花言葉に思いを込めて
杉山佳奈さん、34歳。
妊娠と同時に乳癌が見つかった。見つかった時には既に最終段階であるステージ4。あちこちに癌が転移している状態だった。
彼女は現在妊娠八ヶ月。お腹の赤ちゃんはスクスク成長している。
赤ちゃんを諦めて治療に専念するか、治療を中断して出産に臨むか……彼女は迷うことなく赤ちゃんをとった。
「先生、少しだけお世話になります」
風邪をこじらせた佳奈さんが、治療のために入院してきたのは風花が舞う寒い日だった。
退院してからは外来で診察をしていたものの、久しぶりに見る彼女はひどくやつれて見える。あまり食事をとれていないのかもしれない。
「佳奈さん、早く良くなってくださいね」
「はい」
そう笑う佳奈さんは可愛らしい女性だった。
勤務先の最寄り駅にある大きな花屋。そこで佳奈さんは働いていた。
俺は花には興味がなかったら立ち寄るなんてことはなかったけど、一年中綺麗な花が並ぶお店は、いつもキラキラ輝いて見える。そこで元気に働く佳奈さんを時々見かけたのだった。
「先生はお花とか興味ないんですか?」
「え? 花ですか?」
「はい。やっぱり男性ってお花とか興味ないのかなって」
「あぁ、そうですね……すみません、あまり興味がなくて……」
「ふふっ、そうですよね」
回診の時に佳奈さんに話しかけられた俺は、困惑してしまう。花屋の店員さんを前に「花に興味はありません」なんて、言いにくかったから。
「ちょっと花について勉強してみます」
「そんな、無理しないでくださいね」
でもそんな俺に気を悪くする様子もなく、佳奈さんは笑っていた。
◇◆◇◆
『今から先生の家に行っていいですか?』
夜の九時を回った頃、突然メールが届く。
「こんな時間になんだろう」
首を傾げながらも、断る理由もなかったから『別にいいよ』と返信した。
その直後、ピンポンとインターフォンが静かな室内に響き渡る。
「え? まさか……」
恐る恐る玄関に向かえば、「先生、実はもう部屋の前まで来てるんです」という南の声がドア越しに聞こえてきた。
——え? もう?
玄関に置いてある鏡で自分を見て驚愕する。
風呂から出たばかりの俺は、髪もビショビショで洒落っ気も何もないルームウェアを着ている。
こんな格好で南に会うのは……。
心の中で葛藤するが、寒い廊下でいつまでも南を待たせるわけにはいかない。
仕方ない……。
諦めた俺は玄関のドアをそっと開く。それと同時に冷たい風が室内に流れ込んできた。
「寒いー!!」
そう叫びながら南が突然抱きついてきたから、思わず尻もちをつきそうになったのを必死に堪える。南の体は氷のように冷たかった。
「急にどうしたんだよ?」
冷たい髪を撫でながらそっと問いかければ、背中からガサガサッという音が聞こえてくる。
「これを先生に渡したくて……」
「え? 何かくれんの?」
「俺、今めちゃくちゃ恥ずかしいから、絶対に笑わないでくださいね」
「ふふっ。なんだよ、それ」
「こんなことするの先生が初めてです。死ぬほど恥ずかしいけど、どうしても先生にプレゼントしたくて……」
「なんだよ、南。どうした?」
物凄い力でしがみついてくる南の体をそっと離して、顔を覗き込む。こいつには珍しいくらい必死な顔をしていたから、こっちにまで緊張が伝わってきた。
「これ、受け取ってください」
「え、これ……どうしたの?」
「恥ずかしいから深くは聞かないで」
「なんだよ、それ……」
南から押し付けられるように渡されたのは、真っ赤なチューリップの花束だった。
この寒い季節に咲くチューリップは、とても可愛らしい。肌寒い玄関にフワリと春の香りが漂った。
「なんで突然チューリップの花束……?」
「お願い、それ以上は聞かないで」
「真冬のチューリップ……凄く可愛い。ありがとう、南」
「よかった、喜んでもらえて」
「でも花瓶がないや。明日一緒に買いに行こう」
「はい!」
顔を真っ赤にしながら笑う南の頭を、そっと撫でてやる。それは無意識のうちにしてしまったことだけど、南のことが愛しくて仕方なかった。
突然の贈り物を大事に大事に抱き締めた。
◇◆◇◆
「この前、突然真っ赤なチューリップをプレゼントされたんですが……」
「えぇ!?」
「え?」
採血を終えた佳奈さんに話しかけたら、真ん丸な目を更に見開いて言葉を失ってしまった。そんな佳奈さんの反応に俺もびっくりしてしまう。
こんな俺がチューリップをプレゼントされたなんて、気持ち悪いと感じたのだろうか。
言わなければよかった……と後悔してしまった。
「あの……この病棟に男性の看護師さんっているじゃないですか?」
「男性の看護師さん?」
「めちゃくちゃイケメンのナースマンです」
「あぁ、南君のことですか?」
「そうそう、南さんです」
最近では南の名前を聞くだけで心拍数が上がってしまう。それを佳奈さんに悟られたくなくて平然を装った。
「あの人はお花に興味があるのかな? 花言葉を教えてあげたら凄く真剣に聞いてくれたんです」
「花言葉、ですか?」
「はい。あまりにも真剣だったから、私、図々しいことに『もしかして誰かにお花をプレゼントしたいんですか?』って聞いたんです。そしたら顔を真っ赤にしちゃって……。付き合いたいくらい好きな人がいるんです、ってこっそり教えてくれました」
「へぇ……」
予想もしていなかった佳奈さんの言葉に、採血の道具を片付ける手が止まってしまった。
「南さんに、告白するときに渡すにはどんな花がいいですか?って聞かれたから……」
「え?」
また、心臓がうるさいくらい高鳴り出す。いつか急に止まってしまうのではないか……って最近は不安になるくらいだ。
「だから私、告白するなら真っ赤なチューリップがいいですよって教えてあげたんです」
「真っ赤なチューリップ……」
「はい。真っ赤なチューリップの花言葉は……」
「花言葉は……?」
緊張のあまりゴクンと息を飲んだ。その瞬間。
「はい、杉山さん。検温の時間ですよー!」
勢いよく仕切りのカーテンが開き、南が二人の会話を遮ってしまった。
なんだよ、いいとこだったのに……。
俺は心の中で小さく舌打ちする。
「先生は早くナースステーションに戻ってください。師長が探してましたよ」
「はぁ? さっき師長に会ったばかりなんだけど?」
「でもまた探してました!」
「ふふっ。仲がいいんですね」
そんな俺達を見て佳奈さんが笑っている。
「べ、別に仲良くなんか……!」
俺が必死になればなるほど滑稽に見えるらしく、佳奈さんが腹を抱えて笑い出す。
最近は苦しい表情しか見せなかった佳奈さんの笑顔に、俺まで嬉しくなってしまった。
「健康っていいですね。素晴らしい未来がいくらでも待ってるんですから。いつかお二人に幸せが訪れますように……」
透き通るような佳奈さんの姿が、とても印象的だった。
佳奈さんの病室を後にして、すぐにスマホで赤いチューリップの花言葉を調べてみる。
「マジか……」
検索結果に全身の力が抜けて、思わず壁に寄りかかった。
真っ赤なチューリップの花言葉は、『愛の告白』。
花言葉に思いを込めて……。