美味しいカレーの作り方②
「カレーって、カレーだけで終わらないんですね」
「な?」
「北川さんが言ってた隠し味……全部覚えてないかも。コーヒーにソースに蜂蜜……」
「林檎もあったね」
「あ、そうそう! そんなにたくさん入れたら隠し味が喧嘩しそう」
「喧嘩?」
「そう、喧嘩です。だって俺だったらカレー粉の一番の相棒でいたいですもん。好きな人の一番でいたいって思うじゃないですか?」
「好きな、人……」
南の口からその言葉を聞いた瞬間、心臓がトクンと跳ねた。
さっきまで普通に会話ができていたのに、今言葉を口にしたらギクシャクしてしまいそうで怖い。
意識したら駄目だと自分に言い聞かせても、心臓が勝手にバクバクと拍動を打ち続けた。
駄目だ、逃げ出したい。
唇をキュッと噛み締める。こんな俺は俺じゃない。
「ねぇ、先生。先生ってば!」
「ん? なに?」
「北川さん、頑張ってご飯食べてくれるって約束してくれたから、食べてくれるといいですね」
「あ、うん。そうだな」
急にボーッとしてしまった俺を南が覗き込んでくる。
俺より背が高いから少し屈む格好の南に、男らしさを感じてしまい……顔から火が出そうになった。
「今日、仕事が終わったら一緒にカレーを作りませんか?」
「きょ、今日?」
「はい! 隠し味を忘れないうちに」
突然の提案に、頭が真っ白になってしまう。そんなに急に誘われたら、断る理由も考えられない。「いいよ」って言う以外にないじゃないか……。
「いいよ」
「え?」
「だから、いいよって言ってんだよ! 俺ん家に来たらいいだろう! 何度も聞くな!」
南を軽く睨みつける。きっと今の俺は茹で蛸みたいに真っ赤な顔をしているはずだ。
恋愛に慣れていないことがバレバレで、恥ずかしくて仕方ない。めちゃくちゃ格好悪い……。なんでだろう。南の前ではスマートでいたいのに、無様な姿ばかり晒してしまう。
「嬉しい。楽しみにしてます」
「……そ、そうか……」
「先生とカレーを作るのを楽しみに、仕事頑張りますね!」
屈託なく悪う南に、もっと優しく「いいよ。家においで」って言ってやればよかったと後悔する。もう頭も心もグチャグチャだ。
「楽しみです、先生」
南の指先がスルッと自分の指先に触れると、体が小さく跳ね上がる。顔がどんどん熱くなって体が小さく震えた。
でも、それ以上に心が震えて痛かった。
この前みたいに、仕事が終わったら正面玄関で待ち合わせてスーパーへと向かう。
仕事中も体がフワフワしてたけど、私服の南が自分に向かって手を振る姿を見れば、頭が真っ白になってしまった。
仕事中の南もかっこいいけど、私服の南もかっこいい。だからこそ逃げ出したくなってしまう。
なぜ俺は、このイケメンと二人きりでカレーを作らなければならないのだろうか。きっと今日も俺の舌は、カレーの味なんて感じないと思う。
「行きましょう!」
楽しそうに歩き出す南の後を、夢中で追いかけた。
◇◆◇◆
「先生、今日はお酒買ったんですね」
「うん。なんか飲みたい気分だったんだ。明日休みだし」
「俺は夜勤ですし、ゆっくり飲めますね」
南がスーパーで買ったものを袋から取り出しながら口角を釣り上げる。なんか良からぬ事を企んでるのか? と勘ぐりたくなってしまった。
「南って酒強いの?」
「結構強いほうだと思います。先生は?」
「俺は下戸だよ」
「え? じゃあなんでビール買ったんですか?」
「いつも一本飲みきれないんだけど、取っておくわけにはいかないし、捨てるのも勿体ないじゃん? でも今日は南がいるから残しても飲んでくれるだろ? ……ん? なんだよ?」
隣でニコニコ嬉しそうにしてる南にびっくりしてしまう。
「なんでそんなにニコニコしてんだ?」
「だって、先生が南って呼んでくれるようになったから……」
「あ、ごめん」
南に言われて初めて彼を呼び捨てにしていたことに気付く。
いつからだろう。あまりにも自然な変化で全く気づかなかった。
「俺はむしろ嬉しいです。先生と仲良くなれた気がして」
「あぁ、そうかよ」
フニャリと目尻を下げる南から思わず視線を背けた。
「くだらないこと言ってないで、早くじゃがいもの皮剥いてよ。俺は人参切るから」
「はいはい。って、えぇ!? 先生カレーの具材そんなにデカく切るんですか?」
「カレーの具はデカいほうが美味いだろう?」
「それにしてもデカすぎます!」
「これでいいんだよ」
俺の手元を覗き込んで文句を言う南。でもこんなくだらないやり取りが楽しく感じる。心が擽ったくて……キュンって締め付けられた。
