけでは説明できない。
完全に色素を喪った蒼白。アルビノめいた、天然の、欠落した発色。
「……てっ、手足を、手足をまず、縛られて、糸が。糸があふれて、口の中と、爪の間と、あと、マイクを握る手の、えと、首。首が、首が……!」
「落ち着いてください。小雪ちゃん」
探偵が立ち上がり、机越しに、小雪を胸に抱く。
それでも暫くはもがくように暴れて……小雪が落ち着くまで、五分はかかった。
怪訝な表情を向けるハンバーガーチェーンの客たちの中でそんな光景を見れば、小雪の態度の急変も、髪の色の理由も、俺を恐れる理由もすぐに理解できた。
小雪は蜘蛛に襲われ。
その恐怖で、髪の色を失った。
「蜘蛛は、紗理奈の守護霊じゃなかった……?」
俺が漏らした推測に、探偵がうなずく。
小雪が蜘蛛に襲われたのは、夏休みの最中。
紗理奈が首を吊ったのは、夏休みのど真ん中。八月一日。
小雪の白い頭髪に顎をのせ、なだめるように背中を叩きながら、探偵は確信した声で告げた。
「宇志峰 紗理奈。彼女が首を吊ったのは、自殺なんかじゃありません」
俺と探偵の脳内には、同じイメージが流れていた。
ファンシーな部屋で首を吊る、よく遊びに誘われるような明るい少女。
その足元に這う――――蜘蛛。
「呪いです。
紗理奈ちゃんは、呪いによって殺されたんですね」
首吊り“殺人”事件。
女子高生が首を吊られただけの事件は、俺たちに馴染みのあるものに、形を変えた。
ミステリーですかね……?