「これからも俺とカレーを食べたいなら、デカい具にも慣れなさい」
「え? は、はい! 俺、デカい具のカレーも大好きです!」
「プハッ! 都合良すぎだろう」
「俺、先生とまたカレー食いたい。だから人参丸ごと入れてもいいですよ」
やっぱり南は大きな犬だ。尻でシッポがブンブンと揺れているように見える。
頭をクシャクシャッと撫でてやれば、嬉しそうに目を細めた。
「こんなんじゃ、北川さんから教わった隠し味……忘れちゃいそうだよ」
自然と上がってしまう口角をキュッと結んで、包丁を握り直した。
「なぁ、これ本当に全部入れていいのかな?」
「でも、有名なホテルのシェフが言ってたんですよ? 絶対美味しくなるに決まってます」
「なんか混ざりきらなくて分離して……沼みたいになりそう……」
「そんな、沼って……」
二人して北川さんの教えてくれた隠し味を見て呆然としてしまう。
本当に大丈夫かな……と、考えを巡らせていれば、南が意を決したように口を開いた。
「もう、入れちゃいましょう!」
「え、ちょっと南!」
「ほら、先生も入れてくださいよ」
「う、うん!」
少し躊躇ってから隠し味を次々に鍋に放り込む。まるで魔法薬を作っている魔女の大釜みたいで笑えてきた。
「あははは! 変な色になってきた!」
「マジで先生、北川さんに失礼ですから!」
カレーを作るだけでこんなに楽しいだなんて、本当に頭がイカれてる。
でも楽しくて仕方ない。
ふと、子供の頃に買ってもらったお菓子を思い出した。様々な色の粉末に水を混ぜて更にトッピングして、色が変わって……あの時みたいにドキドキする。
大の野郎二人が何やってんだよ、って思うけど。久しぶりに腹の底から笑った気がした。
あー、涙が出てくる。
リビングの床に二人で並んで座る。目の前のテーブルには湯気をたてている出来立てのカレー。南が美味しそうなサラダまで作ってくれた。
「いただきます」
こうやってきちんと挨拶をする南に好感がもてた。きちんとご両親が躾をしてくれたのが伝わってくる。いい子だな、って思えた。
恐る恐るパクッと一口カレーを頬ばれば……言葉を失ってしまった。
「美味い!!」
「本当だ! マジで美味いですね」
お互い顔を見合わせて笑ってしまう。あんなに疑ってしまった北川さんに申し訳ないようだ。
ビールを開けて乾杯すれば、更にカレーが美味しく感じられる。
腹が減ってるからカレーがこんなに美味いのかな?
それとも……。
目の前では南が笑いながら色んな話をしてくれる。その穏やかな声色が心地いい。
幸せだな。こんな時間がずっと続けばいいのに……。
「先生」
「ん?」
「先生、酔っ払ったんですか? 顔が真っ赤」
「え、だ、大丈夫だよ」
「もう駄目です」
照れ隠しにビールを口に含もうとした手を、南にギュッと掴まれてしまう。
「これは没収です」
顔を覗き込んでくる南も相当酔っているのかもしれない。目元が赤く染まり、切れ長の目にうっすら涙が浮かんでいる。
その色気にクラクラと目眩がしそうだ。
「このビールは俺がいただきます」
「え!?」
俺からビールを奪い取るとゴクゴクと勢いよく飲み始める。ビールが喉を通る度に動く喉仏が男らしくて、体がどんどん火照り始めた。
「ふふっ。間接キス、ですね……」
「みな、み……」
「俺、先生とキスしたい……」
ペロッと自分の唇を舐めた後、フワリと南の長い指先が俺の唇に触れる。そのまま輪郭をなぞられて……髪の毛が逆立つほど気持ちが高揚してしまった。
「先生、好き。ねぇ、好きです」
「南、お前のが酔ってるじゃん!」
「だって楽しかったから。先生と一緒にカレー作って、お酒飲んで……幸せだった」
その言葉に胸がキュッと締め付けられる。
幸せだって思っていたのは、俺だけじゃなかったんだ。
「先生……」
「おい、こら! 調子に乗りすぎた!」
「ふふふッ」
甘えたように体を寄せてくる南を引き離そうとしたけど、あまりにも馬鹿力で抱きついてくるものだから諦めた。
本当にこいつは大きな犬だ……。
頭を撫でてやれば気持ちよさそうに目を閉じた。
「先生、膝枕して……」
「こら、寝るならベッド行け! ベッド使っていいから」
「ここがいいです。先生の膝枕がいい……」
「お前が良くても俺は……はぁ……」
俺の言葉なんて全然聞いてない。南はスースーッと穏やかな寝息をたてながら眠ってしまった。
「こいつ、起きたら文句言ってやる。足が痺れて大変だったんだぞって」
でも……。
美味しいカレーができてよかった。